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| ├ 写 真 |
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| ルールドの奇跡 久保田 八郎 | |
| 第5章1部 瀕死のマリー・フェランがよみがえる |
| ルールドの泉の水を飲んだり浴びたりして医者からも見放された難病患者が奇跡的に治った例は、ベルナデットがルールドに住んでいたころからあったし、現在までに無数の実例が報告されている。だから"聖水"と呼ばれて、いまも世界中から病人がおしよせているのだ。
ここで奇跡の代表的な実例として、世界的に有名な科学者による目撃体験をあげることにしよう。 |
カレル博士が見た奇跡 1903年(大正2年)5月未、フランスのリヨン駅を出発したルールド行き巡札列車の中に1人の医師が乗っていた。このころルールドはすでに聖地として名高くなっており、フランスの各地から多数の病人が巡礼列車で群れをなしてルールドへ送られていた。 この医師こそ、後年ノーベル賞受賞に輝いたフランスの生んだ大生物学者、アレキシス・カレル博士の若き日の姿である。このとき博士は、リヨン大学の医学部で解剖実習と実験を担当する30歳の青年教授であった。
彼はかねてからルールド診療所長ボワッサリー博上の報告に述べられた多数の奇跡的治癒に深い関心をもち、これを科学的に研究しようと思いたって、巡礼列車に乗りこんだのである。 むし暑い車内には数百人の患者が横たわり、医師から見放された体にルールドの奇跡の夢を託しながら苦しんでいた。 全部が治るわけではない 彼が座る2等客室にはほかに3名の乗客がいた。巡礼団の幹事である神父、副司教、それに中年の婦人だ。副司教である神父が車中で次のように語ったことばは重要な意味をもつものだった。 「私がルールドへ巡礼団をつれて行くのは、これで25回目です。聖母マリアはいつも私たちに大いなる恵みを与えてくださいました。約300人の患者のなかで、50〜60名は病気が治ったりよくなったりして帰るんです」 つまりルールドへ奇跡を求めて行く病人の100人が100人とも完全に治るわけではないのだ。神父の体験によれば、ルールドへ行く病人のうち20パーセント程度に治癒現象が生じるだけなのである。この事実は現在も変わらない。 しかし重要なのは、治る率よりも、不思議に治るという現象そのものにあるのだ。なぜ治るのか。科学的な医学の治療を受けても手のほどこしようがないほどに進行して、なすすべのないガン、中風、盲目、小児マヒ、その他の難病が、ルールドで瞬時か、または数日後に完治したという例は、ベルナデットがいたころから発生している。あの泉の水に特別な薬効のある物質が含まれるとは報告されていない。それでも治るのだ。なぜか―。 こうした神秘的な現象に関心をもつカレルは、とにかくルールドで起こる奇跡をこの目で目撃し、それに科学のメスを入れたいと、鮮烈な期待に胸をふくらませていた。 巡礼列車の少女 列車は南方に向かって走って行く。80年前の列車だからひどくゆれるし、速度も遅い。しかも異常気象が続き、5月末というのに7月のような暑さで、車内の空気は重苦しい。 朝の6時になってもまだ車内ではロザリオの祈りがとなえられている。陰うつなふん囲気からのがれるために、カレルはコンパートメントから通路へ出た。 すると1人の神父が近づいてきてささやいた。 「2名の患者が非常に苦しんでいます。モルヒネの注射を打ってやってくださいませんか」 その病人たちがつめこまれている粗末な3等車に通じる通路がない。それで次の駅で停車したときに、神父とカレルはプラットホームに降りてから3等車に乗りこんだ。 ムッとするような異臭が鼻をつく。どの病人も弱りきって、ぐったりとなっている。
一隅に重症患者たちがうごめいている薄暗い車内に、1人の少女が身動きもせずに横たわっていた。マリー・フェランという19歳の娘で、下腹が大きくふくれあがった典型的な結核性腹膜炎患者だ。顔はまっ青で、くちびるには血の気がない。 カレルはやさしくたずねた。 「気分はどうかね」「とても苦しいわ。でもルールドへ行けてうれしい」とマリーはかすかな声で答える。 いったんその場を離れたカレルが自分のコンパートメントで休息していると、午前3時ごろ、看護婦があわただしく呼びに来た。 行ってみるとマリーは息もたえだえで、苦悶と絶望のさなかにうつろな目をあけている。カレルはモルヒネをうった。科学者なので、カメラとスケッチ用絵具、筆記用ノート、わずかな医療器具と薬品を持ってきたのだ。 修道女の話によると、両親を結核で失ったマリーは生来病弱で、17歳のときに吐血し、18歳で肋膜炎にかかり、半ガロン以上の水が左の肺からとり出された。しかし後に結核性腹膜炎にかかり、容態が悪化したので、大病院へ送ったが、もう手遅れで手術ができず、医師団はサジを投げた。そこで本人はルールドに最後のはかない望みをかけたのである。
信仰とは何か ルールドでたとえ助からなくても、そこへ行けただけで満足するとマリーは言う。これは前日、神父がカレルに説明したことばを裏づけるものである。 治らないで帰ってくる病人はどうなるのかとカレルがたずねたとき、神父は平然と答えた。 「いや、それは問題ありません。みんなルールドへ行けたというだけで満足するんです」 これは信仰の強みというものだろう。治らなくてもけっして不平不満を起こさずに、神に感謝して死んでゆく。 いったい信仰とは何なのか? カレルはしきりに考えていた。人間を救うものなのか、それとも盲目にするものなのか―。 モルヒネがきいて、ひき裂けるような苦痛がやわらぎ、マリーは落ちついて言った。 「気分がよくなりました」そして彼女は眠りにおちた。 ここには、献身的に働いている若い看護婦が1人いた。白い制服を着て、きびきびと働く彼女の目は金色に輝き、あわれな病人たちのために奉仕することを無上の喜びと感じている。これもやはりカトリック信仰にもとづくものだった。イエスの愛の精神を身をもって生かすのだと彼女はカレルに語る。 愛の精神か―。またもカレルは考えこんだ。 客車内にはいろいろな病人がいる。白痴の娘をつれた女、顔じゅうにできものができて、きたない包帯を巻きうけた男、小児マヒで下半身が自由にならない男の子をつれた若い女など、さまざまである。 このかわいそうな人たちを肋けるのはだれか。医師から見放された連中だから、少なくとも私ではない―。私はいったい何をしようというのか。カレルの思索は続いた。 ルールドに着く 朝になった。列車は広い草原地帯を走っていく。初夏の朝焼けの美しい輝きにくらべて、車内の不幸な病人たちの姿はあまりにも対照的だった。 午後2時に列車はやっとルールドの駅に近づいた。長く苦しい旅を終えて、あこがれの奇跡の町に来たのだ。やつれはてた病人たちにもほのかな生気がよみがえってくる。 「来たぞ!ルールドだ!」あちこちから叫び声が起こる。巡礼団が歌いだした聖歌が車内に響きわたる。 「ああ、海の星よ、恵み深き神の母よ―」カレルのコンパートメントにいたほかの3人も唱和する。それは熱狂というよりも、心の底からわき起こる抵抗しがたい衝動によるものだろう。その衝動の起こらぬカレルだけは歌おうとせず、複雑な表情でこの信徒たちを見ていた。 カレルはまずホテルへ行って、食堂で昼食をとったあと、ホテルから数百メートル離れた「七つの悲しみの聖母」と名づけられた大きな病院へ行った。ここには列車で運ばれた多くの病人が収容されている。 病院の前の広場ではそれぞれの制服を着た多くの奉仕団体のメンバーたちが、車椅子を押したり担架をかついだりして病人を運んでいる。この風景は現在のルールドでも変わらない。ここには奉仕という熱風が渦巻いているのだ。この異様ともいえる光景にカレルは感動した。 ここで彼は、むかしの同級生である1人の男に出会った。じつは巡礼列車の中でもすでに会っていたのである。驚いたことに、相手はかいがいしく担架をかついで病人の運搬をやっているではないか。あの冷たい男が!とカレルは目を大きく開いた。 「なかなかやるじやないか」彼が声をかけると、相手は平然として答えた。 「ここへ来れば、こうしないではいられなくなるんだ」 聞いてみると、患者を聖泉につけるのは午後1時半からだという。時間があるので2人は町へ出て小さな喫茶店へ入った。通りにはマリア像やベルナデットにちなんだみやげ物を売る店が並んでいる。2人はここでコーヒーを飲みながら、ルールドで発生する奇跡の問題を語り合った。
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