恐怖のかわりに宇宙の法則を
それから28ページヘ行きますと「恐怖が心の主人となっている」という項目があります。これは大変重要なところでして、人間はだれでもひと皮むけば恐怖心のかたまりであると言えます。そしてこの恐怖心というのは、ただなくそう、なくそうとするだけではなくなりません。恐怖心とは全然次元の違うものを持ってきて、それによって恐怖心を追い払うというふうにしないとダメです。そこで『生命の科学』というような素晴らしい哲学が私たちに必要になるわけです。
答えは用意されている
29ページには「意識と心は別個に存在する」というふうにありますが、普通の人は、意識と心は別々だということを全く知りませんから、人間の心というものは万能だと思っています。しかし本当はそうではなくて、心というものは単なる推理カの道具にすぎないのであって、あらゆる知識は意識というものから伝えられるのであるということです。つまりこの空間(四次元世界とも言えるでしょう)のどこかに、既に完成された知識のようなものがあって、それを非常に敏感な人やあるいはそういう方面に何か良きアイディアを得ようとしている人たちが感じ取ってアイディアを引き出していくというようなことになると考えられます。人間の心が、今までに全くなかったものを創造したり発明したりするのではありません。
この最もよい例がトーマス・エジソンですね。この人は「自分が何かを考えようとしているとかえってアイディアがう浮かんでこない。考えることをやめたときによいアイディアがう浮かんでくる」というような有名な言葉を残しています。この話は輝か『テレパシー』の中にあったと思いましたが。(注:同書P・112参照)こうなるとエジソンにとっては、この世界における指導者というものは必要なくなり、宇宙空間に満ちている意識の世界というものこそが本当の指導者ということになるのでしょうね。エジソンは小学2年生で退学処分を受け、あとは一切教育を受けていないのですから、全くたいしたものですね。
指導者につくほうがよい
だからといって何も学校教育というものが無意味だと言っているわけでばありません。どちらかというとそれは必要です。なぜかといいますと、今も言いましたように、一般人は意識から心に知識が伝達されるということを知らないために心だけで推理していますから、そういう人たちを教育するには学校というものは必要です。だれか先生がいて、知識を直接伝えてやらなければなりません。そのために学校教育はまだ一何百年か何千年かわかりませんが−必要でしょう。あるいは永久に必要なのかもしれません。金星にも学校があるそうですから、やはり常に指導者が何かを教えていくという形は、人間が存在する限り永遠に消えることはないでしょう。
そして31ページヘいきますと「以上が、この哲学が進化した惑星の人々から簡約されて伝えられた理由であり、これまでに出たいかなる哲学とも異なる理由です」とありますが、輝かに『生命の科学』といろのは本当にすごい書物であり〈私が訳したからそう言うのではありませんが)、これほどに素晴らしい真理を伝えた哲学は世界中どこを探してもないということを10年はど前にある方面から聞いています。そして、これをやっておりさえすれば決して間違いはないということでした。それをどこから聞いたかということを今はあまり詳しく言えませんが、地球上の人ではありません。
とにかくこれ以上の本はありませんし、しかもこれは恐らくアダムスキーが別の惑星の人から伝えられた知識を書いたものだと思いますので(訳は私がやったのでまずいところもあるでしょうし、まだまだ直したいところもありますが、誤訳は別にないと思います)絶えず手から放さないようにして、何百回、何千回と読み続けるようにして下さい。特に、気分が滅入りそうになったり、悲しいような想念が起こったときは、どこでもいいですから開いてお読みになるのがいいと思います。新約聖書でもいいでしょうが、ただあれは非常にゆがめられて書かれている部分もありますし、意味不明な箇所もありますから、それよりは現代人向きに書かれたこの『生命の科学』のほうがはるかによいと思います。
これを読んで「どうしてもわからない」という部分があれば、それは訳文を書いた私の責任でもありますから、私に聞いていただければできるだけのことはお答えします。あるいはGAP会員の中にはこれをもう完ペきに理解しておられる方も少なからずいらっしゃいますから、そういう方々を指導者にして指導を請うということも大切だと思います。『宇宙哲学とUFO』の76号にアダムスキーの「土星旅行記」の第2回目を載せましたが、あの中にも書いてありましたね、「指導者につくほうがよい」と。もちろん独学でも構いませんが、やはり既に悟っている人から何かヒントを与えてもらうということは大変よいことですね。よい指導者につけば素晴らしい変化をとげることも大いにあり得ることです。
例えばゆうべもNHKテレビで7時半から「音楽の広場」という番組をやっていましたが、ご覧になった方、いらっしゃいますか? あのなかで、千葉県習志野(ならしの)市の谷津(やつ)小学校の小学生によるオーケストラの演奏を聞いたのですが、驚くべき演奏ですね、あれは。ベルデイの難しい曲をやっていましたが、これが小学生かと目を疑いたくなるほどの、信じられないような光景でした。それからもうひとつ、板橋区の何とかいう小学校のやはり小学生による5、60人の吹奏楽団が出てきて、グレン・ミラーのジャズを演奏しましたが、特に小学校6年生の女の子なんかはアルト・サックスをビブラートまでつけて、鮮やかに吹き鳴らしましたね。普通の小学校ではせいぜい原始的なたて笛を吹<ことを教える程度ですから、これは全く信じられない光景でしたね。あれだけのオーケストラや吹奏楽団というのは世界でも例がないのではないでしょうか。
それで、ゆうべも家内と話し合ったのですが、これは要するに指導者のおかげだという結論になりました。すごい先生がいたからこれだけの教育をやったに違いないということです。あのオーケストラや吹奏業団に出てきた子供たちだけが天才の集まりではないと思います。どこにでもいる子供たちだと思います。ですから、人間の能力の可能性というものは、教育次第、練習次第でどんな能力でもすごいものが引き出されるものだということをあの番組で私は儒切に感じました。もちろんこれは非常に優れた先生がおられて、宇宙哲学のことは知らないにしてもある程度宇宙的な教育をやったからだろうと思いますね。
ですから、GAP内部にも指導的な立湯にある優れた人が何人かいらっしゃいますから、そういう方々に率直に教えを請い、いろいろ教えてもらったりするというようなことが必要ではないかと思います。
真実は明かされつつある
テレビのことで思い出しましたが、この間「第三の選択」という題で放映された番組がありましたね。 私は偶然に見たのですが、なかなかおもしろい内容でした。あれはSFであるという前書きで放送されたものですが、大半の人はあれを事実だと思って見たらしくて、ちょっとしたパニックが起こり、テレビ局にはいろんな文句が殺到したということです。ところが私に言わせれば、あれはフィクションとして放送されたけれども本当は事実ですね。
例えば、アメリカのNASA(ナサ)が発表した火星の写真のなかには、探査機の写した赤い色の空の砂ばく地帯の写真がありましたが、それは本当は地球と全く同じような青い空が写ったにもかかわらずNASAが赤いフィルターをかけて新しいプリントを作り、それを発表したのだというふうにあの番組の中で解説していましたね。しかもその解釈はあくまでフィクションであるというただしがきをつけていましたから、そのつもりで見た人は「なーんだ」と思ったかもしれません。しかし私の知る限りではあれは実際は事実です。確かに火星の空は青く写ったはずなのですが、それをNASAが赤フィルターをかけて発表してしまったということを私は知っています。それが本当に事実であるのに、あのテレビではつくりごとだとことわって発表したわけです。なのにそれを事実だと思い込んだ人があったわけです。
ややこしい話ですが、とにかくあの番組は事実にもとづいたものをある程度ごまかして発表したもので、非常に素晴らしい番組です。火星あたりには人間が住める条件が整っているから地球人を大量に移住させようではないかというようなことをあの中で言っていましたが(火星人が許してくれるかどうか知りませんが)これはアダムスキー的な考え方にだいぶ近づいた番組です。だから、太陽系内の地球以外の惑星には人間なんかいやしないんだ、だからアダムスキーはインチキだというふうに言っている人たちは、恐らくあの番組を見てちょっと青くなったかもしれませんね。もっともだれが青くなろうが赤くなろうが、私たちにはもうわかっていることですから何てことはありませんが。ともあれああして緩慢ながらもアダムスキー的な考え方がわき起こってきて、あるいはまたその事実が発表されてきて、次第にこの大気圏外の別な惑星の方向へ人間が目を向けるようになるのではないかというふうに思っています。あの番組はそのひとつのハシリでしょうね。大変よい番組でした。これは『第三の選択』という題で訳本も出ていますからお読みになるのもいいと思います。(注:たま出版刊)
そういうわけで、私たちのやっていることは決して間違いではないのだということを声を大にして言いたいのですが、今のところいくら声を大にしても一般人がなかなか認めてくれませんから声を小にしてこういうところだけでやっているわけです。しかし私たちは決していいかげんな、いかがわしいことをやっているのではなく、ただ真理を先取りしているだけです。
勇気と信念と『生命の科学』を持って
先ほどの話に帰りますが、この『生命の科学』は「素晴らしい」などというようなものではなく、この世界最高の真理を述べた指導書ですから、そのつもりでお読みになって下さい。そして日常生活で応用なされば必ずよいことになります。決して悪くはなりません。自分の運命を改善する意味でもこういうような哲学を実践することは必要です。私も長年やってきましたが、私の運命はよくなりこそすれ悪くはなっていません。もっとも財産などはありませんし、一挙に何千万円ももうけるというようなこともありませんでしたが、そういうことより宇宙的な面でどんどんよいことになってきていると思います。
ですから、ときにはつらいことも苦しいこともあるでしょうが、それはあくまでも一時のことであり、永却〈えいごう)に続くわけではありませんから、そんなものに流されずに、勇気と信念を持ってお互いにやって行こうではありませんかと私は呼びかけたいのです。
それではきょうはこれで終わらせていただきます。 どうもありがとうございました。
〈1982年2月6日 東京文化会館にて) |