ギルガメッシュの叙事詩の秘密
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▲アシェル・バニ・パル王の神殿再建記念碑。 |
今世紀の始めどろクユンジクの丘でセンセーショナルな発見がなされた。それは十二枚の粘土板に刻まれた力強い表現に満ちた一英雄の叙事詩で、もとはアッシリアの王アシェル・バニ・パルの蔵書の一部であった。この叙事詩はアッカド語で書かれたが、後にハンムラビ王にまでさかのぼる二度目のコピーが発見された。ギルガメッシュの叙事詩の原形がシュメール人から出たものであることは一般に認められた事実である。この民族がどこからきたものかわからないが、驚くべき十五桁の数字と、すごく進歩した天文学を残したのである。
またこのギルガメッシュの叙事詩の主な部分は、聖書の創世記とよく似ている。
クユンジクで発見された最初の粘土板には、勝利を得た英雄ギルガメッシュがウルクの周囲に城壁をきづいたと述べてある。しかも穀倉をもつ堂々たる邸宅に"天空の神"が住んでいたこと、町の城壁の上に衛兵たちが立っていたことなどが記してある。我々の知るところでは、ギルガメッシュは"神"と人間のあいのこである。つまり三分の二は"神"で、三分の一は人間なのだ。ウルクへやってくる巡礼者たちは恐れおののいて彼を見上げた。美と力で彼に匹敵するものを見たことがないからだ。いいかえれば、その物語の始まりは"神"と人間との混血の概念を含んでいるのである。
二枚目の粘土板には、別な人物エンキドゥが天空の女神アルルによってつくられたと述べてある。エンキドゥの全身は毛でおおわれていた。彼は獣皮をまとい、野原の草を食べ、家畜と同じ水の出る場所で水を飲んだ。また流れる水の中でたわむれたりした。
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▲エンキドゥと野獣たち(ニネベ出土粘土板) |
ウルクの町の王であるギルガメッシュがこの愛橋のない生きもののことを聞いたとき、王はそいつにきれいな女を与えてやれば家畜から離れるかもしれないといい出した。無邪気なエンキドゥは王のワナにかけられて、半分が神である一人の美女といっしょに六日六夜すごした。
このちょっとした王のいたずらによって、半神半人と半獣半人のまじわりという考えがこの野蛮な世界ではあたりまえではなかったことを考えさせるのである。
三番目の粘土板は、遠くからきたチリの雲について語っている。天空はうなり、地はゆらぎ、"太陽神"がやってきて巨大な翼と爪でエンキドゥをつかまえた。驚いたことに神はエンキドゥの体の上に重くのしかかったが、その体重は大石のように感じられたという。昔の物語作者に豊かな想像力があり、翻訳者や書き手がよけいなことをつけ加えたとしても、その物語にはまだ妙な事が残っている。つまり昔の記録者が、ある加速によって体重がふえてくることを一体どうして知ることができたかということだ。
現在我々は重力や重心や加速のことをすべて知っている。宇宙飛行士が離陸時にGの力によって座席に押しつけられるときは、すべて前もって計算されている。
しかし一体どうしてこのような考えが古代の作者に浮かんだのだろう。
第五番目の粘土板にはギルガメッシュとエンキドゥの二人がつれだって"神々"の住居を訪れた様子が述べてある。女神のイルニニスの住んでいた塔が輝いているのが、二人が到着する前のはるか遠方から見られた。この用心深い旅人が衛兵たちに雨と降らせた矢や飛び道具が相手にあたらないではね返った。二人が"神々"の敷地に到着すると、一つの声が響いた。
「帰れ!人間どもは神々の住む聖なる山へ来てはならぬ。神々の顔を見る者は死ぬのだ」
「なんじはわが顔を見ることはできぬ。わたしを見て生きのびる者はないだろう」と出エジプト記に記してある。
第七番目の粘土板にはエンキドゥが語った宇宙旅行の最初の目撃談が出ている。彼はワシの真ちゅうのツメにつかまえられて四時間ほど飛んだ。以下は彼の物語をそのまま引用したものである。
「彼は私にいった。『土地を見おろしなさい。どんなふうに見えるかね? 海をごらん。どんな感じがする?』大地は山のようで、海は湖のようであった。すると彼はまた四時間ほど飛んで私にいった。『土地を見おろしなさい。どんなふうに見えるかね? 海をごらん。どんな感じがする?』大地は庭のようで、海は庭師の作る水路のようであった。すると彼はなおも高く四時間ほど飛んでいった。「土地を見おろしなさい。どんなふうに見えるかね? 海をごらん。どんな感じがする?』大地はカユのようで、海は水おけのようであった」
空中旅行の概念があった?
この場合はある生きものが非常な高空から下界を見たにちがいない。この記述はあまりに正確なために、まったくの想像の産物とは思えない。高空から地上を見た場合の概念が存在しなかったとすれば、大地がカユのようで海が水おけのように見えたとだれがいえるだろう?
なぜなら非常な高空から見れば地球はたしかにカユや水おけのはめ絵みたいに見えるからだ。
この同じ粘土板に、一つのドアが生きた人間のようにしゃべったと記してある。我々はすぐにこの奇妙な現象がラウドスピーカーだとわかる。そして第八番目の粘土板には、かなりの高空から地球を見たと思われる同じエンキドゥが、不思議な病気で死ぬことが書いてある。あまりに不思議なのでギルガメッシュが天空の怪獣の毒気にやられたのではないかと疑問を起こしている。だがギルガメッシュは天空の怪獣の毒気が致命的な病気をひき起こしたというような考えをどこで仕入れたのだろう?
第九の粘土板にはギルガメッシュが友のエンキドゥの死をいたみ、神々の所へむかって長い旅に出かけることにした様子が述べてある。
というのは彼もエンキドゥと同じ病気で死ぬかもしれないという考えがつきまとったからである。物語が述べるところによれば、ギルガメッシュは天空を支えている二つの山の所へきた。この山は太陽の門をなしていた。その門の所で彼は二人の巨人に会った。そして長たらしい議論をやったあと彼が三分の二は神であるというので通させることにした。やがてギルガメッシュは神々の庭を見つけた。そのむこう側には無限の海原がのびている。ギルガメッシュが進んで行くあいだに神々は二度警告した。
「ギルガメッシュよ、おまえはどこへ行こうとしているのだ? おまえが探している生きものを見つけることはないだろう。神々が人間を創造されたとき、人間に死の運命を与えられたが、生命はとっておかれたのだ」
ギルガメッシュは警告を無視した。彼は危険をもかえりみずに、人間の父であるウトナビシュティムの所へ行きたかったのである。しかしウトナピシュティムは大海原のはるか彼方に住んでいた。道もなく、太陽神の船以外に海を飛びこえて行く船もない。あらゆる危険をおかしながら彼は海を渡った。そしてついにウトナピシュティムに会ったのである。これは第十一番目の粘土板に述べてある。
ギルガメッシュは自分と同じくらいの大きさの人間の父を発見して、私とあなたは父子のように似ていますねといった。するとウトナピシュティムは自分の過去について、奇妙なことに一人称で話したのである。
>>第5章(2)へ続く |