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| ├ 写 真 |
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| ルールドの奇跡 久保田 八郎 | |
| 第1章2部 世界の宗教史に残る大事件 |
| ベルナデットはまたも目をこすったけれど、もう美女の姿は見えない。ふしぎなことだったが、他の2人もきっと向こう岸から美女を見たにちがいない。 |
急に元気が出た彼女は片方の靴下をぬいで川をわたり、2人のいる場所へやって来た。 「あなたたちも、あれを見たでしょう?」ベルナデットが息をはずませながら聞く。
「あれって何よ。何も見ないわよ。そういえば、さっきあなたがひざまずいて祈っている姿を見たけれど、こんなところで祈るなんてばかみたい」 口の悪いジャンヌがからかう。ベルナデットはハッとした。この2人はあの美女を見てはいない。私だけが見たのだ。これは秘密にしておこう。しやぺってはいけない―。 薪を頭に乗せた2人は、今度は水路ぞいではなく洞窟の横から山道を登りながら帰路についた。日頃ジャンヌはベルナデットを小ばかにし、妹のトワネットも姉が長女として大切にされるので、少しひがんでいた。 「さっき何を見たというの? 話してよ」 妹はしつこく尋ねる。2歳年下の妹の性格をよく知っているベルナデットは、しかたなくほら穴に出現した美女のことを話してやった。 だがトワネットは信じない。 「私をこわがらせようとして、そんな話をするんでしょ」
「ちがう。ほんとに見たんだから」帰る道すがらベルナデットは自分の体験の真実性を主張したが、妹は容易には信じようとしなかった。 だが、小さい姉妹の一見とるに足りない問答が、後年、世界のカトリック史上に"ルールドの奇跡"として燦然(さんぜん)たる名を残す大事件の発端になるとは、だれにも想像できなかった。 極貧のスピル一家 1844年ころのルールドは入口数千人の田舎町だった。岩だらけの丘からなるやせた土地で、中世にはサラセンの侵略にそなえて要塞化されており、その名ごりを示す無人の古城が岩山にそびえている。 ガーブ川とは別に、ラバカという小さな水路があったが、この水を利用して製粉業を営む5つの水車小屋があった。電気のない時代なので動力は水である。それらの水車小屋の1つにポリという小屋があった。 この小屋の経営者ジュスタン・カステローが事故で他界したので、未亡人のクレールは早く跡取りを見つけて仕事を継がせようと思い、付近の水車小屋で働いていたフランソワ・スピルーという男に、自分の長女のベルナールを結婚相手にどうかと話をもちかけたのである。 しかしフランソワは次女のルイーズが好きだった。金髪で青い目をした愛くるしいルイーズと結婚すればしあわせになれると考えたフランソワはゆずろうとせず、ついに彼女との結婚にこぎつけた。1843年1月9日である。そして早くも1年後の44年1月7日には長女のベルナデットが誕生した。両親は大書びして、2日後の9日には町の教会へ洗礼を受けさせるためにつれて行った。
このときベルナデットは激しく泣いたが、後年この乳児が聖女ベルナデットとして世界のカトリック信者から尊敬とあこがれのまとになったとは、居合わせた人びとの思いもよらぬことであった。 フランソワは文字の読めない入だが、実直で、ばか正直な男であり、他人を疑うことを知らないカトリック信者である。ルイーズも気立てのやさしい愛情深い人で、夫婦は円満だった。 2人は一生懸命に働いたが、製粉所の経営はうまくゆかなかった。因っている人におしげもなくタダで粉を与えたり、代金はあと払いでいいよと言うような人は商売に向いていないのだ。しかも経済観念がとぼしくて、およそ金に執着がないから、金も近よってはこない。生活は苦しくなるのに、そんなことにおかまいなく、来客にドーナツやブドウ酒を出してもてなしたりする。そこで施しにあずかろうとして物乞いもやって来る。夫婦はこれを追い払うどころか、ていねいに応待するので、家計はますます苦しくなり、ついにポリの水車小屋は破産してしまった。1854年、ベルナデットが10歳のときだ。 それでも救いがたいほどお人好しの父親フランソワはぐちひとつこぼさずに日やといの入夫として働きに出た。この後、子どもは4人に増えた。ベルナデットの下に次女のトワネット、7歳下のジャンヌ・マリー、11歳下の末弟ジュスタンである。家族は計6人だ。 ふつうでも6人家族といえば大変なのに、父親が定職を持たぬ一家だから、まともな生活などできるわけがない。母親も赤ん坊のジュスタンにはかまわずに働きに出た。ベルナデットが赤ん坊の面倒をみるかたわら、薪や骨を拾いに出て、わずかな収入を得たけれども、学校どころではなく、したがって、10歳をすぎても文字はほとんど読めなかった。 少女ベルナデット こうした極貧のなかにあってもベルナデットは少しもひねくれることはなく、一生懸命に家事の手伝いをし、弟妹たちの世話をしたが、ろくな食べ物もないような生活のためか、生まれつき虚弱な体質だった。 1855年にはルールドでコレラが猛威をふるい、多くの人が死んだ。ベルナデットも軽いコレラをわずらったけれども、かろうじて助かった。しかしその後はゼンソクにかかって、これに障害苦しめられることになる。 生活が苦しくて、にっちもさっちもいかなくなったフランソワとルイーズは、ベルナデットを親類にあずけることにした。 そのころ母親のルイーズの姉であるベルナールは酒場を経営していた。ベルナデットからみれば伯母にあたる人で、おさないときからベルナデットの大好きな入だった。ここへお手伝いさんとしてあずけられたのである。 大好きな伯母さんのもとで働くことがうれしかったベルナデットは、毎日快活に仕事をした。ときには店に出て客にブドウ酒をついでやる。愛くるしい顔をした親切な少女がニコニコ笑いながら多めについでくれるので、客も多くて商売は繁盛した。 ベルナデットには他人にたいする寛大さと愛にみちたやさしさが天性としてそなわっており、それはあらゆる場合に発揮された。頭はけっしてよいほうではないが、年齢よりも小柄な彼女は子どもっぽくてむじゃきであり、だれに対しても親切なので、みんなから好かれたのである。
第1章3部へ続く |
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