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| ルールドの奇跡 久保田 八郎 | |
| 第5章2部 カレルは奇跡を信じなかった |
| 友人の話によると、聖水の近くで松葉杖をついてびっこをひいていた老修道女が、コップに聖泉の水を少し入れて飲んだ瞬間、急に足が治って走りだし、洞窟の前でひざまずいたという。 |
ところがその女は、じつはかつてカレルの患者の1人であった。そして足の病気は治っていたにもかかわらず、痛いと思いこんでいたのだが、水を飲んだときに治ったように思いこんだのだろうと、カレルは反論する。 彼は科学的な教育を受けたあと、唯物的な実証主義の方向に走ってしまい、宗教的な奇跡を信じなくなったのである。奇跡と思うのは一種の自己暗示だと言う。
そこで友人は質問した。「じゃ、なぜ医師である君が彼女に全治したことを確信させられなかったのか?」 カレルは強い調子で語った。信仰心には強烈な自己暗示がひそんでいる。祈りで精神が高揚している群集は体内に一種の流動体を発する。これは神経系統の病気には大きな効果を与えるけれども、体内の器官を患っている器質性の病気は治せない。もしそんな病気が治ったとすれば、それはすでに治っていたのに本人が気づかなかったのだと言う。 友人も負けてはいない。いろいろな不治の病がここで奇跡的に全快した実例をあげるのだが、カレルは冷ややかに反論する。 カレル自身が書いたこの議論を分析してみると、彼は宗教的な奇跡というものをまったく信じていないことがわかる。彼は神の存在さえも否定している。そして器質的な疾患、たとえばガンが隠滅するとか、切断された足の骨がひとりでに生えてくるというような例を見ないかぎり、客観的事実としての奇跡を認めないと主張しているのである。つまり科学的精神に徹しているのだ。 そして、ついにカレルは列車内で診察した危篤状態のマリー・フェランの話をもちだした。もしあの女の子の病気がここで治ったら、それこそ奇跡だろう、そのときには修道院へ入ってやると笑いながら言う。
死にかかったマリー・フェラン 喫茶店を1時に出た2人は、病院の「無垢の受胎病室」へ入って行った。ここは瀕死の重病人だけを収容する特殊病室で、20ほどあるベッドの1つにマリー・フェランが横たわっている。 同じ巡礼列車で来た若い女性と女子修道院長がそばに立っている。「もうだめなようです」と、若い女性の奉仕員がカレルにささやく。 のぞきこんでみると、マリーは土色の顔をして、速い呼吸をしている。両腕はわきにたれていた。持ち上げる力もないらしい。 「気分はどうかね」カレルはやさしくたずねた。娘は何かを言おうとしてくちびるを動かすのだが、まったく聞きとれない。診察すると脈拍は150、心臓も最期に近い。 看護婦からプラバス皮下注射器を受けとったカレルは、すぐにカフェインの注射をした。そして毛布をめくり、氷のうをとり除いて、露出した下腹部をさすってみる。太鼓のようにふくれあがった腹部に固いぐりぐりができており、ひざのあたりまではれている。 「あと2、3日はもつかもしれないが、死ぬのは時間の問題だ。このひどい状態を見ろよ」カレルはうしろに立っている友人にささやいた。 あきらめたカレルが立ち去ろうとしたとき、若い女性がたずねた。「先生、この娘を聖泉につけてもいいでしょうか?」 カレルは驚いた。「じょうだんじゃない。途中で死んでしまうよ」 「でも聖泉につかりたいばかりにここまで来たんですから」「私には何も言う権利はない」カレルは冷たく答えた。 「せっかく遠いところから苦しみながら来たんです。聖泉につかりたいという幸せをうばうのは残酷ですよ。すぐに聖泉へつれて行きましょう」と女子修道院長が言う。これで話は決まった。
マリーにかける 「これこそほんとうのテストだ。あの娘が治ったら、ぼくは何でも信ずるよ」カレルは友人に低い声で言った。大聖堂が眼前にそびえて、ロザリオの広場は陽光で輝いている。彼は右側にまわって、群集のあいだを通りぬけながら、女子水浴場の前のベンチに腰かけた。
聖泉といっても天然の岩風呂みたいなものではなく、建物の中にコンクリートで作った大きな長方形の浴場があって、病人はここで奉仕員の手で着衣をぬがされ、水につけられるのである。 カレルの眼前には初夏のルールドの美しい平野が展開する。これがルールドか。むかしから多くの苦痛と恐怖が消滅したというこのふしぎな町に来て、自分はいま、1つのテストに賭けようとしている。マリーの重病は治るか。いや、まさか、あんな死にかかった病人が―。 担架にかつがれた一群の重病人が来た。さきほど別れた友人がほかの男といっしょに担架をかついでやって来る。見ると横たわっているのはマリー・フェランだ。 ふくれあがった下腹部には濃い茶色の毛布がかけてあり、そこが山のように高くなっている。死相のあらわれた顔に暑い日ざしがあたらぬように、あの若い女性がパラソルをさしかけている。 水浴場に入る前に担架が地面におろされたので、カレルは接近して脈をはかった。速い!マリーは意識を失っており、顔は灰色と化している。死は秒刻みで近づいてくる。「もうだめだ」とり出したプラバス注射器とエーテルのビンをベンチの上に置く。 マリーのために祈る 大聖堂の大時計が2時を打った。大勢の病人が次つぎと車椅子で運ばれて行く。信仰という強力な武器をたずさえた患者たちの顔には安らぎの色さえ浮かんでいる。 泉の水につけたショックでマリーは息が絶えるかもしれない。だが魂と願望のすペてを聖母マリアに託してしまった19歳の女にとって、この泉で死ぬことは本望だろう。ガラリヤ湖畔の丘で教えさとしたイエスの姿を見た人びとは幸せだったのだ。そのことばを信ずるほうが賢明ではないか。悲しむ人たちに慰めをもたらした聖母マリアは、けっして人間の創作ではない。2000年間、悩める人びとを救ったことはまちがいないのだ―。 深い思索にふけるカレルは、いつのまにか自分があわれなマリー・フェランのために祈っていることに気がついた。聖母にたいして、マリーには生命を、自分自身には信仰がとりもどせるように祈ったのである。
しかし、ふと我に返った彼は、自分が科学者の道をはずれていることを意識して、みずからをいましめた。感傷におちいるな!自分は医師なのだ。冷静な客観的態度を失うな! マリーが眼前に運び出された。カレルは急いで近よった。容態は極端に悪化している。つきそいの女性が言った。 「腹に水を少しかけてやっただけで、係りの人たちは聖水につけてやる勇気はありませんでした。これから洞窟へつれて行きます」 群集や病人の祈りのことばが歌声のように響くなかを、カレルは洞窟のほうへ急いだ。時刻は2時半ごろである。 洞窟の入口の前には多くのロウソクが燃えており、人びとでごったがえしている。カレルは洞窟の壁によりかかって、マリーの担架を近くから注視した。もう死人同様だ。 周囲にはよだれをたらしている白痴の女、甲状腺の巨大なはれもので顔と陶とがくっついたようなみにくい女、その他の病人たちがひしめいている。 騒然たる祈りの声やこうこうと燃えるロウソクの臭いなどが織りなす宗教的熱狂と、すさまじいまでの生への執着―。人間の強さと弱さが交錯する異様なふん囲気のなかで、カレルはふたたびマリーを見た。そしてハッとした。あの苦悶に満ちた顔がやわらいで、皮膚も少し生気をとりもどしたように見えるのだ。気のせいか―。 第5章3部へ続く
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