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 神秘の錆びたナイフ 第3話

 7つの謎と奇跡 1981年主婦の友社発行 より転載

いつの時代でもそうだが、この地球という惑星では、だれかが途方もない業績をあげると、一方では必ず反対者が現われる。おおむね嫉妬心が原因をなすと思われるが、アリゴーの場合も例外ではなかった。


医学界と教会が攻撃したけれど

医師でもないのに病人の治療をするというので、医師の側から非難の声があがり、健康な一般人の唯物論者は彼をべテン師と罵倒して攻撃の火の手があがった。そして1956年の8月には不法医療行為のかどで起訴されたのである。

この裁判はまずコンゴニャスの裁判所で行なわれたが、バカ正直なアリゴーの答弁にスアリス判事は激怒し、結局翌年になって1年3ヶ月の刑務所入りと5千クルゼイロの罰金刑を科されることになった。病人から治療代を取らず、社会福祉事務所にパートタイムで勤めて、わずかな収入しかないアリゴーには5千クルゼイロは痛かった。アリゴーに救われた大勢の人々は逆に法廷を攻撃した。

そして控訴審で執行猶予つきの8ヶ月に減刑となり、その間保護観察処分となった。大の男の、多くの病人を救った、しかも国内外で名声をはせた大超能力者を、いわば不良少年扱いにしようというわけだ。この間は手術をすることを禁じられている。アリゴーは憂うつになった。そしてまたあの不気味な頭痛が始まり、一刻も早く病人を助けたいという衝動にかられるようになったのである。そこで、ひそかに病人の治療を始めるようになった。警察はこのことに気づいていたけれども知らぬふりをした。彼らも人間だから、自分や身内の者が病気になれば、やはりアリゴーの世話になるのである。

▲プハリック博士の右ひじの肉腫をとり除いた痕。

当時の大統鏡ジュセリーノ・クビチェックはアリゴーの支持者だったが、彼の不当な判決を知って、ただちに特赦命令を出した。

彼が自由の身になったとたん、ブラジル中に歓声が渦巻いて、またも病人の大群集がコンゴニャスに殺到した。だが運命の神はまだアリゴーに微笑しなかった。大統額が再選にやぶれて、最高の保護者を失った彼に対し、ふたたびカトリック教会と医学界が猛襲の火ぶたを切ったのである。

医学界が反発するのはやむを得ないにしても、今からわずか14年前に、熱心なカトリック教徒であるアリゴーをブラジルの教会側がいかがわしい魔術師として法の手にかけようと悪辣な手段を弄した事実は中世の魔女裁判を思わせるものがある。いったい既成宗教とは人間を救うものなのか、だめにするものなのか、どっちなのだ ― ?

プハリック博士やベルクらのアリゴー支持論も役に立たず、ついに1964年11月20日、アリゴーは執行猶予なしに1年4ヶ月の懲役刑を科されたのである。 家を出る日には劇的な光景が展開した。彼は息子たちに激励の言葉を与えたあと、主の祈りをとなえて警官の迎えを待ったが、警察からはだれも来なかった。アリゴーの家を取り巻く大群集に恐れをなしたのだ。

アリゴーはみずから車を運転して刑務所へ出向いた。そして法に服従して独房へ入ったのである。だがそのうち刑務所の中でも病人の囚人たちを治療し始めたが、看守は見て見ぬふりをしていた。彼らもアリゴーの味方だったのである。

この頃プハリック博士から熱烈なアリゴー支持論を述べた手紙を受け取ったイメジ首席判事はアリゴーを調査することを思いたち、一時帰宅を許して、みずから彼の家へ行った。イメジ首席判事は、その場で白内障の婦人を手術により即座に治すという一大奇跡を目撃して、考えをあらためた。そしてアリゴーを2ヶ月だけ独房に入れたあと、釈放したのである。

こおどりしてよろこんだプハリック博士は精密なアリゴー調査を実施する計画をたてて、大勢の医師と専門家から成る調査団を編成し、1966年8月から68年にかけてコンゴニャスを訪問し、徹底的な研究を行なった。その結果判明したのは、アリゴーは医学の知識を持ちあわせないのに、患者の病名や過去の病歴を正しく言いあてる能力を持つ事実である。しかも彼の診断の正確さは一驚にあたいした。その理由を質問すると、彼の答はきまっていた。

「ナーニ、わたしを指導しているフリッツ博士のポルトガル語による説明を、そのまま繰り返しているだけですよ」

その声はいつも左耳から聞こえてくるという。ときにはドイツ語も混じることもあるが、ドイツ語のわからないアリゴーはそのまま真似ているのだ。このフリッツ博士というのは、ミュンヘンで生まれ、ポーランドで医学を学んで、1918年に死ぬまではエストニアに住んだ天才的な外科医であったという。一部の科学者がフリッツ博士なる人物が実在したかどうかを調査したけれども、真相は不明という結果が出た。

黒い十字架の予知夢

アリゴーはブラジルの名士たちの訪問を受けて、次々とあざやかに治療し、新大統領のコスタエシルバも彼を支持する声明を発して、いまや公然と診察が認められるようになった。アメリカからも大病院建設の資金援助運動が起こって、アリゴー支援の波が国内外にひろがった。彼の支持者になった有名人のなかにはピッテンクールを筆頭として、娘の腎臓結石を除いてもらったクビチェック大統領、息子の眼病が奇跡的に治った芸能人のロベルト・カルロスその他沢山の人々がいる。カルロスの息子は線内障で盲目になりかかっていたのをアリゴーに救われたのである。

▲ホテル・フレイタスの前のアリゴー(中央)と住人たち。

1971年の1月11日の正午前、アリゴーは近くの町で新車を購入するために友人のアントニオ・リベイロとともに豪雨をついて家を出た。実はその数日前、彼は夢の中で黒い十字架を見たことを妻に語ったのである。ずっと以前にも同じ黒い十字架の夢を見たあと、まもなくピッテンクールが飛行機で墜落死するという事件が発生した。これは不吉な予知夢なのだ。こんどはだれが死ぬのか?

国道135号線の雨の中をブラジル国道局のトラックが走って来た。しかしどうしたわけかアリゴーの青い車は対向車線にはいり込んで疾走を続けて行った。

すさまじい轟音!原型をとどめぬほどに大破した2台の車!アリゴーの厚い胸板には鋼鉄の棒が貫通していた ― 。

アリゴーは逝った。黒い十字架は彼自身の運命の象徴だったのだ。人々は号泣した。あの愛すべき偉大な超能力者はもういない。自分たちの難病をだれが治してくれるのか。

教会の司祭の姿も見えぬ民衆だけの葬儀が丘の上の墓地で行なわれるのを2万人の人々が涙を流しながら見守り、アリゴーの声を思い出していた。どんなにすごい奇跡を演じてもだれからも絶対に謝礼のお金を受け取ろうとしなかったアリゴーのあたたかい声を ― 。

「そのお金は、わたしよりももっと貧しい人に与えてあげなさい」

(終)

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