たたりではない
それから148ページの「心霊は関係なし」というところでは「私が右のような体験を述べますのは、ただ人間の内奥の能力は本人の意識の作用にかかっているだけで、心霊主義とは何の関係もないということを明らかにしたいからです」とありますが、ところがこの心霊というのがいまだにずいぶん幅をきかせています。新聞にも『守護霊を持て』とかいう怪しげな本の広告がたくさん載っていますね。そして霊のたたりを除かなければ病気が治らないなどと言っているようですが、そういうものは一切関係ないのであるとアダムスキーは言っています。ですから非常に悪い思念の影響を受けて自分の運命が悪くなったり病気こなったりすることは有り得ますが、悪霊のたたりなどではありません。
例えばAという人のそばにしょっちゆういると何かしら良いことになる、幸せになるというようなこともあれば、Bという人のそばにいるとどうもトラブルが起こってしようがない、いさかいが起こる、不幸せになるということもあります。私はその良くないほうの例をずいぶん聞かされています。例えば非常に不気味なカルマを持った人がいて、その人のそばにいると病気になったり不幸なことになったりするということが本当にあったそうです。 しかしそういう場合は霊魂の仕業ではなくて、良くない想念や何か放射線のようなものの影響だろうと思います。ですから悪い影響を受ける揚合には、その人を避けて遠ざかるようにすればよいと思います。これは伝染病患者から受ける影響と同じようなもので、無防備な状態で近づけばどんな善良な人でも病菌の影響を受けて感染してしまいます。と言ってもその病人を憎む必要はありません。ただ遠ざかればいいだけです。
アダムスキーの過去世
それから150ページヘ行きますと「真のトランスという小見出しがあります。トランスというのを正しく翻訳するのはなかなか難しいのですが、言ってみれば忘我の状態です。よく心霊の霊媒などがトランス状態に陥ると言われますが、本当のトランスというのは心が意識と一体化している状態です。ここではイエスがトランス状態になったときの例があげてありますが、このときイエスは自分の過去世の姿を次々と顔に現して、あるときはモーセのような顔になったのを弟子たちは見ていたということです。つまりイエスはモーセの生まれ変わりでもあるということでしょう。ですからイエスは地球へ転生して来てはある時代にはAという国の偉大な指導者として活動し、その生産を終えると別な惑星に帰って行つてそこでの生涯を過ごし、そしてまた別な時代に地球へ転生して来て、今度はBという国の偉大な指導者となって活動するというようなことを繰り返していたようです。
これと同じようなことをアダムスキーもしていたようです。私がアメリカのジョージ・アダムスキー財団を訪れたときに、アダムスキーは古代中国の偉大な哲学者の老子だったということを聞きました。確かに老子の哲学というのは古代中国のいろいろな哲学者の思想のなかでも最も宇宙的ですね。暇のある方は老子の本をお読みになってみて下さい。アダムスキーの哲学とはとんど変わらないことが書いてあります。
それからやはりアダムスキー財団の人が「アダムスキーははるか昔の中国でチンという人であったと聞いているがこれはだれか」と尋ねてきまレた。彼らは東洋のことはあまり知りませんからね。私は最初、秦の始皇帝ではないかと答えましたが、もっと古い時代だというのです。そこでいろいろ考えてみた結果、舜(シュン)ではないかと思いました。舜というのは古代中国の伝説的な偉大な王で、尭(ギョウ)と並んで中国の理恵的帝王と言われています。その舜のほうを彼らは中国の発音をまねて「チン」と言っているのだろうと思います。そしてアダムスキーはその舜でもあったというのです。もう、4000年くらい昔のことでしょうね。
そのようにアダムスキーも別な惑星と地球の間をスペースシャトルのように行ったり来たりしながら各時代の偉大な指導者として活動していたということです。
自己訓練法
いろいろとお話ししましたが、つまるところは自分のマインドを宇宙の意識という大海の中に乗せてしまうことが必要だということです。私もなんとかして心と意識の一体化を図ろうと、瞑想をしたり、高次なフィーリングを起こす練習をしていますが、なかなか難しいですね。しかしそのように絶えず練習を続けておりますと、次第に意識と一体化したようなフィーリングが起こってきます。ですからやはり絶えず自己訓練をしているのがよいと思います。頭の中だけで「ああ、わかった、わかった」と納得していてもダメですね。
それで、自己訓練の具体的な方法ですが、常に大宇宙との一体感を保つためにはまず大宇宙空間というものを3次元空間としてとらえることです。この地球の周囲には本当に気が遠くなるほど広大な空間が広がっていて、その果てというものはわかりません。そのため、無限というものが強く感じられます。
そしてあらゆるものはその無限である宇宙空間に包まれて生きているわけですから、そうすればあらゆるものに分け隔てはなく、すべては一体だというような雄大なフィーリングが起こってきます。そのためには時々天文学の写真集などを引っばり出して、何光年もかなたの星雲の写真などを見たりして気分を高揚させるのもいいでしょう。あるいは6インチ反射望遠鏡ぐらいですと150万光年かなたのアンドロメダ塁薯も白くボーツと見えますから、チャンスのある方は望遠鏡をのぞいてみるのもよいですね。
そのようにして自分の心を宇宙の意識の大海に乗せてしまえば遠隔透視やテレパシーなどによって自分の目や耳などの肉体の感党器官を超えた素晴らしい知識が与えられるのだということです。
それから自分の部屋の壁に白い紙をはりつけてそれを見つめる方法もあります。白い紙に意識を集中させて、自分の見たい光景に意識及び心を飛ばしたようなフィーリングを起こして、そして必ず見えてくると信じて待ちます。この練習はあまり長時間はやらないで、5−10分やって疲れたら休むようにします。そのようにして練習を続けていれば必ず透視能力が少しずつ出てきます。
あるいは白い紙の中央だけ丸く残して周りを黒く塗りつぶしたものを作って、それを水晶玉をのぞき込むような気持ちでジッと見つめるという方法もあります。
これを熱心にやっていますと、はじめは白い円の中から黒雲がどんどんわき起こってきたり、光がパパッと出てきたり、何かおかしな光景が見えます〈慣れない方はちょっと恐ろしくなるかもしれませんが、ここでやめてはいけません。もちろん休憩として一時的にやめるのは構いませんが、疲れがとれたらまた白い円をジッと見ます。そうしていますと今までわき起こっていた黒雲が次第に治まってきて、今度は本当の光景が見えるようになります。
この練習をするときもただ漠然と見つめるのでlなく、見たいものをはっきり決めておくことが大切です。例えば自分の部屋の中で練習している場合には、自分の家の玄関にはだれがいるかなというよfな、すぐに答えのわかるものがいいですね。
それからテレパシーの練習方法ですが、これはいろいろと方法はありますが、人間同士の練習ー一方が想念を発してもう一方がそれをキャッチするというような練習が一番いいですね。というのは人間の想念が一番強いからです。
このようにして敏感な感知力を身につけないことにはこれからの激動の社会を生き抜くのは難しくなるでしょう。それに何よりも宇宙的な人間になるためには、そういう宇宙的な能力の開発を欠くことはできないと思います。
非個人的であれ
それからもうひとつ、宇宙的な能力を開発する上で大切なことは、非個人的な感覚を持つことだとアダムスキーは言っています。「非個人的」ーなかなかいい言葉ですね。私たちはふだん、あまりにも個人的なのです。それというのも私たちにはみな名前がつけてあって戸籍というものがあるというのも大きな原因でしょう。例えば私は久保田八郎という名前がつけてあります(あまりいい名前ではありませんが)。これは法律上認められる私の唯一の名前であって、戸籍にも載っていますし、ありとあらゆる文書にはこの名前を記入しなければなりません。
文筆家や芸能人などはペンネームとか芸名というのを持っていますが、それは仮の名前であって、正式な文書にはやはり本名を記入します。そのために私たちは「オレは久保田八郎だ。山田太郎じゃないんだ」というような個別感あるいは孤立感というものを起こしてしまうわけです。私という人間は他人とは関係なく孤立してここに存在しているのだと思い込んでしまうのです。
そこで私はその孤立感をなくすために一時期、名前を忘れることにしてみてはどうかと思ったことがあります。しかしどこへ行っても名前を聞かれますし、いろんな文書に名前を記入しなければなりませんのでこれを実行するのはほとんど不可能ですね。これを今さらぐずぐず言っても始まりませんから、地球に生まれた以上、しようがないのだと観念したほうかよいでしょう。そしてその上で「私はこの生涯を、おやじがつけてくれた久保田八郎という名前で過ごしているけれども、しかしそんなことはどうでもよいのだ。私はそんな孤立した肉体体人間ではなく、あくまでも宇宙の意識の一部分なのだ」というようなフィーリングを起こして生きて行けばそれでよいのです。
これをこの地球という次元の低い惑星で実践していくのは大変困難なことだと思います。しかし考えようによってはそのような訓練の場を与えられたということは本当は進歩のために良いことなのかもしれませんね。
とにかく透視能力にしてもテレパシーにしても、一朝一夕に身につくものではありません。何もやらないでいて、ある日目が覚めたら突然超能力者になっていたということは絶対に有り得ません。ですからなかなか進歩しないからといってあきらめずに、絶対的な信念を持って練習を重ねて行かれるのが良いでしょう。必ず報われる日が来ます。
(1982年11月20日 東京文化会館にて)
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