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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
  解説 テレパシー

第2章 3部 1980年 2月9日 解説
第1章1部 第1章2部 第1章3部 第2章1部 第2章2部 第2章3部

『人間の四つの感覚器官』

四つの感覚器官が心をつくる

 そこで37ページへ行きますと「現在、人間の心をつくりあけているのは、実はこの四つの経路、すなわち感官なのです。これらは人間を現象の世界に閉じこめている牢番です。人間が自制によってこの感官に打ち勝たないかぎり、人間は感官の気まぐれの奴隷たるをまぬがれないでしょう」と。これはさっき申しましたように、抑制をして打ち勝たないことには、ただもう感覚器官(目が−番大きな役割を果たすそうですが)に振り回されてふらふら・ふらふら生きているわけですね、ふらふら。ふらふらと。

  そういうような生活態度を人間は昨日今日始めたわけじゃなく、もう何千年も、あるいは何万年も続けてきたかも知れません。そういうような習慣で固まっていますから私たちはそれが当たりまえだと思っているわけです。そこでその非常に誤った生き方を、今度は正しくするためにはどうすればよいかといいますと、自分の内部にわきおこってくる想念を観察しないとダメなんですね。

  想念を観察するということは実は四つの感覚器官を観察することですからね。例えば四つの感覚器官のうち目が何かにひかれて「おもしろそうだ、行ってみよう」というような非常な欲望を起こしましたら(その欲望というのはまあ、衝動とも言えるでしょう)それを「待て、待て」というわけでジッと観察してそして「どうしてこんな衝動が起こったんだろうか」ということを分析してみます。そして「結局目の方からやってきた」と、「目が起こした」「どうも自分の目は何か、こういう傾向のものを見るとしきりにそこへ行きたがる、しきりに見たがる、何か、こういう変なものがあると目がしきりに喜ぶ、見たがる、こっそりとのぞいてみたがる、どうも自分の目はいけないな」というふうに気がついてくればこれはもう立派な物です。自分の目をちゃんと観察してることになりますからね。

  まあ、インドの古代のヨガの行者(ヨギといいますが)のすごいのになりますと自分で目をくり抜いて盲目になってでも目の感覚の欲望に打ち勝とうとするような修業をする人もあるそうですね。ま、私たちはそこまでする必要はないでしょう。第一、それじゃ困りますから目をくり抜くのはやめた方がよいと思いますが、少なくとも自分の強烈な意志によって目の欲望を抑えることはできるはずなんです。

 同様に鼻もやはり欲望を持っていますからね、何かの匂いをかぐときに。ある1軒の店の前を通りかかったら非常においしそうな匂いがしてくる、あるいはアルコールの匂いもしてくる、「いやあ、うまそうだな、入って一杯飲もうか」と。そうすると今度は味覚の方もそれに同調して騒ぎ出し、「入れ、入れ」とこう言うもんですから、ついふらふらっと入って、そうして予定外の金を使ってですね、まあ、1000円ぐらい、いいだろうと思ってつい心を許して勘定書を見たらいつの間にか5000円ぐらいになってしまい青くなって出てくるというようなこともあるでしょう。これはまあ、たまにはいいですけどね、たまにはいいですが,そういう鼻や口の味覚の欲望のままに生きていたら、これはいくら金があっても足りなりでしょうね。

忍耐の法則の応用

 そこで、そういうのを抑制するためには「忍耐の法則の応用」が必要だということもここで言っております。そうして四つの感覚器官を完全に調和させると。お互いにケンカをさせない。これはロで言うのは簡単ですが、なかなか難しいことなんです。

 38ページのところですね、(注:人間のマインドを)バイオリンに例えてあります。バイオリン、四弦ありますね、四弦ありまして高い方からミ・ラ・レ・ソというふうな音に合わせるようになっておりまして、これが完全にハーモナイズしないと音楽は演奏できないんですが、それと同じように私たちの四つの感覚器宮を完全に調和させないと自分が本当の正しい印象をキャッチすることが難しいということになるわけです。

 それで、テレビ・セットの助けを借りないで遠方の光景が見える(これは遠隔透視です)、それから耳がラジオを用いないで、耳が非常に鋭くてどっかの音が野こえる(これは遠隔透聴ですね)、そういうふうな能力がいったいあるだろうかということをアダムスキーが考えて、そして自分自身の答えが浮かび上がってきたと。すなわち「こんな能力はすべて自分のなかに潜在している。

  ただし、感官が各自の意志を捨てて”宇宙の感覚の意志”にしたがうならばだ。なぜな”宇宙の感覚”こそ”基本的な感覚”であり、自分という存在を通じてあふれ出る”宇宙の因”の現われであるからだ」と。で、”宇宙の感覚”というのは何かといいますと、これは空間にもあるでしょうが、この四つの感覚器官が従わなくちゃならない”宇宙の感覚”というのば空間じゃなくて自分の体内にありますからね、体内にあるところの、肉体を生かしている根元的な生命力というものを”宇宙の感覚” と言っているわけです。それに気がついて、その方へ従わなくちゃダメだというわけですね。

 そこでまたいろいろ疑問が出るでしょうが、例えば心と意識とを−体化させるということとこれ(注:”宇宙の感覚”に従うということ〉は同じことなんですが、それは一体どういうことなんだというふうに言う方もあるんですが、具体的に言いますとね、自分の体全身を生かしている生命力というものを自分でハツキリ意識してですね、知覚しまして、そうして「自分は体全体を生かしている生命力と一体なのだ」と、そういうことをまず言葉で反復して唱えて、次第にそのようなフィーリングを高めることなんです。しかし最終的にはもうフィーリングの問題ですから言葉ではこれは説明しにくいような次元の問題になってくるでしょう。これは非常に難しいことで簡単には行かないでしょうけれども、そこは忍耐の法則によって営々として自分で自己訓練に励んでですね、やらなくちやしようがないでしょうね。

印象の観察

 そこでその想念を観察するという具体的な方法が非常に重要だということがわかってくるんですが、しかし、これはあまりにもムキになって凝りますとかえってノイローゼみたいになったり、精神分裂症みたいにならないとも限りませんからあまりムキにならないで、どっちかといいますと楽しい気分でもって自分の想念を観察すると。

 想念または内部の印象あるいは衝動ですね、それらを観察することです。で、何か衝動が起こった場合、何かやってみようという衝動が起こった場合、すぐふらふらとやらないで「待てよ」とちょっと考えて「この衝動は宇宙的な衝動かそれとも単なる細胞の自我の現われか、どっちだろうか」と検討してみまして「どうも宇宙的らしい」ということになれば「ひとつやってみよう」とやってみればいいわけですね。その結果がもしよくなかったら、それは本当は宇宙的じゃなかったということがわかりますから、そういうふうに自分で実践してみて次第に正しいか正しくなかったか見当つくようになってくるわけです。

 そこで40ページへいきますと「印象の観察」ですね。ここでアダムスキーが想念観察ということを手帳につけて猛烈にやったということが書いてあります。「私の次の段階は、各感官の訓練と心によって感受される”印象”の観察でなければならないことに気づいて、私はある−定の計画にしたがうことにきめました。これは−種の精神台帳になるものです。すなわち、−日を通じて感じた想念で個人的性質を帯びているものすべてを一方におき」(「一方におき」ということは片方のべージにどんどん記していくということなんです)「他方には私の行動のもととなった宇宙的な想念を記録したのです。毎日の終わりに、偏狭な個人的な意見かまたは宇宙的な洞察力がその日を支配したかどうかを決めるために得点を集計していった」と。「これには全く大変な忍耐を要しましたが、ついには私の各感官に聞き耳をたてさせて、たしかに外部から来る印象を感受し得るように慣らすことができました。実際、これを行なうのは最も困難なことでした。古い考えが強情に顔を出して私の心にその解釈を与えるからです」と。これは確かに楽なことじゃないんでして、今まで地球人はこんなことをやらなかったんですからね。何千年もやらなかったことを私たちがやろうというわけですから、人間の集積されたぼう末な習慣を打ち破ってですね、全く画期的なことをやろうというわけですから当然、これ、大変なことです。でもやってできないことはないですね。
私も−時猛烈にやったことがあります。

 まあ、想念観察をやると気違いになるというデマが一時、以前流れたことがありますがこれは間違いです。さっきも申しましたが、これは想念観察やるから気違いになるんじやなくて、あまり凝りすぎてですね、ムキになってやりますと(今までの習慣を打ち破ることですから)非常に大きな苦痛が起こってきて、そして神経のバランスを失って軽い精神分分裂症的な、あるいはノイローゼ的な状態になることもあるわけでしょう。しかし、まあ、たいしたことはありません。ですからこれはとにかく楽しくやることですね、楽しい気持ちで。

 そしてこれをやってですね、自分の「センスマインドを抑制し続けるうちに、私の受ける”印象”は明瞭になってきてきて、次第に多くの宇宙的性質を帯び想念を含むようになり、個人的意見は少なくなってきました。」これは当然そうでしょう。感覚器官が騒ぎ立てる声を静めるんですから、そうなれば本当の宇宙的な印象が浮かび上がってきます。例えば電話を聞いているとします。と、側に大勢の人がいてガヤガヤ掻いでいますと電話は聞こえない。そこでまわりの人に静かにしてくれと言ってコントロールして静めさせると電話の声がハツキリと浮かび上がってきます。これと同じことです。要するに私たちの感覚器官−特に四感は騒ぎ立てているわけです、しょっちゅう自分の内部で。「あれはきらいだ、これは好きだ」と言ってですね。

私の場合

 ま、私なんか特に目の感覚器皆の欲望ですね、それから耳の欲望、これが異常なほどに強すぎると言えるでしょうね。つまり目で、視覚的にものを見るということが強すぎるもんですから(ま、変なものは見ませんがね)写真とか絵画とか、ああいう視覚によって人間に訴える芸術作品というようなものに非常にひかれ、そのためにものをレンズを通してのぞいてみようという意欲が強いもんですからカメラとか望遠鏡とかああいう光学製品に執着が強くなって、ああいうことに凝るわけです。

  あるいは耳もちょっと強すぎるんですね、欲望が。これはつまり音楽を聴こうという欲望があまりにも強すぎて、一日中音楽の洪水の中で暮らすというようなことも以前はありましたがね。昔、35年間ほどクラシックギターを弾いたキチガイだったんですが、ま、それはもう指が動かなくなってやめましたが、しかし今度、ステレオでレコードを聴いたりするのにその欲望があまりにも強すぎたというわけで、去年の暮れころからもう、生活を簡素化させようというわけで、身辺を整理して大きなステレオも、一応手放したわけですね(非常に理解のある方に引きとっていただいたのですが)。

  そうすると狭い部屋が割と広くなって−応スカッとした感じがしたんですがやはり2〜3日たったらもう寂しくてしょうがないですねえ、音楽が聞こえないということは。そしてこれじゃとても我慢できないというわけで耳が騒ぎ立てて、とうとう今度は小さなステレオ・ラジカセの機械を買ってきまして、それを書棚の中に埋め込んで、今、聞いているんですが、かえって便利なもんですからよけいに前よりもFM放送などを聞くようになり、(一同笑)家で仕事してますから、朝から晩までいい曲があれば聴くというような状態になりかかって、これではいけないなと思って、今また少しコントロールしているところなんです。

 まあ、とにかく、私たちの日常の生活態度を分析してみますと、何か知りませんが自分の内部のあっちこっちから起こってくる欲望に握り回されていますね。「これをやってみたい」「あれをやってみたい。あれが欲しい」「これが欲しい」と、まるで欲望だらけです、一人の人間というものはですぬ。そしてそれが当たり前だと普通、みな思っているわけなんです。ですがそれではあまりにも宇宙的な人間になるための正道からはずれてしまっているということは充分言えることでして、それをこのアダムスキーがですね、見事ににここに「テレパシー」という本で書いているわけですね。大変な書物だと私は思います。

 でも、みなさん方はよく理解されていると思うんですが、普通の人には理解できないことですから−般の人にこんなことを話してもこっちが気凄い扱いされますんで、まあ、一般の人にはあまり言わない方がいいでしょうね。ですから結局GP活動−研究啓蒙活動というのは要するに団体活動じゃなくて、本来は個人的なものだと、個人の”目覚め”と成長発達を求めてやっているような研究活動だということが言えると思います。
 だいたい時間もまいりましたので42ページの9行目までを今日までの解説といたします。どうもありがとうございました。

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