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▲クレタの住民がエジプトに貢物をもってきた様子。 |
■ プレート・テクニクス理論による否定
アトランティスはどこにあったのか。これはやはり謎である。大西洋に存在したという説が最有力であったが、これも"プレート・テクニクス"と呼ばれる地球物理学の理論によって否定されるようになってきた。
つまり、地球の表面には厚さ数十キロメートルのプレート(板)がいくつかあり、ゆっくりと移動している。大陸はこのプレートに乗っている。プレートは、内部のマントルという流動体によって年間1センチから数センチの割合で移動するのだが、プレート同士がぶつかりあうと、一方のプレートが他方のプレートの下にもぐり込んで深い海溝をつくりだす。
この学説は現在、多くの科学者に支持されているもので、これによると、大西洋に1万2000年前に沈下した大陸は存在し得ないということになるのだ。
よくアゾレス諸島がアトランティスの一部だといわれてきた。先に述べたアメリカのイグネーシャス・ドネリーもこの説をとなえている。しかし、プレート・テクトニクス理論によると、アゾレス諸島は大陸が沈んだときの高山の頂上が残ったのではなく、大西洋中央の海嶺につながる海底火山が上方に成長したとみてまちがいないという。
■ 海嶺 |
■ ポリス(都市国家) |
海底にそびえる山脈上の高まり。急傾斜の側面をもち、起伏に富んている。海嶺上にはしばしば火山島が点在する。 |
古代ギリシア人の政治的独立体。紀元前1000年ごろ、貴族政の成立とともに形成された。アテナイ、スパルタの2大ポリスがとくに有名である。 |
■ プラトン創作説の根拠
ではいったい、アトランティスはほんとうに実在したのだろうか。多くの理論や仮説を大別すると、実在したとする説と、実在しなかったとする説とに分かれるが、後者をとなえる人は少ない。それほどにアトランティスは人びとの夢とロマンをかきたてるのだ。
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▲ラファエロが描いた「アテネの学堂」。向かって右の人物がプラトン。 |
非実在説によれば、アトランティスなるものは、大哲学者プラトンが、ギリシア神話をもとにして理想的な国家アトランティスを描きあげ、道徳的な寓話を作って、当時の堕落した人びとに高次な精神をもつように警告しようとしたのではないかという。
そこでもう一度、プラトンのアトランティスに関する記述をみることにしよう。
「彼らは柔和な心と思慮とをあわせもっていた。この2つの徳目は、不幸の際にも発揮された。そして、彼らは、美徳以外のものをすべて重視せず、大量の黄金や他のもろもろの富でも、まるで荷物を扱うように平然と扱っていた。
彼らは、自分自身を忘れて富を享受することはせず、自制心を失わず、きわめて冷静に、『あらゆる富は共通の友情と美徳が結びついて増やされたものであり、これに反して、富というものが、あまりにも激しく追及されたり過大評価されると、かえって消滅するものであって、そうなると友情も美徳も消えてなくなる』ということを認識していた。
このような考え方と崇高な精神が働いていたおかげで、彼らのあいだではすべてが繁栄した(中略)。
しかし、永遠の法則に従って支配する神々のなかの神ゼウスは、かつてはまったく有能であったこの民族が、いまやどんなに嘆かわしい状態になりさがったかをはっきり見抜いた。そしてこの民族を罰するため、万物の中央にある彼の崇高きわまりない住居に全部の神を召集し、この民族の発展にかかわりあったものすべてをひとわたり見させた。神々を集めたあと、ゼウスは語った」
これでプラトンの対話編『ティマイオス』は中断している。
■ 大プラトンの警告寓話だったのか
以上の記述をみると、これは大哲学者プラトンが、人間に美徳をもたせようとして作ったフィクション(作り話)ではないかとさえ思われるのである。とくに自我をコントロールすることや、富の追求にどん欲になることをいましめた点などは、永遠をつらぬく宇宙の法則ともいえるし、アトランティス人の精神がかつては神に近い状態であったというに至っては、人間の理想像を描くことによって、堕落したアテナイの人びとを目覚めさせようとしたのではないかと思いたくなる。
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▲プラトンの彫像 |
プラトンの哲学はイデア諭で名高い。現実のあらゆる現象は、遠い世界にあるイデア、すなわち、あらゆるものの完成された原型から投影された影のようなものだというのである。
この理論は、後に彼の弟子であったアリストテレスによって訂正された。「いや、イデアは遠い世界にあるのではなくて、万物の内部に存在するのだ」と。
アトランティスという理想的な王国は、当時の腐敗したポリス(都市国家)に住む人びとへの警鐘ではなかったのだろうか。
いったいにプラトンはおしゃべりで、しかも説教がましい人だったといわれている。この偉大な哲人が、人びとに理想国家、理想人間のイメージを与えて、注意をうながしたと考えてもおかしくない。
しかも、最後にゼウス神が神々を集めて、堕落したアトランティス人を罰しようとしたというくだりは神話そのものである。アトランティスには馬がいて、競馬場まであったという写実的な描写が、しまいにはおとぎ話になっているのだ。やはりフィクションなのだろうか。
いや、それはわからない。地球の哲学史に不滅の名を残した偉大な哲人プラトンが、作り話をでっちあげて、人々の好奇心をそそるようなことをするとは考えられない。
人間の記憶に残らない地球の遠い過去に、自然の大変動が発生して、一大文明が消滅したと考えられぬこともないのだ。たとえば、地軸の傾きによって世界的規模の大災害が数万年ごとに発生する可能性もあるという。
ソ連のアトランティス研究家X・A・プリユーソフは次のように言っている。
「もしプラトンの記述が作り話だとするならば、プラトンは数千年も先の科学の発展を予知できた超人的天才として認めねばならないだろう。いうまでもないが、偉大なるギリシアの哲学者の独創性にたいするわれわれの尊敬のすべてをもってしても、このような洞察力はとても不可解で、むしろプラトンは遠い大昔より伝わった資料(エジプト)を自由に駆使していたという、別の説明のほうが簡単で本当らしく思われる」
アトランティス大陸の謎 (完)
アトランティス ― 現代から遠く過ぎ去った大昔のまぼろしの大陸でありながら、これほどにわれわれの好奇心をかきたてるものはざらにない。
なぜか? それはアトランティスが悪徳の国ではなくて、反対に、美徳の栄えた理想国であったからだ。人間は善なるもの、美なるものにあこがれる習性がある。そしてだれもが、それなりの理想世界のイメージをもち、平和に暮らすことを望んでいる。
だが現実は正反対であって、この世の人びとは生老病死に苦しんでいる。生き地獄のような現実の世界で、われわれに大いなる夢と希望を与えるもの ― それはアトランティスであり、ムーである。
プラトンは2千数百年後の現在までこの夢を与え続けてきた。アトランティスが仮りに彼の創作であったにしても非難するわけにはいかない。それどころか、偉大な夢想家としての栄光をになうことになるだろう。
アトランティスが実在したとしたらどうか。それは人類にはかりしれない教訓を与えることになる。悪徳の報い、すなわち因果応報の法則を教え、核兵器の危機にさらされている現代の人間に重大な警告を与えることになるからだ。
実在した大陸であってほしい。これが筆者のいつわらざる気持ちである。
本書は、2万点もあるといわれるアトランティス研究書の一部となるほどのものではなく、アトランティスについてやっと知り始めた諸君の入門用として書いたものであって、専門書ではない。
したがって、アトランティスの実在にたいする肯定と否定の両論を紹介しながら、客観的に冷静に述べたつもりである。
筆者がプラトンのアトランティスの記述でもっともひかれたのは、アトランティス人が「美徳以外のものを重視しなかった」という点である。いつの時代でも人間に要求されるものは"美徳"なのであろう。これは永遠に変わらぬ宇宙的な法則である。美徳に対して強いあこがれを抱くときには、へたな説教を開くよりも、プラトンの対話編のアトランティス物語を読むほうがはるかに有益である。そして、プラトンの深遠な哲学そのものも、現代のわれわれにとってきわめて重要なことを教えてくれる。読者が哲学的な思索にふけるようになったときには、ぜひともプラトンの哲学書を読んで、これを理解されるようにおすすめしたい。
1984年10月 久保田八郎
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