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| アトランティス大陸の謎 久保田 八郎 | |
| 第2章1話 エドガー・ケイシーの予言 |
| 「フロリダ沖のビミニ島付近の海中で、幾世代もかかって堆積した泥の下からアトランティス寺院の一部が発見されるだろう」 |
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■ ビミニ島沖に海底遺跡があった! こう予言したのは、エドガー・ケイシーである。予言が行われたのは1933年であったが、驚くべきことに、それから20数年後の1956年に、漁師の親子がビミニ沖、水深18メートルの海底にまっすぐに立つふしぎな石柱を発見したのである。
しかし、その後の探索にもかかわらず、この石柱は海流が運ぶ砂に埋もれてしまい、長い間姿を隠してしまった。 ケイシーは、1940年には、次のような予言を行っている。 「そしてポセイデアが、ふたたび浮上するアトランティス大陸の最初の部分となるだろう。それは1968年と1969年のあいだであると考えてよい」とー。 ビミニ沖の謎の石柱に関する調査は、ずっと続けられていたが、画期的な成果はなかなかあがらなかった。1966年には、深海潜航艇アルピン号の製造者であるジェームズ・メーヴァーが、エーゲ海で、アトランティスの遺構を発見したと発表した。これはアトランティスがエーゲ海の古代文明の名残りを伝えているという説の主体となった。では、いったいケイシーの予言はどうなったのか? ケイシーの予言の年、1968年の夏のことである。"ARE"という組織のメンバーであるロバート・プラッシュとトリーグ・アダムズのふたりが、ビミニ島の東240キロに位置するアンドロス島の北の海底に古代の神殿の遺構らしき石造建築物を発見した。それは大きさが20メートル×30メートルという巨大な右の台座であり、水深20メートルの浅瀬に沈んでいた。 さらに周辺の調査によって、その場所から半径1・6キロ以内に、12個もの石造建築物が発見されたのである。こうしたビミニ沖の石造建築物の調査に乗りだしていたマイアミ科学博物館の名誉館長マンソン・バレンタイン博士は、ほどなくしてさらに有力な発見をする。バハマ原住民のガイドの報告にしたがって現場である北ビミニのパラダイス・ポイント北方800メートルにおもむいた博士は、そこで信じがたい光景を目にした。 水深6メートルの海底には、えんえんと数百メートルにわたって平たい石が敷きつめられていたのだった。じっさいに潜って調べたところ、その長さは610メートル以上もあり、タイルのように整然と並べられた石は、大きなもので3×4・5メートル、厚さは1メートルもあった。それらの石は数かぎりなく並んでいたのである。疑いなく人工建築物としか思われないこの石列の発見によって、この海域は"ビミニ・ロード"と名づけられ、アトランティスの遺跡という可能性を秘めて、われわれの前に姿をあらわしたのである。
■ 引力をコントロールする科学 さて、ここでわれわれは、みごとに適中したケイシーのアトランティスについての予言とは、どのようなものなのかを見てみたい。ケイシーは、いったい何を見たのだろうか? ケイシーのリーディングによると、大昔、人類は世界の5つの大陸で発生したという。もちろんこの5つの大陸は現在の大陸とは一致するものではない。長い年月の間に、地球の地理的状態は大幅に変化してしまっているからだ。現在でも大昔のまま残っているのはアフリカ、南極、中央アジアぐらいのものである。 さて、古代の5つの大陸のうち、アトランティスの人類がもっとも早く進化した、とケイシーはいう。今から数10万年前に文明を築きはじめたアトランティスの人びとは、5万年前にはかなりの規模の都市文明を築きあげていた。 アトランティス大陸で、石が初めて利用されるようになったのは、食物を得るため、そして自衛のためだ。初期の家屋は木造であり、のちに石造りとなったようである。それは、円形構造をしており、自然の風雨と猛獣の攻撃を防ぐのに都合がいいように造られていた。 アトランティス人ははじめは狩猟生活を主としていたが、しだいに石器や木製の道具を用いて、牧畜や農耕に従事するようになり、そのうち鉄や鋼を発見して、文明が高度化していった。 一方では、大陸に生息していた爬虫類、象、その他の巨大動物の皮で気球を作り、建築資材の移動、運搬のために利用された。これはケイシーのリーディングによれば、ほぼ紀元前5万年ごろのことである。気球はアトランティスにとって重要な乗物であり、政治的な指導者たちは、とくに巨大な動物を追い払う手段として、ガスで浮上する航空機に乗って集まることがあったという。 その後、地震や洪水などによってアトランティス大陸の一部分は消滅してしまう。しかし科学文明はますます発達し、まさにアトランティスの黄金時代が実現されていった。ケイシー・リーディングは語る。 「通信の技術が開発され、遠距離撮影が可能になり、壁をとおして反対側の文字を読む手段が開発され、引力さえもコントロールすることができた」 現代科学をはるかに超える驚くべき技術文明の進歩である。「遠距離撮影」とは、現代のテレビのごときものなのか? また「引力さえコントロールすることができた」とは、反重力エンジンをつけた航空機が存在していたことを意味するのだろうか? もしそうだとしたら現代の噴射推進式ロケットなどは原始的なしろものにすぎない。 こうして紀元前1万年ごろには、地上にあらわれた最高度の文明と知識をアトランティス人はもっていたとリーディングは告げている。ところで紀元前1万年ごろといえば、前にふれたプラトンの記述したアトランティスの時代と一致してくる。ところが、プラトンによれば当時のアトランティスには、馬を用いた戦車が出てくるのだから、なんともちぐはぐなことになる。だから、もしかしたら、引力をコントロールすることができたからといって、直ちに反重力装置などを連想すべきではないのかもしれない。たとえばヘリコプターだって、引力のコントロールといえないこともないのだから。その意味でも、ケイシーのリーディングが、どの程度の航空機を指しているのかは不明である。 ■ 謎のツーオイ石 「そのなかで光が無限と有限をつなぐ手段として、または外から来る力とつながりをもたせる手段としてあらわれた」 − こうケーシーが語っている物質こそ、アトランティスの巨大なエネルギーの源"ツーオイ石"のことであった。 ツーオイ石とは、六面体で巨大なシリンダー状のガラス物質である。ツーオイ石は、アトランティスのエネルギー・センターの代名詞となり、このセンターを稼動させる装置の中心となったのは"火石"という結晶体であった。 エネルギー・センターは、アトランティスの中心部におかれ、建造物の中央に設置された。この建物の上部は回転ドームになっており、太陽エネルギーが得られるようになっていた。 たくわえられたエネルギーは、空間を推進する航空機や、水面を走る船などの動力として利用された。ほかにも、通信技術、照明技術、加熱技術などの諸技術分野にも応用されたという。 しかもリーディングによれば、この"火石"は地球上でエジプト、ビミニ、メキシコのユカタン半島の3か所にも設置されたということである。 このケイシーのリーディングをうらづける有力な証拠が、1957年、バハマ諸島の南ビミニ沖で発見された。発見者は、アメリカのウィリアム・ベル。彼が発見したのは、海中にそびえ立つ1本の円柱であったが、不思議なことに写真によると、円柱のまわりに放射線の影響としか思われない奇妙な光が映っていたのである。おそらく、この現象はツーオイ石によって、紫外線がイオン化する過程でエネルギーが放出されたためだろうといわれている。
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