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 聖書とUFO 第2話 ジョージ・アダムスキー

 日本GAPニューズレター 第79号 Winter1982より

円盤が母船を離れて地上を偵察し、また母船へ帰ってゆくといく報告がいかに数多く行われてきたことだろう。この種の活動の完全な描写は『イザヤ書』60-8に見られる。

『エゼキエル書』の驚くべき物語

「雲のように飛び、ハトがその小屋に飛び帰るようにして来る者はだれか」

これは円盤群が母船に帰投する光景ではないだろうか。当時の語法は今日のそれとは異なっていた。今から500年先も異なるだろう。しかし我々が似たような出来事を同一視し得る基本原理というものは常に存在するのである。

『エゼキエル書』の第一章はあまりに正確で、単なる偶然の一致とはいえないほどの、ありふれたUFO目撃報告に類似した驚くべき物語である。第四節には、周囲に大いなる琥珀色の火の雲をもって北から来た”旋風”として描かれた一個の機械が出て来る。その内部には人間の姿をした四つの生きものがいた(第5節)。

ここで私はこれら古代の文章の奇妙な特徴について注釈を加えたい。昔の原典には句読点が用いられておらず、語や文章のあいだに区切りがをされていなかったという事実である。しかも各節や章の区切りもなされなかった。こんなことはみな後世に校訂者や翻訳者によって加えられたのである。

エゼキエルは彼の文章の中で物語の筋を急に飛躍させる癖があった事実を学者は指摘している。これが生きものと船体の各部分を区別するのを困難にしているのだ。多くの例において人間を説明した節のあとは船体に関する節が続き、そのすぐ次の節はまた人間のことを語っているといった具合である。このことを念頭に入れて次を続けることにしよう。

▲は旧約聖書の記述にもとづいて忠実に再現した物。翼を持つ4つの生き物は人間、ライオン、雄牛、ワシなどの顔をあらわす。戦車には人間が乗っている。
▲は旧約聖書の記述にもとづいて忠実に再現した物。翼を持つ4つの生き物は人間、ライオン、雄牛、ワシなどの顔をあらわす。戦車には人間が乗っている。

第5節では人間のように見える生きものが強烈に輝く船体の内部にいたと述べてある。第六節では「おのおの四つの顔を持ち、またそのおのおのに四つの翼があった」と言っている。たしかにその生きものたちが四つの顔と四つの翼を持っていたとすれば、それらは人間のようには見えなかったろう。この第六節は人間のことを言っているのではなく船体そのものを語っているのだ。これは旧約聖書の他の翻訳本でも明らかにされている。これら各種の翻訳本のなかには船体を円盤と述べているものさえある。

当時の古代の著述家たちは我々が持っているような方角をあらわす言葉を持たなかった。たとえば彼らは世界の四隅として東西南北を用いた。第六節には「どれもが四つの顔」と四つの翼を持っていたという言葉を用いて、丸くてあらゆる方向に面していると述べられている。これを言い替えれば、同時に四つの方向に面しているということになる。以上の各節の理解の困難さに加えて、次の節は急に人間の記述に立ち返っている。そこを読むと、その人々は我々のようなまっすぐな足を持っていたが、真鍮(しんちゅう)色の子牛の皮で作られた、見たところ、ある種のサンダルかモカシン(注=アメリカインディアンが用いたシカなどの柔らかい一枚皮で作った靴) のような奇妙な靴をはいていたことがわかる。

第八節は、それら(の物体)が人々の手によって導かれたということ、すなわちパイロットとしての人間がいたことを明らかにしている。第九節では、現代の”円盤”の特徴が次のように述べられている。「行くときは回らずに、おのおの顔の向くところにまっすぐに進んだ」。

この古代の記述者は例の人間の特徴を述べるのに、ライオンの強さを持つと表現して相手の顔に現れた決心、雄牛のような不動さ、ワシのような軽快さなどの表現法を用いている。見たところ、これらの生きものは動物のようには見えても人間のようには見えなかったであろう。この文章の筆者は、我々がブルドッグのような顎を持つとか、ローマ人のような鼻をしているというように象徴的に表現したのだ。 

▲イギリスの航空画家でパイロットのキース・モスリーが描いたもので、エゼキエルの「4つの生き物」を独自に解釈して、実際にはこのようなヘリコプター式の人間運搬機ではなかったかと推測しいる。

第十二節は第十一節の”顔”が船体それ自体の一部であり、人間の顔でないことを明らかにしている。そこで我々は、顔”という言葉が船体と人間との両方を意味するのに用いられていることがわかる。この混乱のほとんどはたぶん翻訳者たちが何も知らなかった物事を訳そうとしていたあいだに起こったのだろう。もし我々がその言語を理解して、もとの意味のままに読むことができたとすれば、その筆者が何を伝えようとしたかを正確に理解して用語の混乱は避けられたであろう。

これらの空飛ぶ機械は着陸した。そのとき起こった出来事は第十五節から二十八節にわたって述べられている。停止しているときはこれらの機械は緑柱玉の色であった。四つともみな同じように作られていて、「あたかも輪のまん中に輪があるように」建造されていた。 第十七節はそれらが円くて船体の向きを変えないで方向転換したことを再度明言している。第十八節ではドームのまわりに高いリングがあることを述べ、四つの丸窓のことまで記している。

以上の各節はエゼキエルの目を通して目撃された3個の球型着陸装置を持つタイプの円盤に関する正確無比な描写なのである。

偵察型円盤の円型翼の下部には、これまで何度も報告されたように3個の金属製の回転装置がある。これはジャイロスコープ的な安定性を与えるばかりでなく 、超高圧静電気チャージ用の発電機として役立っているが、この静電気は3個の球型着陸装置の内部にあるファンドグラーフ蓄電池の中に貯えられる。この輪の中の輪”を見た人はだれでもエゼキエルのように正確に言えるだろう。

第十九節とニ十節は、船体の中に人々が乗っていて、絶えずその運動を完全にコントロールしていたことをたいそう明らかにしている。この第一章の終わりの部分には”会見”のことが述べてある。船体から人間がエゼキエルに話しかけるのを聴いたとき、彼は顔を伏せて、その不思議な機械と出来事とを天使や神のせいにした。エゼキエルは円盤のフォースフィールドの多彩な色光の変化を畏れて、そのことを第ニ十ニ節からニ十八節にかけて詳細に述べている。彼の驚きは今日の多数の目撃者の驚きときわめてよく似ている。彼が理解できなかった物の前でひれ伏したとき、彼はそれを神または未知なる物のせいにして、別な惑星から来た他の人間たちと接触しているにすぎないことに気づかなかったのだ。

その他のUFO関係記録

予言者エレミヤは雲のように見える飛ぶ戦車のことを記している(『エレミヤ書』4-13)。空飛ぶ円盤の出現以来、何度も人々は雲のように見える物を白昼に見たことを報告している。突然その雲の内部から円盤が飛び出ると、その雲はゆっくりと消滅して見えなくなるというのだ。この現象は船体のフォースフィルドによって起こる。それは空気を凝縮させて雲を作るが、この雲は船体の周囲かまたは真上にしばしば観測されている。

イスラエルの民は夜は火の柱で、昼は雲の柱で導かれた(『出エジプく記』13-21)。彼らがエジプト人によって追跡されたとき、この雲と火の柱が、そのような現象についてよく知らなかった追跡者どもを”悩ませた”と記されている。

『出エジプト記』第十三章と十四章に用いられている主”という言葉に注目する必要がある。我々が思い出し得る時代からずっと人類は地球こそ人間の住む唯一の惑星であるとさまぎまの宗教団体から教えられてきたことを私は明らかにしたい。地面の上 ― すなわち空 ― のあらゆる物は神々や天使たちや主たちの住み家であった。この人々が観察した上空から地上へ来るものは何でも神か天使か主であった。彼ら自身がこのような輸送手段を持たなかったからである。

会見だけでなく同乗の実例が『列王妃下』に記録されている。

「彼らが進みながら語っていたとき、火の戦車と火の馬が現れて2人を隔てた。そしてエリヤは旋風に乗って天に昇った」(『列王妃下』2-11)。

まず火の戦車が見られた ― 大抵の円盤目撃報告によると、船体がオレンジ色か城拍色の火球現象で囲まれていると述べてある ― そしてそのすさまじい力は火の馬によって象徴化されている。それが近くへ来たとき、旋風として感じられたのであろう。

古代のコンタクトの事実

エリヤは神の人であると考えられていた。そしておそらく彼は異星人であって、その地域で自分の仕事が終わったことを知って、そこを離れて他の場所へ行くことにきめたのである。彼は連れて行かれることに気づいたので、出発するときにエリシャヘ魔力を持つマントをやろうと約束していた。だからこの出来事は彼を驚かさなかった。とにかくエリヤを地上から拾い上げて別な地点へ連れて行ったのはエリヤ自身に似た人々であった。

当時彼は地球から離れなかった。というのは、数年後にエリヤは別な土地からヨラムに手紙を出して、ヨラムが父の教えを歩まなかったこと、その王座を危うくしようとした兄弟たちを殺したことを諌(いさ)めていることがわかるからだ。これについてはエリヤが拾い去られてから(少なくとも)十年以上経過している点で学者たちの意見が一致している。エリヤは自分が学んだことを他の人々に教えるために、地上の他の場所へ連れ返されたのである。

このことは多数の人が不思議がっている現代の謎の失綜事件のいくつかにたいする解答に在るかもしれない。こうした事件の中心人物のなかには、おそらく地球人のあいだに混じって生活していた、訪問者(友星人)″がいたのだろう。彼らは自分の惑星に帰ることにきめて、その人々を集めるために派遣された宇宙船に乗って我々の中から姿を消しただけなのだ。

モーゼはしばしば火の球または光る雲から語りかける人物とまじわった(『出エジプく記』33-9)。宇宙船に乗った一人の友星人は幾度も幕屋の前に降り立ってモーゼと話した。それに続く節はすべての人々がこの事件を目撃したことを示すものである。

類似の事件が『詩篇』第九十九篇に記録されている。次のようなくだりだ。

「主は雲の柱のうちで彼らに語られた。彼らはそのあかしと、彼らに賜わった定めとを守った」(99-7) 

聖書を通じて注目しをければならないのは、地球人が軌道をはずれすぎたときに、これらの使節、すなわち宇宙船に乗った異星人たちがやって来て、指導者かまたは地域社会のだれかに話しかけたという点である。いずれのたびも彼らは宇宙の法則のいくばくかを伝えようとし、地球人の道を正そうとした。友星人たちは地球人の直面した困難を克服する方法を伝えただけにすぎないという点に留意すべきである。人々は受け入れて自分自身の道を変えねばならなかった。彼らがこれを拒んでみずから苦難を招いても、起こった事にたいして他のだれをも非難することはできなかったのである。

『ルカによる福音書』9-34と35に、雲に包まれた船体と、その雲から出てくる声の記事がある。船が接近したとき弟子たちは恐れた。同じような事件が起こると今日の多数の人々も恐れるのと全く同じことである。船体から声が出てきたという事実は、異星人によって地球人に教訓が与えられたより大きな証拠である。

『使徒行伝』1-9はキリストの昇天の物語である。これは復活の後のことであり、キリストは四十日間以上も肉体を持って現れていた。我々はキリストが肉体を持ったまま昇天したといつも教えられてきた。彼が宇宙船に入ったとき、「雲に迎えられてその姿が見えなくなった」のである。続く2つの節はこの事件の目撃証人がいたことを示している。また、この同じキリストが昇天の際と同じ有様でふたたび天すなわち空中から帰って来るだろうという約束がある。この特殊を部分に関してはまだ多くの参考例があるけれども、以上の記事だけでも十分に乗船の光景をあらわしている。

第3話へ続く

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