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▲紀元前に発生した火山大噴火の傷跡が今でも残っている。 |
「大地震と大洪水があったときに、−日と悲惨な一夜にみまわれて、君たちの国の軍人はすっかり地下に沈み、アトランティス島も同じく海中に沈んでみえなくなった」
プラトンが伝えるこの記述に対して、現代の地質学者たちは、思いきって大胆なアプローチを試みた。つまり、プラトンの記述は、古代においてエーゲ海一帯を襲った大災害の遠い記憶ではないか、というのである。事実、プラトンが伝えるエジプトの神官の話によれば、「地上の洪水はたびたびあったのに、君たちはそのうちひとつしか覚えていない」という。これは、当時じっさいに起こった天変地異のことを伝えているのではないだろうか。
アトランティスが隆盛を誇ったといわれる1万2000年前、エーゲ海はどのような様子だったのだろう。残念なことに、当時をしのぶ手がかりは何もない。というのも、今日われわれに知られる最古の文明が興ったのが約5000年前だからだ。
そこで地質学者たちは、この1万2000年前という数字にこだわらずに、アトランティスの陥没を「紀元前数千年にさかのぼる古い事件」としてあつかうことにしたのである。すると、注目すべき事実が浮かびあがってきた。
そのことについてふれる前に、われわれはプラトン以前のエーゲ海の歴史について簡単にふれておかねばなるまい。
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▲サントリニ島から出土したフレスコ画。 |
紀元前3000年ごろ、エーゲ海一帯はクレタ島を中心としたミノア文明が興りはじめていた。ミノア文明はしだいに勢力を高め、前1500年ごろにいたって繁栄のクライマックスを迎えた。ところが不思議なことに、前1450年から前1400年ごろにかけてあれほど隆盛をきわめたはずのミノア文明の遺産が、まったく欠落していることがわかったのであるちょうどプラトンが生きた時代からさかのばって1000年前のことである。
この空白の50年間にいったい何が起こったのか。地質学上の研究によれば、この時期、ミノア文明圏のただなかにあったサントリ二島の火山が突如として噴火をはじめたというのだ。
その爆発たるや、天地の最後とも思われるほどのすさまじいもので、黒々とした噴煙がエーゲ海の空をおおい、地面の大震動は津波を起こし、たちま ちのうちにエーゲ海有数の港町は海中にのまれてしまった。その後 数十年にわたって灰色の火山灰がエーゲ海全域の島々に降りそそぎ、農耕はまったく不可能になってしまったようである。
おそらくこの災害を指すと思われる記述が『旧約聖書』のなかにも見うけられる。
「その時、地は震えうごき、天のもといは揺らぎふるえた。主が怒られたからである。煙がその煙から立ちのばり、火はその口から出て焼きつくし、白熱の炭は主から燃えいでた。主は天を低くして下られ、暗やみが主の足の下にあった」(『旧約聖書』サムエル記)。
また同じく『旧約聖書』におい て、サントリ二火山の爆発があっ たとされる前1450年ごろと思われる記述を見ると次のような一節が見られる。
「主はいわれる……わたしはイスラエルをエジプトの国から、ベリシテ人(クレタ人)をカフトルル(クレタ島)から……導きのぼったではないか」(『アモネス書』)
どうやら地質学的にも、伝承的にもサントリ二島の爆発は事実のようである。当時の科学の水準では、まだ火山の爆発のメカニズムは解明できない以上、この大爆発が、何か大いなる意志のもとに人間たちに下された天命であったと受けとられても無理はない。おそらくプラトンは、この伝承を聞き、そこに神々の意志を読みとって、この伝説を記述したのではないだろうか。
これがアトランティス=サントリ二島説のひとつの解釈である。
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