ホーム ライブラリー レターズ ピクチャーズ ufo 掲示板 お問い合わせ リンク

GA Site -UFO Contactee-

articles

過去更新記事

 ├ 2009年度
 ├ 2008年度
 ├ 2007年度
 ├ 2006年度
 ├ 2005年度
 ├ 2004年度
 ├ 2003年度

最新更新記事

サイト内検索



GA Site内を

新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 古代の天空人 エーリッヒ・フォン・デニケン

UFOと宇宙 No.12 1975 より  

『神々の戦車』の著者が、再び古代の遺跡と天空人との関係を推理する―。 

現代の文明の起源は太古に他の太陽系から来て古代の原始人と混合した天空人で始まったのではないかとエーリッヒ・フォン・デニケンは考える。この宇宙の天才たちは人間の歴史において何度も着陸し、地球人との接触の結果、子孫を残したのだという。彼らは進歩した科学知識も残し、そのほとんどは時代の流れとともに失われたが、その形跡は世界中に残存する遺跡のなかに見出されるというのだ!


私は12万5千マイルにわたる旅を続けて、その間セイロン、シンガポール、マレーシア、南太平洋、台湾、イースター島、南米などを訪れ、自分の説を裏付けする資料を探し求めた。エクアドルでは地下200メートルもある謎のトンネルを探険して、その中にかつて人間が見たことのない先史時代の黄金で満ちた建造物を発見したし、中国の湖南省でも似たようなトンネル機構を調査したが、これも先史時代に大気圏外から来た人々による証拠を示していた。ミクロネシアのカロリン群島ではナン・マドールの遺跡を調査した。これは巨大な玄武岩から成るもので、それを建造したと思われる文明人のはるかに進歩した技術を用いぬ限り、運搬することは不可能な大岩石である。インカの古代の首都であるエクアドルのクンカやペルーでは、黄金板に彫られた未解読の文字、奇妙なマーク、絵などを判読した。これらは"大洪水"時代にさかのぼるものである。

いずこを訪れようとも、地球には大昔、宇宙からの訪問者が来たという私の考えを支える驚くべき証拠を発見したのである。

宇宙空間のどこかから私たちに似た知的生物が ― 似ているというわけは仮にその生物が、3つ目や6本指や長い耳を持っていても問題ではないからだ ― 超高速の宇宙船に乗って銀河系をかけめぐり、さまざまの惑星に立ち寄って知識を求めたのだ。この宇宙旅行者たちは各太陽系に自分自身に似た知性体を作り出した。 ― 我々の太陽系ばかりでなく、彼らの惑星の生命体に似た生命を有する惑星を発見したら、かたっぱしからそうしたのだ。

我々がこの惑星地球の出身であることは疑いない事実である。我々にはダーウィンの学説があり、私はそれを疑わない。我々は自分の肉体や脳が数百万年もかかって進化したことを証明できる。だがまだ多くの疑問が残っている。それは、なぜ、そして何のために人間は知的になったか、なぜ他の動物は知的にならなかったか、ということである。チンパンジー、ゴリラなどのサル族は人間によく似ているが、まだ森の中にいる。しかし彼らも同じ進化の年月を与えられてきたのだ。だが進化はしなかった。進化したのは人間だけだ。しかもサルと人間とのあいだには実に300種もの相違点があるが、これは不可解なことである。そしてこれこそ、紀元前2万5千年ないし4万年のあいだに大気圏外から来た"人間"が、何らかの人工的な変異によって、当時存在したサルから人間の姿に似せた知的生物を創り出したのだという説を私が打ち出す理由なのである。

 古代に大気圏外からの訪問があった?

 

▲ヘルメットと服を着用した人間?イタリア、バルカモニカの古代洞窟壁画。

ここでよく考える必要があるが、私は少なくとも2回または3回か4回の大気圏外からの訪問があったと思う。最少限2回はあったろう。第1回目はすでに述べたように紀元前2万5千年から4万年のあいだで、第2回目は紀元前3千年から5千年間のスメール以前または聖書以前の時代である。考古学者が発見した8千年前の洞窟の壁画があるが、そのなかにヘルメットをかぶり、首のまわりに後光をもった人間たちの絵がある。また紀元前592年のエゼキエルと車輪のような、聖書時代の神話から出た絵と思われるようなものもある。

エゼキエルがユダヤ人のグループと一緒にバビロンの人々に捕えられたときに、彼は記録を書き始めたということを我々は知っている。現在アフリカとオーストラリアの中心部に、紀元前592年にさかのぼる洞窟の壁画があるが、文化のひどく異なるグループが1つの出来事によって同時代に影響を受けたと思われるのは、オーストラリアの洞窟の壁画製作者たちが目撃した出来事を描いたからである。彼らは写実主義者であり、素朴な人々であった。同じことはサハラ砂漠の場合でも言える。彼らも紀元前400年から1000年のあいだに、宇宙からの訪問者の絵を描いたのである。これはバビロンのエタナ叙事詩の時代である。

エタナは叙事詩の中で次のように言っている。彼は神々の1人によってとらえられ、惑星上を飛ばされた。その神は彼をますます高くつれてゆき、このような高空から地球がどんなに見えるかと尋ねた。そこでエタナは恐ろしくなり、神に頼んだ。「友よ、私は天国まで昇りたくはありません。どうぞとまって、私を地球へ返して下さい」

このような乗物が地球の文化に属するものでないことはわかる。当時地球にいた多くの人々は地球の文化の程度をよく知っていたであろうからだ。たとえば今日我々はこの惑星上になおも未開民族をかかえている。北辺の地で飛行機がエスキモーの群れの頭上を飛ぶとき、彼らは地面にひれ伏して神に祈るようなことはしない。その飛行機がニューヨークとチューリッヒ間を飛ぶ101号便であることを知っているからだ。彼らにはそのことがわかっているので、「他の太陽系から神々が来た」などと古代のやり方で文書を作ったりはしないだろう。ただ次のように書くだけだろう。「我々の文化よりも程度の高い文化がある」

この宇宙から来た人々は定期的に各惑星をかけめぐっているので、地球にもまたやって来るだろうと思う。このことは疑いないが、危険もある。彼らは他の太陽系でも惑星を発見すれば自分たちに似た知性体を創っている。これはあらゆる神話に出ている。聖なる書物のどの章も「我々の似姿に従って人間を作ろう」と書き始めてある。なぜ「我々」とか「我々の」と複数形で言うのか? 創世紀さえも常に複数形になっている。これは私の考えだが彼らは太陽系、銀河系のどこへ行こうと、このことをやっていると思う。そのグループの1つが地球人よりも急速な進化をとげていたということなのかもしれない。そしてたぶん現在地球へ来ていると思われる人々は同じ父親を持つという意味で我々の兄弟であるのかもしれない。だが元のグループにとっては今は危険だろう。なぜなら彼らは宇宙をかけめぐっても大きな発見をしないだろうが、5千年間この惑星で生きてきた地球人は多くの新しい発見をやるかもしれないからだ。したがって地球人が彼らを追い越すことは可能だろうが、相手が追い越されるのを望まないのにこちらが追い越すのは危険かもしれない。

 宇宙人は証拠物件を残す?

 

だが私は彼らの地球への来訪を円盤の目撃と直接に結びつけるわけではない。ここではっきり言わねばならぬのは、私はUFO研究家ではないということである。したがってUFO問題で私が知っている事柄は新聞や雑誌からのニ番煎じにすぎない。そんなことは私にとってはどうでもよいことだ。しかし多数の人や科学者までがUFOを目撃しているからには、彼らは皆間違っていると言うのは正しくないと思う。我々はUFOは大気圏外から来るのだという証拠を持たないが、"何か"がまわりにいるのだ。我々はオープン・マインドを持たねばならぬし、私はそれを持っている。UFOが大気圏外から来る物体である可能性を私は否定しない。UFOは何か知的なものを持っているように思えるのだ。

▲ペルー、ピスコ湾の山腹の絶壁に刻まれた古代の奇妙な模様。上下の長さが240mある。

私が宇宙人だったら「我々はこれこれの時代に何光年彼方のこれこれの太陽系から来た。地球では生命体を発見したが、それをこれこれの方法で変えてしまった。我々はなるべく早く地球へ帰って来る、等々」の言葉を記録した何か破壊されないような物を残すだろう。それが金属板、タイムカプセル、録音テープなどであっても、このような証拠を作ったとすれば、それをどうするだろうか?高僧や政治指導者に渡して「これは50年後におまえたちの子孫にとってきわめて重要な物となるだろう。大切に保存して子孫に伝えよ」などと言うわけにはゆかない。

きわめて確実なのは、これを受け取った男は50年後に死ぬこと、次の世代は戦争をひき起こし、その勝利者が神殿や図書館を破壊することだ。これはよい方法ではない。そこで私ならこの証拠物を山の頂上に置く。すると、だれもそれを見るが、わるい時期にわるい世代がこれを破壊する危険はない。

3番目にやれる可能性があるのは、巨大な物を建造することであろう。これなら数千年間だれも破壊できない。地球にはこの実例がある。たとえば、ビラミッドやバールベタのテラスの地下深い所に何かを探り出そうとしてのぞいて見た者はまだいない。

しかしこれも最上の方法とは言えない。地球の極が変化したり、大海に覆われたり、大地震が発生したりすることを考えねばならないからだ。最良の方法は証拠物件を地理学的な一定地点へ置くことであるかもしれない。地球にはそのような場所がある。北極、南極、赤道上のどこかの地点などだ。もっとよいのは太陽系内のそうした場所であろう。あるいは衛星に置くのもよい。だが50年後の世代のためにこんな証拠を残すということになれば、すぐれた世代がこれを探し始めるように配慮しなければならない。どうすればよいか? 我々が宇宙旅行者であるとしよう。地球には聖書に出てくるエゼキエルやロメク、予言者のエノクのような人々がいる。そこで、起こった出来事をこの人たちに書かせて、その中に「過去に発生したこの不思議な出来事は何なのか?」と記させる。

▲古代の宇宙センターの跡か?ペルー、ナスカ平原に残る不思議な大線型模様。

私の意見によれば、宇宙人は我々の先祖に贈り物として、ある道具や実用品を与えている。まるでチーズを切るように石を切ることのできる小さな道具であると仮定しよう。この道具のエネルギーはわずか10年保つだけで、その後はだめになるか、こわれるものとする。我々は今日これと似たようなケースに直面している。我々が新大陸へ行くと、原住民に道具類を与えることがある。斧、フォーク、ナイフなどだ。だが、ここで私が言っている例はわざと与えることなのである。なぜなら相手は我々が後になって気付くようなこの品物を我々の先祖に作ってもらいたがったからだ。そうすれば後の世代が宇宙を旅したときにこの品物が世界中にあるのを見て、次のような疑問を起こすだろう。「これらはどのようにして作られたのか? 我々の知らない過去はどんなものだったのか?」そして考えるだろう。「我々は古代に大気圏外からの訪問を受けたのではないか?」と。

次に考えるだろう。「確実な証拠はないものだろうか?」。そして証拠を探し始め、どこに隠してあるかと詮索するだろう。これが現在我々の直面している状態である。我々は解決不可能な古代の遺跡や疑問をかかえている。そこで証拠を探さねばならないのだ。

我々は他人によって創られたものであり、神は自分の姿に似せて人間を創ったからには、彼らも現在の我々と同 じ問題に直面していたと思う。そこで我々がこの証拠を発見したとき ― それは太陽系のどこかの地理学的な場所にあるだろうが ―、我々の過去ばかりではなく未来の事までもわかるだろう。

これは現在の問題の処理法を意味することになる。未来の問題も現在のそれと同じだからだ。我々は知性体という意味では同じ種類なのである。

 ピラミッド建設の謎

 

私の新しい著書「神々の黄金」は、同じ事柄の繰り返しであるにしても読者に目で見る証拠を提供している。私は新しい証拠を加えておいた。そしてたとえばビラミッドのようなすでに知られている物を追求するとしても、これは繰り返しではない。この探求に関して新事実を加えたからである。大ビラミツドはよい例である。ご存知のように、考古学者達は大ビラミッドが作られた方法はわかったと称している。そして「未知の道具類が存在したと言うフォン・デニケンの空想は必要なし」と言っている。

▲ケオプスの大ピラミッド。この写真は1974年6月14日、ニクソン大統領がギザのピラミッドを訪れたときのもの。

だが同時に、考古学者は大ビラミツドが240万個の石ブロックで作られていることにも同意している。彼らによれば、各ブロックは20年かかって切り出され、磨かれて、適当な場所にすえられたという。20年かかって240万個の石ブロックを分割したとすれば、1年間で12万個になる。1年の作業日を300日として ― 日曜日を除くからだ。日曜日は古代エジプトにもあり、ときには10日間の宗教的祭日もあって、この日は仕事を休んだ ―、1日の作業時間を13時間とすれば、2分間ごとに1個のブロックを正しい位置に置かねばならない。現代でもビルを建設するのに、2分間ごとに石を置いているだろうか!

  しばしば聞かれることだが、なぜ確証が出ないのかということについて私は言いたい。「確証はあるはずだ。だが探さなかったので見つからないのだ」

「しかし墜落した宇宙船の残骸のようなものはないのか?」と聞かれる。これもたしかにあるだろう。だが我々が探しているような場所にはない。今日飛行機 ― たとえば軍用機が墜落するとパイロットは脱出するが、その前に居住地域が被害を受けないような方向へ向けようとする。だが現代の考古学では、古代の遺物があることを確実に知っている場所を隠したりする。だれも砂漠や海底などへ探索に行かない。何を探したらよいかわからないからだ。

実際のところ、考古学者は地球の表面の1パーセントの100分の1しか探索していない。だから墜落した宇宙船の残骸のような証拠物件はまだどこかに存在しているにちがいない。我々はそれを発見していないだけだ。

頭にアンテナ状の物をつけた男の絵が宇宙人であると断言するわけにはゆかない。それはできないことだ!私は自分の説の科学的証拠を打ち出そうとしたことはない。ただ自説に適合するかもしれないような形跡を提示しただけだ。この形跡のなかには完全に間違ったものもあるかもしれない。

未来だけが、どれが間違っていて、どれが正しいかを示すだろう。科学的であることは、できるだけ真実に接近することである。

今我々は洞窟の壁画や遺跡などについて考古学的な説明を求めているが、こうした説明は25年から30年も古いものである。現在、我々は新しい眼で物事を見ることができるのだ。宇宙時代の眼である。たまたま他の解釈があるからといって、この宇宙旅行時代の考え方を排除するのは科学的ではない。

もちろん他にもいろいろな解釈がある。しかし私の考え方も1つの可能性をもつ解釈である。

久保田八郎訳

home artcles letters pictures ufo bbs お問い合わせ link