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 ルーマニアのUFO出現事件 (2)        >>第1話

UFOと宇宙 No.15 1975年12月 より

ソ連圏のUFO現象 ルーマニアにしばしば出現する気球状UFOは寺院の壁画にも描かれていた! Part2

▲クナベ・リカルダの”カウボーイ・ハット型”UFO

次の報告はシビウ気象台長ワシレ・ポイクが出したものである。これはアメリカの気象学者たちによる報告と比較してよいだろう。このような目撃実例のすべてを見ると、UFOは消える前に1種のコントロールをやるらしい。この行動はUFOが自動車に接近したり追跡したりするときの行動を思い出させる。だが我々はUFOに関する限り、論理的″な行動を語れないのは残念である。
▲クナベ・リカルダ夫人が目撃した”カウボーイ・ハット型”UFOの左側は黒っぽかった。

次の観測報告の中で最も注目すべきことは、UFOの追跡よりも自分の仕事を続ける方がもっと重要だと思った、という目撃者の言葉である。

「1969年1月11日、午前8時20分、私は戸外にいて、気球と経緯儀の助けをかりて風速と風向きを測定していた。空は完全に晴れて湿度はマイナス24度であった。風はおだやかである。気球は上昇しながら太陽を受けて赤く輝き、5400メートルに達していた。そのとき経緯儀によって気球の近くに丸い銀色の物体がいるのが見えたので、40秒間それを追跡した。物休は175〜200度移動した後、見えなくなった。もっと観測していたら気球を見失ったことだろう。たが私は物休を追跡するよりも自分の仕事の方が重要だと思った。

最初は月だと考えたが、調べてみるとそのときは半月形だった。しかも非常な高空なので肉眼では見えないだろう。私が判断する限りでは、大きさは1ギルダー銀貨ほどで、急速に直進し、風向きに対して直角であった」

▲1968年11月30日、午前6時20分にシアトルで撮影されたUFOの連続写真。

我々が扱ってきたUFO目撃事件の報告の多くは技術者から出たものであり、世界各国でもUFOに最も関心のある人は技術関係者だということは注目にあたいする。抽象的な考え方に走りやすい純粋な科学者はUFOに注目したがらない。1例としてプロイエスチのエレクトロニクス技術者であるアドリアン・プリンゼイが体験した目撃事件をあげることにしよう。これは1968年8月17日にイアシで家族と共に見たUFOであり、たぶん着陸したものと思われる。
 「20時頃、私は山の斜面にあるテサトゥラ工場から遠からぬプチウム・モーテルの近くで車に乗っていた。空は雲でおおわれている。私がフロントガラスを透して見上げたとき、森の上約20〜30メートルのあたりに大きな輝く物体がいるのを見た。距離は約5キロメートルと思われた。輪郭は鮮明で、尖端を切った円錐形である。両端とも光を放射していたが、頂上部は下部よりも強烈だった。私はすぐ停止して息子と共に外へ出て子細に観察しようとした。まばゆい白色の物体から音は出ていない。車内には妻がいたので、計3名である。物体が垂直に下降したとき3人が目撃したが、数秒後に森の中かむこう側へ消えてしまった。直径は10メートルだったと思う」

この種の輝く物休は世界中のUFO関係記録にゴマンと出てくる。尖端を切った円錐形の物体は特に1968年に、米国シアトルのボーイング社の工場付近で数百名の人々に目撃され、写貞にも撮られた。

科学者の体験

ミロン・オペラはルーマニアの最重要な研究センターであるプロイエスチの高等岩石学研究所の高等数学教授である。目撃者は有名な数学者で、この目撃は1968年9月15日に発生した。

「22時に私はプロイエスチの方向にあるバレニー・デ・ムソテからドライブしていた。同行者は妻と、12歳と14歳になる2人の甥である。プレジョイに着く直前、妻が南東の方向にゆっくりただよう輝く物体を発見した。ベガ精油所から東方へ飛んでいる。約100メートルの高度を保っており、我々が精油所に近づくと輪郭がはっきりしてきた。形は円筒型で、下部に輝く輪がついている。上下の長さは2〜3メートルで、直径も3メートルぐらいである。強烈な青色光を放っている。40秒間、物体は我々よりも700〜800メートル前方の上空に静止していたようだが、ゆっくりと下降するようにも思われた。我々が精油所に到着すると、物体は建物のかげにかくれた。たぶん付近に着陸したのであろうか。私はまた車を止めよぅとしたが、妻や甥たちが恐れて、止まるなと言う。その夕方、同じ場所で別な人が同じ現象を目撃している」

▲ロシリー・デ・ベで目撃されたUFO。白熱した金属のような円盤。

市民による目撃

1969年5月31日の夜から6月1日にかけて南部ルーマニア上空を1機の物体が飛んだが、これは裁判官、建築家、運転手、学生、その他の勤め人なども目撃したすばらしい実例であった。これらの目撃談を綜合すると、ただ1個の物体が飛んだことを意味している。このルーマニアの目撃事件はこの理由のために重要性を帯びてくる。6月1日の早朝、20名ばかりの市民によって5カ所の異なる場所で見られた物体の異常さを例外なしに強調するような事例が他にあるからだ。マラセステイとカルガラにおける目撃は、それが異常な状況下でロシオリー・デ・ベデで突然方向を変えたか爆発したかは別として、物体が火球であったことを示すものかもしれない。この物体は3カ所に出現したのと同一物体だったと考えてよいだろう。同時にブカレスト上空にも物体が出現したが、これもその緩速度と突然の方向転換能力からみて自然現象に入れられない。同じような現象 (複数)、が午前1時25分と2時30分にも首都の上空で発生している。この時刻は調査され、間違いないことが確証された。筆者はこの現象が5月下旬にアラドで見られた物体と同じ部類に属するものと考えているが、これはあくまでも推測である。

ニコラエ・ドゥミトラスが、接近してから消えていったアテドの物体を見た方角は、時刻は別として飛行計画〃にそったものらしい。だが彼が述べる時刻が正しいかどうかは、調査ができなかったために不明である。たしかに彼の言う時刻とブカレストのザハレスタの言う時刻とは、ほとんど一致しているのだ(午前1時25分と1時30分)。筆者はこの事件から結論を引き出したくはない。UFOの正体がわからない限り、結論は出せないのである。またUFOの飛行計画″についても何も言えない。どだい、これらの物体は900キロメートルの距離をわずか5秒間で飛行できるのだ! 次の目撃報告は各都市から出たものである。

▲ロシリー・デ・ベのUFO

< 1969年6月1日 マラセステイ>

バクウ州美術委員会の副会長、エルネスト・ガブリロビキ、ルーマニア人教師C・キオバヌと、2人が乗った車の運転手の3名は、ブカレストからパタウへ行った。午前2時頃、マラセステイから10キロメートルばかりの所で、ポリゾの上空を南北に水平にものすごいスピードで飛ぶ緑色の螢光を帯びた物体を1個、一同は目撃した。見かけ上の大きさはバスケットボールぐらいで1等星ほどの明るさである。球体の中心部は色が濃く、外側の方は持動するような鋭い光を帯び首いる。ガブリロビキは物体が上空40メートルの位置にあったとき、ブランセア山脈の数カ所の地点を定めて3角測量で物体の大きさを測ってみた。すると数秒後に物体は見えなくなったが、背後に雲を残した。

▲ラドゥー・ザハレスクによる目撃

<1969年6月1日 カルガラ>

 私(法律コンサルタントのM・トゥングラン) は、1969年6月1日午前2時20分に、バクウとサンドウレニ問でトラックに乗っていた。そのときUFOが北方(バクウとローマンの方向)へ飛ぶのを見たが、次にそれは西方(バクウとサンドウレニの方向)へ飛び始めた。高度は500〜600メートルで、距離は7〜8キロメートルである。大きさはフットボール程度で、ネオンのような光を放ち、黄赤色のスパークを背後に残していた。1分後に物体は樹木のかげにかくれた。物体とそのスパーク〃との距離は約3メートルで、スパークの尻尾の長さは約2〜3メートルである。この現象は私がカルガラ村へ向かう途中に発見した。他の目撃者はトラックの運転手と、バクウ州リベジレの住人、ミハルケア・ラドゥー教授である。

<1969年6月1日、午前2時30分。ロシオリー・デ・ベデにて。ロシオリ精油工場の工員イサト・パラシフの目撃報告>

5月31日の夜から6月1日にかけて私が友人のマレツと共に工場の庭にいたとき、友人が驚くべきスピードで飛ぶ1個の物体を指さしておののいた。最初は北から東へ、次に南から西へ飛ぶのだ。接近するにつれてフットボールのような形となり、スパークの流れを航跡に残した。しかし突然、形が変わって、6〜7平方メートルの表面が直角になり、頭上約600〜700メートルを飛んで、信じられないようなスペクタクルが30秒ほど続いた。水平に飛行しながらオレンジ色の7〜8木の平行線をたなびかせた。その後、物体は3個に分裂し、最初の部分は2〜3平方メートルの表面を有したが、あとの部分はもっと小さかった。3個とも1列になって飛び、航跡は残していた。他の目撃者は同僚のカリネスク・アレクサンドル、ウトゥー・ラザール、その他数名である。ロシオリー北駅の夜勤の人々もそれを見た。物体は飛行中に全然音を出していない。この現象についてこの分野の専門家のど意見を聞きたい。

< 1969年6月1日 ブカレストにて>

 計画部の主任技師ラドゥー・ザハレスクは、サルシミロール通りで、白熱した金属のように強烈に輝く物体を1秒間目撃した。弱い振動と同色の光跡を残したが、光は弱かった。バスケットボールの大きさで、2ブロックの5階建てアパートのあいだを無音で飛んだ。スピードは普通で、水平に飛行し、高度は飛行機よりもかなり低かった。物体がきわめて鮮明に見えたので、目撃者は高度も距離も大ではなかったと考えている。

(久保田八郎 訳)

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