全く奇妙で常軌を逸した代物
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▲カーター元大領領 |
アメリカの民主党大統領候補ジミー・カーター氏は、ジョージア州トンプソンで夕方遅く行われた現地のライオンズ・クラブでの演説の帰りに、空中に静止しているUFOを目撃した。
「それは、全く奇妙で常軌を逸していましたが、でも20人近くの人が目撃したのです」と、彼は語っている。
「それは、私がいままでに見たもののなかで、最もとんでもない代物でした。大きくて非常に明るく、色が変化しました。大きさはほぼ月と同じでした。私たちは、10秒ぐらいの間、それをじっと見つめていましたが、誰にも正体はわかりませんでした。 ひとつ確かなことは、私が今後、空中に未確認物体を見たと言う人を決してバカにはしないということです」
" 正直ジミー"という愛称を持つカーター氏なので、彼の非の打ちどころのない誠実さを疑うわけにはいかない。彼が奇妙な物体を見たと言うからには、まさにその通りなのであろう。
(1976年7月22日付、ヘラルド・エクスプレス紙)
ハイキングの一行14名が目撃
コネチカット州ウインステッドの警察当局は、ブルーベリー山でハイキング中の14名から、7月28日に小型の空飛ぶ円盤を目撃したという報告を受けとった。
警察は、この目撃について調査は行わなかったが、UFO目撃情報の収集機関、イリノイ州エバンストンの"UFO研究センター"に報告を伝えた旨を発表した。
7月28日の目撃談は、同州北西部にあるウインステッド・ウインチェスター地区の私有サマーキャンプ地、キャンプ・デラウエアの指導員1名とキャンパー13名により報告されたもの。
キャンプ指導員のアイラ・レイファーは、UFOを目撃したのは午後3時45分、彼と13名のキャンパー(14〜16歳)がキャンプ地の後方にあるブルーベリー山(約445メートル)頂上へハイキングの途中だった、と記者団に語った。
「それが飛び去ったら、私たちは走って逃げました」と彼は語り、その物体はグループから約9メートル離れたところに20秒間位とどまった後、高度を上げて消え去ったと判断している。
レイファーとキャンパー4人によると、銀色をした物体は、お皿を逆さまにしたような形状で、自動車ほどの大きさをしていて、ラウドスピーカーのフィードバックのような雑音を出していたという。
(1976年7月30日付、スタテン・アイランド・アドバンス紙)
宇宙人が土壌サンプルを採取?
1975年1月の半ば、ニューヨークのノースハドソン・パークに宇宙船が静かに着陸。3分間、土壌サンプルの採取らしきことを行っているのが、車で通りかかった人に目撃された。
目撃者はマンハッタンで酒屋を経営するジョージ・オバースキーさん(72)で、いつものように仕事を終えて帰宅途中の午前3時にこの事件に出会ったもの。
近道なのでノースハドソン・パークを横切っていると、急にカーラジオに雑音が入り、そのうち聞こえなくなってしまった。スピードを落としてラジオのダイヤルをいじっていると、左手の方からプーンという音が聞こえてきた。そして西から明るく輝く大きな飛行物体が出現、車の進行方向へと移動し、数秒後に地上3メートルの空中に停止した。
その物体は底部が平たく、側面は垂直、上部はドーム形をしていた。直径9メートル、高さは最大のところで約2・5メートル。側面には縦長の窓が規則的な間隔で並んでいて、窓の幅も間隔も45センチであった。物体自体は暗かったが、窓からの強烈な光があたりの地面を照らしていた。
やや恐怖を感じながら、オバースキーさんが車をゆっくり進めていると、空中に停止している物体の片側からハシゴに似たものが現れた。そして縦長のドアが開いて、ユニフォームを着た人影が地上に降りはじめた。彼らは少なくとも9名、おそらく11名はいて、身長1メートル、みんな薄い色のカバーオールで身体をつつみ、ヘルメットのようなものをかぶっていたので顔は見えなかった。
彼らはオバースキーさんには注意を払わなかった。各自が大きなスプーン状の道具と把手のついた小さな袋を持ち、すばやく地面に降り立つと泥をすくって袋に入れた。彼らが数分後に船内に戻るとUFOは高度を上げ、北に向けて飛び去った。この出来事すべては4分とかからなかった。
翌朝、オバースキーさんは再び現場におもむき、UFOの着陸した地点を歩いてみた。そこには、 深さ13〜15センチの小さな穴が15ほど見つかった。彼はそれでも信じられず、その穴の1つに手を入れてみたという。
この記事の筆者バド・ホプキンスは、彼から話を聞くと、UFO研究家の助けを借りて事実の裏付けに乗りだした。
彼とオバースキーは1975年11月23日、MUFON(相互UFOネットワーク)のテッド・プロ−チャー、ジェリー・ステーラーと共に、ノースハドソン・パークの現場におもむいた。小穴は見つからなかったが、周囲と異なり草の生えていない個所が15ほどあった。公園管理人に尋ねたところ、 夏の初めに小穴を修覆した覚えがあると言う。犬のしわざと思ったそうである。
さらに調査を続けたところ、UFO目撃を裏付ける証人がもう1人登場した。彼の名はウイリアム・パウロウスキー、事件当時、現場近くの高層ビルのドアマンとして勤務していた。彼は1月のある夜、不思議な光を目撃したと語った。その光は公園のある丘の方からさし込み、非常な明るさであった。しかも光は10〜15条ほどに分かれていて、横一線に等間隔で並んでいた。最初はずらっと駐車した自動車のヘッドライトかと思ったが、地面から3メートルも上に見えることに気づいた。
彼がビルの居住者に知らせようと電話に手を伸ばしたとき、ハイピッチの振動が伝わり、ロビーのウインドーが彼の足元あたりで割れとんだ。その割れた場所を見て再び眼を上げると、しばらくして光が消えてしまった。
パウロウスキーは直ちに警察に電話したが、謎の光については話さなかった。しかし同じビルに住んでいる知人の警官には打ち明けており、その警官は彼から話を聞いたことを肯定した。
オバースキーとパウロウスキーの話は、場所、時間など細部にわたって一致していた。このUFO着陸事件は、現段階で可能なかぎり完全な調査が行われたものとして注目に値する。また、ニューヨークに近接した事件としては最初であり、しかも大都市近辺の事件としても2番目のものである。UFO行動の変化を示すものかもしれない。
(1976年7月号、コズモボリタン誌)
宇宙人とのコンタクトが夢
ミシガン北部のベルエアーに住むジョン・シェパードさん(24)は、彼が独力で作ったUFO追跡交信ステーションの制御パネルでほとんどすべての時間をすごしている。いつの日か、別の世界からの旅行者と接触を持てるだろう、というのが彼の希望である。
彼がUFOに関心を持ったのは12歳のとき、デトロイトの夜空に奇妙な発光体を目撃してからである。彼は宇宙には生命体がいて、その中には我々よりも進歩したものがいると信じている。
18歳のとき、彼は電子部品を取り寄せてUFO追跡ステーションの製作にとりかかった。さらに、家の外にほ6メ一トルの塔を建設した。この塔には回転式レーダーアンテナが取り付けられ、32万キロの宇宙空間まで電気インパルスの送受信を行うことができる。また、接近してきたUFOと電子コードで交信できるよう、低周波音を発信する垂直アンテナを備えた別の塔も建設してある。
残念ながら、シェパードさんはこれまでのところ外宇宙の生物との接触に成功していないが、個人ステーションを開設した後に、ミシガン州北部で奇妙な出来事が起きている。
それは、1973年の秋、その地方のビジネスマンが目撃した事件である。彼がトラックで道路を走っていると、突然動かなくなりライトが消えてしまった。そして彼は、直径9〜12メートルの円筒形をしたUFOが、電力線の上に停止しているのを目撃した。その夜、原因不明の電力ロスがあったというので、彼は電力会社から事情を聞かれたそうである。
この事件の起きたとき、シェパードさんは外出していたのや装置がどんな反応をしたのかわからない。しかし、数時間後に帰宅したときも、装置はいまだに「普通とは違う電気活動」をとらえていたという。この事件以後、彼は外出中も記録できるように装置をつけ加えている。
「現在、UFO追跡のための総合的施設を建設しようと、資金調達に努力しています。これは私の究極的な夢です」
(1976年8月12日付、シカゴ.・サン・タイムス紙)
他に少なくとも5人が目撃
アメリカ・ミシガン州ポンチアックにUFOが出現、目撃者のべス・ハソブリン夫人(18)はそれを目の前でまじまじと目撃した。
事件が起きたのは8月17日の午後10時半。ハソブリン夫人がポンチアック市西部の住宅地区を1人でドライブしていたところ、大きな金属製の物体が車のフードのすぐ前に出現したのである。
「とても恐ろしくて、もうすこしで逃げだすところでした。幅が9メートル、高さは7・6メートルあり、道いっぱいに広がっていました。UFOの周囲は明るく輝いていて、目がくらみそうでした」
そのUFOは約5分間空中に停止していた。音はしなかった。それから急に上昇をはじめ、明るい光が消え赤い点滅するテールライトがともった。そしてUFOは姿を消した。
ポンチアック州警察のウイリアム・チャットフィールド巡査部長によると、8月17日の午後9時半ごろから、UFOを目撃したという市民の通報があい次いだ。彼らの目撃場所はすべてポンチアック市内で、UFOの形状はハソブリン夫人の説明と類似していた。ただ、彼女ほど間近で目撃した人はいない。
警察では彼女の話を聞くと、ヘリコプターや飛行機が飛んでいたのではないかチェックを行った。これまでのところ飛行を確認されたものはなく、チャットフィールド巡査部長はハンプリン夫人の話は「信用できるように思える」と語っている。
(1976年8月16日付、デトロイト・ニューズ紙)
ブルーブック計画の資料公開
米公文書館は、最近、米空軍のブルーブック計画のファイルを一般公開した。この計画はUFOの存否を調べるため20年間にわたって実施されたもので、地球外の宇宙船の存在を示す事実は見あたらないとして1969年に計画は打ち切られている。
この資料は、1947年から1969年までの12618件のUFOに関する記録からなり、全部で1・2立方メートル近くに達する。資料提供者の名前はまっ消されているが、その他の点はなんら省略されておらず、希望者はアラバマ州マックスウェル・フィールドの公文書館で自由に閲覧することができる。
資料の大部分は科学者によって解明されている。例えば、UFOの遺留品と称されているものは、すべて地球製であると判明した。また、UFO写真のはとんどもニセモノや自然現象などを写したものであった。しかし記録されているUFO事件のうち、701件は説明がつかないものである。
記録によるとがUFO目撃が一番多かったのは1952年で、1501件が報告されている。1957年と1966年にも1000件以上が目撃されている。それがブルーブック計画の最後の年、1969年になると146件しか報告がなく、未確認のままの物体は1件しかない。
なお、これらの資料は目撃、時間、場所などのタイプ別には分類されてなくて、年代順にファイルされているだけなので、新しい角度からこの現象に取り組もうとする研究者にとっては努力を要するであろう。
(1976年8月20日付、サイエンス誌)
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