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 アトランティス大陸の謎 久保田 八郎

   

第4章1話 ビミニ沖バミューダ海域バハマ海域を調査

■ ビミニ沖に海底遺構を発見

ところが、1968年にアメリカ人学者で深海潜水のベテランでもあるJ・マンソン・バレンタイン博士が、バハマ諸島海域の北にあるビミニ島沖で、長さ数百メートルの壮大な石壁が沈んでいるのを発見してから、がぜん、アトランティスの遺構説が浮上してきたことは2章で述べたとおりだ。

▲1968年、ビミニ島沖に海底遺跡を発見したマンソン・バレンタイン博士。

この説が支持されたのは、先に述べたエドガー・ケイシーの予言が、北ビミニ沖で「アトランティスの遺跡が海の泥の下から発見されるだろう」と予言したことと一致したからである。

だがオーソドックスな科学者たちは、ケイシーの予言を信じなかった。あくまでも科学的な基礎の上に立った実証主義をかかげる学者が多かった。

■ バレンタイン博士のバミューダ調査

ここで注意しなければならないのは、アトランティス大陸の元の情報を伝えたのはプラトンではなく、エジプト人であるという点である。プラトンは、エジプト人の話を伝えた文筆家にすぎない。

▲バハマの海底で見つかった石版。これは6000年〜8000年前のものと思われる。

2千数百年前といえば世界地図などの存在しない頃で、大プラトンといえども自国以外の地理に通じていたわけではなかった。したがってソロンかプラトンが話を聞き違えていたとすれば、アトランティス伝説はかなりゆがめられて伝えられたかもしれない。つまり、アトランティスがバハマ諸島海域にその一部を占めていたと考えてもまちがいとはいえないだろう。そこで海底の諸発見とあいまって、バミューダ三角地域が注目されるに至ったのである。

大西洋西部のバミューダ三角地域では、第二次大戦の終末以来、上空を飛ぶ飛行機のパイロットたちによって奇妙なものが何度も発見されてきていた。水中に石壁や道路などが見えるという報告もあるし、これらのなかには建物の頂上部があるかもしれないというパイロットもいた。こうした海中の遺構は、実際に海中にもぐるよりも、上空から見るほうが鮮明に識別できることが多いのだ。

そのなかには、イングランドのストーンヘンジのように大きな環状列石もあるし、あちこちの島をつなぐ石壁または石の道路らしきものもある。あるいはペルーのナスカの奇妙な地上絵のような、直線で交叉した模様もある。また、海底の植物によってはっきりした方形を現している巨大な遺構もある。おそらく海底に沈下した大きな建築物か広場の外形だろう。

こうしたバハマ海域の海底遺構を調査した科学者の1人が、アメリカのマイアミ科学博物館の古生物学看で、地理学者、そして考古学者のバレンタイン博士だったのである。くわえて彼は洞窟探険家、飛行機のパイロット、スキューバ・ダイバーでもある。バレンタイン博士は、過去25年間、バハマ海域を調査してきた。

博士が確信するところによると、メキシコ・ユカタン半島の洞窟を調査した結果、大洪水以前に諸文明が存在していたという。この洞窟群のなかには、海中の生物の形をあらわした巨大な岩もあり、こうした岩は大西洋で何度も周期的に海没と浮上をくり返してきたことを示しているように見えるというのだ。

■ 実証主義 ■ 環状列石 ■ 氷河時代
  ものごとの認識の仕方を科学的方法によるものしか認めない、という考え方。そのため科学以外の学問、たとえば形而上学や神学を否定する立場をとる。 ストーン・サーブルともいい、円形に石を並べた古代遺跡の一種。イギリス、フランスに多く、とくにロンドン郊外ソールズベリーIのものは直径30メートルにおよぶ大きなもの。 一般に氷河時代というと、今から200万年前から1万1000年前までの第4紀氷河時代を指す。アルプス地方では、今でも氷河期に運ばれた、たい積物が見つかる。

■ 30か所に人工的な遺構が

バレンタイン博士は、バミューダ海域での発見については次のように述べている。

バミューダ海域全体は最後の氷河時代には海面上に出ていた。それでわたしは次のような地理学的な問題を調べてみようと思った。つまり、かりにバハマ海域の大海底が比較的近い過去に乾いた土地であったとすれば、その浅い海は古代人が住んでいた跡を示すかもしれないと。

わたしは1958年に小型飛行機から水面の写真を撮り始めた。それ以来、人工的な遺構と思われるものを30か所以上の海底に発見した。たとえばダイアモンド・ポイントと、タング・オブ・ジ・オーシャンとのあいだには、直角、鋭角、鈍角に交叉している多くの直線が見られ これは都会の大きな団地の設計に似ている。しかも遠くにはもっと線型が見られるが、これをわたしは"ゴースト・パターン"と呼びたい。なぜなら、それらは深く埋まり込んでくわしくはわからないが、他の遺構の外形をぼんやりと示しているからだ。

■ ビミニ付近の奇妙な遺構

わたしが調査を始めたのはオレンジキイとビミニのあいだである。そこには、海底にそって直線状につらなる一連の長方形のものがいくつか見えた。それを遺跡と信じる理由は、海底で大陸棚の急斜面の方へ走っている何本かの直線があり、それらを人工的なものと考えたからだ。

こうした各線型の下にあるなにかは、水面に現れた藻の繁殖のしかたに影響を与えている。 ライディングロックスの広大な浅い海は、いくつかの正方形に分割されるし、またビミニの南のオレンジキイでは、完全な直線で囲まれたフットボール競技場ほどの方形の遺構がある。

とにかく、ビミニまではずっと正方形と長方形の建築パターンの連続であり、その下に埋まっている遺構の大きさや形を示している。これらのことを考えてみると、かつて古代に人間が住んでいたことが示唆されるのだ。

これ以外の海域または陸地における太古の遺跡としてわたしが見たものは、ペルーのナスカ砂漠の線型模様だ。さまざまな形の幾何学的模様などは人間居住の証拠をはっきり示していた。 このなかには、バハマ海域の海底のそれと似ているのもある。

わたしがいわゆるピミニ・ロードまたはビミニ石壁を最初に発見したのは、1968年の労働祝日(9月の第1月曜日) にパラダイス島のダイビングから船で帰る途中だった。わたしはその島の付近にある海底の大きな山を探していた。

同行者はダイバーのジャック・マヨール、チップ・クリモ、それにビミニの有名な漁師のボンフィッシュ・サムである。帰る途中、サムに魚が観察できる場所へつれて行ってくれと頼んだら、ビミニの西の暗礁を知っているという。

そこに着いてからチップが海へとび込んだので、わたしもあとに続いた。そして海底に巨大な石の遺構を見たとき、あまりに驚いたので、ウエイトベルト(腰につけるオモリ)をおき忘れてしまった。まだそこにあるだろう。

その遺構の光景はとうてい信じられないほどで、夢のようだった。それはメキシコのユカタン半島で見たサクベ、すなわち古代マヤの儀式用の白い道なのかと思ったほどだ。わたしはその巨大な石の遺構を数百メートルも探ってみたが、最後は砂の中に埋まっていた。

ユドガー・ケイシーの予言については、その頃は何も知らなかったが、後にそのことを知ったとき、ケイシーはわたしたちが海底の石壁を発見する8年前に"アトランティスがふたたび浮上するだろう"と予言していたんだ。しかも"1968年か1969年で、そう遠いことではない"とつけ加えている。そして"それはビミニの近くで発見されるだろう"と予言していたことを知ったとき、わたしはとび上がらんばかりに驚いた。

学界では、この石の道を人工的なものではなくて、ただ自然の岩だといっているようだが、わたしが海底で見たものは、そんな自然の岩石ではない。柔らかい自然の石とはちがって多くは固い岩石だ。

きっちりとくっつきあっている石の列は直線で、互いに平行し、"コーナー・ストーン"で終っていた。この石の大通りは、島の周囲に見られる曲がった自然の岩石とはまったくちがって、直線なのだ。

この長い大通りの端には、西ヨーロッパの治岸で見られるドルメンのように、石柱を支えた平たく巨大な石まで残っているのだ。完ぺきな長方形、直角、直線の輪郭などは、自然にできたものとは考えられない。その遺構の一方の端は、美しい曲線を描いて砂のなかに消えている。まだその海底下を掘った人はいないので、石がどれほど埋まり込んでいるかはわからない。

▲南米のティワナコにある太陽の門

■ 学者は新発見を恐れている

この石の道は、ある特別な場所まで続く儀式用の道路だと思う。カーブから先へ行くと石が2列から3列に分かれているからだ。

古代マヤの儀式用道路であるサクベは、ユカタンの海中に沈んでおり、400メートル以上も海岸から沖合へ出て沈んでいる。サクベは盛り上がった道だったので、わたしが見た海底の石の道の下を発掘してみれば、建物が現れるかもしれない。

だがたいていの考古学者は水をいやがるようだ。海岸線というものはどこも同じだから、水中に建物や道路の遺跡などあるわけはないと思っているのだ。

このような考え方は今後もまったく変わらないだろう。科学者がこうした遺構を調査しようとしないのは、自分たちの学説がひっくり返るような物が出てくるのを恐れているのだ。この意見は過去にさかのぼって、大洪水などはなかったという意見と関係するんだ。こんな考え方をする学者は、ショック死を起こすような事物を発見することを望まないんだ。むしろ彼らは、多くの遺構や像などを、自然のいたずらだと考えたがっている。

それにもかかわらず、次つぎと新発見が続いたことにより、科学界のあちこちに"割れ目"が現れている。わたしは未来に期待したい。

ビミニの海底で発見した巨大な石の道路や石壁を建設した民族というのは、中米で大きな石球を作ったり、テワンテぺクの石造人頭、レバノンのバールペックの大プラットフォーム、地中海のマルタ、イングランドのストーンヘンジなどを建造した人びとであると思う。その他にも、ペルーのサクサワマンとオランタイタンボ、ブリタニーの石の大通り、ボリビアのティワナコの巨大な遺跡、イースター島の石像などを作った人びとだ。いずれも、いまだに謎となっている巨石を運んだ先史時代の民族だ―

以上、バレンタイン博士が言及したのは、彼みずから個人的に調査した場所である。

 

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