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| 第2章 黙殺の申合せ 第1話 宇宙よりの訪問者/ロイステマン | |
| 多数の市民が火星人の侵略を覚悟したとき、アメリカに狂乱状態が発生した。 人々は狂気のように家から逃げ出し、侵略者を見たという人も多かった。しかしこの大恐慌は、空飛ぶ円盤とは無関係である。 |
空飛ぶ円盤なるものが初めて報告された年よりも9年前の1938年のことであり、H.G. ウェルズの空想科学小説『宇宙戦争』を、オーソン・ウェルズがラジオの放送劇にしたことによって引き起こされたものである。 この放送は、まるでニュースのように流されたため、途中からスイッチを入れた多くのアメリカ人は本物のニュースを聞いていると思いこみ、しまいまで聞こうとはしなかった。 1960年代にもイングランドでこれに似た騒ぎが発生した。 これは、あるテレビドラマでイギリス諸島上空の軌道上に静止している衛星が発見されたという偽のニュース放送を流したからである。しかも衛星には核兵蓋が積載してあるらしいとそのニュースはほのめかした。 人々は家から飛び出て、差し迫った敵の攻撃を近隣の人に告げたがその後ニュースではなくてドラマを見ていたことに気づいたのである。
ラジオやテレビのドラマでさえも、こんなパニックを起こすのだから、別な惑星から来た異種の人間が上空から我々を観察しているなどと政府が声明しようものなら大衆の反応はどんなになるだろう。 アメリカ政府が円盤に関する真相をアメリカ市民から隠すようになったのは、このようなパニックが起こるのを恐れたからだとUFOファンは断言する。 だがトップレベルの高官の間で、隠ぺいしようという意識的な決議が行われたのか、それとも市民と同様にただ混乱し迷っただけなのか。 空飛ぶ円盤の報告は、第二次大戟終了から約2年後に規則正しく出始めた。西欧では、大戦の結果により人々はまだいらいらしていたし、共産圏との緊迫した関係が、あらゆる人の不安感に論をかけた。 外交と軍事の不安定な時期であり、特にアメリカでは、空中に出現する不思議な物体の報告頬に空軍は手を焼いていた。 UFOは自然現象の単なる誤認か、敵国のスパイ機か、または大気圏外から来る訪問者なのか、このいずれかを究明する責任を空軍は帯びていたのである。 敵国のスパイ機か、それとも宇宙からの訪問なのか。
どちらかの可能性があることに驚いた空軍は、空軍技術情報センター(ATIC)の支援下に、未確認飛行物体に関する独自の調査機関を早くも1947年9月に設立したのである。 プロジェクト・サイン、プロジェクト・グラッジ、プロジェクト・ブルーブックなど、種々の秘匿名称で呼ばれたこの調査機関は22年間続きついに1969年12月に解散した。 アメリカは、この種の調査機関を設けるほどにUFO問題を真剣に取り上げた唯一の国である。真相を解明しようとして、ばく大な時間と経費を費やしたが、幾分はへたな宣伝や気ままな政策の変更を行ったりして、多くの点でプロジェクト全体は思わしくない結果に終わった。 初期のころ、地上の観測者が容易に正体を突き止められない物体なら、ほとんどすべて地方新聞に空飛ぶ円盤として大見出しで掲載されるチャンスがあったし、空軍も多数の報告を受けた。 しかし、あらゆる報告がふるいにかけられ、確認物体の誤認だとされる報告類か排除されても、なおかつ明りょうな説明のつかないものがかなり残った。 空軍の政策が最も弱まったのは、そのころである。 空軍は、こうした目撃報告類の真剣な調査をひそかに続けていたにもかかわらず、未確認飛行物体の存在の可能性を公式には認めず、新聞社に対しては根拠の薄い、納得しがたい説明をつかませようとしたのである。 こうした説明は、大衆にとっては了解できない矛盾に満ちたものであった。 大衆とは、一般に考えられている以上に洗練された皮肉な存在だったのである。 ベテランのパイロットたちが、以前とは打って変わって、急に烏の群れや自分の機体の影を円盤と誤認し始めたことは、多数の人にとってあまりに奇妙に思われた。 空軍が空飛ぶ円盤は全く存在しないと否定したにもかかわらず、1950年にはアメリカの全国的な世論調査で94パーセントの人が、未確認飛行物体を信じている。
空軍が真相を隠していたのか、それともあまりに愚かなために認める能力がなかったのかは全く不明である。だが一つだけ確かなことがある。当局が大衆に伝えたことと大衆が信じたこととの間には、信用性について大きな割れ目が存在したということである。2年間プロジェクト・ブルーブックのリ−ダーであったエドワード・ルッペルトは、空飛ぶ円盤が一般化した初期のころに、実際に発生した事件を立証しようと試みた。彼はその著書『未確認飛行物体に関する報告』で、新聞社へ流された各種の声明や混乱の風朝は、空軍内部の困惑と調整不足の結果にほかならないと主張している。彼は、軍部がわざと事実を煙幕の背後に隠していたとは考えなかったが、非難者の中には後にそう信じた者もある。だがもし空軍が混乱という煙幕をはらいのけようとしていたら、それに優る仕事はなかったろうにともルッベルトは言っている。
1947年9月にプロジェクト・サインを設立する前、空軍技術情報センターは円盤目撃報告の予備調査を行い、未確認飛術物体は実際に起こる現象だという結論に達していた。そこで情報将校の幹部たちが解決しようとして苦心Lなければならなかった問題は、円盤がどこから来るかという点にあった。 円盤とはたぶん海軍が作った国内の秘密兵器だという可能性を排除してみると2つのうちいずれかだろうという考えが出た。つまりドイツが戦時中に残した設計図からソ連が実現させた一種の宇宙船かさもなければ別な惑星から来たものというのである。
ドイツの設計図は一つ残らず注意深く調査されたが、1947年の末までに、円盤のように行動できる航空機をソ連が建造したとは考えられないという結論に達した。UFOは実在するという推定に疑いをはさむことなく、空軍技術情報センターは、UFOが大気圏外から来るかもしれないこと、しかもそれは、高度に進歩した技術を持つ種族によって建造されていることなどについて考え始めた。 したがってセンターを夢中にさせた問題は、惑星間の空間に関する情報を集める方法にあったが適当な手引もなければ、この仕事に役立つような過去の経験もなかった。
こうした興味深い考えが、空軍技術情報センターで論議されていた一方、空軍自体は大衆に対してばかげた姿勢を見せ続けていた。 このころ国防省は、円盤とは次の3つの現象の1つなのかもしれないと公言する声明を出した。すなわち、低い雲に映った太陽の反射、分散した流星の結晶体が太陽光線をとらえたもの、または大きな平たいヒョウが空中を飛ぶ現象−このいずれかというわけである。ルッベルトによればこんな考えはばかばかしいという報告が続いて出されたという。 「結晶化した流「星だとか巨大な平たいヒョウなんて、だれも聞いたことがない。 太陽の反射説も理屈こ合わない」と。 大衆が迷ってしまい、自分たちで結論を出すほうを好んだのは当然である。
なぜ空軍は、後で引っこめねばならなくなるような愚かしく不合理な解釈を下したのか? 技術情報センターは、真の説を声明すればパニックが起こると考えたのだろうか? 彼ら自身の深い不安感を認めたくないために、思慮のない言い逃れをしようとしたのだろうか? その動機が何であれ、さまざまのアピールをし、否定や偽りの解釈をしてきた空軍は、円盤問題に関する真相を隠そうとする政府の陰謀を、一般人にありありと感じさせる結果をもたらしたのである。
円盤政策の気まぐれな変化がこの大衆の疑念をあおり立てた。 数年後、未確認飛行物体を研究しようというまじめな試みは、この陰謀宣言を調査しない限り行えないほどになってしまったのである。 最も技術的に進歩した国は、他国に知られまいとする秘密を持っている。通常こうした秘密はごく少数の人だけに知られている。 たとえ円盤の存在を否定した空軍のスポークスマンが自分の声明を信じているとしても、大衆はこのスポークスマンたちが−それより上位の人であろうと−あらゆる事実に精通しているとは確信できなかった。
多くの人は、あの奇妙な円盤は極秘の新兵器であるために空軍が知らないふりをしているのだと最初は思っていた。しかし年月が経過し、世界のほとんどあらゆる国からUFO報告が入って来るにつれて、上記の理由はすべての政府に当てはまらないことが明らかになってきた。 UFOはこの世界のどこかから来る、という説を疑い始めた一般人は、それが大気圏外から来るのではないかと考え始めた。 一方、空軍情報部は、次々と態度の変化を見せてきた。1948年7月24日、プロジェクト・サインのスタッフを震え上がらせる事件が発生した。 1機の大型民間航空機が危うくUFOに衝突しそうになり、パイロットが空軍技術情報センターの調査官へ、正確な報告を伝えたのである。 しかしトップレベルの高官連は、興味を示したようには見えなかった。 |
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