ノア以前に大洪水があった?
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▲大洪水の物語を記した粘土板(ニネベ出土) |
ここで驚くのは、"大洪水"の詳細が伝えられることである。彼は"神々"が大洪水のくることを彼に予告し、女子供、親類、あらゆる種類の職人を収容する船を建造する仕事を彼に与えたことなどをくわしく語っている。激しいあらしや暗黒、高まる大洪水、自分といっしょにつれて行くことのできなかった人々の絶望などに関する描写は、今日でさえも迫貞的な力をもっている。また聖書のノアの物語と同様に、大力ラスやハトが放たれたことや、水がひいてからついに船がある山に着地した様子などの物語もある。
このギルガメッシュの叙事詩の大洪水と聖書に出てくる大洪水とが酷似していることに疑いの余地はなく、これに反対する学者はただの一人もいない。この二つを比較しておもしろいのは、この場合に出てくる前兆や"神々″が異なるということである。
もし旧約聖書の大洪水の物語が受け売りだとすれば、ウトナピシュティムの物語の一人称は、生き残った目撃者がギルガメッシュの叙事詩の中で語っているということになる。
数千年前に古代東方で破滅的な大洪水が起こったことははっきりと証明されている。古代バビロンのくさび形文字は、船の残がいがどこにあるのかをはっきりと示している。そしてアララット山の南側斜面で調査団は実際に三個の木片を発見したが、これは船が着地した場所を示すものと思われる。ついでながら、木で作られてしかも六千年以上もの昔に大洪水に耐えた船の残がいを発見するチャンスは、そうざらにあることではない。
ギルガメッシュの叙事詩は最古の報告であるばかりでなく、驚くべき事柄に関する描写を含んでいる。それはこの粘土板が書かれた時代に生きていた人間によって作られたものでもなければ、長い時代にわたってこの叙事詩をあつかってきた翻訳者や記録者がでっちあげたものでもない。なぜならギルガメッシュの叙事詩の作者に知られていたにちがいないと思われるいろいろな事実が物語の中に埋められているからだ。我々が現代の知識に照らしてみるならば、それらの事実を発見できるだろう。
叙事詩の起源は南米か?
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▲南米、ティカルの1号神殿ピラミッド。 |
ここで新たな疑問を出してみれば、暗黒に少しの光を投げかけることになるかもしれない。ギルガメッシュの叙事詩は古代オリエントから出たものではなく、南米のティアウアナコ地方から出たものではないだろうか? ギルガメッシュの子孫は南米から来て、この叙事詩をもたらしたとは考えられないだろうか? これを肯定するとすれば太陽の門や、海を渡ったこと、シュメール人が突然出現したことなどの話を少なくとも説明することになるかもしれない。というのは、よく知られているように、後に出現したバビロンのあらゆる創造物はシュメール人の時代にまでさかのぼるからだ。
たしかに、進歩していたエジプトのファラオたちの文化はかずかずの図書館をもっていて、その中ではもろもろの古い秘密が保たれ、教えられ、学ばれ、書き記されたのである。すでに述べたように、モーゼはエジプトの宮廷で育てられ、神々しい図書室へ接近していた。
モーゼは感受性の豊かな学問のある人であった。実際彼はみずから五冊の書物を書いたと考えられている。ただしいかなる言語を用いて書いたかはいまだにナゾである。
ギルガメッシュの叙事詩がシュメール人からアッシリアとバビロンを経てエジプトへ伝わったと仮定し、そして若きモーゼがそれを王宮で発見して自分の目的のために改作したとすれば、聖書の物語よりもシュメール人の大洪水の物語の方がホンモノだということになる。
以上のような疑問を起こしてはいけないものだろうか。古代探求の正統的な方法はもう泥沼にはまり込んでしまい、したがって決定的な結論に至ることは不可能である。それは型にはまった考え方にとらわれすぎて、創造的な衝動をひき起こす想像力に富んだアイデアや推論の余地を残さないのである。
>>第5章(3)へ続く |