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| アトランティス大陸の謎 久保田 八郎 | |
| 第3章1話 アトランティスに魅せられた男達 |
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■ アトランティスでベストセラーを作ったドネリー
数多い研究のなかでも、アメリカのイグネーシャス・ドネリーの説は、アトランティス学の土台とされてきた。 イグネーシャス・ドネリ−。彼は、19世紀半ばの政治家で、ミネソタ州の副知事を務めたあと、連邦議会の下院議員に当選した人物である。したがって、歴史や考古学の専門家ではない。だが、高度な知的好奇心をもつ彼は、プラトンの著作を読んで大いに興味をかきたてられ、アトランティスの研究に打ちこむようになった。その研究成果は『アトランティス・大洪水前の世界』と題する書物となって、これは世界的ベストセラーとなった。 彼はアトランティスの探究にあたって13項目にわたる基本路線を打ち出した。 1. アトランティスは、地中海の向こう側にあった大きな島で、大西洋に存在していた大陸の一部である。
■ すべての文明の源はアトランティス
ドネリーの考えで特徴的なのは、たとえばエジプトのピラミッド群と、メキシコのユカタン半島にある神殿ピラミッドとの間に共通要素を見つけだし、これらは同一の文明の源に発しているとする考えかたであった。こうした彼の考えかたにしたがえば、すべての文明の源がアトランティスにあるということになる。 これは神話についても同じことがいえる。『旧約聖書』の"エデンの園"、ホメロスの詩に出てくる"エリユシオン"というギリシア神話の楽園、北欧神話の"アスガルド"という神々の天国などは、すべてアトランティスの記憶が伝説化したものだという。 こうしたドネリーの説を素人考えとして無視するわけにはいかない。トロイ伝説を信じて、古代の遺跡の大発見をしたハインリッヒ・シュリーマンは、かつては"学者から笑われた素人"であったからだ。さて次に、ドネリーの説いたアトランティス文化の伝播説について検討してみよう。
■ ドネリーの論理 今日、ドネリーの説の多くは誤りであったとされている。彼の文化伝播論は、多くの人類学者によって否定され、まったく無視されているというのが実情のようだ。実際、筆者もエジプトへ2度、メキシコのユカタン半島へ3度行き、古代の石造文化の遺跡を仔細に観察したが、両者のピラミッド建設技術は根本的に異質なものだという印象を受けた。むしろユカタン半島の遺跡は、チャーチワードのいうムー大陸の子孫の手になるものだろうと思われる。 もっと端的にいうならば、古代エジプトの巨石文化は高度な科学知識を有していた"白人"の手になるもので、一方ユカタンのピラミッド群は黄褐色の"土着民族"の手になるものであるというのが筆者の見解である。 ドネリーの論理は、後世の宇宙考古学者エーリッヒ・フォン・デニケンのそれと似ている点が多く、いずれにしても自己流の"学説"が顔を出して、読者を煙に巻くという流儀で述べられている。このことは70年後に、アトランティス研究家レ・スプラーグ・ド・カンも述べている。彼は「彼(ドネリー)の著書はマユにツバをして読まねばならない。全体としては無価値なものだ」といっている。 デニケンにしても、メキシコ、ユカタンのバレンケの碑銘の神殿ピラミッドの地下に安置された石棺のふたに彫られた名高い浮き彫りを、"古代のロケット操縦士"ときめこんで書物に書きたてたので、大評判になったことがある。 だが、筆者が地元民の伝承を研究したかぎりでは、あの人物は古代マヤの若い女性が神に祈る図であることが判明した。これを"ロケット操縦士"とする突拍子もない説を出せば、大衆はそちらの方に、より大きな興味をもつだろう。研究家のこうした軽薄さをド・カンはいましめたのである。
■ ベリコブスキーのすい壁衝突説 プラトンにせよ、ドネリーにせよ、アトランティス大陸は、地震と火山噴火と大洪水によって海中に没し去ったと考えた。多くのアトランティス研究家もこの点については意見が一致している。
しかしながら、現代の地球物理学者のいうところによれば、ひとつの大陸を一夜にして沈下させるような自然の災害などは考えられないという。 ところが、もとロシア人でのちにアメリカに移住したイマニュエル・ベリコフスキ−はその著書『衝突する宇宙』において、アトランティス沈没の原因について大胆な仮説を立てている。 彼によれば、大昔に巨大なすい星が地球をかすめて通ったことが、地球上に大異変をもたらす原因となったと述べている。このとき地球上の引力には異常が生じ、そのおかげで大地震や大洪水がひき起こされ、ひいてはこれがアトランティス沈没の伝説を生みだすことになったというのだ。 そのすい星とは、現在の金星のことである!ベリコフスキーがいうには、金星は、キリスト誕生の数千年前に、木星からちぎれて生じた惑星であり、それが巨大なすい星となって太陽系のなかをさまよい歩き、紀元前1500年ごろに地球のそばを通って、大規模な災害をひき起こしたのだという。 ベリコフスキーの独創的な説も、ほとんどの天文学者から相手にされなかった。だいいち紀元前1500年といえば、アトランティスの海中への水没と約1万年近くの差があるのだ。しかし、NASAの宇宙研究所所長ロバート・ジャストロウ博士はこう述べている。 「ベリコフスキー博士は真実を見通していたのかもしれない」と。 ベリコフスキーの天体物理学的な予言は、のちの宇宙開発によっていくつか立証されるようになった。もしかしたらアトランティス海没の真相は、ベリコフスキーの仮説の通りなのかもしれない。いずれにせよ、真実が解明されるのはまだ先のことであろう。 ■ 消息をたったフォーセット大佐 1925年ブラジルの密林の奥地で、あるイギリス人探険家が消息を絶った。アメリカに妻を残して、南米のジャングルの中にまぼろしのアトランティス人の遺跡を求めて旅立った彼の名はパーシー・フォーセット大佐であった。
フォーセットは、アトランティスが滅亡する前に、少なからぬ住民が国外へ移住し、そのなかの一部は南米に逃亡したという話を信じていたのだ。それは、ブラジルのジャングル奥地の人目のない地では、いまだにアトランティス人の子孫が壮大な石造都市を築いて、秘密裏に生活しているという情報があとを絶たなかったからである。 この話につき動かされ、探険に出かけたフォーセットではあったが、消息を絶った原因はその後もまったくつかめていない。インディオに捕えられたのか、巨大な蛇アナコングに呑みこまれたのか、それともいまだ生存するアトランティス人の子孫のもとに迎えられたのか、その足どりは知るすべもない。 その後、フォーセットの行方を探索するための探険隊が何度かくり出されたが、成果はなかなかあがらなかった。第3次探険隊が出発したのは8年後のことだったが、そのなかに大佐の友人のモーリス大尉がいた。彼ものちに行方不明となってしまったのだが、幸いなことに、本人の詳細な探険記が発見されたために、南米のジャングル奥地の驚くべき真相が判明したのである。
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