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  神々の戦車 エーリッヒ・フォン・デニケン

第7章(4) 古代の驚異的遺跡は宇宙旅行センターか UFOと宇宙 No.3
 

サッカラで一九五四年の六月に、盗掘されていない墓が一つ発見された。宝石や黄金のはいっている箱が地下室におかれていたからである。石棺には開閉型でなく、すべらして開くフタがついていた。六月九日にゴネイム博士がこの石棺をうやうやしく開いた。しかし中には何もなかった。全然ないのだ。ミイラが宝石を残したまま逃げてしまったのだろうか? 

ソ連のロデンコが外蒙古の国境から五十マイルのところでクルガン五号と呼ばれる墓を一つ発見した。この古墳は岩丘の形をしていて、内部には木材が張ってあった。地下の各部屋はみな万年氷でとざされていて、そのために墓の中の物は冷凍状態で保存されていた。地下室の一つには死体に香料をつめてミイラ化した各一体の男と女の遺体があった。二人には来世のために必要と思われるあらゆる品物がそなえてあった。皿に盛った食物、衣類、宝石、楽器などだ。

▲トト・アンク・アメン王の埋葬室(第18王朝)。

別な地下室では四列になった方形物を入れた長方形のものを学者団が発見した。そのどれにも内部に絵が描いてある。全体がニネベのアッシリアの宮殿にある石だたみとそっくりである! 頭に複雑なツノをはやし背中に翼をつけた奇妙なスフィンクスのような像がはっきり見える。それらの姿勢は空の方を見つめている。

しかし蒙古のこうした発見物には第二の霊的な生命に対する動機はほとんど見られない。そこの墓で応周された冷凍法は---冷凍するためにこそ地下室には板を張り十分な氷をつめたのだが---あまりにも現世的で、明らかに地上の目的を意図されている。一体なぜ---この疑問は我々を悩まし続けるが---古代人はこんなふうにして保存された死体が目覚めを可能にするかもしれない状態に達すると考えたのだろう? これは当分のあいだナゾである。

中国のウ・チュアンという村には四十五フィート×三十九フィートの大きさの長方形の古墳があるが、その中には十七体の男と二十四体の女のガイ骨がある。ここでも暴力で殺された跡はない。

アンデス山脈には氷河の墓が、シベリアには氷の墓が、中国、シュメール人の土地、エジプトには集団と個人の墓がある。ミイラはうんと北の方や南米にも発見されている。そのどれにも新生活の必要品がつけてあり、しかもどの墓もきわめて巧みに設計され建造されているので、数千年間無事に残ってきたのである。

このすべては単なる偶然なのだろうか?個人の気まぐれなのか祖先の奇妙な思いつきなのだろうか? それとも我々にはわからない肉体の再生に関する古代の約束があるのか? あるとすれば誰がその約束をしたのだろう?

▲ブラスターで顔面を作った頭骨(ジェリコ出土)

一万年昔の墓がジェリコ(パレスタインの古都)で掘り出され、八千年前の多数の頭骨も発見された。これはプラスターで顔が作ってある。これも驚くべきことだ。見たところこの人々は製陶技術を知らなかったはずであるからだ。ジェリコの別な場所ではぎっしりと並んだ円形の家が発見された。各壁はドーム状に頂上部で内側にわん曲している。

有機物の年令がはっきりわかる全能の同位元素C14は、この場合一万四百年前という結果を出した。この科学調査による年代決定は、エジプトの神官たちが伝えた年代とかなり一致する。彼らは自分たちの祖先の神官が一万一千年以上もその職務を果たしてきたといっているのである。これも偶然にすぎないのだろうか?

フランスのリュサクの先史時代の石(複数)は特にいちじるしい発見物である。それらには帽子やジャケツやショートパンツを身につけてまったくモダンなスタイルの服装をした男たちの絵が彫られてあるのだ。アべ・ブルーイはこの絵はホンモノだといい、その声明は先史時代の全ぼうを混乱におとしいれている。誰がこの石に彫りつけたのか? 動物の毛皮を着た洞窟に住む人間が壁に二十世紀の人間の姿を描いたとは到底想像できないことである。

洞窟内をどうやって照明したか?

フランス南部のラスコー洞窟では、一九四十年に実にすばらしい石器時代の絵画が発見された。このギャラリーにならんでいる絵画はまるで現代に描かれたかのように生き生きとして完全なままなので、すぐに二つの疑問がとび出てくる。石器時代の芸術家の困難な仕事中にこの洞窟内がどうやって照明されたのか? なぜこの壁が驚くべき絵画で飾られたのか? 

▲フランス、ラスコー洞窟内の壁画(牛の広間)

このような疑問をばかばかしいと思う人にこれらの矛盾を説明してもらいたい。石器時代の穴居人が原始的で野蛮だとすれば、洞窟の壁にこの驚くべき絵画を描くことはできなかったはずである。一方、野蛮人がこの絵画を描くことができたとすれば、住居を建てることもできたはずだ。一流の権威者は動物が数百万年前に巣や隠れ場所を作る能力をもっていたといっている。しかしそれほど遠い者にホモ・サピエンスが同じ能力をもっていたと考えるのは、暫定的仮説に合わない。

ゴビ砂漠のカラ・コタの遺跡の地中深く---猛暑の影響下に起こるにすぎないあの奇妙な砂のガラス化の場所からあまり遠くない場所---コスロフ教授は、紀元前約一万二千年にさかのぼる墓を発見した。ここで二人の裕福な男の遺体をおさめた石棺一個が見つかったが、その表面には、たてに二等分した円形のシルシがついていた。

ボルネオの西海岸にあるスビス山系で、寺院様式に彫り抜かれた洞窟群が発見された。この巨大な集落の遺跡のなかに、どう見ても蛮人が作ったとは思えない精練をきわめた見事な蔵物がある。ナゾ、ナゾ、ナゾだ。

新しい年代測定法が必要

今やこれまでにないさまざまの疑惑が、型にはまった考古学上の諸説の中に徐々にはいり込もうとしているが、我々がやらねばならぬのは過去というジャングルの中に突破口をつくることである。ふたたび境界標を打ち立てて、可能ならばいつでも新たな一連の確実な年代を定めねばならない。

私は過去二千年の歴史に疑惑をもつものでないことをここではっきりいっておきたい。ただ暗黒につつまれた最古の時代について自分一人で語っているだけのことで、新たな疑問を投げかけることによってそれを明るみに出そうとしているのである。

大気圏外からやってきた未知の人間が地球の未熟な人間たちに影響を与え始めたときを示す年代や数字などを私はあげることはできない。

▲ライトアップされたギザのピラミッドとスフィンクス。

だが私は遠い過去にあてはめられている現行の年代についてはあえて疑いたい。私があつかっている事件を十分な根拠にもとづいて新石器時代、すなわち紀元前一万年ないし四万年のあいだとしたい。あらゆる人をよろこばせているC14を含むこれまでの年代測定法は、五千年以内の期間では大きなギャップを残すのである。調査の対象が古ければ古いほどC14はあてにならなくなるのだ。有名な学者通が語ってくれたところによると、C14による調査法はまったくだめだという。なぜなら有機体が三万年ないし五万年前のものであれば、その年代はその間のどこかになるというのである。

こうした批判の声を受け入れるにも限度があるが、それにしてもC14方式にならぶ、しかも最新の測定装置を応用した第二の年代測定法が望ましいのである。

(第7章終り)

>>第8章(1)へ続く

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