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  解説 テレパシー

第1章 3部 1980年 1月12日 解説
第1章1部 第1章2部 第1章3部 第2章1部 第2章2部 第2章3部

もっと人間の能力の無限の可能性というものをよく知らなくちゃいけないということが前提となりますね。特に、テレパシックな能力を起こすためには、まず、自分の肉体というものをよく理解しなくてはダメだと。


無限の可能性

 これは当然自分の肉体に関連して起こる現象ですからね、テレパシーというのは。一部の心霊学者がいうように、人間は死んで肉体がなくなっても霊魂として生きていて、何か宇宙の空間に霊界があってその霊界に一旦移り住んで、そこから地上の人間にいろいろ連絡したりあるいは地上の人間を守護したりするんだということは絶対に有り得ないはずです。何となれば人間が自分の普通の想念にせよあるいはもっとはるかに精緻なテレパシックな波動にせよ、それを放射できるのは肉体というものがあるからなんで、これが大きな役割を演じているわけです。

  肉体といってもこれはもっと詳しく言いますと細胞の塊ですがね、その無数の細胞の塊があってこそそういう能力が出てきますし、そして筋肉というものがあるから現実に物理的な力も働くわけです。その肉体というものを持たない霊魂だけがそんなエネルギーなど出せるわけがない。どう考えてもこれはおかしな話ですね。ところが相当な学者でも霊魂の実在を信じて、いわゆる守護霊が人間についているとか何とか言っていますがね、これはまるっきりおかしな話です。

  亡くなられた亀田先生(注:竜田一弘。透視能力者。著書「透視術入門」)の話によりますと、ああいう心霊というものを信じやすいのは医者と弁護士が多いという話でして、どういう理由か知りませんがそういう事を言っておられましたね。何か相当な理由があるような気もしますがね。

  ですから私たちはまずこの肉体というものをよく理解してですね、何が一体この肉体をつくりあげたのか ― 「何がと言ったってこれは自然にできたんだ」と、そんな簡単なことを言ってたんじゃ話にならない。自然にできたんでも何でもないんで、何かものすごい、自分ではもちろんわからない、何かの神秘的なカ―神秘的と言っちゃああんまりよくないんですが、とにかく不可解なカ、或いは英知、あるいはパワー、エネルギー、そんなものが集結してこの素晴らしい肉体というものができたに違いないんですね。

  人間の肉体ばかりじゃないです、ほかの生物でもそうですね。たとえばネギ1本切って顕微鏡でのぞいてみましても細胞の歴然と並んでいる状態がはっきりわかりますね。非常にすごい英知が働いているってことがわかりますから簡単な顕微鏡でも買ってきて、ああいう植物をちょっと切ってのぞいてみるとこれは非常によい勉強になります。ましてや人間の体ともなれば複雑精緻を極めたものでありますが、そのすごい人間の体をまた簡単にプチ殺したり、たたき切ったりする人間は今でもいますからね、全くこの地球というのは救い難い世界だと思うんですが、ま、とにかく私どもはそういうような恐ろしい想念を起こさないで、こういう素晴らしい一種の"宇宙哲学"といえると思うんですが、宇宙哲学をやって行きたいと思うんです。

  ですが人間は自分でそんな素晴らしい肉体を持ちながら、そこに宇宙の法則が厳然と働いているというこざに気がつかないです。自分の体なんてメシ食ってさえいればひとりでに生きているんだというぐらいの観念しか普通ありませんからねえ。だからなかなか気がつかないんですが、気がつかないために法則を曲解してしまったということになるわけですね。

真理の発現

  17ページのしまいのあたりですね、「地球人は"宇宙人"と融合する必要があることを私はここに力説したいと思います」と。この"宇宙人"といいましても、どこそこの惑星にいる人間とはっきり言っているんじゃなくて、これはもちろん地球人じゃないんですが、もっと宇宙的な人間―地球人をはるかに超えた宇宙的な人間全体を意味しているわけです。それで「理解の乏しい地球人の発する想念波動には不公平、分裂、非難、個人的偏見などが含まれていますが、宇宙人の想念波動は"宇宙の因"より発して理解と同情とを万物に伝え、非難めいたものはありません。

  これこそ"真理"の発現です。そして"真理"の存するところに疑惑などはあり得ないのです。」とこうありますね。まあ、地球上がこういう状態になるのはですね、何百年後か何千年先か知りませんが、まずとても当分のことじゃないと思います。我々はもうこういうことを一応理解していて誰もが「こういう状態になればいいがなあj とは思うんですが、なかなかならないですね。なぜかといいますと結局人間の本質というものが理解されないからであって ― 人間とは何かということが理解されない ― そこで結局今のソ連・アメリカの対立みたいなすさまじい混乱が起こりかかってきたような状態になるわけです。

 まあ、私達はある程度人間の本質を理解していると言えますよ、こういっちゃ失礼ですが私も含めてみなさん方、いわゆる世の中で多勢の人に知られた有名人の集まりではないですからね、ここは。まあ、いわば無名人の集まりなんですが、しかし私たちは素晴らしい知識・素晴らしい思想を持っている非常に特殊な人々の集団だということは言えますからね。ですから自信を持ってそういうような人間の理解 ― 人間とは何かというようなことを理解して、そうしてそれを実践していくということ、これを堂々とおやりになればいいわけです。

宇宙の意識

   そこで、いわゆる"宇宙人"と言われる宇宙的な人間ですね、地球人をはるかに越えた宇宙的な人間は(18ページの後半ですが)「彼らの"感覚器官の心"は"宇宙の感覚、因の心とひとしいまでにたかめられて」いると。「それゆえ彼らの肉体細胞のすべては"感覚器官の心"によって与えられた命令に応じるのです。」 ということはどういうことかといいますと、例えば軍隊でいいますと、普通一番上の位は大将ですね。その下が中将・少将と降りてきて、それから佐官級で大佐・中佐・少佐(これは古い軍隊の呼び名です)、その下が大尉・中尉・少尉、その下が下士官になりまして准尉というのがあり、その下に曹長・軍曹・伍長があり、それから兵長、それで上等兵・一等兵・二等兵、一番下が二等兵です。そういう順序が昔あったわけで、それに準じたような言い方が今でも自衛隊にあると思います、呼び名は違いますけれどね。で、一番最高は大将です。

 まあ、お店を経営している人も時々大将と呼ばれますが、あれはやっばり一国一城の主だというイメ−ジがあるわけで、決して悪い言い方ではありません。そこで大将というのが全軍に号令をかけます。そうすると特に旧軍隊は命令に絶対服従ですからね、ひとつ位が上の上官から与えられた命令でも絶対服従しなくちゃいけない。もしそれを怠ったらばそれは大変ひどいことになって罰せられます。そこで大将が何か全軍に命令を下します。ま、大将ではおかしいですね。普通なら、まあ、一個連隊(一個連隊の一番頭は大佐ぐらいですね、普は)の大佐が命令を下します。約十個中隊ぐらいの連合したのが連隊です(まあ、いろいろありますけれど)。そこで大佐が命令を下します。ところがその中のどっかの中隊の中隊長(中尉ぐらいですかね)は連隊全体に命令を下すカはもちろんない。ただの中尉ですからね。自分の中隊だけなら命令を下せる最高指揮官ですが、連隊全体には何の力もない。

 ところがその中尉がですね、「ひとつ自分は部隊全体に命令を下してみたい」ということになればどうすればよいかといいますと簡単ですね、連隊長であるなんとか大佐のところへ秘かにワイロを持って行くんです。ま、これは仮の話ですよ。そうして連隊長から非常にかわいがられてそのうち非常に親しくなって友だちづきあいになってしまう―ま、そういうことば絶対有り得ないんですが、借りの話です。そうして実質的にその連隊長と中隊長が同等の立場になってしまいますとその中隊長は全部隊に号令をかけることができるわけです。連隊長に代わって。連隊長は言うでしょう、「お前ひとつ号令をかけてみろ。」「はい、やりましょう。」と言えるような立場になるでしょうね、中隊長は。そういう風に、低い状態にあるものが全体を支配しようと思えば、高い、最高の指揮者または最高権威者と同等の立場に上がればよいわけです。

  ところで私たちのマインド(心)というものは内部の肉体全体を支配している宇宙的なパワー(これは普通"宇宙の意識"というんですが。)に比べればばるかに低い地位にあるんです。心というのはまあ、二等兵か一等兵ぐらいですかね、兵隊の位で言えば。それから内部の字宙の意識というのはこれはもう全部隊を指揮する言わば連隊長。そこで心が全部隊(いわば自分の全肉体)に号令を与えようと思えば連隊長である意識と同じ地位まで上がればよいわけです。しかし心が意識に対してさっきのようにワイロを持っていってもこればダメです。

  意識というのはワイロをとりませんからね。ではどうすればよいかと言いますと、マインドの性質自体をうんと高めてやって内部の宇宙の意識という最高権威者と同じようなレベルにしてしまえばそのマインド自体も肉体全体に号令をかけることができるんです。従ってマインドによって全部隊の将兵、言い換えれば細胞ですね、細胞に号令をかけて支配することができるわけです。今の例えがおわかりになりましたでしょうかね。

 そうなればしめたものです。マインドが自分の肉体の細胞を支配することができるようになれば、どっか悪いい場所があった ― 例えばガンならガン…ま、ガンとまでいかなくてもどっか悪い部分ができた、その部分に向けて「治れ!」「治ってしまえ!」と号令をかければその細胞はたちまち変化を始めて治るはずです。ガンだって治るはずですね。あるいはその号令をかける強さがものすごく強烈であれば恐らく誤って指を一本切り落とした人でも「骨がまたズーツと伸びてきてもと通りになれ!」という号令を与えればそうなるかもしれませんね。

  実際、その例があるんです。ある新興宗教の信者ですがね、実際あるんです。そういう意味からしても新興宗教というものを頭から否定するわけにいかないんですが、しかし、信者といってもいろいろありますからね。単なる盲目的な信者もあれば、宇宙的な方向に目覚めた信者もありますから、やっぱり指が生える人もあるでしょう、中には。

 そういうふうにしてとにかく自分の非常に低下してしまったマインドを、感覚器官の心というものをうんと高めて(性質において高めるんです。これはできないことはないですね。内部の最高指揮官である宇宙の意識、パワー、あるいは英知(そういうものを総合して"宇宙の意識"といいますが)と同等にまで引き上げるんです。と言ってもこれはまだ抽象的で概念がつかみにくいと思いますのでわかりやすく言いますとね、早く言えば自分のマインド(普通の、ものを考えるマインドですね)、これを神と同じ状態にしてしまうということですね。言い換えれば神の心にしてしまうということなんです。

  これは宗教的な響きがありますから「神」という言葉は極力使わないことにしていますが、ま、わかりやすく言えばそういうことなんです。そういう状態にしただけでむ自分の環境にすごい変化が起こってくるはずですよ。何か思わぬ変化が起こるはずです。

印象に従う

 ま、そういうわけでして、人間というのはとにかく内部から"宇宙的な意識"または"宇宙の意識"による宇宙的な衝動あるいは印象とうものがどんどんわき起こってきているんですが、普通の人はあまり気がつかないで、どっちかといいますと、肉体の細胞もずいぶん誤った引象を放つ細胞がありますから、それによって非常に誤った印象を受けてとんでもないことになることがむしろ多いわけです。

 それで本当の宇宙的な印象が来てもそれを見逃してしまうんですね。だから外界(自分の体以外の外側の空間の世界を哲学用語で外界といいます)に惑わされないで内界(自分の体の内部のことをいうんです)に目を向けて、そうして「中から何かが出てくるんではないか。」「何かの印象または意識、そういったようなものによって素晴らしい衝動または情報が出てくるんではあるまいか」というふうに、そう考えて生きるような生き方をする人が、これが宇宙的な人間であるということになるわけです。

 まあ、私 なんかは昨年1年間とにかく非常にめまぐるしい1年だったもんですから−と言えばまあ、弁解がましいですが、この年末ごろまで一種のスランプ状態に陥りまして(私自身が、ですね)、なかなか宇宙との直結というようなことからちょっとはずれたような状態でどうも落ち着かなかったんですが、年末ごろから正月ごろにかけて何か非常に衝動が起こってきまして、そしてそれに従った方がよいというふうに考えるようになったんです。どういう衝動かといいますと「生活をなるべく簡素にせよ」という衝動なんですね。

  これはまあ、ホワイティング氏が、今、連載で出しております質疑応答(注:G APニューズレター、68号)の中でも言っておりますねえ、「生活を簡素にする方がよい!」と。これは前から私も考えていたんですが、やつぱり頭の中でただ考えているだけじゃダメなんで、実際にそういう衝動が起こってきて、それに従わないとダメだということがわかったんですが。

  とにかく私の部屋といいますのは(6畳一間を使っているんですがね)狭い部屋なんです。そこに長年ためた書物古いものやら資料やら役にも立たないものが山のように積まっていまして、そうして、しかもGAP関係の資材もありますし、とにかく足の踏み場もないというような状態であったわけで、そういうような、いわば資料・書物その他のものの山の中に埋もれて暮らしていたような状態です。これ、もちろん健康にもよくありませんね。前から何とかしなくちゃいけないかなと思っていたんですがなかなか衝動が起こってこない。

  とうとう起こったんですね、この年末ごろに。そして、できるだけ自分の持ち物を減らしてですね、簡素にしようと ― もっと早く言いますとぬ、いつでもどこへでもすぐ脱出できるような状態にしておいた方がよいというような、そういう衝動なんですね。と言って、将来、この東京にいると危ないぞというような、そういう印象じゃないんですが、とにかくなるべく生活を簡素にしておけという衝動が内部から起こってきたもんですから、そこでこの前 ―1月7・8日でしたかね、2日間かかって徹底的に室内を大整理しまして、そして不要なものを処分しようと思ってやっみましたら、まず、出たの出ないの、ものすごいガラクタが出てきたんです。

  それを何度もゴミ捨て場へ運んでだいぶ処理したんですがそれでも結局まだ部屋の片側全部が書棚で埋まったままでして、これも半分に減らそうと思ったんですがとてむダメなんですね。これだけは必要な書物だろうと思って取っておいたものがやっばり片側の壁全部、埋まっているような状態です。でもだいぶすっきりしましたけれどね。そういうふうな衝動・印象なるものが強く起こってきたらそのときにパーッとやる方がいいです。その衝動をもし無視したら私は今だってゴミの山に埋もれていたかもしれないです。

  長年愛用しました大きなステレオですね、これなんかももうだいぶ利用させてもらってずいぷん美しい音楽もたっぷり聴いたから、もう、これはそろそろ人に譲ってあげようと…。もう、私にとって今必要なものは極端に言いますとぬ、机とイス、これは、ま、必要ですね、それから英・独・仏・西の4カ国の辞書をそれぞれま一冊ずつ、それから世界大百科のような大事典をひとそろい、それに英文タイプライター、それからテープレコーダー・1台、それとカメラ道具一式ですね、これだけあればもう十分だということが言えるんです、極端に言えば。

  ですが現実にはGAP活動をやっていますからその資材がありますので、それに関連してまたいろんな参考書類や資料類が必要ですからまだかなりあるんですけどね。とにかくそういうふうにどういう訳か「生活を簡素化させよ」というような衝動が非常に強く起こってきたということは事実なんです。ま、どっちかというと何もないガラ…ンとした部屋に住んでおりたいですね。そして壁にはただオーソンさんの写真だけがひとつポツンとかけてあるようなそういう簡繁な部屋に住みたいと思うんですが、なかなかそこまではまだいきませんですがね。

  まあ、とにかく何かの衝動・印象というようなものが内部からわき起こってきたら、これはもう、従った方がよいというふうに考えた場合は思いきってそれに従うというふうにされるとよろしいんじやないかと思います。そういうような生き方もやはり一種のテレパシックな生き方ですからね。ですから頭の中で考えをいろいろ巡らして何かの知恵をひねり出そうとしても、なかなかそれはうまくいかないということになります。と言って我々は何も考えないでポーッとしていればよいというわけじゃありませんからね。

  マインドはものを考えるカを持っていますから考えるときには大いに考えなくちゃいけないんですが、いくら考えてもどうしても解答が出ない場合は、もう考えることをやめて内部からの印象に従うというふうにすると本当の解答が出てくるということは、これはトーマス・エジソンが言っている有名な言葉ですからそのようにされるとよいでしょう。

ちょっと時間が過ぎましたが、この19ペ−ジの6行目のところまでで一応今回、終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

>>第2章1部へ続く

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