リンネ学会調査団
リンネ学会はさっそく調査団を組織した。そしてグロスターの町のすべての目撃者が呼ばれて、調査団の前で証言をした。その1人、漁師のロンソン・ナッシュは次のように語っている。
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▲ノルウェーに現れた大ウミヘビ。16世紀のウプサラの大司教が書いた本の挿絵。 |
「私がウミヘビに似た怪物を見たのは8月10日のことです。早朝、漁に出るために船に向かって岸壁を歩いてた私は、何気なく海の方を見てはっとしました。岸から100メートルほど離れた沖合に、黒っぽいおかしなものが浮いていたのです。よく見るとそれは噂に開いていた大ウミヘビの頭でした。
そいつはウマの頭ほどもあるウミガメそっくりの頭部を、海面からつきだしていました。首から下は見えませんでしたが、ギョロリとした目をむき、ゆうゆうと海に浮かんでいました。 やがてゆっくりと動きだしたかと思うと、みるまにスピードをあげ、沖へ向かって遠ざかっていきました。たぶん1キロ進むのに2、3分しかかからなかった。とにかくたいへんな速さでした。
そして8月23日の早朝、日が昇ってからすぐに、私はまた港で大ウミヘビを見ました。今度は怪物は海上に長ながと体を横た、え、30分ぐらいじっとしていました。体長はゆうに15メートル。前に目撃してから、また見るかもしれないと思って、港にくるときはいつも腰に望遠鏡をぶらさげていたので、さっそくそれでのぞいて怪物のようすをじっくりと観察しました。体は黒褐色で、大きくて固そうなウロコが全面をおおい、胴の太さは大きな樽ほどありました」
"大西洋コブヘビ"命名
もうl人の目撃者マシュー・ガフニーは、この海の怪物めがけて発砲したといって調査団を驚かせた。
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▲グロスター港に大ウミヘビが出現したことを伝える号外。見出しに史上最大の怪蛇を数百人の人がもけげとしたとある。 |
「8月14日、仲間といっしょに船をこいで沖へ向かう途中、港を出る少し手前で怪物を発見しました。大ウミヘビは船の前方100メートルくらいのところにいて、後ろ姿を見せていました。大きな頭を海上に出し、水面のごく近くを長い体をうねらせてゆっくりと進んでいきます。
このとき私は船に銃が置いてあることに気づき、すぐにそれを手にとるとウミヘビの頭にねらいを定めて発砲しました。次の瞬間ウミヘビはくるりと向きを変え、こちらに向かってきました。襲いかかってくるのではないかと思い、ぞーつとしましたが、ウミヘビはすぐに海にもぐり、私たちの船の真下をくぐりぬけると、反対側の海面にふたたび姿を現し、そしてまた海中にもぐってそのまま消えてしまいました。どうやら私の撃ったタマは当たらなかったようです。」
数百人におよぶ目撃者たちの話を総合すると、グロスター港に現れた大ウミヘビの形状はだいたい次のようなものであった。体長は15〜20メートル、頭は非常に大きく形はカメの頭部に似ている。首から下はヘビそっくり。足やヒレはなく、体全体が茶褐色のウロコでおおわれ、背中にいくつかコプがある。このほか、怪物の首を白色のウロコが二重にとりまいていたと証言したものもいた。
これらの特徴の中にはウミヘビらしからぬ点もあったが、リンネ学会の調査団は、怪物の正体は巨大なウミヘビ、と断定した。
怪物の存在が明らかになると、町当局は大ウミヘビを捕獲もしくは退治したものに5000ドルの黄金を出すと約束した。港内には無数の網がはりめぐらされ、ワナがしかけられた。賞金めあての海の男たちが、近くの町や村から押しかけてきて、グロスターはにわかに活気づいた。
こうして数週間がすぎたが何の成果もあがらなかった。リンネ学会は、大ウミヘビが陸の近くに現れたのは浅瀬に卵を産むためだったと考え、卵さがしにかかったが、やはりそれらしいものは見つからなかった。しかし、町の少年たちが岸から15メートルほど離れた海中から、背中にコブのある体長1メートルほどの黒いヘビをひろいあげた。
リンネ学会はこの発見に大いに気をよくして、このヘビこそ卵からかえったばかりの"大ウミヘビの赤ん坊"だと主張した。そして、さっそくこのヘビを「大西洋コブヘビ」と命名した。
"大ウミヘビの赤ん坊"の詳しい解剖図はリンネ学会の会報に発表された。だが、彼らは、自分たちの主張が"立証"されたことを喜ぶあまり、その"赤ん坊"が陸地にすむふつうの黒へどに似ていることに気づきながらも、よもやその黒ヘビそのものだとは思いもしなかったのである。
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▲"大ウミヘビの赤ちゃん"の解剖図 |
会報を見てこの誤りを指摘したのはフランスの学者アレキサンドル・レスールであった。そして背中のコブもケガが原因で生じたにすぎないことを証明した。結局、「大西洋コブヘビ」のいのちは数週間ともたず、ニューイングランド・リンネ学会の面目は丸つぶれになった。
だが、"大ウミヘビの赤ん坊"がただの黒へどだったことが証明されても、数百人の人間が目撃した巨大なウミヘビの正体はいぜんとして謎に包まれていた。その後もグロスターでは多くの人が大ウミヘビを目撃し、イエール大学の地質学者ベンジャミン・シリマンも、「大ウミヘビが実在することは疑いない」と断言した。
だが、2年がたち、3年がたつにつれ、目撃報告の数は減り、ついにぶっつりとだえた。おそらく、大ウミヘビは、ひと目見ようとやってくる新聞記者や観光客たちですっかりさわがしくなったグロスター港にいやけがさして、どこかへ逃げだしたのだろう。
船を転ぶくさせた古代の大ウミヘビ
大ウミヘビに関する伝説は古くからあり、書物に現れる最古の記述は、紀元前4世紀にギリシアの哲人アリストテレスが書いた『動物誌』の一節である。そこには、大ウミヘビは現在のリピア沖の海に多く生息し、航行中の船に襲いかかって転ぶくさせることもあると書かれている。
ずっと時代は下るが、16世紀にもスウェーデンのウプサラの大司教ラウス・マグナスが、『北部住民の歴史』と題する本の中で次のように書いている。
「体長60メートル、胴のまわりは6メートルというとてつもない大ウミヘビが、北欧ノルウェー沖にたびたび出現する。首には長さ50ンチもの毛がはえ、胴は黒い大きなウロコでおおわれている。大ウミヘビは船に体をまきつけものすごい力でしめつけるので、船体はバリバリと音をたてて裂ける。そして、船上を逃げまどう船乗りたちを、大ウミヘビは4、5人いっぺんにくわえ、のみこんだ」
古代や中世の人びとにとって海は、まだまだ神秘と謎に満ちていた。海には大ウミヘビをはじめとする、巨大で奇怪な怪物たちがあふれていた。その多くは、現代の私たちの目から見れば、クジラやシャチ、アザラシ、大イカなどの大型海洋生物であったにちがいない。しかしなかには、昔の船乗りたちが見たものが何であるかわからないものも少なくない。その代表格が大ウミヘビなのだ。
われわれが観察できる現在のウミヘビは、体長1メートルあまりしかなく、とても怪物といえるシロモノではない。ウミヘビはインド洋、太平洋の熱帯付近に数多く生息するが、日本海でも数多く発見される。体つきは陸1にすむヘビと同じだが、小さな魚をエサにしている。古代や中世の記述はたしかに事実を誇張している傾向があるが、それにしても体長1メートルほどのウミヘビを20メートルとか、60メートルの大ウミヘビと表現するはずはないのだ。
>> 第2部へ続く
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