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 1897年の謎の飛行船 by ジェローム・クラーク 

第1話  UFOと宇宙 No.14 1975年より   >>第2話

地上でまだ飛行船が建造されなかった1800年代末期に、米国上空にしばしば出現した神秘的な飛行物体の物語!

▲フートンがスケッチした謎の飛行船

それは1896年11月に米国カリフォルニア州北部に始まった。真実、半分真実、全くの虚報など混乱した雑多な記事を流していた北部の各新開はその月中と12月にかけてだれもが全然知らなかった物の出現についてセンセーショナルな記事を掲げた。ただしほとんどの人は意見を持っていた。その物を見なかった人は多数の仲間がそれによって全く狂っている証拠とみなした。その物を見た人は自分の正気を鑑定するのは自分こそ最適格者だと自任しながらその物を"飛行船"と呼んだのである。その"飛行船"は人間の操縦するある種の航空機で、強烈なサーチライトを持ち、人間らしき乗員が乗っていて、風に逆らって飛ぶことが可能で、接近したときに着陸して離陸したと彼らは主張している。

12月以後になると、報道はなかった。熱心に興味を持ち続けるUFOファンもいなくなって、大衆は飛行船の話を急速に忘れてしまい、もっとさしせまった関心事のほうへ目を移していった。

ところが、1897年3月になってまたも飛行船が−または飛行船群が−現れた。今度は米国中西部と西部一帯にかけて数千名の目撃者の面前で大挙して出現したのである。この現象が過ぎ去った頃までには−それは五月のことだが−このUFO物語の最も重要な、しかも無視された章の一つが終わっていた。

この記事において私が強調したいのは、飛行船の"出現"という事実よりもむしろ一般のUFO問題に関連したそれの有する意義である。私や他の数名の人にかこまれておおやけにした報告は、1897年の前記の事件に関する報道のごくわずかな部分にすぎないが(もっと決定的な、詳細をきわめた研究が今後発表されることが望ましいのであるが)、この不思議な事件を絶えず調査することはきわめて重要なパターン(原型)の存在をたしかめるのにもっぱら役立つのであって、目撃報告のいくらかを調査した後にこそ、そのパターンの持つ意義に我々は注目するようになるのであり、このパターンのなかに我々は過去と現在のあらゆるUFO事件のナゾが見られるような気がするのである。

1897年の3月下旬に例の飛行船がカンザス州やネブラズカ州上空に再び現れた。現代のUFO輝動の初期の段階に見られるように、その目撃も徐々に始まったのではない。そして私の通信者の一人が述べた、この飛行船が1896年12月以後はカリフォルニア州から東方へ移動したという見解が正しいとは言えない。1月から3月中旬までは飛行船の報告が全然なかったが、その後突然驚くべき数の報告が出始めたのである。

我々が知る限りでは3月25日にカンザス州ベルビルから最初の報告が行われている。その町で午後10時に1機の"ナゾの飛行船"が(形状は不明)町の上空を通過したのを少なくとも50名の市民が目撃したと新開は述べている(それは続く二日目夜にも出現した)。しかしこれに先立って、主としてカンザス州北部とネプラスカ州南部の牧場労働者や農民たちによって目撃されていたようであるが、ロバート・ヒバードの証言が信頼にあたいするものならばアイオワ州も少なくとも1回は飛行船の訪問を受けたかもしれない。スー市の北方15マイルのところで農業を営んでいるヒバードの話によれば、3月下旬のある夜、飛行船の後尾についている引き網からぶらさがっている"イカリ"が彼のズボンのたるんだ部分をひっかけて数10フィート引きずったが、ついに、ズボンが裂けて助かったという。

新開は伝えた。「彼はこれまで正直な人間だという評判通りの人間であった。世論としては彼がその異常な体験を持ったか、または夢を見たということになっている」

ネプラスカ州内のリンカン、ビアトリス、その他の場所やカンザス州メリーズビル、ワシントン、ハダムなどにおける目撃の別な情報がある。

29日の夜、ネプラスカ州オマハの教会から出た参詣者たちは、空中を通過する1個の不思議な物体を見た。それは空中に停止して、再び去った。30分間も見えたのである。その後まもなくオマハの南東地区の住民たちも大きな輝く光を放つその飛行船を見たが、"気球にしては大きすぎる"物であった。ゆっくりと、しかも地面近くを飛びながら、町の郊外で一連の示威運動をやったあと北西に消えて行った。

この飛行船の最上の報告のいくつかは4月1日の夜に出されている。このミズーリ及びキャソザス両州で目撃が発生したのである。8時15分にカンザス市で「数千の人々が不思議な光体を見た」とその町の新開は報じている。それは西から北へ南へと動き、次に北へもどつた。高度はさまざまであった。地面近く下降したかと思うと急速に飛び上がる。

カンザス市"タイムズ"紙によれば次のとおりである。

「その光体は街燈ほどの大きさで、雲の高さにあるようには思われなかった。サーチライトによく似た一条の光線を放っていた。しばらくはその光が白かったが、次に明るい赤色に変化した。その物体の進路は北西に向かっていたが、数度後退してしばらく逆の方向へ進行した。規則的な運動によって動き、スイ星のような運動ではない。北方の地平線の彼方へ消えて行くのを見たという人もある」

カンザス州エパレストの市民は同夜その飛行船を1時間20分ほどして、その現象のとりわけ詳細な光景を見ることができた。

いっとき5分間ばかり飛行船は空中に低くたれている雲の下端に沿って動くように思われたが、船中の強力な光線(複数)が雲に反射したために船体の輪郭がはっきり識別された。

ゴンドラは25ないし30フィートばかりの長さに見え、インディアンのカヌーのような形をしていた。四枚の軽快な翼が舟から突き出ていて、2枚の翼は三角形である。大きな黒い船体がゴンドラのすぐ上に見られ、これは大体に膨張したガス袋らしいと観測者たちは考えている。光を放つのと同じ力が船体の浮揚に応用されていることは、飛行船が上昇するときは光が弱くなり、地表に近寄ってくると光は機関車のように強くなることからして明白であった。自や赤以外に青色が現れたとも目撃者は述べている。

"1897年のメンゼル"ともいうべき一匿名氏は(注=メンゼルは現代の有名な円盤否定論者)、それは全然飛行船ではなく金星だったのだと説明したが、これを聞いた一目撃者が鼻息を荒くして言った。

「金星がすばやく動きまわったり、地平線を横切って急速に飛んだり、地上に向かって急降下したり、大きく飛び去って南の空に消えたりするものか」

同夜キヤソザス州レプソワース砲台の一衛兵が飛行船を見たと報告したがこれは結局、本人がこのことをしゃべり続けるならば、精神病の理由でクビにされるかもしれないと注意されるに終わっただけだった。しかし、大抵のカンザス州民はこの神秘的な飛行体についてはるかに心が広いように思われた。それで飛行船は州民のあいだで好みの話題となったのである。飛行船というものはいつか武器として使用されるかもしれないとほのめかしたレプンワース砲台の一技師は言った。

「ちょっと考えてみたまえ。軍団を乗せた飛行船が都市の上空へやってきて、あらゆる大きさや種類の爆弾を下界の人間のなかに落とす光景を。殺りくはものすごいもんだろう。あるときの戦争は別なときの戦争にくらべれば子供の遊びみたいなものさ」

人間の声のする飛行船

カンザスからはるか離れたミシガン州の中西部高地にあるゲールズバーグ村の上空を飛行船が飛んだのは4月1日の夜のことであった。これは1897年中の出現騒動に1機以上の飛行船がいるということを示す多くの証拠の一つである。目撃者たちは強い光を見たが、それは船体のぽんやりした輪郭をあらわしていた。しかも船体からモーターの音らしい奇妙なパチパチいう音と、はっきりした人間の声とが聞こえてきたのだ。

4日後に数百のオマハの住民は約4分の3マイルの高度で飛ぶ1個の葉巻型物体を目撃した。5分問見えてから風に逆らって雲の中へ入り込み、まもなく現れてから、依然として、風に逆らいながら高速で北の空へ消えて行った。

9日と10日の夜には3つの州にわたって飛行船の目撃事件が爆発的に発生した。目撃の行われた地域をあげると次のとおりである。

4月9日にオクラホマ州ノーマンでノーマン州立銀行の現金係次長の"まじめな人で、敬けんな教会メンバーである"T・J・ウィギソズ氏は「長くて黒い物体を見たが、それは端にたいそう強い光を放っていて、両横腹には赤い閃光がきらめいていた」と言う。(これから2日後に、ノーマンのほとんど400名の人がこれと同じ現象を目撃したと言っている)

イリノイ州ではバンズトン付近の湖の上空に強く光る物体が低く出現し、それから西方へ向かって町の上空を妙な飛び方をして行った。これは同時にナイルズ・センターとシヤーマービルでも見られたが、距離はうんと遠かった。

9時30分にはシカゴの南部市民が湖の上空を横切る飛行体を目撃。これは奥地へ飛び、ゆっくり北西に転じて、暗黒のなかに消えた。シカゴ"トリビユーン"紙4月10日付には次のように載っている。

「その動く驚異的な物体は、数カ所において小望遠鏡や双眼鏡を用意した人々によって観察され、この人たちは光を帯びた物体の輪郭をスケッチしたと言っている。高度不明の空中を進行する物体の容積の見積もりとしてはあやふやな根拠だが、一同の意見としで一致したのは、胴体の長さは約70フィートで、細長く弱そうな構造であるという点であった。

この胴体には動くヘッドライトや他の光がついていたといわれる。数名の目撃者は胴体のすぐ上に翼または帆に似た、横に突き出た物を見たという。この物は幅約20フィートあるよう打思われ、一方の測から見たときはその長さは正確には測れなかった。

最初の目撃者の1人である若い宝石商は、その飛行船は実際には2つの葉巻型の胴が桁でもって連結されていたと主張している。この目撃はたそがれどきに起こったので、他の目撃のほとんどが暗闇のなかで発生しているところから、私の意見では、この宝石商の目撃こそたぶん飛行船出現に関して最も正確な記述として、まじめに取りあげねばならないものと思う。

物体の長さの判断を文字通りに受け入れてよいとすれば、次の例がある。

エバンズトンやシカゴ南部の物体より小型の飛行船が午後8時40分にイリノイ州キャロル山の上空を通過し、西方に転じて「ものすごいスピードで」あっというまに消え去った。目撃者者よれば、この物は長さ約入ないし8フィートで、高さは2ないし3フィートばかりであった。形は長円形で大きな赤色光を放っていた。

次はアイオワ州の4月10日。ニュートンでは午後8時に2000の市民が1個の飛行船を見たが、そのとき40分間も市の南西部上空に停止していた。そのあと北西に向かったが、光のついたパラシュートの如き物を落とした。目撃者のなかにはこれは乗員からのメッセージではないかと思って探しに出かけた人がいたが、新聞記事は探索者たちが何を見つけたかどうかを述べていない。

この飛行船はまた7時25分にエルドン、7時40分にはオタムワ、8時10分にアルビア各町の上空にも出現した。

イリノイ州では強烈な白光を放つ不思叢な物体がゲールズバーグ上空を飛ぶのに15分を要した。双眼鏡でそれをながめた観察者たちは高度を4分の3マイルと見積もっている。

こうした活動のすべてはノースウェスタン大学のジョージ・ホウ教授を笑わせた。「オリオンのアルファ星が一千万年天空の一定の軌道を進行してきている。それで過去3週間それが停止して不思議な空中の物体のヘッドライトとして認められた理由が私にはわからない」。もちろんホウ教授は彼のいう"まぬけな同胞"が飛行船と呼んだ物体を自身で見たわけではない。自分には、もっとよい仕事があると彼は言う。

エバンズトンのジヲーゼフ・ピアーセンは赤、緑、自などの色光を見たがそれは、2個の葉巻型物体を映し出した。その物体はヒューツという音を放った。いかにも皮肉そうに彼は強調する。「この物体はオリオンのアルファ星とは完全にはずれたコースをとっていたなあ」

汽車を追いかけた飛行船

15日の夜、サウスダコタ州のハワードからアーティージャンまでずっと1機の飛行船が汽車を追いかけた。車掌のジョー・ライトがマディスン"センティナル"紙の記者に語ったところによると、日没直後に現れてしだいに地面に近づきながら飛び、やがて「視界から消えた」という。どうやら着陸したらしい。

別な飛行船がカンザス市ユーレカで同夜9時に人々により目撃された。うわさによれば別な飛行体が高度600フィートでワシントン市のワシントン記念碑に接近し、それからジョージタウンに向けて飛び、市の背後の丘の彼方へ飛び去った。

24時間後にテキサス州の6つの都市で「メキシコ葉巻に似た形の飛行体を見たが、これは真ん中が大きくて、両端が小さく、巨大なチョウの如き大きな翼を持っていた。それは2つの大きなサーチライトの光線によって明るく照らし出されたが、風のような速さで南東の方向に航行しており、壮大な外観を呈していた」(ニューヨーク・サン紙)

3日後の午後9時に1個の巨大な物体がウエスト・バージニア州シスターズビルの地上をサーチライトで照射した。記者によれば次のとおり。「強力な双眼鏡で調べたところ、両側に大きなヒレのついた180フィ−トの長さの巨大な円スイ形の物体であるという印象を受けた」

小牛をさらった飛行船

4月19日にはこのUFO騒ぎのうちで最も興味ある報告類の2つを生じた。一つは有名なシスターズビル事件(前述)で、これはキーホーの著書"空飛ぶ円盤は事実である"にもっと詳細に述べてある。他の1つは最近まで公表されなかったカンザス州レロイの技師の報告で、UFO物語の記録中最もすばらしいものの一つである。目撃者はきわめて信頼にあたいする人だったようで、しかもカンザス州の一通信者の努力によって、本人の主張にたいする詳細な裏付けを私は入手することができた。

一方カンザス州イェイツセンターの"フアーマーズ・アドバケイト"紙1887年4月23日付は次のように報じている。

バーノンのアレグザンダー・ハミルトン氏は前の水曜日(4月21日)にこの町へ来て、うわさの種になっている飛行船を見たと声明してかなりの反響を起こした。氏は古い移住者で、初期の州議会の議員であったので、ウッドスン、アレン、コフィー、アンダーソン各部にわたって知られている人である。氏は新聞社に次のような話をした。

「先週の月曜日の10時半頃、家畜の騒ぎで目が覚めた。たぶんブルドッグがいたずらしているのだろうと思いながら起き上がったが、戸口まで行って仰天したことには、家から約40ロッド(220ヤード)離れた牛の囲いの上空から1台の飛行船がゆっくりと下降するのが見えるんだ。

小作人のジド・ヘズリップと息子のウォールを呼んでから、みんなはオノをつかんで家蓄囲いのほうへ走った。一方飛行船は静かに下降を続けて、やがて地面から30フィートばかりのところまで来た。われわれは50ヤード以内に近づいた。それは長さ300フィートと思われる巨大な葉巻型の胴体とその下部につり下がったゴンドラから成っていた。

ゴンドラはガラス坂または他の透明な物質と、何かほかの幅のせまい細長い材料とが交互になったものでできていた。内部は明るく照らされていて、あらゆる物がはっきり見えた。照明は3つあった。1つは強烈なサーチライトに似た光で、他の2つは小さい光だ。前者は赤色で後者は緑色だ。大きな光はあらゆる方向に向けることが可能だった。

内部には私がかつて見たことのない奇妙な人間が6人乗っていた。2人の男と1人の女、それに3人の子供だ。彼らはぺラぺラしゃべっていたが、我々は一言も理解できなかった。その乗物の透明でない部分はすべて暗赤色を帯びていた。

我々は驚異と恐怖に満ちたまま黙って立っていた。すると何かの物音が相手の注意をひいたので我々に光を向けてきた。ただちにこちらの姿をとらえて、何かわからないパワーにスイッチを入れて、飛行船の下部でゆっくり回転していた径約30フィートのタービン車が、ちょうど選別機のシリンダーの音のように唸り始めて、飛行船は鳥のようにふわりと浮かび上がった。

頭上約30フィートまで上昇したとき、それは停止して、サクの中でわめいて飛びまわっている3才の若い牝牛の真上にとまったようだった。その方へ行ってみると、太さ約半インチで同じ赤い材料でできた網が、その子牛の首のまわりに引き結びで巻きついていて、一方の瑞は船体へつながっているのがわかった。

我々はそれをはずそうとしたが、できなかったので、綱を切り離した。だが船体や牛やすべてがゆっくりと浮かび上がって飛び始め、北西の方に消えて行くのを驚きあきれて見ながら立っていた。一同は家へ帰ったが私は全く恐ろしかったので眠れなかった。しかし火曜日の朝起きて馬に乗り、牛の行方を探しに出かけた。だが夕方レロイに帰ってみると、レロイから約3〜4マイル西方の、コフィー郡に住んでいるランク・トーマスがその日彼の畑であの牛の皮や足や頭を見つけたことがわかった。

だれかが盗んだ牛を殺して皮を投げ捨てたのだと考えたトーマスは、身元確認のためにそれを町へ持って行ったが、柔らかい地面に何の跡も発見できなかったので、すっかり首をひねっていたのだ。私は昨夜家へ帰ったが、眠り込むたぴにあの強烈な光を放つ、いやな人間たちの乗った、いやらしい物体を夢見るのだった。あれが悪魔なのか天使なのかはわからないが、我々みんなはあれを見たし、私の家族の者もみな飛行船を見たのだ。だがあんなものともう関係を持ちたくない」

ハミルトン氏はショックから完全に立ち直っていないようだった。また氏を知っている人のすべてが、氏の言葉はすべてまじめであることをよく知っていたと"アドバケイト"紙は結んでいる。同紙はハミルトンをよく知っている町の知名人の証言も次のように掲載している。

「ありそうもないような物事の真相が提示されるときは必ず疑う人や信じない人がいることは現在もそうですし、過去もそうでしたし、未来においてもそうでしょう。無知か疑い深い人は右のハミルトン氏の陳述の真実性を疑うであろうことはわかっていますので、私たち署名人一同はここに次の宣誓書に偽りのないことを宣誓します」

私たちは15年ないし30年間アレックス・ハミルトンを知っていますし彼の言葉が人から疑われたことがないという事実からして、彼の飛行船に関する話が真実で正しいものであることを心から信じます。

 E・X・ホアートン (州油田監督官)
 H・H・ウィンター  (銀行家)
 H・S・ジョンソン (薬剤師)
 アレックス・スチェアート (治安判事)
 F・W・バトラー(薬屋)
 H・C・ロリンズ (郵便局長)
 M・E・ハント (郡治安官)
 E・K・ケレンパーサー(医学博士)
 1・H・ステイッチャー(弁護士)
 H・ウェイマイアー(薬屋)
 ジャス・L・マーティン (証書検認官)
右は公証人立ち会いのもとに署名宣誓されたことを証す。
1897年4月21日  公証人  W・C・ウィリー

ハミルトンの物語をコピーしてからバーリントンのデイリー・ニューズ紙は別な宣誓書を掲載した。

「カンザス州バーリントンの住民たる私たち署名人は、アレグザンダー・ハミルトン氏が1855年にミズーリ州から追放されて以来氏を知っていること、(これはどうやら当時のミズーリ州とキァンザス州が闘争中の奴隷解放問題に巻き込まれたことに言及したものらしい)氏がコフィー郡の最初の郡主事であったこと、どの点から見ても全く誠実で信頼できる人物であることなどをここに証言します。真実を愛する人は氏のいかなる陳述をも決して疑わないでしょう」
 J・M・レイン
 H・E・カウジル
 オーソン・ケント
 W・マンソン
 M・E・グリメス
 J・E・グリメス
 J・M・ボールドウィン
 デービッド・グリメス
右は公証人立ち会いのもとに署名宣誓されたことを証す。
1897年4月29日  公証人  H・B・チェニー

ハミルトンの、誠実さを示す証拠の最後的なものは彼の孫娘たちによって示されている(この物語で"ウォール"という名で出てくる息子のウォーレス・ハミルトンの娘たち)。

 最近1965年にカンザス州トビーカのハリー・フリーナー氏が彼女らに会ったが、2人の婦人が氏に語ったところによると、この物語はハミルトン家では有名な話となっていて、祖父は1912年に死ぬまで不思議な乗船者が子牛をさらって逃げるのを見たと主張していたという。彼女らの父(ウォーレス)は人から嘲笑されるのを恐れてか、この問題を語ろうとはしなかった。

(第2話へ続く)

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