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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
  だれにもわかる「生命の科学」


 第11課 宇宙空間の探検  第1部

 みなさんこんにちは。本日も遠路はるばる多数ご来場いただきましてありがとうございました。いよいよ今年最後の月例会となりまして、これをもってしめくくりとなります。
 きょうは第11課の「宇宙空間の探険」というところから始めたいと思いますが、これはどういうことかといいますと、居ながらにして宇宙空間を見渡そうというような意味であって、実際に機械のいっぱい詰まった宇宙船に乗って探険して歩<ということではありません。ですから言いかえれば遠隔透視ということになります。遠隔透視についてはみなさんは十分ご存知のはずですが、ここでもう一度勉強してみることにしましょう。

宇宙のエネルギー

 140ページの「意識で見る方法」という小見出しのところでは、まず宇宙空間の活動が説明されています。宇宙空間には無数の惑星が存在しますが、それらはもともとは何もないところら次第に小さな物質がつくられ、そうしてやがて大きな惑星になり、太陽系ができて、更に星雲ができていくわけです。 もちろん何もなかったといっても何か原素のようなものは満ちているのであって、それらが何かのカによって魂になってだんだんふくれ上がっていくのだということですね。

 ところで新約聖書の中に「天の12の王国」という言葉が出てきますが、これは明らかにらかに太陽系の12個の惑星を意味するものと思われます。つまりイエスは前述のような宇宙の活動や太陽系には12個の惑星があることを知っていたわけです。ところが2000年前にはそんな天文学はほとんど発達していませんから、イエスの弟子たちを始め、だれもそんなことは知りません。そしてイエスは、当時のユダヤ人のユダヤ教とは異なる汎神論的な愛の神の存在を説いたために非常な迫害を受けたわけです。

 今ならば天文学も発達していますから、ちょっと考えてみれば、この広大な宇宙空間にはそこに含まれるすべてを造り出した何か1つの大きなエネルギーが存在しているということにだれでも気づくことができるはずです。

 もっともこんなに天文学が発達しながらも、創造主の存在を信じない人は全く信じません。その意味では、宇宙空間に1つの愛の神しか存在しないとい
うイエスの言葉を信じて、最後には殉教した弟子たちというのは素晴らしいですね。現代の人間をはるかに越えていると思います。

気分を高揚させよう

  それから142ページの「遠隔透視とは」というところに行きますと「この現象が起こる場合、心は周囲に関心を持たなくなり、映像にとらわれています」とあります。とらわれているというよりは、吸いつけられているというほうがわかりやすいでしょう。
そして「更に意識はそれ自体に心の注意を引き寄せますので、映像を見ている本人の前を他人が通ってもそれが感じられません。換言すれば、意識と心のあいだに一種のテレビ放送の関係ができて、時間と距離は意味をなさなくなるのですが、これは意識がもたらすある光景に心が関心を持つためです」とあります。つまり、透視した映像に引きつけられていて、周囲の光景ば肉眼では見えていても知覚できなくなるということです。

 それからその次が非常に重要なところです。「多くの人は”空飛ぶ円盤同乗記”」−これは改題されて出ている今の『宇宙からの訪問者』の第2部ですねー「を読んでいるあいだに私と一諸に私の体験を味わい、私が目撃した光景や与えられた知恵の言葉を述べる際に私が起こしたのと同じ高揚的な気分を起こします」。これは確かにそうですね。「これこそあなたが自分をその中に置かねばならない状態、すなわち心と意識の結合状態なのです」。つまりああいう素晴らしい書物を読んで非常に高揚した気分になるときというのはすなわち心が意識と一体したときであるということです。ですからなるべく『生命の科学』とか『テレパシー』とか『宇宙哲学』などをしょっちゅう読んで気分を高揚させることが心と意識との一体化を図る上で重要なポイントになるということです。

 ですが、そういう本さえ読んでいればだれでも必ず気分が高揚するというのではなく、それは全く自分自身の努力にかかっています。人が高揚させてくれるのではありません。他人が良い環境を作ってくれないから、あるいは導いてくれないから精神が高揚しないというのは単なる言い訳です。どんな環境にあろうと、あるいはどんな状態であろうと自分自身の意志によって気分を高揚させるということが絶対に必要です。

 これは時や揚所には関係ありません。汚ない話ですがトイレにいても心を宇宙的な気分に高揚させることはできるはずです。排せつというのは一種の生理作用であって、やはり宇宙の法則に基づいた現象です。そ、ういうふうに考えれば排せつというのは別に汚ないことではなく、実は宇宙的な行為であることがわかります。そのように考え方を1歩進めることによって何をしていても宇宙的な気分を起こすことは可能なはずです。

土星・金星・火星

 それからその次に土星の状態が書いてあります。土星というのは大変きれいな惑星で、空が乳白色を帯びているということです。そして「建物の多くは白色ですから空の青みがかった乳白色を反射し、山々にある雪も同様に輝いています」(p143、3−4行目〉と説明してありますが、実に素晴らしい状態のようです。私もいっペん行ってみたいと思いますが、いつのことになりますやら‥・・。

 ところでここに「建物の多くは白色」と書いてありますが、これはもちろん白いペンキなどを塗ったものではなくて、純白の石のようなものを使ってあるのだと思います。だいたい、あらゆる色のなかで最もきれいな色は白ですね。ヨーロッパに行きますと白壁に赤い屋根という家が多いのですが、あれは非常にきれいに見えます。一方、日本ではどういうわけか白い色を建物に用いることは少ないようですね。理由はよくわかりませんが・・‥。

 次に進みますと、土星の「あらゆる人がこちらを見透すようで、しかもこちらが心中で考えている事柄を却っているように思われるため、だれもが自分の一部であるような気がします」とありますが、それはそうでしょう。例えば夫婦という関係においては、もともとはアカの他人であったにもかかわらず、結婚するとだんだん他人とは思えなくなってくるというのは単なる肉体関係のせいだけではなく、お互いの気心がわかってくるからでしょう。ですからそういうフィーリングがあらゆる人との間に起こるようになれば、あらゆる人と一体になったような感じが起きると思います。なかなか難しいですが・・‥。

 それから次に金星の光景も少し書いてあります。金星では「万物を一体に結束する”宇宙的な愛”を表しています」(p145、8−9行目)とあります。 そしてしかも「あらゆる表現はきわめて芸術的」だということです。金星の芸術というのがどんなものかということは直接行ってみないと見当がつきませんが、少なくとも地球の抽象絵画のようなめちゃくちゃな絵とはだいぶ異なると思います。もちろん地球の抽象絵画も本当はめちゃくちゃなのではなく、ちゃんと意味があるのです。例えばピカソは「ゲルニカ」という、マンガみたいな絵をかきましたが、あれはスペインの内乱をかいた絵です。

 しかし私はニューヨークの美術館で「ゲルニカ」の本物を見ましたが、見た途端に「これはいけないな。これは気違いのかいた絵のようだ」と思いました。むかし私は美術を勉強しましたからピカソが気違いであるとは思いませんし、それどころか偉大な画家だと思いますが、あの絵を見たときは「こんなものは宇宙的こは芸術と言えないのではないか」と思いました。

 アダムスキーによれば金星の芸術というのは非常に写実的だそうですね。地球の芸術のようにデフォルメ(変形)されたものは全然ないようです。ですから地球の芸術ももっと素直に写実的に表せばよいのでしょうが、どうも地球ではゆがめて作ったものほど深刻で素晴らしいと思われているようです。それはそれなりに意味があるのでしょうが‥‥。

 それから火星の状態も書いてありますが、ここはずいぶん雑然としていて、工業が盛んで、しかも水が少ないので農業は2次的なものになっているということです。そして「使用する水は極冠や氷結地帯から水路で引かれています」(p145、15行目)とありますが、この水路がいわゆるや火星の運河やといわれるものです。近年、天文学の発達、あるいは惑星探査横の打ち上げなどにより、火星には運河はないと発表されていますが、実際はあるようですね。

意識は生命の大海

 そういうわけで、わざわざ自分で宇宙船に乗って行かなくても意識によって宇宙空間を旅行して見てくることはできるのだということです。そのためには「意識とはその中に万物が生きている生命の大海であるということを忘れてはなりません。その大海の外には生命はありません。それゆえ心が『自分はその海の中に生きていて、意識に頼らねばならないのである』ということに気づくようになるとき、この自覚がさまざまの新しい知識を心に印象づけ始めることになります」(p146、10−13行目)ということです。そうすれば「遠近にかかわらず思いの場所へ行くことができます」(p.147、2行目)というわけです。言いかえれば、自分の心を拡張させて意識の大海に乗せれば遠くまで見ることができるということを言っています。

 このや意識による旅行もは「ある場合には睡眠中に起こることがあります」(p.146、7行目)ということです。そして「その場合は目覚めたときに強い印象となって残る夢として現れます」ということですから、夢というのはなかなか重要なものだと言えます。とりとめのない夢を見ることもありますが、なかには睡眠中に意識と一体化して心が他の惑星の光景を見てくるような夢もあるわけです。ですから目覚めてから夢を記録しておいてあとから分析してみれば、実は金星の光景を見ていたということもあると思います。しかしやはり目が覚めているときにそういう透視ができるのが一番いいですね。

分身現象を起こしたアダムスキー

 それから147ページに行きますと「遠隔指導の実例」としてアダムスキー自身の体験が書いてあります。1930年代の始めごろに教えていたとき、一人の生徒が病気のために会合に出席できないことがあったけれども、あとになってからその本人が「出席できなかったけれどもあなたの指導を受けた」と報告してきたとあります。これはどういうことかといいますと「私は心と肉体を通じて多数の出席者を指導しながらも、同時に私の意識は病人の所に行っていたわけです。これは1個のマイクロフォンを使用して2個のスピーカーから放送するのと同じです」(p.147、7〜9行目)というわけです。恐らくアダムスキー本人は会合で講演などをしながらも、一方ではの意識の一部分が挿入のところへ行って、そして、病人の目にアダムスキーの姿が見えたのだろうと思います。

 このような現象を分身現象と言って、偉大な人にはよくあることです。例えばイエスは同時に6人になるような分身現象ができたということを聞いたことがあります。大変な能力ですね。もっともイエスという方は水の上を歩くことができるぐらいですからそのくらいの分身現象もできたでしょう、恐らく。それをアダムスキーもやったというわけです。

 アダムスキーというのは相当な超能力の持ち主のようで、例えば2000年前のイエスの姿を透視して油絵をかいたり、オーラなどもしょっちゅう見えたそうです。しかし自分ではそれをほとんど言わずに黙っていたようです。

>>第11課 2部へ続く

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