1891年4月17日 |
▽ポーランドに生まれる。父はポーランド王子、母はエジプト王女。 |
1891年 (1歳) |
▽両親と米、ニューヨーク州ダソカ ークに移住。 |
1899年 (8歳) |
▽十二歳までチベットの首都ラサに留学。ダライ・ラマの住むポタラの宮殿で、一種の修道士としてチベットの秘教や東洋哲学を学ぷ. |
1903年 (12歳) |
▽帰国後、カトリック神秘派教会に入り、伴僧として司祭の助手をつとめる。 |
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▽クリスタル・ペンダント入手 |
1913年(22歳) |
▽陸軍入隊。第十三騎兵連隊で軍務に服す。 |
1917年12月25日(26歳) |
▽メリー・A・シバンスキーと結婚。 |
1919年 (28歳) |
▽陸軍除隊。その後、あらゆる仕事をしながら国内を旅行。 |
1925年 (34歳) |
▽主に米西部を本拠地として、構神 科学と哲学を教え始める。 |
1930年 |
▽40歳近く、カリフォルニア州ラグナビーチに住む。 |
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▽教え子数百人になり、南カリフォルニア中から講演依頼。 |
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▽”ロイヤル・オーダー・オプ・チ ット”の名で、ロングビーチFOXとロサソジェルスKMPCラジオから講話が放送される。 |
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▽”インスピレーショソの祭典″開く。 |
1936年 |
▽カリフォルニア工科大学ジョーゼフ・ジョンソン博士の母親から6インチ反射望遠鏡を贈られる。 |
1937年 (46歳) |
▽小冊子”悪魔すなわち時の人”刊。 |
1940年 (49歳) |
▽バレーセンターに移住、教え子たちと農耕生活を開始。 |
1944年 (53歳) |
▽ジョンソン博士の勧めでパロマー・ガーデンズに移動。南側斜面を開墾し、天文台見学者のための食堂を建てる。弟子アリス・K・ウェルズ夫人に食堂経営を一任。 |
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▽十五インチ望遠鏡を購入し、これを収容するため小天文台を建設。 |
1946年 (55歳) |
▽パロマー・ガーデンズで初めて宇宙船を目撃するが正体わからず。 それまで、惑星間飛行物体存在説のすべてを疑っていた。 |
1947年 (56歳) |
▽184幾のUFO大編隊目撃。 |
1949年 (58歳) |
▽軍の慰安所や他の団体からUFOに関する講演を依頼され始める。 |
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▽パロマー・ガーデンズに来た海軍電子工学研究所員からUFO写真撮影を依頼される。 |
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▽この年出したとされる”Pionners of Space"の著者と内容をめぐり 今日まで真偽論争続く。 |
1950年3月21日 |
▽カリフォルニア州ラメサのエプリマンズ・クラブで講演。 |
5月29日 (59歳) |
▽6インチ望遠鏡で、月面から飛び立つ光点群を撮影。 |
1951年3月 5日 |
∇葉巻型母船から飛び出す円盤群を連続4枚撮影。 |
3月 9日 |
∇潜水艦型母船を最影。 |
5月16日 |
▽月の付近を飛ぶ円盤大編隊撮影。 |
1952年5月 1日 |
∇金星の母船を撮影。 |
11月20日 (61歳) |
▼6人の友人が見ている前で、カリフォルニアア州デザートセンター付近の砂漠に現れた美しい金星人と会見。米空軍ほ、この模様を上空から撮影し、FBIに渡す。 |
12月13日 |
▼頭上に接近した円盤を連続撮影。 このあと、円盤の窓からネガホルダーが落とされる。 |
1953年2月18日 |
▼ロサンジェルス、ヒル・ストリートにあるクラーク・ホテルのロビーで火星人ファーコンと土星人ラミューに会う。彼らの案内で、金星人オーソソと再会。その後、金星の円盤で金星の母船に運ばれ、大気圏外を見せられる。 |
4月21日 (62歳) |
▼ホテルのロビーでファーコンに会い、土星の円盤と母船に案内される。母船から月の表面を見る。 |
9月 8日 |
▼ホテルのロビーでファーコンとラミューに会い、近くの小さなカフェーで話し合う。 |
9月 |
▼数日後、ラミユーに会い、再び土星の円盤と母船に案内される。 |
9月 |
▽ロンドンのT・ワーナー・ロ−リー社から「Flying Saucer Have Landed」刊。10月に米国版刊。 |
1954年 (63歳) |
▽妻メリー死ぬ。 |
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▽レストランを売り近くのパロマー・テラセズに移る。 |
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▽カナダ講演で声が出なくなり、医者に6ヶ月間の絶対安静を命じられる。 |
6月 |
▽デスモンド・レスリー来訪。8月終わり頃まで滞在。 |
8月23日 |
▼金星の母船に乗って月の裏側を見た後、ファーコンとラミューの帰郷を祝う饗宴に出席。 |
10月 |
▽最初の会見以来、宇宙人と計160時間のコンタクトを経験。 |
12月 |
▽パチカソのカトリック教会から円盤問題に関する質問状が届く。 |
1955年 4月25日 (64歳) |
▼円盤から降り、母船の外側頂上を歩く。その後、宇宙人にポラロイドカメラを渡し、オーソソと一緒に母船の丸窓から外を眺めている 光景を円盤から撮影してもらう。 |
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▽ミシガソ州デトロイトで講演。 |
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▽ロンドンの英国国教会監督が、円盤と宗教との関連を知るために来訪。 |
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▽「Inside The Space Ships」刊。 |
1956年10月 (65歳) |
▼ある研究のため2カ月間メキシコに滞在。海王星と木星を含む他の惑星群から釆た人々と会談。 |
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▽滞在中、ドーム付の巨大な宇宙船を十六ミリカメラでカラー撮影。 |
1957年 (66歳) |
世界各地から来る手紙類すべてに返事を出すことは肉体的にも経済的にも不可能なため、宇宙人の示唆により、予約に基づく定期刊行物を出す。こうして、世界GAP (Get・Acquainted Program)発足。 |
12月6日 |
∇米国務省文化交流委員会のストレイス氏から、体験を真実と認める非公式書簡届く。その後、米政府は、ストレイス氏の存在を否定。 |
1958年 8月 (67歳) |
∇「Telepathy」刊 |
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▼二週間ワシソトン州を講演旋行。 帰りの空港で1人の宇宙人に「今や世界を旅して人々に会う時期が釆た」といわれる。 |
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▽帰宅後まもなく、オーストラリアのUFO研究団体から講演招待の手紙を受け取る。 |
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▽ニュージーランド他に講演希望を打珍。日本の招待計画失敗。 |
10月19日 |
▼宇笛人と数時間すごす。 |
11月 |
▼オーソソと再会。 |
12月 |
▽秘書ルーシ-・マクギニスらとと もにワシントン州べリンガムなど六千キロを講演旅行。 |
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▼旅行中、ミズーリ州キャンザス市近くで列車事故にあう。宇宙人に連れ出され、空中に停止している円盤に引き上げられた後、アイオワ州ダヴンポートへ運ばれる. |
1959年1月13日 |
▼六カ月間にわたる世界講演旅行。ロサンジェルス空港出発。 |
1月 |
▽ハワイで2日問休憩。二日日の夕方、UFO研究団体に小講演。 |
1月17日 |
▽ニュージーランド、オークランドのウニヌアパイ空港着。 |
1月18日 |
▽テレビに30分出演。 |
1月20日 |
▽カイコへ町で最初の講演。 |
1月21日 |
▽カイコへ町で公開講演。超満員。 |
1月22日 |
▽オークランド市立公会堂で講演。切符は数日前に売り切れ、2,000人集まる。 |
1月23日 |
▽オークランドの一流ラジオ放送局とインタビュー。テープ録音。 |
1月 |
▽ヌアルアワヒアにあるマオリ族のマヒナランギ宮廷を訪問。 |
1月 |
▽ハミルトンへ向かう車中で円盤群を見る。 |
1月28日 |
▽ナピアーで講演。 |
1月 |
▽ナピアー海軍遊園地の戦争記念館で第2回講演。 |
2月 1日 |
▽首都ウェリントン市立公会堂の演奏ホールで講演。 |
2月 |
▽ワンヌガイで講演。 |
2月 5日 |
▽ニューブリムスで講演。 |
2月 1日 |
▽オークランドでリクエスト講演。 |
2月10日 |
▽クライストチャーチで講演。 |
2月 |
▽ティマルーで講演。ラジオ放送用にテープ録音。 |
2月15日 |
▽ダニーディンの皇帝劇場でニュージーランド最後の講演。 |
2月 |
▽オーストラリア、シドニー到着。記者会見。 |
2月 |
▽ラジオ、テレビに出演。 |
2月 |
▽シドニーで講演。講演前まで反対派によるトラブルがある。 |
2月 |
▽検閲局でフィルムを映写し、ようやく公開許可証をもらう。 |
3月 |
▽パースで大新聞″サウス・ウェスタン・タイムズ”の記者ボブ・モロウと会見。 |
3月16日 |
▽アデレイドで講演。終了後、近づいて来た一人の牧師に孤児院での講演を依頼される。 |
3月19日 |
▽30日までメルポルンに滞在。 |
3月20日 |
▽”トゥデイズ・ヘラルド・ニューズリール”誌に写真入り特別呼び物掲載される。 |
3月 |
▽オーストラリアの記者会見#ヤ組に出演。 |
3月 |
▽タズメイニアのホウパートで非公開講演。 |
3月 |
▽ブリスベーンで数回講演。 |
3月 |
▽ブリスベーン滞在中、オランダから、ユリアナ女王との会見を依頼する手紙届く。 |
4月 |
▽インド、カルカッタでバナラス・ヒンズー大学のS・K・マイトラ博士に会う。 |
4月 |
▽パキスタン、カラチ空港の係員に「過去12年間で1、2度、政府高官と宗教上の指導者たちが宇宙人と食事をした」ことを開かされる。 |