紀元前4000年?の世界地図
このピリ・レイスのコレクションは現在ではほんの断片しか残っていないが、それは明らかに空中写真を基にした世界地図で、その原板は紀元前4000年か、おそらくそれ以前に撮影されたものと思われる。
|
▲ピリ・レイスの地図 |
現代の地図製作専門家の意見ではこれは現在エジプトのカイロのはるか上空から地上を撮影したものだ。ピリ・レイスの地図は写真の遠近法どおり近景は大きく、遠景は小さく歪んで描かれており、最近になってワシントンの米国水路局のスタッフの手によって正常な形に投影されるまで、ピリ・レイスの時代からずっと、解読不能の奇妙な地図としか考えられなかったのである。ところが一度解読されると驚くべき事実が明らかになった。これは立派な地図であるばかりでなく、南極付近にも未知の島々が描かれていたのだ。
それから国際地球観測年(1957年)の間に米国の143機動部隊が、2マイルから3マイルにも及ぶ厚い氷を通して地震波による測定を行って、ピリ・レイスの古地図が細部まで正確で信頼できるものであることを証明した。やはりこの地図ははるかな高空の一点から撮影されたのだった。しかも今から4000年以上も昔に!
空間から見おろしてこの地図の原本を作成したのはいったい何者だろう。そして、ノーベル賞受賞物理学者のエンリコ・フェルミがその著書で問いかけているように、彼らはどこにいるのだろう?
宇宙からの信号は地球へのメッセージか?
L・ジョージ・ローレンスの最近の体験、特に生物信号の記録(オリジナル・テープはワシントンのスミスソニアン国立博物館の科学文書保管所に保存されている)こそは、宇宙に生命が存在することの明白な証拠となるだろう。ローレンス自身は、あれは宇宙からの郵便配達人の「郵便ですよ」という呼び声ではなかったかと考えることがある。彼は更に、このようなメッセージを受け取るほどの人はあのピリ・レイスの古地図を作成した宇宙人の子孫なのであるまいか、とさえ主張するのである。そのような人たち(たぶん彼自身をも含めて)はひょっとしたら、こういったメッセージの解読能力を遺伝により授かっており、生物信号の形で送信されて来た宇宙通信を理解できるのではなかろうか?それともこれらの生物信号は、方角を失った宇宙船に対する捜索・誘導ビーコンなのだろうか。
ローレンスの記念すべき発見は、彼が1971年10月号の"エレクトロニクス・ワールド"に「宇宙通信」と顕する論文を発表し、その中で次のように述べたあとでなされたのである。
「 ― 私たちは、行方不明となった宇宙船についてのあのインディアン伝説が事実かどうか実際に当たってみた。その宇宙船はビスガ・タレーター(州間国道40号線の近く)から遠くないモハービ砂漠の地下深く埋もれていると語り伝えられている。いろいろと尾ひれのついたこのインディアン伝説によれば巨大な宇宙船が墜落して地下深くめりこみ、溶岩の大流出の原因となったという。」
ローレンスが誠実ですぐれた科学者であることは確かである。彼の結論には正しくない点もあるかもしれないけれども、全部が間違っているわけではないことも確実である。彼の考えには少し空想的にすぎる傾向があるにしても、歴史上のすぐれた発明発見は、必ず最初は一風変わっているとか狂気の沙汰だとか考えられる、ということを忘れてはならない。発見者や発明者の正しかったことが証明され、そのあとで初めて、風変わりな点や特異な点はすべてその天才のあらわれだったということが理解してもらえるものだ。
未知の科学の分野の研究は時間を食う手さぐりのもどかしい仕事であり、その評価には十分の注意を払う必要がある。前後関係全体の中から1つか2つの誤りをとりあげていっさいを非難し、貴重な研究を狂人のしわざとして葬り去ってしまう ― これは人類がしばしば繰り返してきたあやまちなのである。
彼は語る。「私たちは1972年の3月と4月に実験を行って成功した。4月10日午後10時30分(太平洋標準時)に明らかに宇宙からと思われる異常な信号を記録したのだ。この現象は弱いものではあったが、他に電波妨害はなかった
人類は精神的革命を経験しつつある
現代という重大時期に、人類は想像も及ばぬほど遠大な精神的革命を経験しようとしている。マスコミによって報道されたのはそのごく一部にすぎない ― それにその全部が確実な根拠によるものでもない。しかし、まだ割合に原始的な進化の段階にある私たちがそのような広大な前途の可能性に目覚めるなら、銀河系のはるかかなたにいる地球人以外の知的生命についても考えてみないわけにはゆかなくなることだろう。
それらの知的生命は、科学においても英知においても、卓越した意識においても、私たちよりも100年以上も、いやことによれば100万年以上も進化しているかもしれない。アメーバには自分を顕微鏡で観察している生物学者の存在も性格も感知できないように、彼らの次元も私たちの英知を超越しているかもしれないのだ。
私たちが研究者の言葉を受け入れようと受け入れまいと、いっさいの証拠(それに平均の法則)が、私たちの銀河系からはるかな星雲のかなたまで進化した文明の存在することを指し示している。宇宙からの生物放射線にふれた地球人も1人や2人ではないこともまた確かな事実である。
宇宙をもっとよく理解しようと努力する人間精神の影響を排除しようと、物質主義科学はあらゆる試みせ企ててきた。その結果目的論は衰退し、天文学は無味乾燥な不毛の事実と数字の集積だけになりはてた ― そこには生命も目的も意義もない。まるで私たちが堪え忍ばねばならない大きな災難のようにだ。
だが"新しい物理学"と超心理学の研究が盛んに行われるようになり、保守的な天文学者たちも、ESPのような非物理学的 ― 少なくとも超物理学的 ― 事実が存在することを認めないわけにはゆかなくなってきている。
最初の2ー3世代のコンビユータが出現してからというものは、人類はその感覚を発達させるのに ― 顕微鏡的にも宇宙的にも ― ますます技術に頼るようになった。そのことは、無限に広い鋭敏な精神エネルギーにとってはしばしば有害であり、逆に言えば精神を退化させるような技術を創り出す原因となってしまったのである。
私たちの身体と頭脳を形作り、それに活力を与える精神は、宇宙のいかなる地点とも決して無関係ではありえないのだ。
人類以外の生命 ― それが大熊座の付近にいようと銀河系のどこにいようと ― との交信は人類の能力で可能なのだ。それは以上述べてきたことからおわかりいただけたと思う。その方法をヒエロニムスの機械によろうとも、ローレンスの生物エネルギー場の受信機によろうとも、それとも直接に心から心によろうとも、たいした相違はないといってよい。
既成科学の方法論を ― そのわずらわしい儀式と伝統もいっしょに ― 頑固に押し進めることこそ、宇宙のかなたに栄える文明とホモ・サピエンス(人類)との交信への道を開くのに最大の障害となるかもしれない。
既成科学は、あらゆる研究者を電磁波スペクトルのせまい範囲のみに閉じ込めた上で他の非科学的な宇宙通信研究はいっさい拒否し、金力と権力を駆使して従来の研究をかたくなに続けてゆくことだろう。
巨大な皿型電波望遠鏡では受信不可能な宇宙通信をすでに受信した者がいることを、既成科学は決して承認しようとはしないだろう。そして近年人々が金と時間と労力をつぎ込んで建造しようとしているのは不適当な"電話交換台"なのではあるまいか。
本当の21世紀の宇宙通信制御盤は生物放射を基礎としたものになるのではないだろうか。
(終わり) |