ホーム ライブラリー レターズ ピクチャーズ ufo 掲示板 お問い合わせ リンク

GA Site -UFO Contactee-

articles

過去更新記事

 ├ 2009年度
 ├ 2008年度
 ├ 2007年度
 ├ 2006年度
 ├ 2005年度
 ├ 2004年度
 ├ 2003年度

最新更新記事

サイト内検索



GA Site内を

新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 アトランティス大陸の謎 久保田 八郎

   

第4章2話 ビミニ,キイ海域の遺構

エドガー・ケイシーの予言に刺激されて、多くのパイロットがビミニ海域を上空から観測し始めた。ボブ・プラッシュ、トリグ・アダムズ、ジム・リチャードソン、それにフランス人パイロットの海底探険家ディミトリ・ルビコフなどである。そしてまさに1969年になって、アンドロス、ペリー諸島、ピミニなどの沖で一連の目撃状況を報告したのである。

▲デビット・ジンク博士。彼は海底の石の壁や道路を徹底的に調査した

■ ジンク博士の探検

一方、歴史学者でダイバーであり、『アーランティスの石』の著者でもあるデビッド・ジンク博士の指揮下に、船による2つの探険家がビミニへ行き、海底の石の壁または道の上に数ヶ月間停泊して徹底的に調査した。

ジンクの意見によれば、海底の右群は雑然とした自然の石ではないという。それは、石灰岩の海底が割れて、周囲や壁の下の固い石灰岩の位置を変えているにもかかわらず、壁自体の構造に影響を与えていないからである。

探険の最中にミゾのついた建築用ブロックが1個引き揚げられたし、重量10キロ前後のジャガーの頭部と思われろ彫刻された石も出てきた。

ジンク博士が指摘するところによると、石壁の固い石は自然の岩石とは異なるという。自然の岩石はある条件下ならば急速に形を変えていくからである。

■ 海底に石の道路があった!

1982年にはハーバート・サウインスキーによって、バミューダ三角地帯のなかでも、あまり知られていない別の海域の探険が行われた。サウインスキーはフォートローダーデールの科学・考古学博物館の理事長で、探険家でダイバーでもある。

▲ジンク博士の海底遺跡の調査メモ。

探険は北緯23度50分と23度30分の問および西経80度30分と79度40分の間の、ところどころ地面が水面上に出た浅い海底で行われた。探険の結果、7・5メートルの深さのところに長く続く石の舗装道路がつきとめられて写真に振られた。そして上部に舗装の跡のある壁もいくつか発見された。そのなかのいちばん大きな壁は400メートルも続いていた。

この壁の一部は、海岸付近でふたまたに分かれ、かつては島であったが現在は海面下にある部分の海岸線に泊って海中に続いていた。

この海底台地の別な場所では、沈んだ石塊群の下に通路が見られたし、海底の石切場も発見されたが、そのなかには形のととのった石が残っていた。ただ、荒波と視界不良のために写真は撮れなかったという。

■ 海底の大穴

大昔の建物の跡が残っているこの海底台地全体は、フロリダ海峡、サンタレン海峡、ニコラス水道を結ぶ、いびつな三角形になっており、その各辺は約96キロある。その角のあたりだけが水面に顔を出して、かつて大きな島であり、多数の人口があったと思われる部分の境界を形成している。この海中には真水がわき出る所がたくさんある。

この海域には数個の奇怪な青い穴がある。これは海底の自然の洞窟ではなく、直径が800メートルもある丸い穴なのだ。周囲の海底は4〜5メートルの深さしかないのに、その穴は300メートルの深さに達している。これらの穴はメキシコのチチエン・イツアの大きな池にたとえられる、とチャールズ・バーリッツはいう。古代マヤ人は池のなかに、いけにえとして若い娘や宝石などを投げ込んだのである。

アトランティス研究家バーリッツは簡単にチチエン・イツアの池と比較しているが、これは直径がせいぜい20メートルあるかないかぐらいのもので、直径800メートルもある穴を同性質のものとみるのは少々無理があるようだ。もし人工的なものとすれば、別な用途で造ったものだろう。

▲バハマ海の浅瀬にある巨大な大穴。この穴の深さはまだ性格にはわからない。

■ バハマ海域の海底ピラミッド

 バハマ海域で巨大なピラミッドを見た、と漁師やパイロットたちが報告したのは、1977年のことであった。            

 場所はケイサル浅瀬の南西。1せきの船が、深海漁の最中に巨大な建造物らしきものの輪郭をキャッチしたというのだ。以来、多数の調査が同海域で行われた。しかし、アメリカ地理調査会の地質学者ユージン・シンは、記者会見で、ケイサル付近で発見された"ピラミッド"は、それらしく見えるけれども、自然にできたものだと言明した。一方、ダイバーたちのなかには、このピラミッドが石ブロックで作られたものだと思わせるような割れ目が側面に見えたといっている。

いずれにせよ、西大西洋のカリブ海とバハマ海域に、50ないし60か所の謎の石壁、道路、円形構造物などがあるからには、もっとピラミッドらしいものがあるかもしれない。

1978年には、ギリシアの実業家でアトランティスに関心をもつアリ・マーシャルが、ケイサル付近の"ピラミッド"の探険を実施した。彼の探険隊は、200メートル以上もの深海に沈んでいるピラミッドらしきものを有線テレビで映し出して見せた。彼の話は次のとおりである。

「その近くに接近したとき、まず気づいたのは、あらゆるコンパスがひどく狂ってしまったことだ。ソナー(音波探知器)の録音のために海底で8時間をすごした。われわれが約1600メートルほど進行し、それから90度のターンをして引き返そうとしたとき、ついにソナー・スクリーンにピラミッドが映るのを見た。

わたしは船長に停船を命じて、ゆっくりと前進した。船はちょうどピラミッドの真上にいたのだ。頂上は水面から45メートルぐらい下にあるようだった。ピラミッドの底面までは約200メートルあるらしい。

われわれはカメラと強力なライトをピラミッドの側面に降ろした。すると急に穴につきあたった。強烈に輝く白いものが荒あらしく穴のなかにすべり込んだ。ガスかそれともエネルギーをもつ結晶体なのかもしれない。

さらにカメラを降ろすと、同じことが逆に起こった。その謎のものがまた上方へ出てくるのだ。驚いたことに、この深さの海になると、夜間でもピラミッド付近の水は黒ではなくて線色なのだ。

■ 不思議な謎の物体

この探険でダイバーたちは1000メ一トル以上はもぐらなかった。撮影したビデオテープは結局わけのわからぬ画面となった。レンズの性能に限度があるからである。

ピラミッドなるものは、傾いた壁のようでもあるが、石でできているのかどうかさえはっきりしなかった。だが、その巨大な物体の側面にあるいくつもの大きな穴の写真が示していた"光る荷電粒子"の動きは、バミューダ海域でしばしば報告されてきた謎の電気的物体を思わせる。

いずれにしても、この海域に太古のものらしい建造物や岩の道路などの遺構があることはたしかで、これがただちにアトランティスと結びつかないにしても、太古にこのあたりに巨石文化をもつ国があって、それが何かの原因で海没した可能性はあるだろう。

イギリス、アメリカ両海軍も、この海域にピラミッドのように見える巨大な遺構があることをつきとめている。数年前にはアメリカの潜水艦が、海図に記されていないのに、このピラミッド海域で突然、海中の巨大な堆積物に突きあたるという事故が発生した。幸いにも、砕氷装置をつけていたため損傷はなかったという。はたして1万2000年昔の大記念碑に遭遇したのだろうか?

■ ウィルソン、不思議な建造物を見る。

これより約30年さかのぼる1948年に、アメリカのエド・ウィルソンという男が、飛行機でマイアミの北東70キロの海上を75メートルという低空で飛んでいたとき、突然、海中に異様な物体を目撃した。彼は、そのときの模様を次のように語っている。

「わたしが見ていたものは船ではなくて、水中に沈んでいる巨大なビルディングのように思われた。あたりの水はかなり浅くなっているようなので、山に似たそのビルディングの斜めの側面を見ることができた。

そこで水面上15メートルまで降下して、水中の物体をよく見た。わたしは1分半ほどその周囲を旋回したが、その表面に貝がくっついているのも見えたし、その頂上を流れている水も見えた。 とてつもない大きな建造物だった。太陽光が照りつけていたので、とてもよく見ることができた。そのまわりには他の建物もいくつかあったが、よくわからなかった。最大のビルディングの高さは30ないし70メートルぐらいあったと思う。

この位置を確かめようとして計器を見た私は驚いた。計器類の針が皆ゼロを指しているのだ。すると不思議な色がまわりをつつんだ。180メートルの高度で、その強烈に輝く赤色のためにすっかり困ってしまった。

240馬力のエンジンは狂ったように回り、それからばったり止まってしまった。スロットルやポンプ類をいくら動かしてもだめだ。機体は少なくとも約3キロ滑空し、そしてエンジンがまたかかった。水面すれすれのところにいたので、これ以上機首を下げるわけにはいかないところだった。そのとき、何かの力が西の方向に流れていることに気づいたが、それが何であるかはわからなかった。

やっとの思いで空港に帰り着いたが、途中の無線の呼びかけはまったく通じなかった。着陸後に無線機を調べてもらうと、ヒューズがとんでショートしているのがわかった。空中でなにかの電気的な衝撃を受けたものらしいが、原因は謎だった。どうやら磁気ベルトのようなもののなかを飛んだらしいと整備員たちがいう。

過去数年間に、わたしは何度もその海域を飛んだけれども、もうあの海中の巨大は物体を見ることはできなかった。マイアミの連中はわたしの話をバカにしてかかったが、わたしが見たものは、たしかにそこに存在していた」

■ またも海中にピラミッドが!?

アリゾナ州メサのダイバーで講演者のレイ・ブラウン博士がバハマ海域にもぐつた体験によって、この海底は激しい嵐のために変化することが明らかになった。バミューダ三角地帯の海域内では、こうした嵐が起こると、ちょっとの問、海底の遺構を見せることがあるという。しかし嵐がおさまると、また埋もれてしまうのだ。

ブラウン博士はバハマのペリー諸島にくわしい。彼は以前、そこの海で沈んだスペインの宝物を積んだ軍艦を探したことがあるのだが、1970年にまたそこへやってきたのである。そのときの様子を次のように語っている。

「前に来たことのある場所へまたやってきたとき、激しいスコールにみまわれたので、われわれはマングローブにしがみついた。まったく激しい嵐だった。2メートル前後の高波が押し寄せたので、機材のほとんどを失ってしまった。翌朝気づくとコンパスの針がぐるぐる回っており、計器がだめになっているのがわかった。われわれはその島から北東へ進んだ。

突然、水面下に多数のビルディングの輪郭が見えてきた。どうやら広範囲にわたる海底都市らしい。われわれは5人のダイバーで編成されていたが、全員水中にもぐり込んだ。

もぐるにつれて水は透明になってきた。40メートルで海底に接近して、前方にいた別のダイバーに追いつこうとしながら、暗い水中を通して海面の方を見ようと振り向いたとき、鏡のように輝くピラミッド型の物を見たのだ! 頂上から約10メートルばかりの所にひとつの穴があった。少しためらったけれども、とにかく泳いで穴に近寄った。

その穴は内部の部屋に通じるトンネルの入口のようだ。わたしは輝く物を見た。それは2本の金属の手で支えられた結晶体である。わたしは手袋をはめていたので、それをはずして手につかんだとき、今ここを脱出するべきだと感じた。

 こんな都市のような遺構を見たのはわたしだけではない。空中から見た人もいる。その人によれば、大きさは横が9キロもあり、たてはそれ以上あったと言っている。」

■ ソナー ■ 荷電粒子 ■ マンクローブ
水中で用いる音波探知器。船底から海中にインパルスを発射して、海底や他船からの反響を測定して、その存在と距離を計測する。ただし有効距離は5、6キロ以内といわれる。 外部から電子をとりいれる、あるいは外部に電子を放出するかして、プラスもしくはマイナスの電気を帯びた粒子のこと。イオンともいう。 熱帯、亜熱帯地域の海岸、河口、入江などの静かな海水中から生える植物の一群。東南アジア、インド、アフリカ東海岸などの地域に多く生息する。

■ 宝探しのダイバーたち

そのときにブラウン博士といっしょにもぐった他のダイバーたちの証言は得られなかった。他の3名は、潜水中に死んだり行方不明になったからだ。

ブラウン博士は、海中でみつけた結晶体をまだ持っており、ときおり講演中にそれを聴衆に見せたりする。その丸い結晶体の内部には一連のピラミッドの形が見える。その結晶体を手にとると、震動するような感触が手に伝わってくる。

彼が信ずるところによれば、ピラミッドとその他の建造物は海底深く埋まり込んでいて、上方だけが見えていたという。

ブラウン博士はピラミッドの位置をいおうとしないが、もしペリー諸島の近くだとすれば、アリ・マーシャル探険隊が探索した物とは明らかに異なる。いったいにピラミッドを見たというダイバーや小型機のパイロットたちはその位置を明らかにしないが、これは宝物を積んで沈んでいる難波船を探すのにつごうがわるいからである。だいたい、バミューダ海域に多くのダイバーがもぐるのは、沈んだ船の宝物を探すためであり、彼らが場所を明らかにしないのは無理もない話ではある。

このバミューダ三角海域は、過去50年間に数百もの船や飛行機が謎の失踪をとげている魔の海である。これもやはり海底の不思議な建造物の遺構と関係があるのだろうか。

■ 魔のバミューダ海域

過去に消えうせた船や飛行機などの最後の通信を分析することによって、消失事件の真相がしだいに明瞭になってきている。というのは、船と飛行機の両方に共通した現象があるからだ。

それはコンパスの針がぐるぐる回ること、急にエンジンがパワーを失うこと、機械装置が狂うこと、航行指示レーダーが消えること、電気系統の消費電力が増えること、飛行機が高度コントロールを失うこと、夜間、空中や水面下に奇妙な光体群が見られること、突然何かに包まれて視界不能になること、海面の小範囲に霧がたちこめること、空中に雲が急速にわき起こること、飛行機や船の構造部に圧力がかかること、飛行機と船に強力な磁性吸引力がかかり、それに引っばられて船などが水中に沈んでしまうことなどである。

こうした現象は突然襲ってくる嵐とは関係なく、海そのものから放射される電磁的な力または圧力に関係があるらしい。しかもこの現象によって、パイロットたちは精神的に異常をきたし、まぼろしを見たり、行動がおかしくなったりして、ついには気が狂い死んだりする人までいるのだ。

(第4章 終わり)

■ 恐怖のバミューダ・トライアングル

1925年、ブラジルのマットグロッソ地域で消息を断ったパーシー・フォーセット大佐の探険隊一行がロンドンへ送った最後の電報は、次のような内容だった。

▲1945年12月、消息をたったアベンジャー機の同型機。

「われわれの悲運または幸福を見とどけようとして、われわれのあとから探険隊を送るような計画があるときは、どうかお願いだからやめてくれ!」

いったいなぜ、フォーセットは自分たちの行方を捜索されることをこばんだのだろうか。彼らは多くの人に知られてはならない何かを知ってしまったのであろうか。

マットグロッソ地域には、古くから「ジャングルの奥深く、黄金の都市群がある」あるいは「こうした都市はアトランティス文明の遺跡である」という言い伝えが伝わっている。フォーセットも、こうした伝説に魅せられたひとりだった。神秘主義に深い関心を抱いていた大佐は、ブラジルの奥地に白い皮ふをもつ奇妙なインディオがいることを知り、謎を解く鍵は、これらの白いインディオを見つけることだと考えたのである。

事実、フォーセットは、「黄金の都市」が背の低いずんぐりとした人食い人種によって守られていると述べている。フォーセットは、彼らとの接触を図ろうとして、マットグロッソの奥深く出かけたのであろうか。

しかし、現地インディオたちのあいだでは、「死せる都に踏み入ったが最後、出て行くことは許されない」という言い伝えもある。はたしてフォーセットは、死せる都への敷居をまたいでしまったのだろうか。

一説によれば、フォーセット大佐の妻ニ−ナは、夫が死んでから9年後に、夫からテレパシーによる通信をキャッチしたともいわれている。その内容はつまびらかではないが、フォーセットは唯「夫人にだけは失われた都市の秘密をもらしたのかもしれない。

home artcles letters pictures ufo bbs お問い合わせ link