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 第2章 黙殺の申合せ 第2話 宇宙よりの訪問者/ロイステマン
 

続く数ヶ月間UFOの目撃例や報告類はますますよいものが出続けたにもかかわらず、当局のある人々は、どうしてもUFOの実在を認めたがらないように思われた。

▲CSI(民間円盤調査会)の会合で説明するE・J・サリバン。これはUFO目撃報告を調査する非軍事グループの一つである

▲CSI(民間円盤調査会)の会合で説明するE・J・サリバン。これはUFO目撃報告を調査する非軍事グループの一つである。こうしたグループができたのは当局があらゆる円盤問題に疑惑を表明したからである。 CSlのメンバーの中にはワルター・リーデル博士もいた(サリバンの後ろ)。 博士はドイツの有名なロケット設計者である。

しだいにプロジェクト・サインで働く人々は、国防省がUFOの存在を確証するような情報を望んでいないということを知り始めた。

同省は、UFOが存在しないことを証する解釈しか求めないことがわかったのである。 この態度は1949年2月に確証された。 そのころプロジェクト・サインという暗号名はプロジェクト・グラッジに変更され各目撃を誤認または幻覚と片づける新政策に同調しようとする人々で構成されたからである。

▲“円盤黙殺”をやめさせようとして、当局に対するデモが広く起こった。 写真は、1958年にロンドンでデモ行進したイギリスのU FO研究グループ。 彼らはイギリス空軍に、円盤現象の存在を認めさせようとした。
▲“円盤黙殺”をやめさせようとして、当局に対するデモが広く起こった。 写真は、1958年にロンドンでデモ行進したイギリスのU FO研究グループ。 彼らはイギリス空軍に、円盤現象の存在を認めさせようとした。

しかし、円盤を否定するプロジェクト・グラッジが流した新聞の報道や記事は、民間航空のパイロットや科学者などが未確認飛行物体を見たことを知っている一般大衆に対して、逆な効果をもたらしたようだ。 空軍は事実を隠しているのではないかという一般の疑いが増大し、1949年12月までには、ドナルド・キーホーが『トゥルー』誌に発表したセンセーショナルな記事を受け人れる態勢ができていたのである。

その記事は「空飛ぶ円盤は実在する」と題するもので、筆者は8か月の調査後、地球は別な惑星から来る知的生物によって観察されているという結論に達したのである。この知的生物は、円盤と呼ばれる宇宙船で宇宙飛行をするといのだ。キーホーは、最も不可解な円盤事件のいくつかを調べて、空軍の公式見解をくつがえした。その権威ある記事のスタイルと『トゥルー』誌が真実を掲載することで名高いという事実によりこの記事は大きな反響を巻き起こした。UFOは、またも新聞の大見出しを飾るようになり、この記事が取り上げられて、アメリカじゅうのテレビやラジオ解説者か論議の的にした。

▲UFOについて語る退役アメリカ海兵隊少佐のドナルド・キーホー(1973年)。
▲UFOについて語る退役アメリカ海兵隊少佐のドナルド・キーホー(1973年)。 彼は最初、U FOが大気圏外から来ると考えていた。 その雑誌掲載記事「空飛ぶ円盤は実在する」は 1949年にセンセーションを巻き起こした。

キーホーは自分の記事で、きわめて強力に防衛策を講じたのである。 彼は、UFOは秘密兵器などではないと言うトップレベルの人々と話しており、このことからUFOが惑星間を飛ぶ宇宙船に違いなく空軍はその事実を隠していると推断したのである。 後にこの間題を調査したルッペルトによれば、空軍は隠したわけではないという。 空軍はただUFO問題に興味を失っただけで、この問題に関心のある者が他に存在するということが信じられなかったのである。 しかし、政府が黙殺の申合せをやっているのだという考え方は大衆の中でなおも強く根づいていた。 特にUFO問題を自分で調査した人々はそう考えた。

1949年12月の終りに、多くの新しい優れた目撃例が出てきたうえ、キーホーの記事によって大衆の新たな関心か生じたにもかかわらず、空軍はプロジュクト・グラッジの活動を削減することに決めた。そして600ページから成る分析と付録を含む最終報告書を発表した。目撃例の23パーセントが“不可解”の分野に入れてあるにもかかわらず、その報告書によればUFO報告なるものは、すべて一種の軽い群集ヒステリーから生じたものであると強い結論を下していた。

▲カリフォルニア工科大学のH.P.ロバートソン博士。1953年にUFO目撃報告を調査するために設立されたCIA委員会の議長であった。
▲カリフォルニア工科大学のH.P.ロバートソン博士。1953年にUFO目撃報告を調査するために設立されたCIA委員会の議長であった。

一般の混乱に加えて、1950年3月に『トゥルー』誌が別な記事を掲載し、これが読者間に熱狂状態を引き起こした。 今度はニューメキシコ州ホワイトサンズの海軍科学者チームを率いる人が書いたもので、「科学者はどのようにして空飛ぶ円盤を追跡したか」と題する記事だった。 筆者のR.B.マクローリン中佐は、ホワイトサンズで自分と部下が数度UFOを目撃したことを述べ、その−例として次のように書いている。 「私は、それが円盤であったと確信している。もっと詳しく言うと、それらの円盤型物体は生きた知的な生物の操縦する、別な惑星から来る宇宙船だと思う。」この記事は、それ自体が驚くべきものだった。もっと驚いたことには、この記事は過去2か年にわたって流された軍部の報道に相反するにもかかわらず、軍から完全な報道の許可が与えられたのである。

これを読んで大衆はどちらを信じただろう? マクローリン中佐のような人が、個人的体験に基づいて未確認飛行物体の飛来を信じていると公言し、自分の名声をかける場合、それは空軍の厚顔なスポークスマンが流す愚にもつかない声明よりもはるかに貫禄がある。 空軍の最高幹部級ですらも、一部の人は他の人が円盤問題について何をやっていたかを知らなかった。 混乱の原因は一つにはそうした点にあったようだ。このことは、フォートマンモス事件の調査で明らかになった。

▼かつてプロジェクト=ブルーブックのリーダーであったへクター=クインタニラ少佐。
▼かつてプロジェクト=ブルーブックのリーダーであったへクター・クインタニラ少佐。 UFO信者から送られた、偽の証拠物件を見ている。 この中には、ふつうのラジオ部品やソバ粉パンケーキなどがある。 クインタニラは、自説に都合のいい解答を引き出そうとして目撃者に質問し、あらゆるUFO問題を片づけようとしたため、ひどく非難された。

1951年の夏、未確認飛行物体をとらえたという多数のレーダー報告が入って、空軍技術情報センターのスタッフ間でUFOに対する関心が高まり始めた。 しかし、レーダーというものはある種の気象条件下では奇妙なこともやると知られていたので、この報告が当局の関心をひくことはなかった。

だがこれは、1951年9月10日から変化した。 その日午前11時10分、ニュージャージー州フォートマンモスの陸軍通信部隊で、一人の学生オペレーターが、レーダーセットで重大な“訪問者”の群れを自動追跡しようとしていたのである。 このセットは、ジェット機のスピードで飛ぶ物体群を追跡できた。 彼はレーダー基地から約11キロメートル南東の位置にある1個の物体を見たが、自動追跡装置でその位置を突き止めることは不可能だった。 ジェット機にしては、速すぎたのである。 気象条件を調べたが、誤認と思われるような原因は発見されなかった。 25分後に1機のジェット機のパイロットがニュージャージー州ポイントブレザントへ飛来してはるか下方に直径10ないし15メートルの銀色の円盤状物体を見た。 午後3時15分に、フォートマンモスのレーダーが、28キロメートルというすごい高度を飛行する1個の物体をとらえたが、これも遠方の銀色の点として認められた。翌日、さらに2個のUFOが、レーダーでキャッチされたのである。

第2章第3話へ続く

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