なぜ自分が選ばれたのか
1950年7月4日の夜、私は空飛ぶ円盤を信ずる者の1人となった。その一つを目撃したばかりではなく、私はそれに触って内部へ入り、乗船したのである。しかも自分の感覚器官をいまだに信頼できるとすれば、長時間にわたってその操縦者たちと会話をかわしたのだ。
しかし今は円盤も去ってしまい、私は自分の宿舎へ帰ったので、いったいあれは本当の出来事だったのかと、しだいに信じられなくなってくるような気がする。
このホワイトサンズ実験場には、ありとあらゆる科学者が集まっているのに、単なる偶然にせよ計画にせよ、一技術者にすぎない私がなぜ選ばれて本物の(別な惑星から来た)宇宙船に乗った現代地球の最初の人間になったのだろうか。(訳注:この時点ではまだジョージジ・アダムスキーはUFO(別な惑星から来た宇宙船)に乗っていなかった)。
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▲著者:ダニエル・フライ |
こんな出来事は到底ありそうもないことなので、自分の正気を疑わずにはいられないほどである。当然のことながら、私が今夜"円盤"に乗ったことを他人に納得させようとすれば、もよりの精神病院の快適な個室の中に入れられるだろう。だがこれは私の人生中の最大の出来事なのだ。そこでまだ記憶が鮮明に残っているあいだに、この事件について正確に記録しておきたいと思う。(訳注:この文章はフライが事件に遭遇して宿舎へ帰った夜に記したものと思われる)
事件は暑い夜に発生した。きょうは7月4日なので、私はラスクルーセスの花火大会を見物に行って自分だけのささやかな祝いをするつもりだった (訳注:7月4日は米国の独立記念日)。
ところが、バスの出発時間を聞き違えたために、町行きの最後のバスに乗り遅れて、ほとんど誰もいない軍の宿舎の中で地団駄を踏んだあげく、自室にすわって読書する以外に仕方のない羽目におちいったのである。このとき読んだのはコーク著の熱の移動に関する本だった。
夕方の7時半頃に冷房装置の送風機が止まってしまった。これは数日ごとに起こることで、しかも気温が特に高いときに限って発生する故障なのだ。
8時30分までには室内にいられないほどむし暑くなったので、外へ出れば涼しかろうと思って散歩することにした。
私はオーガン山脈のふもと付近にあるロケット発射台のそばを通って、エルパソまでつづいている背後の道路へ出た。この道は南方へ96キロメートルほど伸びている。しかし発射台に着くまでに私は右折して、小さな汚い道へ入り、射撃場を通り抜けてオーガン山脈のふもとの平原の方へ歩いて行った。この道をたどりながら射撃場を通って800メートルほど行ったとき、初めてその物体を見たのである。
不思議な物体が出現
太陽はすでに沈んでしまい、あたりは暗くなっていたが、空には星々が輝き、まだ地平線に現われていない月が夜空にかなりな光を散らせていた。 私が峰の上に静止している最も明るい星の一群を見上げたとき、その中の一個が急に消えてしまったのだ!
もちろん私はその場ですぐ目をとめた。星は消えるものではないからだ。とにかく晴れた夜空では消えることはない。
最初私は飛んでいる飛行機がその光をさえぎったのかと思ったが、そう考えても納得はゆかなかった。飛んでいる飛行機は一点を横切るのに1秒とかからないのに、その星は現われないのだ。しかも夜の実験場の静寂の中にいれば、飛行機の場合、肉眼で見るよりも遠方から爆音が聞こえるものだが、音は全く響かない。
その夜、観測気球は打ち上げられていない。打ち上げられたにしても急速に上昇する。だから星をさえぎるにしても数秒間だけだろう。
すると右手の別な星が消えてしまい、さらに数秒後にはその真下の2個の星が消滅した。このときまでには背筋がビリビリするような感じが起こっていた。星々を消した物が何であるにせよ、それは急速にはっきりとした大きさになり、しかも空間の同じ位置に見える様子から考えると、その物体がまっすぐに私の方へやって来ることは疑いなかった。
やがでそれが見えてくると同時に、もっと早く見えなかった理由もわかってきた。その物体の色は夜空の暗黒と同じようにどす黒いために、すぐ近まで来ても輪郭以外に識別が困難だったのだ。
それはなおもこちらへやって来る。逃げだそうという気持が強く起こったが、爆発やロケット関係の仕事に多の経験をもつ私は、進路を確かめるまでは接近するロケットから逃げ出すのは愚かなことを知っていた。逃げだせることもある一方、その進路の方へ飛び込むこともあるからだ。それに逃げながらその進路を判断することなどできるものではない。
ニュートンの法則に反する怪物体
物体は間近にせまってきたので、その長軸が約9メートルの卵型の球型であることがわかった。時速24ないし32キロメートルで進行して来る。地上に着く頃は速度がゼロになるような割合で減速しているらしい。また、進路を変えないかぎり少なくとも私から15メートルはそれることもわかった。
そのスピくドの遅いことに少し安心した私は元の位置にとどまって、物体がまるでそよ風に乗ってただようアザミの冠毛みたに軽く滑空して、全くバウンドしないで20メートル彼方に着陸するのを見つめていた。物体の下敷きになったヤプがメリメリと音をたてた以外、物体は無音のままである。2〜30秒間、私は子供が初めてサーカスの演技をみるようにそれを見つめていた。
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▲イラスト:池田雅行 |
私は多年ロケットやミサイル開発の分野で働いてきたし、ホワイトサンズでの仕事などによって航空機分野の開発のほとんどに精通していると思っている。しかし今、眼前にはかつて聞いたことのないほどに進歩した飛行物体がいるので、初めてキリンを見て「よく見たけれども信じられない」と言った山奥の農夫のような気持ちになっていた。
「もしソ連がこんな飛行物体を所有しているのなら、神よ、アメリカを助けたまえ!」というのが私の最初の意識的な考えだったが、そのうちソ連やその他のいかなる国から来た物体でもないらしいことに気づいてきたのである。誰がこの物体を作ったにせよ、その人は地球上の最高の物理学者がまだ夢想し始めたばかりの多くの問題を解決しているからだ。
この物体の作動には音を伴わない。プロペラの音もないし、推力を生じさせるためにノズルから噴射される白熱のガスの閃光も轟音もない。天空の彼方から静かにやって来て、地上に音もなく着陸したのだ。たぶんそれが解答なのだろう。
物体は私が最初に見たときからずっと降下をつづけていた。ただ滑空していただけなのだろう。しかし着陸する前にそれは時速数キロメートルに減速し、落下の形跡を示さなかったのである。これはヘリコプターまたは"空気より軽い物"しかやれないが、この物体にはプロペラの羽根はまったくないし、地上に着いたときにその下でヤプがペシャンコになった事実は、物体が"空気より軽い物"ではなかったことを決定的に示している。これが何であるにせよ、ニュートンの最もよく知られた法則にたいして確かに"いたずら"をしたのである。
第2話へ続く |