自然は目的を持って万物を創造する
学者、素人のいかんを問わず各自の個人的体験から人間の心というものはいつか宇宙の神秘を聞く力ギと直接につながっているという急進的な結論に達するように導いたアインシュタイン、テスラ、マルコーニ、エジソン、その他の人々の足跡は輝かしい光を放っている。だがそれも正統物理学を基準とした論理的思考を通じてのことではない。「空気より重い物は空中を飛ぶことはできない」と言ってライト兄弟に忠告した物理学者の例を想起すれば、先人たちの偉大な精神も理解できようというものだ。
既知の物も未知の物も、宇宙の法則に反するものはすべて存在することはできない。これを言い替えれば存在する物はすべて宇宙の不可欠の一部分なのであり、したがってその場所と目的を当然持っているはずである。自然界では理由もなしに万物が創造されることはない。だから意識・知覚力・理性などは他に言いようがないので"心"と呼ばれているが、これはきわめて重要な力の属性であり、しかも存在するものであるから、心が創造された目的に奉仕しなければならないのだ。
「宇宙には知識が充満している。人間の仕事はそれを読み取ることだとは マサチューセッツ工科大学のウェイン・バトー博士の言葉である。そして科学の目的もまさにそうなのである。
しかし科学者の頭は固い。彼らの頼みの綱は伝統と権威である。そのため真理に接近するかわりに科学的官僚主義の網を張りめぐらせようとする。ある意味では今日の科学は中世の宗教と同じ状態だと言っても過言ではない。一部の科学者はきわめて進歩的であるにしてもまだ大半の学者は超保守的で自分たちが定めた法則からはみ出た事象は認めようとはしないのである。
|
▲アインシュタイン氏の有名な写真。 |
ところが大自然は人間の作った法則など眼中にない。人間が進歩したければ自然にしたがって研究をすればよいのであり、これこそ宇宙の法則なのである。神は宇宙とサイコロ勝負などなさらぬものだ」とアインシュタインは言っている。
マルコーニ、テスラ、エジソンらは時々電磁波でない不思議な信号を大気圏外から受信したと報告したことがある。しかし研究費の援助を停止されるのをおそれ、彼らはそれ以上の研究をしなかった。そのため、テスラはゼネラル・エレクトリック社に恨みをいだくようになったし、シュタインメッツとウェスティングハウス社との関係が悪化したこともある。なぜ実業界は狭量なのか。理由は簡単だ。儲からないことに金を出したくないからだ。
地球に似た惑星は他にも無数にある
保守的な科学者や実業家が"利益のない研究や生産"に無関心である一方地球のような惑星は大宇宙空間に無数に存在するという考えは、学者の嘲笑にもかかわらず大衆の意識に浸透するようになってきた。真に進歩的なアイデアを出すのは学者か素人か、いったいどっちなのだろう?
1600年の恐ろしい事実を思い出してみよう。「地球以外にも無数の世界がある。そのなかには地球よりももっと輝かしい栄光に満ちているのがある」と述べた若きジェスイット僧、ジオルグーノ・ブルーノは、今日のだれでも知っていることを主張したというだけの理由で火あぶりの刑に処せられたのである!だがそれにしてもブルーノはあの驚くべき知識をどこで仕入れたのだろうか?単なる直感で知ったとは考えられないものがある。
しかしこれほどに歴史が変化してもなおかつ次のような、およそ信じられないほどの時代遅れな言葉を吐く科学者がいる。「太陽のように惑星を持つ星が他にも存在することを証明した者はいない。我々は宇宙でも特異な存在なのかもしれないが、行って見た者がいない限りだれにもわからない」
これは1930年代から40年代にかけて一流の天文学者だったフォレスト・モールトン博士の言葉である。
多数の科学者は星間距離があまりに広大なために宇宙旅行については楽観的ではない。親子数代にわたらなければ遠い星にまで到達して帰還できないからだ。
だがその心配はないだろう。地球人が出かけなくても、どこかの惑星に進歩した人類がいるかもしれないからである。私たちに必要なのは彼らの"電話番号"を知ることだ。もしすぐれた英知を持つ人類が我々地球人に連絡を試みているとすれば、こちらの"受話機"が故障しているのかもしれない。電波望遠鏡では不可視波長の電磁波しかキャッチできないのだ。
"精神"こそ物質の創造者であり支配者である
そんなことは空論だと言う人があるだろうが、ジェームズ・ジーンズ卿の言葉を引用してみよう。
「今日では世界は機械的なものでないという考え方が主流になろうとしている。宇宙は巨大な機械というよりもむしろ巨大な"想念"であるように思われる。精神はもう物質の領域に偶然飛び込んで来た侵入者とは見られなくなった。精神こそ創造者であり、物質界の支配者ではないかと考えられるようになってきたのである」
|
▲イギリス宇宙旅行協会会長アーサー・クラーク氏 |
あのすばらしい映画にもなった「2001年宇宙の旅」の著者であるアーサー・C・クラークの言葉を借りれば「宇宙は私たちが考える以上に不思議であるばかりでなく、私たちが考えることができる以上に不思議なものなのである」
既知の電磁波スぺクトルだけを見ても ― それらのエネルギーの場に光速度の500万倍の速度(他に適当な言葉がない)を与えられる可能性があることは別として ― 驚くべきことだが、このエネルギー場を凍結して私たちが"固体"と呼んでいるものに変化させることができるのだ。この精神の領域と物質界との"結合"は現在の科学知識に相反するものではない。
科学には必ず壁が立ちはだかっていて、これにつき当たるときがくるが、そのときは自然が門戸を開いてくれるのであるから、それを待たねば解決法は出ないだろう。
重力、電気、人間の思考、物質、エネルギーの観念などについても、我々の考え方を根本から変えてしまわねばならぬ時期がさし迫っている。この思想革命が成就すれば、人類の新しい船出への道が開けるはずだ。その時こそ人間は全く新しい理論によるエンジンを完成し、一生を犠牲にすることもなく遠くの星を、他の世界を訪問するようになるのだ。
ソビエトの科学アカデミーも、我々が"重力"と呼ぶあの不思議な吸引力を解明して明日の超大馬カエンジンを駆動する新動力の制御法を発見するために必死の努力を続けている。
歴史上の偉人たちは真実を知っていた
歴史上の大思想家たちは自分の考えを伝えるのにいろいろな比倫や象徴に頼らなければならなかった。それもきわめて巧妙にひかえ目にである。その考えが自分たちの生きているうちにはとても大衆に理解されないように自然が目に見えぬ"壁"を張りめぐらしていることを、彼らはよく知っていたからだ。偉大な古典を読むと多くの科学者、哲学者、数学者たちがどんなにすぐれた文章家であり、自分たちの思想をうまくぼかしていたかがよくわかる。彼らの"暗号"は、同時代の人の中でも特にすぐれた少数者にしか解読されなかった。古代の僧侶や魔法使いはこうして不敬な民衆や高圧的な権力者から秘密の奥義を守りとおしてきたのである。
魔法、錬金術、占星術、その他これに類するもの(選ばれた少数の弟子にしか伝えられなかった秘法)の大部分は、今日の科学では常識となっていることが多い。もしガリレオがレンズを組み合わせた"魔法の筒"で星をのぞくのがもう100年早かったら、彼は間違いなくジオルグーノ・ブルーノのように焼き殺されてしまっただろう。
「不思議の国のアリス」の著者ルイス・キャロルも「ガリバー旅行記」を書いたジョナサン・スイフトも数学や医学、天文学などに詳しく、時勢よりもかなり進んでいた。だからこそ彼らは当時、子供の読物としか思われなかった風刺文学の形で書かざるをえなかったのである。
このことは「アラビアン・ナイト」など空中飛行をあつかった作品についても言えることなのだ。
第3話へ続く |