ホーム ライブラリー レターズ ピクチャーズ ufo 掲示板 お問い合わせ リンク

GA Site -UFO Contactee-

articles

過去更新記事

 ├ 2009年度
 ├ 2008年度
 ├ 2007年度
 ├ 2006年度
 ├ 2005年度
 ├ 2004年度
 ├ 2003年度

最新更新記事

サイト内検索



GA Site内を

新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 聖書とUFO 第1話 ジョージ・アダムスキー

 日本GAPニューズレター 第79号 Winter1982より

私がはじめに出した2冊の書物『空飛ぶ円盤は着陸した』と『宇宙船の内部』を読んだ多くの人々が次のような質問を寄せてきた。

つまり他の惑星に人類が住んでいるとするなら、なぜその人類のことが聖書に記されていないかというのだ。異星人は聖書時代における彼らの来訪について何度も私に語ってくれたので、私はこの問題をかなり研究してきた。(編者注:『空飛ぶ円盤は着陸した』と『宇宙船の内部』の2点を一冊にまとめたものが中央アート出版社判、新アダムスキー全集第一巻『第2惑星からの地球訪問者』)

▲ありし日のアダムスキー。左後方の女性は往年のドイツGAPリーダー、マリア・クーレンカンプ女史。
▲ありし日のアダムスキー。左後方の女性は往年のドイツGAPリーダー、マリア・クーレンカンプ女史。

多年のあいだ哲学と科学の学徒として私は他の惑星にも人類がいると教えてきた。これは私が円盤を見たりその乗員と個人的なコンタクト(接触) の喜びにあずかるよりもかなり以前のことだった。私と異星人との会見をきわめて異常な事だとみなされてはいけない。私と同じタイブのコンタクトを体験した人は他にも多くいるからだ(私は多くの心霊的な自称コンタクトマンのことを言っているのではない。私の言うコンタクトマンたちは自分の体験を公表してはいないのだ)。こうした他のコンタクト事件類は世界のいろいろな政府に知られている。そして現在”円盤”は嘲笑的な考えで見られているために、その正体は明かされないままになっている。

一方、政府側は円盤が世界にたいして正体を現す日にそなえて研究をし準備をしているのである。彼らはこれまでに得た知識を大衆に伝え始めるだろう。そして大衆は突然目覚めて、数千年を通じて作り上げられてきた誤った概念に従っていたことや、みずからの閉ざされた心によって隠されていたことに気づくだろう。

ヘブル人への手紙

聖書を注意深く研究すると、宇宙からの訪問者たちに関する多くの報告が明るみに出てくる。実際、ある牧師が私に語ったところによると、彼はそのような記事を350ヶ所以上も発見したという。聖書ばかりでなく、他の偉大な記録類もその訪問者たちの来訪に言及している。なぜ訪問者たちのことが記してないのかと質問を寄せた人々のほとんどは、実際の記録に関して知らされていなかったにすぎない。宇宙からの訪問者が聖書の中でどのように記されているかを私がお伝えしようとし、現代でも異星人がそうしようとしているように、古代でも世界の各種民族に指導の手を差し延べることは異星人にとってあたり前の習慣だったということは、以上の考えにもとづくものである。

そこでいま我々に思い出させる最初の数節の一つが『ヘブル人への手紙』12に見い出される。(訳者注:ヘプル人というのはヘブライ人すなわちユダヤ人のこと。日本語訳聖書には奇妙を訳語が多い。ヘブライ人はアブラハム、イサク、ヤコブの子孫であると称する、古代パレスチナに住んでいたセマ族の一派。『ヘブル人への手紙』は身許不明の信徒が紀元80年頃にローマ教会の団体に宛てて書いたといわれるもので、新約聖書に含まれる一篇。13章から成る論文と勧告文。イエスを『大祭司』と呼び、その十字架による贖罪により、旧約の儀式や祭司制度などで象徴される契約は新たな救いの契約に代わったと説き、当時としてはかなり進歩的な思想を示している)

「この終わりの時には御子によって私たちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また御子によってもろもろの世界を造られた」 

これは一つ以上の多くの惑星に関する明確な引用である。同様の概念が『ヘブル人への手紙』11-3に示されている。「信仰によって、私たちはこの世界が神の言葉で造られたのであり、したがって目に見える物は現れている物から造られたのではないことを悟るのである」

ここでもまた我々は1つの世界以上の惑星に関する別な引用を見い出すのである。これらの別な世界に人類が住んでいるとは言っていないけれども、しかしそれは聖書時代に他のもろもろの世界が知られていたという証拠となる。

聖書時代のこれらの人々は、各世界が「現れていない物から造られた」ことに気づいていた。各惑星は不可視な状態から可視的な状態に ― すなわち原因から結果に ― なったのである。この考えは太陽系の起源に関して今日の最も進歩した概念と一致する。

ヨハネによる福音書

『ヨハネによる福音書』14-2に次のような記事がある。

「私の父の家(大宇宙)には館(惑星)が沢山ある。もしなかったならば、私はあなた方にそう言っておいたであろう。私はあなた方のために場所を用意しに行くのだ」

これは、もし我々が別な世界へ行けるほどに進歩して、主が(イエスが)述べたとおりに生きることができるならば、主はそうしてくれるのだということを明確に示すものである。このことは次の第3節にも示されている。

「そして私が行ってあなた方のために場所の用意ができたならば、また帰って来て、あなた方を私の所に迎えよう。私が居る所にあなた方をも居らせるためである」

キリストが彼の世界の唯一の住人であったと考えるのは不合理である。彼の惑星には無数の幸福な人々がいて、それらが定期的に地球へやって来たときは天使とみなされたにちがいない。

イエスは現身のままで天空へ運び去られたと教えられているが、これこそ大気圏外のどこかに生命を維持することのできる惑星が存在する証拠である。キリスト自身は彼が他の惑星から来たという十分な証拠を示した。『ヨハネによる福音書』8-23に次のような記事がある。

「イエスは彼らに言われた。『あなた方は下から出た者だが、私は上から(大気圏外から)来た者である。あなた方はこの世の(地球の)者であるが、私はこの世の者ではない』」

これは我々はこの世界の者でそこから生まれ出たことを示している。しかしイエスはこの世界で生まれたけれども、この世界の者ではなかった。彼は他の世界から(別な惑星から)ここへ来たのである。これは程度の高い惑星の人間が志願してこの地球で生まれかわったことを意味する証明の一つである。これは精神的進化の階段をまだ登りつつある人類を導き援助しようという特殊目的のためである。

我々はキリストのようになることができ、しかも彼よりも偉大な物事をなすことさえできると聖書で教えられている。彼は多くの兄弟の長子であり、そしていつか我々の多くもキリストと同じ状態に達することができるとも教えられている(『ローマ人への手紙』8-29)。

これは宇宙からの訪問者が地球は小学校の第一学年のようなものだと言った内容と完全に一致する。我々が次第に高進化するにつれて一学年から二学年へ、更に三学年へと進級するように、惑星間を次々と進級してゆく(生まれかわってゆく) のである。我々は学年から学年へ、惑星から惑星へと進んでゆくのだ。

気づかないで天使をもてなしている

この地球でなおも進歩しようとしている人々を援助しようとして、地球へ帰ることを希望する人々がいる。これは我々が外国へ宜教師を派遣するのときわめてよく似ている。イエスがやったように地球で生まれかわることを選ぶ人もあれば、宇宙船でやって来て地球人の一人として生活することを選ぶ人もある。

他の惑星に人類が住んでいるという直接の証拠が聖書にある。『創世記』6-2と6-4には次のように述べてある。

「神の子たちは人の娘たちのところにはいって、娘たちに子供を生ませた。彼らは昔の勇士であり有名な人々であった」

この神の子たちは当時地球の婦人たちに子供を生ませた地球の男たちと同様に明らかに人間であった。彼らは我々のように肉体と血液を持っていた。霊魂や幽霊の天使が降りてきて女たちと潤係を持ったのだと言う人はいないだろう。彼らは読者や私などと同じような人間であったにちがいない。これは他の惑星に現在人間が住んでおり、しかも長いあいだ住んできたという明確な証拠である。

天使に関する聖書の記述はきわめてはっきりしている。彼らはまさしく地球人のように見える。彼らは”人間の堕落”に関係しなかったという点を除いては、全く我々と同様なのである。彼らの外観についての確実な証拠は、『ヘブル人への手紙』の中で、地球人は彼らが天使、(別な惑星から来た人) であることに気づかないで彼らをもてなすことがあるという個所によって示されている(13-2)。

我々は地球上に在住する異星人の男女についてこれまでに多くを聞いている。子供のときから教えられてきた物事から考えると、これは多くの人にとって空想的なバカらしいことに思えるだろうが、しかしかりにだれかが見知らぬ人をもてなして、しかもそれが天使(友星人)であることを知らなかったとしても、「古代にそうであったからといって現代にはもうこれらの男女が我々のあいだにいないのだ」と、だれが言えるだろう。読者自身も彼らをもてなしたか、または路上で会ったことがあるかもしれない。私をも含めて多くの人がそうであったろう。多数の人がこの訪問者たちの正体に気づいているけれども、知らない人も多くいる。我々が歴史はくり返すと考えるならば、同様に聖書の歴史もくり返すと考えてよいのだ。 

第2話へ続く

home artcles letters pictures ufo bbs お問い合わせ link