はじめに-アリス・ボマロイ-
ジョージ・アダムスキーが他界してからすでに多くの年月が流れ、今や新世代の人々が充分な成長を遂げるに到った。しかし彼らはこれまでアダムスキーに会うこともなく、彼を知ることもなく、彼の話を聞くこともなく、ひいては人類のための大いなる知恵に満ちた彼のメッセージに接する機会を全く持つことなく成長してきた。よって私はここに、特にそのような彼らのために、アダムスキーが私たちに残したこの上なく価値ある言葉の数々を紹介したいと思う。
彼の業績の哲学的側面が、彼にとってどれほど多くの意味を持っていたかを知る人々は、極めて少ない。他の惑星群から訪れた高貴な兄弟たちは、彼らの惑星群との比較を交えながら、地球の状況に関する多くの重要な情報を彼に伝えた。彼らはアダムスキーを彼らの宇宙船に連れて行き、そのメカニズムを、さらに彼らの惑星群での人々の生き方を話して聞かせた。
アダムスキーは言った。
「彼らの宇宙船を見ることも悪くはない。でもそれは、そのときだけだ。しかし、人類の進歩のための彼らのメッセージは、もし私たちがそれに注意を払い続けたならば永遠に価値あるものとして残ることになる」
多年に渡って、ジョージ・アダムスキーが実際に口にした文章を、完壁な単語群やフレーズ群からなる素晴らしい英語に"翻訳"すべく、真剣な努力がなされてきた。しかしここで紹介する彼の一般講演、私的講義、および質疑応答群は、極力、彼が実際に私たちに語ったままの姿にとどめてある。それによって各個人がアダムスキーの語った本物の言葉に接し、それを自分自身の方法で、自分自身の手によって解釈できるようにと配慮をしたからである。
点線によって強調されている部分は、彼が実際に強調して語っている部分である。途中、ほんのわずかではあるが、私の注釈を括弧でくくって挿入してある。そして、読者がより良い理解を得るためにどうしても必要だと思われた極めて少数の訂正箇所を除いて、彼の言葉には一切手を加えていない。
彼の話の多くの部分が、聖書の記述と同じように読めば読むほどより深い理解を読者にもたらすことだろう。真実は永遠である。私たちはそれを、さまざまな異なった形で実践しなくてはならないかもしれない。しかし、真実自体は永遠に不滅である。
このコレクションから読者は、ジョージ・アダマスキーの真の精神、彼の溢れんばかりの熱意、そして誠意を、余すことなく感じ取ることができるだろう。彼はその話の中で日常的で単純な事例群に、ときおり驚くべき事実を加え、さらには彼自身の体験を織りまぜるなどして、自分の教えを見事に浮かび上がらせている。そしてどれもが、とにかく面白い。
アダムスキーは、いかなる人々にも話すことができた。高い教養を持つ人々にも、そうでない人々にも、彼は常に彼自身の"言語"で語った。相手が一般大衆であろうと権力者であろうと彼はいつも同じように語った。彼はあらゆる種類の人々を愛していた。宇宙的な感覚を身につけていた彼にとって誰もが彼自身の兄弟だった。そして彼はすべての人々に同じ誠意と敬意をもって接した。
彼は、自身がまだ2歳に満たない頃に、ポーランド人の両親に連れられてこのアメリカに移住してきた。そして、かなりの貧困の中で成長し、正式な教育をほとんど受けていない。そのため宇宙哲学の啓蒙活動を開始したばかりの頃の彼はとても恥ずかしがり屋で、人前で話すことがひどく苦手であったという。はじめて演壇に上がったときなどは足の震えが止まらなくて、立っていられなかったほどだったという。そのことを彼は、ことあるごとに話していた。
しかし彼はどんな時にも、ベストを尽くそうとすることだけは忘れなかった。そして彼が話を始めると、いつでも人々は真剣に耳を傾けたという。その未熟な英語と、ときおり大きく話題が変わる話し方にもかかわらずである。彼が真実を語っているということが誰の耳にも明白だったからだ。
彼は常々、教育に関して、「この世界全体が私の教室だ」と語っていた。そしてさまざまな例をあげながら、「私たちが何も学び得ないときなど一瞬たりとも存在しない」と強調していた。
彼は言っていた。
「私たちは、私たちの創造主に似せてつく創られたのだ。そして創造主は、私たちが生きる姿勢と理解力の面において、創造主のようになることを望んでいる。だから私たちはそのための努力をしなくてはならない。さらに創造主自身も今なお進化の過程にある。だから本当に真剣な努力を続けなければ、私たちはいつになっても創造主の期待に応えられないだろう」
それは、すべての人類に対するジョージ・アダムスキーの期待でもあった。
人前で話すことに慣れてからは、彼の活動は極めて順調に推移した。徐々に彼は、より落ち着いて、より自由に話す技術を身につけていった。そしてある頃からは、原稿を全く用いずに話すようになった。 私の知る彼は、いつも前もって2,3のポイントを頭に刻みこんだら、あとはそれにそってまさに即興で自由に言葉を組み立てていた。
また彼は人々の心を読み取るのがとても得意だった。彼らの無言の質問を察知し、それに答えるべく話題を急激に変えることも少なくなかった。
彼はときおり、私たちが追いつけないほどの早口で語ることもあった。アイデアがあとからあとからとめどなく湧き出てくるためである。
その一方で、話の重要な部分にさしかかったときなどは、じっくりと間をあけながら、とてもゆっくりと、ことさらはっきりとした口調で語ったものだ。そしてそのあと、ポイントをさまざまなアングルから説明すべく、意図的に話題を変えるのが常だった。
また、彼の話の中には、その優れたユーモアのセンスがよく顔を出し、真剣な問題を論じている最中に登場しては聴衆にくすくす笑いを提供し、会場を大いにリラックスさせている。
それと、彼はたとえ話の大きなリストを持っていた。それぞれの話が時間と場所を変えて何度もくり返し登場した。しかし、それらが全く同じように語られたことは一度もない。
彼は自分の論点をときおり宗教を例にとって説明したりした。多くの場合、ユーモアをたっぶりと交えつつである。ただしそれによって彼は宗教を非難したのではない。多くの矛盾点を抱えている宗教を、彼が植えようとしていた真実の種子のための絶好の畑として利用したにすぎない。
彼の質疑応答は常に大きな盛り上がりを見せ、その行く末は誰にも予想不可能だった。ただし、ときには極めて短い答えもあった。ほとんど一言で済ませたりすることもあったほどである。あまり重要な質問でない、あるいは説明しない方が良いと判断したときなどがそうだった。しかしその他の場合は、いくつもの例をあげながら延々と語り続けるのが常だった。
質疑応答は、特定の分野に関しては講演や講義などよりもずっと生産的であるとさえ言えた。よりリラックスした状況で、時間を気にすることなくじっくりと語ることができたためである。
彼がよく話の合間に見せたいくつかの単純な表現は、彼の大きな誠意を如実に垣間見せていた。たとえば一つの説明を終える際に、彼は一呼吸おいて、優しく「分かりますか?」と尋ねるのが常だった。「さあ、これでわかったでしょう?」などとは決して言わずにである。 続いて、質問者が理解したことを確認すると、「オール・ライト(alright)」ならぬ「オーライ(awright)」という言葉とともに、素早く別のアイデアに頭を切り換えていた。
また説明を始める際、彼はfor an exampleという言葉をよく用いていた。(訳注=「たとえば」の意味で言っているのだが、正しくはfor exampleという)したがって、for instanceとか、to explain(訳注=いずれも「たとえば」の意味)といった表現や、さらにfor exampleという言葉さえも、彼の口からはほとんど出ることはなかった。
よって、私は、彼の講演、講義、質疑応答の記録を、ジョージ・アダムスキー自身を説明するための「For an Example」と題して読者に提供することにした。このコレクションから読者は彼の哲学的信念、真実への理解、そしてすべての人類への深い愛を敏感に感じ取れることだろう。その中で彼は、彼自身が最も重要だと感じたことを私たちに余すことなく分け与えてくれている。
じっくりと読み、大いに楽しんで頂きたい。そして、あなた自身、および、あなたが住んでいる世界に関して、あなたがより深い知識を得られることを、切に願ってやまない。
第2話へ続く |