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▲明るい色光を放つUFO。 1974年3月23日の深夜、フランスで目撃された。 |
1966年の「ギャラップ調査」によれば、アメリカの500万人以上の人々が実際に空飛ぶ円盤を見たと言っており、約5000万の人が ― 大人の人口のほぼ半分 ― UFOは実在すると信じているという。しかし当局は、否定的な態度を取り続けた。空軍の支持のもとに、数年間この問題を調査したコンドン委貝会は、1969年に膨大な最終報告を発表したが、UFOなどは存在しないという結論となった。その勧告を基にして、空軍は円盤調査機関プロジェクト・ブル一ブックを閉鎖したのである。しかし大衆は依然として、当局の発表に動揺しなかった。 1973年に行われた別な「ギャラップ調査」によると、アメリカの成年人口の半分はまだUFOを信じていたばかりでなく、そのころまでには1500万以上の人が、円盤を見たと言っていることが判明した。これは、7年間で200%の増加である。
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▲プロジェクト・ブルーブックの天文顧問、アレン・ハイネック博士。多数の目撃は、簡単に説明して片がつくと確信している。それらの相互関係を組織的に調ぺれば、一定のタイプが確立され、何らかのパターンが示されるだろうと彼は考えている。 |
軍部がUFO調査から手を引いて以来、NICAP(空中現象調査委員会)や、APRO(空中現象研究会)のような長く続いた民間の団体は、着実に発展していた。多くの科学者や有能な研究者が、これらのグループやアメリカその他の諸国の研究団体に属している。天文学の分野の有名な人物、たとえばアレン・ハイネック博士やジャック・バレー博士などは、彼ら自身の研究計画を遂行していた。彼らが出した書物は、UFO関係出版物の分野に良きイメージを与え、この分野で利益を求めて多数のセンセーショナルな刊行物が出てきた。2人の研究は、量よりもむしろ目撃の質に関するもので彼らは既成の型の物体を作るのに役立つと思われる、UFOの外観と行動におけるパターンを探求しているのである。ひとたびその型が確立されたなら、彼らは円盤の構造とパワーの源泉をさらに推測できるかもしれない。
こうした研究家の興味をひく目撃事件の典型的なものは、1957年11月3日、ソ連がイヌを入れた2度目の衛星を軌道に乗せた夜に生じたテキサス州レブランド付近の驚くべき事件である。警察が最初の報告を受けたのは、午後11時であった。あるトラック運転手とその仲間が、すごく光る長さ約60メートルの魚雷型物体に出くわしたのである。それは急スピードでトラックの上を通過した。どう-やらそのためにライト類は消え、エンジンも停止した。男たちはぼう然となった。物体は飛び去って、トラックのライト類は再び輝き、エンジンも始動した。
1時間後に、警察は長さ約60メートルの輝く卵型物体に遭遇した男から、電話を受けた。それはレブランドの東方約6キロメートルの道路上に、静止していたという。彼が接近するにつれてエンジンが弱くなり、ヘッドライトも消えてしまった。彼が車から出ようとしたとき、物体は上昇し、消えてしまった。すると、エンジンとライトがまたよみがえったのがわかった。次に、レブランドの北18キロメートルの道路に静止じている、輝く物体を見たという男からの報告があった。後の車のエンジンも停止し、ライトも消えた。物体が飛び去ると、すぐに正常になったという。
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▲組織的なUFO研究に深い関心を持つ民間人のジム・ローレンゼン。1952年に、彼と妻コラルはAPRO(空中現象研究会)を創立した。この団体は報告類の交換所の役割を果たしている。 |
このころ、その町の14キロメートル東でテキサス工科大学の1年生が車に故障を起こした。エンジンが止まり、ライトが消えた。ボンネットを開けて調べていると、底の平たい卵型の物体が前方の道路上に停止しているのに気づいた。直径約40メートルで、金属質またはアルミニウムのような材質でできているように見えたと彼は推定している。その物体は、青緑色に輝いていた。彼は恐れたが!車を動かすことができないので、座って数分間それを見つめていた。間もなく、物体は空中へ垂直に上昇して、「アッという間に」消えてしまった。
なおもいろいろな報告が人って来るので、警察はみずから目撃することに決めた。近接目撃または車の故障は起こらなかったが、2名の警官が数秒間輝く光体を見たと報告した。レブランドの消防署長レイ・ジョーンズはその夜同じ地城にいて、空中に「光の筋」を見た瞬間に彼の車のヘッドライトが弱くなり、エンジンがパタパタと鳴り始めた。
その夜、警察が受けた電話は合計15件になったが、どの電話の主も興奮していた。そして、きらめく奇妙な物体に接近した人はいずれも、その存在を疑ったりはしなかった。このレブランド事件について、満足のいく説明はまだ出ていないし、それ以来も車のエンジン、ヘッドライト、ラジオなどに同しような故障が起こった事件は多数ある。
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▲隕石が落ちてできた巨大なクレーター。アリゾナ州ウィンスロー付近。 |
このレブランド事件は、空軍のプロジェクト・ブルーブックの元天文学顧問であるアレン・ハイネック著の『UFO体験』に詳細に述べられている。ハイネック博士は優れた天文学者でノースウェスタン大学のリンダイマー天文研究センターの所長でもある。彼はマサチューセッツ州ケンブリッジのスミソニアン天体物理観測所の副台長を数年務め、NASAが支持した同天文台人工衛星追跡計画を指導した。初期の円盤出現時代以来、彼は空軍にUFO問題の科学顧問として迎えられていた。そしてその資格で、多数のいわゆる奇妙な目撃事件を、完全な通常の天文学的現象として解釈する責任を帯びた。しかし、彼が間もなく発見したのは、多くの目撃報告は天体その他の現象の誤認として説明できるにしても、簡単に片づけるわけにはいかないものがなおも残っているということだった。それは、彼のような専門家にとってすら謎であった。
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▲隕石はかつて、たいていの科学者から迷信的なナンセンスとみなされていた。それを見たと称する人と同様に不信の目で見られた。コンドン報告が多数のUFOは実際には隕石だったかもしれないと言っているのは皮肉である。この11世紀の絵は、仰天した目撃者の側を落下するゴツゴツした小惑星を示す。 |
彼は次第にプロジェクト・ブルーブックの調査法に幻滅するようになった。このチームは手不足だった。記録類はほとんど相互参照なしに年代順にとじられていた。最も悪かったのは、概して調査員たちが問題を徹底的に評価しようと試みないで、各目撃報告を単に片づけようとする傾向があるように思われたことである。ハイネックのような人たちの最後の重荷は、UFOの調査を実際上空軍に放棄させるようにしたアンバランスなコンドン報告であった。
ハイネックはUFO問題の現状を、隕石が「ばからしい話」として片づけられた約2世紀前の状況にたとえている。当時、隕石の存在は科学で否定されており、それを見たと報告した人々は嘲笑され気違いか妄想によるものか、またはインチキきだと見なされていた。ところが現代では、彼らは真実の物理現象を目撃したのだと公認されている。隕石は空から落ちて来るけれども、ハイネックは自分の足元へそれを落とさせた天文学者のことを聞いたことがない。同様に、UFOの証拠としては、科学的素養のない目撃者の話に大きく頼っているのである。ところがなおも次のような態度を取る科学者がいるのだ「自分でそれを見るまでは、信じられないよ。」
問題は、UFO研究者が他の方向に傾くこともあるということである。多数の人が円盤に関する一説を取り入れて、次にそれを裏づける証拠を捜す。しかもUFO現象はかなり多種多様なのでほとんどすべての説の真実性を証明できる少数の目撃例を見いだすのも困難ではない。こうした研究者は、自分の好みの考えに適合しない目撃例を慎重に除外するのである。ハイネック博士や、有名な天体物理学者で数学者のジャック・リレーのような研究家はUFOの謎を解決しようと思うなら、思議な現象のあらゆる面を研究しなければならないと主張している。
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▲一団の村人がメキシコ、バクビリトに落ちた隕石の周りに集まっている。隕石の出現はUFOと同様に予知できない。したがって、飛行中のこうした物体の写真の多くは別の物を写そうとしているカメラの視界に突然それらが飛び込んできた結果、撮影されたのである。 |
2人はそれぞれの著書で、種々のタイプのUFO ― 夜間の光体や、昼間の円盤のごときもの ― や、種々の遭遇事件などの分析を取り扱っている。 UFOとして分類できるパターンもあるし、UFO研究界に絶えず混乱を引き起こすような多くの矛盾もある。したがって、上記の科学者が確実な物的証拠を求める一方、UFO事件を取り巻く驚くべき出来事に対すする説明を見出そうとしてオカルトに走った科学者もいる。
第2話へ続く |