我々が写真という証拠を持つことは確かだが、大抵の場合それは間接的証拠なのである。くり返すがUFO現象は、疑いなく本来それに備わっていて、しかも性質そのものに関連のある"捕えがたい"という特色を持っている。もしわれわれが暫定的仮説としてUFOが単に地球の技術を超えているばかりか現代の地球の技術とは異なる技術の産物だとすれば、UFOは実際には航行の"物的"証拠をあとへ残さないということになる。ここに素朴きわまりない質問がある。
「UFOが機械だとすれば、なぜナットやボルトを落とさないのか?」
この質問は先般米航空宇宙局の或る有名な科学者がバルセロナを通過したときに発したものである。(FSR編者注:米航空宇宙局の宇宙船からナットやボルトが落ちたら天よ宇宙飛行士を助けたまえ!)また次のような質問も出した。
「UFOOが存在するのが確実ならば、なぜ我々はUFOの電波信号をキャッチしないのか?」
この2つの質問は人類のなかで最も素朴な人によって発せられている。2つともこの宇宙には「ただ一種類の"機械"しか存在しない」かまたは「ただ一種類の長距離交信法しか存在しない」という推定から出発している。英国の偉大な科学評論家アーサー・クラークは「すばらしく進歩した科学技術は魔法と大差はない」といっている。16世紀の人間にとってテレビジョンは魔法と思われるだろう。現存する少数の原始人にトランジスタラジオが魔法のように見えるのと同じである。
ここにおいて我々が変えねばならないのは"機械"の概念そのものである。われわれはまだ19世紀の機械の概念に基づいているのだ。サイバネティックス(人工頭脳学)と情報理論は、蒸気エンジンで始まった古い19世紀の概念とは全然関係のない機械の概念の方向へ道を指し示している。小型化や生物学とつながる − 生物学がなぜいけない?− エレクトロニクスが圧倒的な役割を演じるこの新しい概念を基礎として推定すれば、われわれは単なる機械よりもむしろ"生物"の性質を持つと思われる"機械"の思いもよらぬ概念に到達することになる。そうなるとまず第一に、例えばUFOは飛行機が飛ぶような工合には飛ばないというのに、そして我々によく知られている地球の機械的構造的特徴はUFOの製作とは全然関係がないというのに、UFOの飛行中に一体どこでナットやボルトが落とされるだろう?
さて冗長だけれども述べる必要のあったこの脱線から本題に返ることにしよう。
問題はすでに述べられたので、一つの"理想的な"実例を設定するとすれば、それは少なくとも具体的な証拠書類調べと結びつくものとなるだろう。できればさまざまな出所と、加うるにまじめなことで通っている色々の目撃者の証言から出た実例がよい。しかもUFOの着陸によって残された"物質的"証拠があればなおよいし、UFO自体から出た物質があれは最もよろしい。
米国のブルー・ブック・プロジェクト(注:米空軍のUFO調査機関)の記録は"未確認"としてラク印を押された無数の実例を含んでいて、それらは上に示された各証拠の一つだけは含んでいる。本当に理想的な実例というのは右の各証拠すべてに結びつく実例となるだろうし、加うるにレーダーによる探知、電磁的な影響の発生、物体の近くの"居住民"の観察等が伴うものならなおよいだろう。
レーダーによる探知や居住民の観察は別として、この記事で扱われる実例は上に示されたあらゆる特徴と結びつくものである。これらの特徴を集めるとスペインのサン・ホセ・デ・ヴァルデラスの事件が浮かびあがるが、これは記録に残っている最もすばらしい事件の一つである。しかもこの事件においては各種の証拠が互いに確証し合っているのである。
アルーチェの着陸事件
サン・ホセ・デ・ヴァルデラスの事件より約1年半前に、きわめて興味深い別な事件があった。1966年2月6日に、マドリードの郊外アルーチェで、1個の大きな円形のUFOが午後8時から9時までの間に短い着陸をやり、それが近くの弾薬集積所にいた一団の兵士たちに目撃された。
その物体はヴィンセント・オルトゥーニョ氏にも目撃されたが、彼はラファエル・フィナ通りの6階のアパートの窓から見たのである。カシルダ・デ・ブストスからマドリードへむかってドライブしていたホセ・ルイス・ホルダン氏も見た。バルセロナのポルケ(理由)誌1966年2月16日号はこの事件の記事を掲げてホルダン氏の住所を報導した。そこで私の仲間であるエウへニオ・ダニャンスがホルダン氏に手紙を出して詳細を尋ねたのである。
ホルダン氏の長たらしい回答はFSR誌1966年5・6月号に掲載された私の記事、"マドリードの着陸事件"の主要部分を形成する。
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▲第1図 |
▲第2図 |
要約すると、ホルダン氏は一個の白い円盤が接近するのを見たのである。色は黄色とオレンジに変わった。彼は停車して車外へ出て頭上高く浮かんでいる物体を見つめた。見かけの大きさは車のハンドルくらいで、彼の前方のどこか一地点へ降下して行った。目撃者は車へもどり、飛行場付近の着陸場所と思われる所へ車を走らせた。現場へ到着してみると円盤が急速に上昇するのが見えた。それは直径10〜12メートルくらいで、一定のかすかな振動音を出していて、恍惚たる光輝を帯びていた。すると突然あたかも"飛んで行った"かのように消えてしまった。
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▲第3図 |
目撃者は物体の下部から出ている3個の"突出物"を見ている。それは第1図かまたほ第2図のようなもので、下部の平面図は第3図のようになる。全体の見取図は第4図の如きものである(上部は通過の際に見えなかった)。
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▲第4図 |
ホルダン氏は付近の家(エル・ンラハル園のマンション)へ体験を話しに行った。
目撃のあとホルダン氏は自分の見た物について全く思い悩まされたので、みずから調査者となりてテープレコーダ−を携行して判明した限りの同事件の証人すべてを訪問した。
ヴィンセテ・オルトゥーニョ、マリアーノ・デ・ラス・エラスとその友人たち(酒場パレンシアの人。ここで例の兵士たちが体験を興奮して話し合っていた)、エル・レラハル園のヘルミニア・ベラエス夫人等である。彼女の夫はホルダンが夫妻に目撃を報告した夜、彼を狂人だと思っていた。ヘルミニア夫人がホルダンに語ったところによれば、事件当時にテレビのスイッチを入れたけれども、わけのわからぬ理由で画像が出なかったとのことで、電燈は異常なかったという。
そういうわけで1年4ヶ月後、正確にいえは1967年6月1日の夕暮時にサン・ホセ・デ・ヴァルデラスで異常な事件が発生したとき、あの第一回の事件に近い関連のありそうなこの第二回目の事件について、見出し得る限りの目撃証人を調査するためにホセ・ルイス・ホルダンは早速出かけたのである。
サン・ホセ・デ・ヴァルデラスは大きなアパート群から成る超近代的な住宅地区の一つで、マドリードの極端な膨張につれて出現した地域である。サン・ホセ・デ・ヴァルデラスとエストレマドゥーラ高速道付近には牧場や雑木林を含む田園地帯があるのは幸運なことだった。事件はこの地域の一つで起こった。
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▲ヴァルデラスのUFO。 |
ヴァルデラス侯の古い城壁がジルエットとなってそびえている(現在この城は神の愛教団の修道女によって経営される学院として使用されている)。数名の人々が6月1日の夕方の新鮮な空気を吸ったり、くつろいだり、新聞を読んだりしていた。そのときみんなは突然奇妙な円形の物体が城の上をすれすれに現われるのを見た。それは約12分間そのあたりの上空を飛びまわっていたが、あまり低く飛ぶので木々の頂上に触れるほどだ。木の葉のような奇妙な運動でひらひら舞い、ついにエストレマドゥーラ高速道の方へ消えて行った。この物体は典型的ないわゆる"空飛ぶ円盤"と同じであるように思われた。それほ直径12〜13メートルの完全な円形で、2個の洗面器をくぼんだ側を内側にして重ね合わせたように見えた。下部には不思議な記号 − アルーチェで見られたUFOについていた記号にきわめてよく似ていた − があったが、タテ線のまん中が横線でつないであるのだ。
「長方形の中に十字架があるみたいでした」とホルダンがテープを取った婦人は述べている。彼女とその息子も物体を見ている。「弁当入れのようでした・・・。またはすごく大きなチーズみたいだったわ」と彼女はいう。
一方地元の酒場では次のようなコッケイな話が交わされていた。典型的なマドリード印のユーモアである。「あの記号か?ああ、ありゃあマーシャン(火星人)を意味するMの字だよ」
>>第2話へ続く |