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▲アポロ11号の発射風景。 |
この歴史的な原書が出たのは1955年だったが当時の世間は物笑いのタネにした。現在も彼を世紀のペテン師呼ばわりする者がいる。しかし後年アメリカが宇宙開発を手がけて月や太陽系の諸惑星を探査する計画を持っていたことを熟知していたアダムスキーが、いずれ実態が明かるみに出ることを承知の上で作り事を発表するほどにボケた人間であったのだろうか。
実は月面に次々と着陸したアポロ宇宙船の搭乗員達は、すでに何者かによって月面に巨大な建築物や施設などが建設されていたり、「UFO」と地球で呼ばれる宇宙船が月面上を飛びかう驚異的な光景を目撃していたのである。
ずっと以前に来日したアポロ15号の着陸船ファルコンの操縦士であったジェームズ・アーウイン中佐は、日本のテレビに出演して、I saw UFOs on the Moon.(私は月面でUFOを見ました)とはっきり語ったのを筆者はこの耳で聞いたのである! その瞬間、驚愕と歓喜でひっくりかえりそうになったが、今も彼の声は耳にこびりついている。
このときの彼の英語による話は逐次日本語に訳されて字幕が画面に流れていたが、このUFO目撃の説明の部分だけはなぜか字幕が出なかった。彼はそのときUFOを複数で「ユーエフオーズ」と発音したので、一般に「ユーフォー」と言い慣れている日本では翻訳者に理解できなかったのか、または裏面で何かの圧力が働いたのか、いまもって謎である (ちなみに筆者が知るかぎり英米人はUFOをユーエフオーと言っている)。
しかし月面でUFOや人工建造物を見たのはアーウインだけではない。筆者の研究によれば月に着陸した宇宙飛行士達のほとんどすべてが驚異的な光景を目撃しているのだが、みな黙して語らない。厳重に口止めされているからだ。アーウインの例は全く特殊であったと言えるだろう。彼のテレビ出演時の重大きわまりない発言に気づいたのは筆者一人だったのか!
以下の記事はアメリカの宇宙開発の壮大なプロジェクトを展開している巨大なNASA(米航空宇宙局)の一分散施設であるヒューストン市のジョンソン宇宙センターへ絶大な困難を乗り越えて入り込み、ついにアポロ宇宙船による膨大な月面写真の閲覧入手に成功した上、月面に驚異的な人工建造物とUFOが撮影されている写真を確認した2人の勇敢な男の実話である。アダムスキーの説明は真実だったのだ!
とっぴな話を聞いて大笑い
1979年にピトー・サッチェリーはベネズエラの製油産業関係のある技術系会社の企画部長だった。ベネズエラには得意先の米系会社があり、ここの技術部長でレスター・ハウズという男がピトーの窓口になっており、よく電話で話しあう仲だったが、会ったことはない。ピトーは大体にヒューストンに在住していたが、たまたまレスターが表向き「仕事」でヒューストンへやってきたので、2人は初めて顔を合わせて、たちまち意気投合した。
数日後にレスターがまじめな顔で言った。「ヒューストンへ来たのはある秘密の動機があるからなんだ」 笑わないで聞いてくれと前置きしてから、実は自分はアマチュア天文家でUFO研究家でもあり、NASA(米航空宇宙局)のどこかに保管してある秘密の月面写真を入手したいので手を貸してくれないかと言う。
ピトーは大笑いしたが相手は大マジだ。仕事仲間の話によると、このレスターという男は少しいいかげんな、頭のおかしな人間だというが、レスターはピトーが自分の言うことをどう思うかと気にしている様子だ。
レスターはカバンから本を出して見せた。ジョージ・レナードの書いた『月面に誰かがいる』 と題するポケット版だ。これを読んでおいてくれとピトーに貸したので、その夜ピトーは徹夜で読みふけった。
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▲アポロ13号が撮影した月の裏側の写真。1970年4月11日に打上られたアポロ13号は、2日後に電源用の酸素タンクが機械船内で爆発したために、月面着陸を中止して、必死の作業によりラベル、ヘイズ、スワイガードの3宇宙飛行士は無事帰還した。 |
消えゆく月面のクレーター群
この本には古代から−ひょっとすれば現在も−月面に文明が存在するかもしれないと思わせるような月の写真類をレナードが見たと述べてある。
その説明によれば、1961年にケネディ一大統領が今後10年以内に月へ到着せよと米政府に指令を発していたのだが、その理由は1950年代に科学界が各地の天文台によってゆさぶられていたからである。
というのは、月面のクレーター群が最新技術の粋をこらした望遠鏡の鋭敏な「目」で注視しても消滅しつつあると、多くの天文台が報告し始めたからだ−。 この事実が次々と派生しつつあることは明白なので、ケネディーはアメリカが真っ先に月を制覇しようと決めたのだ。
月面写真類の公開についてNASAの職員達と無益な論争を続けた後、レナードは自分の本にその写真類を掲載した。彼に言わせれば、NASAが知っている秘密を一般納税者は知る権利があるのであって、納税者に隠すのは不当だという。だいいち数十億ドルもの費用をかけて月面探査を九年間も行なったにもかかわらず、六回の月着陸で探査計画を突然に中止したのはおかしいというのだ。彼によれば、アメリカは他人の土地である月を侵害していることになったのだという。
その本を読み終えたピトーはレスタ一に電話して、とても興味深いので協力しようと約束した。
繁雑きわまりない手続き
翌日2人はNASAへ出向いて施設内を遊覧し、次の日に行動を起こした。この施設にはガイド付きで案内をしてくれるシステムがある。ただし上っ面を見るだけだ。
翌日2人は案内所の建物に入って、アポロ宇宙船が撮影した月面写真を見るための手続きをとりたいと申し出た。
最初戸惑った受付の女性は上司の所へ行って話せと言うので、行って話すとその男も困惑している。
見たところ一般の参観者を扱う職員達は月面写真を保管している場所を知らないようだし、そんなものがあるかどうかもご存じないようだ。しかも写真記録課がどのリストにも載っていないのだ。
2人はさらに4名の職員に次々とたらい回しにされたあげく、やっと1人の職員がNASAの施設内のある場所に多数の写真が保管してあると白状した。だが一般人はNASAのプロジェクトの”許可されていない”写真類を見ることはできないと言う。
そこで2人は作戦を変えた。レスターがいきなり言う。
「NASAというのは一般納税者の税金で設立された国民の宇宙開発機関ではありませんか」 女性職員の顔に困惑の色がひろがる。ピトーが追い打ちをかけた。「そうだ、我々2人は納税者なのだ。だから我々は(自分達の写真)を見に来たんですよ。それがなんで悪いんだ。誰がその写真を持っているんですか」
2人はレナードの本をチラチラめくって見せた。「ほら、すでにこうしてNASAの月面写真が公開されているのに、なぜこれが見せられないんですか」 2人は意地になってねばり続けた。助っ人が呼ばれたが、管理部の職員達と同じ話を続けるだけだ。誰もその本を読んでいなかったが、意味ありげに1人の職員が調べてくれた結果、意外な事実が判明した。著者のレナードはかつてカリフォルニア州パサデナのNASAの一部門でカリフォルニア工科大学が関連しているジェット推進研究所の元科学者職員であったというのだ。これで彼らは折れてきて、その本についても興味を示すようになった。。
これで2人は一応引き返すことにした。よし、こうなれば徹底抗戦だ。必ず写真を出させてやる。おい、レス、頑張ろうぜ。おう、やるぞ。
だが事は簡単にゆかない。キツツキが頭痛をおこすほどに沢山の用紙類に記入しながら2人は数日を過ごした。ピトーの会社が知らせてきたところによると、NASAは電話で彼の経歴を調べてきたというし、レスタ一に関しても人物調査をしてきたという。また彼のホテル側も誰かが彼の滞在を確認するための電話をかけてきたという。
明らかに車輪は回転しているのだ。ついにNASAから写真閲覧の許可を電話で伝えてきたのは数日後だった。
迷路のような施設
2人は成功を喜びあいながらNASAへ行ったが、事態は容易なことではなかった。彼らは30号ビルへ行くように指示されたが、それはまだ見たことのない建物で、だいいちそんなビルは存在しないのだ。
30A号ビルはからっぽであることがわかったので、次に30B号ビルへ入って行った。そこは厳重な機密部署で、ある探査結果がモニターされている場所だった。立入り禁止区域なのだが、2人はなんとかまぎれ込んだ。
みじめな気持でうろうろしているうちに、まもなく放り出されてしまった。警備員が、どうしてこんな場所へ入り込んだのかと尋問してから、2人を簡単に建物から追っ払ったのだ。なんという情けないことか。
翌日、係員は2人に謝った。2人はレナードの本を少なくとも1000部ほどコピーにとって、そこの宇宙飛行センターの職員にばらまくぞとほのめかしたのである。このゆきづまりをなんとかしてくれと脅しをかけたのだ。これでNASA側は腰をあげることになった。
ついに真剣な討論が発生した。相手側の話によると、その写真保管室はNASAの一号道路に沿った東NASA敷地に隣接した月着陸追跡センターの方へ移転したのだという。そして2日後の朝8時に来てくれと言う。
ついに目的場所を発見
2日後に2人は施設の中央入口を過ぎてNASA一号道路を車で走り、敷地の東側境界線を示すチェーンの囲みを発見した。そしてビルか標識が見えるものと期待したが、うっそうと茂る森林しか見えない。さんざん迷ったあげく、NASAの垣に沿った森の中へ続いている狭くて汚い道路に気づいた。すると2本の小さな柱をつなぐチェーンに下がっている標識があり、それには簡単に 「立入り禁止」とある。
直感的にここがその場所だとわかった2人は、チェーンを下げて汚い道路を約500メートル走ると、道はハイウェーの方へ続いている。やがて森に隠れるようにして目指すビルがあった。
ビルの番号はつけてなく、入口の近くに小さい標識があって、それにはなんと上下幅1センチあまりの小さい文字で「月着陸追跡センター」と書いてある。だが2人は驚かなかった。
2人は小部屋に入った。人々が忙しそうに動きまわっているメインルームは右手にある。一見、掃除道具を入れるロッカーのような物が反対側の壁に接している。
写真保管室へ入りたいのだと受付に言うと、女性は掃除道具ロッカーの方を指さした。すると意外にもそれがくるりと回転して入口がぽっかりとあいた。その向こうはくねった階段になっており、薄暗い地下のトンネルに通じている。これはNASAの敷地境界の方向へ向かうトンネルらしい。
2人がトンネルの端まで行くと大きな部屋があり、そこには両側の壁に伸びたカウンターがあって、その向かい側には腰掛けに座った係員がいる。この男の名前はロジャーだったとピトーは覚えている。
相手の説明によると、写真保管室には少なくとも200万枚の写真があるという。
>>第2話へ続く |