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| ├ 写 真 |
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| 月は異星人の基地だった! | |
第2話 UFO Contactee No.133 SUMMER 1996より 久保田八郎 |
| しかし具合のわるいことに、写真をかたっぼしから手当りしだいに見ることはできない。時間が短いし、検索システムが複雑なのだ。いいかえれば、何かの写真を見るためには特殊なコード番号を必要とするのだ・・・。 |
粘る2人の男 ロジャーは、2人が見たがっている写真のコード番号を2人とも知っているのに驚いた。要するに彼はレナードの本については何も知らないのだ。 「やった!」と2人は内心小躍りしながら番号のリストを相手に渡した。だがロジャーはそれをチラッと見て具合の悪い事を言い出した。その番号類はヒューストンでは無意味だという。 説明によると、保安上の理由でNASAは全国を5カ所の地域に分けており、各地域が写真の複写セットを確保して、それに異なるコード番号が付けてあるという。レナードの写真の番号はこの施設では通用しないのだ。 親番号のリストはどこ時あるのかとピトーがたずねると、ロジャーはバージニア州のラングレーにあるという。2人は顔を見合わせた。 これは弱った、どうするか、あきらめるか。いや、ここまで頑張ってきたんだ。なんとか続けよう。2人はヒソヒソと話しあう。 「今あきらめるわけにはゆきません。なんとかして続けたいので、お願いしますよ」 すると相手は少し気の毒になったのか、NASAの敷地内の誰かが申し込み用紙を持っているが、その名前はよく覚えていないという。 「というのは、これまでにここの写真類の閲覧を願い出た人はいなかったからで、ここではあんたらが最初なのだ」 ついに見た! 数日後、ロジャーがピトーに電話をかけてきて、こちらへ来て新しい書類に記入せよと言う。あれほど大量の書類を提出したのに、まだ要るのか!これにはさらに2日を要したが、呼び出しがついにきた。写真はすでに2人の閲覧用に準備してあるとロジャーが言う。 しかし厳重な規則があった。2人には1日8時間の閲覧が3日間だけ与えられており、ペン、エンピツ、紙、計算器、カメラ、その他いかなる種類の記録用道具も使用できない。また1人で写真を持ち上げてもいけない。持ち物としてはレナードの本と拡大用のルーペが許可されただけだ。 そして内部にいるときや昼食で外に出るときもトイレに行くにも職員が付き添う。これらの条件に同意するならば翌日の朝9時から閲覧を始めてよいと言う。2人はわくわくしながら8時に到着した。 このとき2人には2名の警備員が付き添った。そしてU字型にセットされた5台の長い会議用のテーブルがあるのを見た。2人はレナードの本にリストしてある写真類だけを見ることを期待していた。ところが驚いたことに数千枚の写真があり、すべて番号順にそろえてあるのだ。 レナードはその著書の中で、カメラの撮影順序によって写真の番号がつけられていると述べている。また彼は、探査機に内蔵されたコンピューターが1枚の写真を分析するあいだに異常を発見したならば、さらに目標物に接近して拡大した一連の写真を撮るのだとも書いている。 眼前に置かれた各写真は大きなもので、横25センチ、縦20センチもあり、鈍い灰色か、ほとんど黒っぽい画面である。アポロ宇宙船では6×6判のハッセルブラッドと日本製の特注のニコンが使用されていた。それらの写真を大きく伸ばしたのだろう。 各写真の裏側には撮影時における月面からの宇宙船の高度、接近時の角度、宇宙船に関する太陽の位置等の技術的なデータが記載してある。 都合のよいことに2人は三角測量の専門的な計算法をすべて知っている。つまり画面内に見える物の大きさや距離を計算するには、簡単な三角法と代数を応用するだけで充分なのだ。 だが紙、計算器、エンピツなどがないのだから頭の中で暗算をするには限度がある。簡単にはゆかないのだ。しかも写真は多すぎて状況は深刻だ。あせった2人はレナードの番号に頼ることにしたが、幸いにも彼の見た写真類のすべてを確認することができた。月面に異星人の基地があつたのだ!
現在までにピトー・サッチェリーが記憶しているのは大体に次のとおりである。 ●丘の上から転がったと思われる一個の玉石が、その丘の側面に跡を残している。 カメラアングルは完全な立体的な光景を示している。その明快さと解像度は、ピトー・サッチェリーがそれまでに見たいかなる物体とも異なるものであった。これはそれ以来現在までに発達してきた宇宙スパイ写真技術の始まりだったのかと考えると身ぶるいするほどである。 宇宙飛行士の驚くべき会話 それから3日間というものは2人ともほとんど無言であった。レスターは最大の夢を実現させて至福の状態にあり、ピトーはUFOにハマリ込んでいた。 最後の日の最後の時間帯に、ピトーはたっぶりと写真を見たので、足を伸ばして少しくつろぐことにした。それからロジャーにメインルームに案内されたとき、彼は仮のパネルが少し開いて中が見えるのに気づいた。 床から天井まである書棚には白い3個のリングのついたバインダーがぎっしりとつまっている。ロジャーの説明によれば、このほとんどのバインダーにはNASAの宇宙開発で行なわれた科学的な実験の詳細が満載してあり、それ以外は月着陸を含む有人宇宙飛行の記録文書だと言う。 3日間以上にわたって2人と親しくなった上、ロジャー自身も写真を見て楽しんだので、彼は別れぎわにウインクして微笑しながらうなずき、付添いなしに部屋へ入らせてくれた。ピトーは文書にさほど関心がなかったので、科学的なデータを見ながら時間をすごしていた。 「結局、自分は40億の人間とともに最初の月着陸の光景をテレビで見たのだ」 ここで一大奇跡が生じたのである!彼は文書類に少し目を通すことにして、なにげなく数頁を指ではじきながら最後の15分間をすごしていたところ、彼の目はある驚くべき記録に釘付けになって心臓が高鳴った! 「ヒューストンへ。我々は(時計の文字板の)11l時の方向にボギーを見た」「了解。アポロヘ。アルファヘ切り替えろ。8度横転して逐次制御を開始せよ」「了解。管制センターヘ。アルファを確認中」 ボギー(bogey)という言葉は本来お化けとか幽霊を意味するが、米空軍ではUFOを意味する暗号として使用されているのだ。 ピトー・サッチェリーは本能的にその意味がわかったけれども、この記録は信じられないほどのものだった。彼は頁をめくってから似たような交信記録を見つけた。 「管制センターへ。丘を越えてサンタクロースがやってくるぞ」「了解。アポロへ。位置を保て。ブラボーへ切り替えろ。わかったか」「了解。ヒューストンへ。ブラボーとつながっている」 ここでブラボーとかアルファといっている言葉の意味はあとで説明が出てくる。サンタクロースももちろんUFOを意味する暗号である。 なんということだ。この交信は月面でのUFOの活動を報告しているのだ! だがピトーは1969年から70年にかけてのアポロ月探査のテレビ生中継を見ていたあいだ、こんな会話を聞いた覚えはない。唖然としたまま二言も言えず、怖くなって、そばにいるレスタ一にも言えない。ロジャーにはなおさらだ。自分達をトラブルに巻き込みたくないからだ。だいいちこんな文書を見る許可も取っていないではないか。 我々が見た写真を買うことができるのかとレスターがロジャーに聞いているあいだピトーは沈黙していた。 できるとロジャーは答えて、申請用の用紙を渡しながら、写真を渡すまでに数週間かかると言う。 やがて届いた写真類は予想どおりに汚い仕上がりで、かなりぼやけたものだった。これらの写真を見て感動した者はいない。だがそれでもピトーはアポロ宇宙船の月探査飛行に夢中になっていた。UFOという思いがけない発見をしたからだ。 テレビ放映のトリック 数年後、ピトーは2〜3の親友にあの記録文書のことを話してみた。すると1人の友人が、ある特殊な女性にそのことを伝えて、その女性に会ってみたらどうかとピトーにすすめた。その女性の本名は内緒にする必要があるので、ピトーはジェーンという仮名で呼んでいる。 彼女は当時大学生で、NASAのために録音テープの原稿起こしをやっていた。そこでピトーは彼女に質問したのである。 「宇宙飛行士達が地球に向けて生交信をやっているあいだに、自分達の会話を一般人に聴かれないようにして、しかもUFOについて報告するには、どのような方法でやるんですか」 彼女の説明によると、こうだ。 宇宙開発の結果、多くの技術が発達したが、その内容は産業界には秘密にされていた。こうした開発の一つに、当時は一般に知られていなかったが、急速再生ビデオがある。これは後に一般化した。しかし1969年と70年にはひとにぎりの人がこの方法を 知っているだけだった。 まず月から来る宇宙飛行士の姿を放映してから、ときどきNASAは月探査のテレビ画面を、着陸船の実物大の模型のそばに立っているニューズレポーターの放送に切り替える。そして視聴者の注意がその方にそらされているあいだに、月からアポロ宇宙船の本物の受信を裏面で行ない続けて、秘密の交信部分を削除しながら急速再生して、あたりさわりのない場面だけを流すのである。初期の頃に軍のパイロットだけが宇宙飛行士になったのは、彼らこそは真相を知っている人々なので、極秘事項を保つように訓練された人達でないと都合が悪かったからだ。 アルファやブラボーの意味 ピトー・サッチェリーが1995年の4月に月面写真研究家のマーウイン・クザーニックに会ったとき、彼はNASAで用いられている技術のある分野の開発を手伝ったことがある。 そのときに知ったのだが、ビデオの急速再生法以外に彼は「アルファ」とか「ブラボー」という暗号を知っていた。 これは各地に点在している切り替え用の特殊な受信局のことであって、これらがアポロ宇宙船からの交信をヒューストンや管制センターからアメリカの北西部に分散しているミサイル基地へ切り替えるのである。そこには機密通信装置が設置してあるからだ。これがピトーの解けない謎だった。そしてクザーニックはあの月面写真類の親リストをだれが持っているかを確実に知っていた。 月への移住は遅すぎた 1980 年にピトー・サッチェリーの別な難問が解決した。アポロ宇宙飛行士達が持ち帰った月の岩石と月面の植民地化の可能性に関して、議会の特別委員会が作成した報告書を友人が彼に見せたのだ。 この文書は1972年または73年となっており、巨大なプラスティックの空気ドームを用いた月植民地化は非現実的で、地球から空気を運ぶ必要があることをなどを論じていた。そして驚いたことにその委員会の報告によれば、月には多量の酸素があり、それは岩石の中に閉じ込められているというのだ。 結局、好ましい解決法は次のとおりである。大規模な発掘によって岩石を粉々にし、開放された酸素は洞窟やトンネルなどの中に貯蔵して、残った岩の屑は既存のクレーター群の中に廃棄する。当然のことながら、これらのクレーター群は消滅するだろう。最初の月着陸のはるか以前に天文学者が観測していたクレーターが次々と消える理由はここにあったのだ。 月の実態を知っている米政府 ピトー・サッチェリーは言う。 「地球へ定期的に訪れていた(友好的な)異星人によって月が占拠されていたという話は完全につじつまの合うことだ。私が記憶しているのは、1960年代にケネディ一大統領がNASAを動員したあと、ロシア人を出し抜いて月に到着し、これを他の惑星へ行くための宇宙ステーションにするという計画だ。当時、もし月に金または他の貴金属が発見された場合、だれが採掘権を得るかという議論がわいたものだ。 また当時はミサイルを軍事目的に使用できなかったので、月面に保管しようという論議もあった」 現在アメリカ政府は月を基地にしようという話をしない。そのかわりに宇宙ステーションを建設する方向に進んでいる。その理由は、月はすでに別な惑星の人達によって既成の宇宙ステーションになっていたからだ。 アメリカの思惑ははずれたが、太陽系の物凄い科学力を持つ別な惑星群の文明人の存在を確証するというレッスンを学んだのだ。高い授業料だった。 (終わり) |
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