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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
  解説 テレパシー

第1章 2部 1980年 1月12日 解説
第1章1部 第1章2部 第1章3部 第2章1部 第2章2部 第2章3部

 それでばそういうことをまず念頭に入れておいて、どうすればその能力が開発されてくるだろうかということをこれから少し研究してみたいと思うんです。


テレパシーの歴史

 テレパシシーという言葉は、これはもちろんアダムスキーがつけた言葉ではありません。もっと昔からあったものなんでして、だいたい1860年代に、有名なフランツ・メスマーというオーストリアの学者がいまして、これが「動物磁気」という、あらゆる動物には磁気放射線があってそれらがお互いに反応し合うんだという説を唱えたんです。

 これは非科学的だというんで科学界から非常にバカにされまして、一時は流行したんですが今はこういう説は普通の科学では全然取り上げられていないんです。ですが、何か、磁気というよりも、人間からひとつの目に見えない、または科学で探対することのできない放射線のようなものが発射されているということに気が付いたということは大変なことだと思うんです。  
     
 メスマーというのは1815年に死んだ人ですからだいぶ昔ですけれども、その動物磁気というのが「メスマリスム」と言われて一般に一時流れたんですが、これの後継者である催眠術師たちが初めてテレパシーの実験を行い始めたんです、オーストリアで。 そしてそのころから「テレパシーという言葉が用いられるようになったはずです。何円何月に誰がこの言葉を初めて用いたという詳しいことはわかりませんですがね、大体その頃のことです。

 そして今度は1886年(明治17年)頃に、ガーネイとマイヤース、それからポドモアーという、この3人の学者によって、「ファンタズム・オブ・ザ・リヴィング」という題の書物がロンドンから出されて、この時に大体「テレパシシー」という言葉が正式に用いられたとされているんですが、本当の詳しいことはわかりませんですね。とにかくロンドンでマイヤースを中心にした学者たちがテレパシー取り上げて、ある程度科学的研究をやった結果を1886年に発表したと、こう思っておられればよろしいでしょう。マイヤースという学者が大変に有名な学者です。

 大体、イギリスというところは昔から神秘的なもの、特に心霊術とか心霊学とか…心霊ですね、その方面の研究の盛んなところです。イギリスというのは、ずいぶん保守的な国柄で新しむものを取り入れないと普通、思われていますが、とんでもないことでして、ずいぶん進歩的なそういう研究が古くから行なわれているんです。

 私がいつかロンドンへ行きましたときも ― だいぶ前ですが)そこで、有名な「フォイルズ」という世界最大の書店へ入りましてUFO閲係の本をあさろうと思っていましたら、何とまあ、心霊学の本が山のように1カ所、コーナーにありまして、とにかくあれだけのすごい、ぼう大な心霊の本を抱えた寄店は、まず、世界中にないだろうと私は思いました。ニューヨークでもあれだけのものは見ませんでしたね。さすがにこりゃあ、イギリスで、しかもロンドンだなと驚いたんです。別に私は心霊の本は買いはしませんが、とにかくそういうようなところなんです、イギリスというところは。

 それでしかも、アダムスキーのいわゆる「実見記」と言われる、最初ののコンタクトの体験記ですね、これはアメリカで出たんではなく、最初はイギリスで出したんですからね。アメリカの出版社は出そうとしなかったんです。ま、そういうふうにイギリスは非常に進歩的であるということです。

 で、こういうふうに学界でテレパシーというものが研究されていたことは事実であって、それはそれで非常に結構なことなんですが、しかし科学的に解決がつかないですね。なぜテレパシーという現象が起こるのか、あるいはどうすれば十人が十人とも能力が出てくるだろうか、という方法が見つからない。どうすればいいんだろうかという解決は今もってついておりません。しかレ、テレパシーの研究はその後、軍事面で注目されるようになったんです。

ノーチラス号の実験

  なんとなれば、それまで遠隔地と通信するにはいわゆる電波ですね、電波を用いているわけです。ま、今でもそうですが。しかし電波というのはこれはもう時代遅れなんです。傍受されますからね。ですから電波に代わる、敵国に傍受されないようなひとつの波動ですね、これは人間のテレパシー以外にはないんだというふうにソ連もアメリカも気がつきまして、特にアメリカは1959年の夏に、原子力潜水艦のノーチラス号というのを使って壮大なテレパシー実験を行なったわけです。

 これは有名な話ですからご存知と思いますが、原子力潜水艦ノーチラス号にテレパヒーの受信者が1人乗り込みまして、そして潜水艦は16日間海の中にもぐったままにしておいて、送信者はアメリカのある秘密基地から1日に2回ほど一定時刻にゼナーカード(よく使われるテレパシーの練習用のカードですね)を送信したわけです。そうしますと、何千キロも離れた海の中いる受信者が受信した結果がどうだったかといいますと、的中率が70%です。これは大変なもんですねえ。特にそういう能力を持っていた人を中に入れていたようですが、それにしても大変なものです。

 なぜ大変なものであるかともいいますと、普通、テレパシーの偶然の的中率は20%とされているんです。ですから10回ほど実験をやってそのうち2回ぼど当たれば、これは偶然に当たるんだと普通、言われているんです。しかし、世の中に本当は偶然ということは有り得ないんで、やはりそれも(注:20%の正解も)何かを受信者が感知して当たるんだと思うんですがね。ま、普通、科学的には偶然だとされているんですが、それにしても偶然の的中率の3倍以上です、70%というのは。大変な的中率ですね。

 これによってアメリカは非常な自信を持って、そしてその後、さらにテレパシーの実験を軍部が行なっているようですが詳細はわかりませんですね。そういうふうにアメリカはもう、ちゃんと研究していたわけです。1959年ですからね、今からもう、実に20年も昔の話です。

 一方、ソ連もまたそういう研究を秘かに軍部がやっていたわけでして、どっちかというとソ連の方が進歩していると言われていますね、こういう超能力の研究は。ただソ連は秘密主義ですから全然様子がわからないんですがね。

 いよいよダメなのが日本です。日本の学者あるいは軍部 ― 今、軍部というのは無いですが、そういう政府とかはですね、こういう問題を全く取り上げようとしない。全て大国まかせですね。それはまあ、どうでもいいようなもんですが、とにかくこういうような学問が科学的にズーッと研究されてきたということは、これは特筆すべきことでして、しかもそれは皆、西洋人がやってきたということなんですね。

 じゃあ、なぜ日本人がそういうようなことを取り上げて研究しようとしないか。例えばオランダのユトレヒト大学でしたかね、こういうようなことをちゃんと研究する講座を設けている有名な大学がありますが、(えー、何とか大学でしたね、そういうふうな講座をちゃんと設けている大学もあるんですが)日本の大学ではまず、ダメです。日本のどこかの大学でテレパシー科というのがあるかといいますと、どこを探してもないですね。じゃ、なぜ日本人がそういうふうなものを取り上げようとしないかといいますと、ある意味ではもう日本人はテレパシックな民族なのであって、今さらそういうものを改めて研究するほどの必要がないんだということが言えるかも知れないんです。

  日本人は非常にテレパシックな民族であるということは確かですね。人と話をするのにハッキリものを言わないで腹芸でやる。相手があまりものを言わないうちに『ああ、そうですか、じゃ、まあ、こっちはこう行きましょう」と言う。「こう行きましょう。」と言って、相手は何のことかわからないのに「ああ、じゃあ、そうしましょうか」 そんな言葉のやりとりで、普通、実業界でよく話が行なわれるんですが、これも一種のテレパシーと言えるでしょうね。そういうふうに、日本人、それからその他の東洋人は大体テレパシックな民族ですから今さらそんなものを科学的に研究するような意欲は起こさないと言えるかもしれません。

真の万国共通語

  とにかく、そういうわけでして、これは(注:テレパシ一能カは)大変重要な事であるということは、もう科学界でも認めているんですが、どうすれば開発できるのか、あるいはテレパシーが発生するメカニズムはどうなっているのかというこということは全く科学ではわからないとされているわけですが、これをアダムスキ−はここで(注:テレパシーの中で)説いているわけです。

  これは要するに「真の万国共通語」であって、あらゆる物の中に脈々と流れている一種の生命と同じようなものであって、その生命というのはひとつのパワーですが、それと一緒に流れているひとつの "知覚力"と言いますかね、そういうものがあらゆるものにあるんだと、だからこのテレパシーというのは偉大な宇宙語だとこう言っているわけです。

 こういうふうに言いますと、もう、ここでかなり非科学的で観念的だというふうな印象を受けますが、しかし、アダムスキー自身もこれを科学的にどうのこうのと解明しようとしても恐らくできないと思うんですね。テレパシーが送受信されるのにどんな波動があるのか、それを測定すれば周波数がどういうふうになるのかというようなことなんかは、これはもう、アダムスキー自身も説明できないことですから、そんなに科学的に説こうとしてもムリな話なんで、むしろアダムスキーは自分自身のひとつの感覚に従って説いていると思うんですが…。本当はもっとすごいことを知っていたと思うんですがね、しかし、彼の「テレパシー」というのはできるだけコンパクトにまとめたというふうに、だいぶ前、原書を送ってくれましたときに手紙に確かそう書いてあったと思うんです。ですからあんまり複雑な細かいことは省略して、そして概要だけを述べたというようなものがこの書物らしいですね。

テレパシーは宇宙の法則

 えー、それで、15ページを見ますと「テレパシーは宇宙の法則」だと。このまん中辺を見ますと「人間はテレパシーによって日々の生活を送っているのですが、この想念伝達法には神秘的なものや不可知なものは全くありません」とこう言っております。

 いたって簡単に言っているんですがその次を見ますと「人間の"心"は、(1)外界にたいする肉体の運動を指示する。(2)音声による表現を与える前にまず自分の想念の組立て整理を行う。(3)外界からも絶えず想念印象の流れを感受している」とこう言っています)これは間違いないでしょう、恐らく。「精神の未発達な人はこの印象の流れから自分の心がこれまでにつくりあげていた意見に合致する想念だけはとりいれますが、類似しない想念はしりぞけてしまいます。それゆえ人間は"人間の本質"を理解するまでは結果の世界によってのみ導かれる」のだと、これも本当でしょうね。

 精神の未発達な人はずいぶんたくさんやってくる印象の流れから自分の心がつくりあげていた意見(自分はこうしか考えないというような意見)と同じような考えがきたら「ああ、そうだ、そうだ」と言うでしょうけれども、それ以外の考えがきても「もう、そんなことは自分は信じないんだ、受け入れないんだ」とこう言ってしまいます。だから人間は"人間の本質"というものを理解するまでは結果の世界(現象の世界)によって導かれるだけだと言っているわけでして、これも本当ですね。

 私たちは肉眼によって生きているようなもんでして、ありとあらゆるものが目につくわけですがね、その目についたものを全て判断する以外に私たちは普通、やっていないんです。これは「もし自分が盲目になった場合、どうだろうか」ということを考えてみますとはっきりわかりますね。盲目になった場合、今まで目というものに頼っていた人がですよ、いきなり盲目になった場合はもう、大変なことになるでしょう。

 どうしてよいか全くわからない。というようなことを考えてみますと、我々は明らかに目によって、そして外界の現象だけに頼って生きているとしか言えないんです。でも今の話で「もし盲目になったらどうだろうか」ということからかえって「盲目になってみたい、そうすれば自分の内部の敏感な感知カが発達するかも知れない」と本気でで思い始めたら本当に盲目になりますからね、何かの事故を起こしたりして。だからそう思ってはいけないんですが、仮にもしそうなったとしたら我々は恐らく大変な状態に陥るでしょう。大変な状態よりも何も、生きていられないということから自殺するかも知れませんね、大抵の人なら。

  そして今度、16〜17ページにわたっては、これはもう、要するに人間が万物と全く一体であると。その万物の背後には"宇宙の因"というのがある。"因"というのは英語ではcause(コーズ)と言いますね。「原因」という意味のcauseです。そのcauseと一体になるというようなことが書いてあるんです。

 それで、17ページのはじめのあたりに「人間は万象の中で最も完全なものとしてつくられており、現象の世界にあらわれるすべてのものを理解するだけの能力を与えられています」と。これはそうでしょうね。人間というのは生物の一種ではありますが普通の動物に比べて全く違うものでありまして、惑星を破壊するほどのエネルギーを出すようなものを作ることもできますし、あるいはほとんど人間のもつ記憶力に近いほどのコンピューターのようなものを作り出したり、あるいは将来、全く人間と同じぐらいのロボットみたいなものを作り出すかもしれません。本当に人間と全く同じものを機械的に作ることは出来ないでしょうが、近いものは出来るでしょうね。

  それだけの素晴らしい能力を持っているんですから、まあ、万象の中で最も完全なものとしてつくられており、また、無限の能力が一個人の中に秘められていると、これは言えると思います。ですが普通の人はそう思わないですね。自分のこの有限の肉体 ― 昔なら「五尺二寸」といいたいところですが、今はもうだいぶ日本人は体格がよくなりましたから、まあ、五尺五、六寸から六、七寸ぐらいあるでしょうか、とにかくその有限の肉体で生きている自分なんてものは本当にゴミのひと粒にもならないもんで、どうしようもないもんだと、そしてしかも自分は一生懸命まじめに働いているけれどもなかなか収入が上がらない、一方では悪いことをする者がのし上がって、世の中に出てきて大金をもうけている、これじゃあ、まじめに働くのもいやになってくるというような一種、悲観的な想念が起こりまして、そしてますますやる気がしなくなってくるでしょうね。

 これは大きな間違いでありまして、そういう悲観的な想念が起こるのは自分自身の内部にそういう無限の能力が含まれているとは全然思わないからですねえ。

 これは非常な、一種の無知からくるもので、人間なんてそんなに弱いもんじゃないんです。非常にものすごい努力をして素晴らしい成功を遂げた人の物語というものをあげれば色々ありますけれども、今、いちいち例をあげる時間的余裕がないんですが、とにかくまあ、私達の誰もが相当な能力を内部に秘めているにもかかわらず、「ダメだ、ダメだ」と思っている人が大部分ですね。皆さん方は、そんなことはないと思いますがね。

>>第1章3部へ続く

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