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 アトランティス大陸の謎 久保田 八郎

   

第7章1話 地中海か、大西洋か、それとも・・・

これまでは、古代文明のなかにアトランティスの片りんをなんとか見つけだそうとしてきたが、プラトンの描いたアトランティスは、実はクレタ文明のことだったのだとする説もある。

▲クレタの住民がエジプトに貢物をもってきた様子。

■ クレタ文明がアトランティスか?

クレタ島は地中海東部、エーゲ海南端にあるギリシア領の周囲260キロに及ぶ大きな島である。この島は紀元前2500年頃から青銅器時代に入って、前2000年から1400年頃まではエーゲ海文明の中心として栄えた。

▲クレタ島で発見された牛頭の形をした酒つぎ器。

40以上の都市があったが、北岸近くのクノッソスと南部のゴルチュンが隆盛をきわめた。とくにクノッソスの宮殿を中心としたクレタ文化の美術・芸術は、古代文明のなかでも超一級レベルであった。クレタ人は地中海人種と小アジア人種との混合民族と考えられるが、正確なことはわからない。

クレタ芸術でとくにすばらしいのは壁画だ。他にも金属工芸品や陶器、彫刻なども見事な作品が多く出土している。その他の文化面からもプラトンが伝えたアトランティスとクレタ島の文化には多くの類似点がみられる。たとえば海神ポセイドンの崇拝などはその一例である。こんなことから、プラトンのアトランティスはクレタ文化を意味したというのだ。

クレタ島=アトランティス説をとなえたのは、北アイルランドのクィーンズ大学のK・T・フロスト教授で、それによると、クレタは交易と軍事力とで地中海を支配した島帝国であった。しかも王宮のあるクノッソスは、アトランティスの首都に似ているというのだ。

だが、クレタ島は大災害で海中に沈んだ形跡はなく、いまも地中海に美しい姿を浮かべている。となると、フロストの説もうさんくさくなってしまう。
▲クレタ島の交易路を示す地図。テラはサントリニ島の旧名。

■ サントリニ島説

そこで、同じ地中海でもアトランティスに相当するのはクレタ島から100キロほど北方のサントリニ島ではないかという説を出した学者がいる。ギリシアの考古学者スビュリドン・マリナトスがその人だ。

▲クレタ島の北100キロにあるサントリニ島。紀元前1470年に火山の大爆発で島の大半が吹き飛ばされた。

彼は、前1470年に火山の大噴火でこの島の大半が吹きとばされたと考えた。そして大洪水と地震が島を壊滅させたというのだが、たしかにこの島からは大量のクレタ文明のすばらしい置物が出土して、マリナトスのアトランティス説を多少とも裏づけている。

この島はかつて円形であったが、火山の大爆発でその後、半月形になったといわれている。 しかもこの島の文明は、プラトンのアトランティスに匹敵するほどに進歩していたらしい。

しかし、この島にすばらしく発達した帝国が存在したという証拠はないし、アトランティスが沈没した1万2000年前という年代と、サントリニ島の大噴火の年代とはまったくつりあわない。

そこで、古代エジプト語からギリシア語に訳するときにまちがいが生じたのだろうとか、l万2000年という数字にはゼロが1つよけいに加わっているのではないかという学者も出てきた。また、大噴火後もサントリニ島のクレタ文明は続いていたと説く人もある。出土品などを調査研究してみた結果そういう結論に達したというのだ。

こうやってあれこれ考えてみると、結局、アトランティス=地中海説もきわめて影が薄くなってくるのである。

第7章 2部へ続く

■ サントリニ島はアトランティスか

▲紀元前に発生した火山大噴火の傷跡が今でも残っている。

「大地震と大洪水があったときに、−日と悲惨な一夜にみまわれて、君たちの国の軍人はすっかり地下に沈み、アトランティス島も同じく海中に沈んでみえなくなった」

プラトンが伝えるこの記述に対して、現代の地質学者たちは、思いきって大胆なアプローチを試みた。つまり、プラトンの記述は、古代においてエーゲ海一帯を襲った大災害の遠い記憶ではないか、というのである。事実、プラトンが伝えるエジプトの神官の話によれば、「地上の洪水はたびたびあったのに、君たちはそのうちひとつしか覚えていない」という。これは、当時じっさいに起こった天変地異のことを伝えているのではないだろうか。

アトランティスが隆盛を誇ったといわれる1万2000年前、エーゲ海はどのような様子だったのだろう。残念なことに、当時をしのぶ手がかりは何もない。というのも、今日われわれに知られる最古の文明が興ったのが約5000年前だからだ。

そこで地質学者たちは、この1万2000年前という数字にこだわらずに、アトランティスの陥没を「紀元前数千年にさかのぼる古い事件」としてあつかうことにしたのである。すると、注目すべき事実が浮かびあがってきた。

そのことについてふれる前に、われわれはプラトン以前のエーゲ海の歴史について簡単にふれておかねばなるまい。

▲サントリニ島から出土したフレスコ画。

紀元前3000年ごろ、エーゲ海一帯はクレタ島を中心としたミノア文明が興りはじめていた。ミノア文明はしだいに勢力を高め、前1500年ごろにいたって繁栄のクライマックスを迎えた。ところが不思議なことに、前1450年から前1400年ごろにかけてあれほど隆盛をきわめたはずのミノア文明の遺産が、まったく欠落していることがわかったのであるちょうどプラトンが生きた時代からさかのばって1000年前のことである。

この空白の50年間にいったい何が起こったのか。地質学上の研究によれば、この時期、ミノア文明圏のただなかにあったサントリ二島の火山が突如として噴火をはじめたというのだ。

その爆発たるや、天地の最後とも思われるほどのすさまじいもので、黒々とした噴煙がエーゲ海の空をおおい、地面の大震動は津波を起こし、たちま ちのうちにエーゲ海有数の港町は海中にのまれてしまった。その後 数十年にわたって灰色の火山灰がエーゲ海全域の島々に降りそそぎ、農耕はまったく不可能になってしまったようである。

おそらくこの災害を指すと思われる記述が『旧約聖書』のなかにも見うけられる。

「その時、地は震えうごき、天のもといは揺らぎふるえた。主が怒られたからである。煙がその煙から立ちのばり、火はその口から出て焼きつくし、白熱の炭は主から燃えいでた。主は天を低くして下られ、暗やみが主の足の下にあった」(『旧約聖書』サムエル記)。

また同じく『旧約聖書』におい て、サントリ二火山の爆発があっ たとされる前1450年ごろと思われる記述を見ると次のような一節が見られる。

「主はいわれる……わたしはイスラエルをエジプトの国から、ベリシテ人(クレタ人)をカフトルル(クレタ島)から……導きのぼったではないか」(『アモネス書』) 

どうやら地質学的にも、伝承的にもサントリ二島の爆発は事実のようである。当時の科学の水準では、まだ火山の爆発のメカニズムは解明できない以上、この大爆発が、何か大いなる意志のもとに人間たちに下された天命であったと受けとられても無理はない。おそらくプラトンは、この伝承を聞き、そこに神々の意志を読みとって、この伝説を記述したのではないだろうか。

これがアトランティス=サントリ二島説のひとつの解釈である。

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