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第一部 報告 |
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今まで報告されたことのないこのUFOが着陸して乗員が現れたという事件の情報は、古くからの友人で同僚でもあるニューヨーク市のアレタサンダー・D・ミ−ペインから送られてきた。レックス・ミ−ペインはこの事件のことを、彼と最初の目撃者メリー・メリーウェザー(仮名)夫人の共通の友人から聞いたのである。
シャーロット・ロナルド嬢がニューヨーク州ニューベルリンにあるメリー夫人の家で週末をすごしたのは、1970年か71年の初秋のことだった。そのとき2人は、丘の上空を飛ぶ正体不明の光を何度か目撃した。このことがメリー夫人に5、6年前の体験を打ち明けさせるきっかけとなった。彼女は、2機の物体が着陸して乗員らしいものが修理をしている光景を目撃したのである。ロナルド嬢はレックスもこの問題に深い関心を寄せているのを知っていたので、彼女自身が目撃したこととメリ−の体験談を彼に話して聞かせた。そこで今度はレックスがその詳細を1972年12月、私に知らせてきたというわけである。私は12月12日にメリ−夫人に手紙を書き、乗員のことをもっと詳しく教えてもらえまいかと頼んだ。しかし彼女からは何の返事もなかった。
1973年6月2日、私はメリー夫人に長距離電話をかけ、自己紹介をしてから、彼女の最初の目撃体験のことをぜひ直接に開きたいのだと申し入れた。
私の希望が真剣なものであり、私が単なる物好きのおせっかい屋でないことがわかったらしく、彼女は喜んでその事件の詳細を話してくれた。30分も長話をしていると、この前例のない重要なUFO事件について彼女が首尾一貫した率直な話をしてくれていることも、ただ1度の電話でその全容をつかむのはとても不可能であることもはっきりしてきた。
そこで彼女は、ぺンシルバニアにある現在の自宅でインタビューに応じることを承知した。その日は、1973年6月10日(日曜)の午後と決定した。
■ インタビュー
この報告はその3時間におよんだインタビューの長い録音テープとメモを基にして書いたものだ。このインタビューでメリー夫人は、丘の中腹に2機の物体が着陸し、その一機を乗員 ― 12人はいたと思われる ― のうちの2人が修理しているのを4時間にわたって観察したことを話してくれた。6月10日のインタビューののちも私は、何度も電話したり箇条書にした質問書を送ったりして、更に詳しい情報を入手したのである。
ニュージャージー州モントクレアの精神科医パートルド・シュワルツ博士はフライング・ソーサー・レビュー誌の顧問兼執筆者として読者にはよく知られている。
彼が同様な事件の目撃者へのインタビューの経験豊かなことを知っている私は、ニューベルリン事件を彼に知らせてやった。シュワルツ博士はメリー夫人と連絡をとり、1973年8月14日に4時間にわたって彼女の話を開いた。この会見では、催眠術で彼女に過去を思い出させることも含んで目撃者に関して更に貴重な情報が手に入った。
また、事件から1、2日後着陸地点で目撃者が発見した一機の航空機で適当な実験を実施することも考えているので、その時は実験結果に関する追加報告を発表するつもりである。
メリー・メリーウェザーにはこの不思議な体験を利用して有名になろうというような気持は毛頭ない。それどころか彼女は評判になることを避け、事件についても家族や親しい友人など1、2人くらいの人としか話し合っていないほどなのである。
■ 事件の場所
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▲ニューベルリン北部丘陵地帯の地図 |
事件が起こったのはニューヨーク州ニューベルリンの中心部から約1マイル北、ファイヴ・コーナーズ(北緯42度39分、西経75度20分)地帯のすぐ北西の国道80号線上の地点である。
UFOは目撃者のいた場所から北西へ1300ヤードほどはなれた丘の頂きに着陸した。1964年11月25日(水曜)のことである。1964年はメリーの結婚第1年であるのでよく覚えていた。同じように日付も確かである。
というのは、11月24日が両親の結婚記念日だからである。事件が起こったのはその次の日、午前0時45分ごろから午前4時55分ごろ(東部標準時)にかけてだった。
目撃者としては、当時20歳だったメリーのほかに、彼女の義母がいる。メリーは義母の家に泊まっていたのである。彼女はニューベルリンの近くで大きくなり、1962年から64年までイサカ大学で音楽を専攻した。現在の夫、化学技師のリチャードと結婚したのも1964年のことである。事件当時はニューヨーク州シラキューズに住んでいた。
1964年の感謝祭の週、2人はニューベルリンに住む夫の両親を訪れた。11月25日には夫とその父は近所の人たちと狩猟に出かけ、メリーは義母がさびしがるといけないので一緒に留守番をしていた。1973年6月にインタビューしたときには、メリーウエザー夫妻には6歳の男の子と4歳の女の子、計2人の子供があったが、7月には2人日の女の子が生まれた。
6月上旬に私がはじめて電話してからというものは、彼女はいつも親切で1964年11月25日の事件の調査に心から協力してくれた。私に関するかぎり本件の目撃者は完全に信頼できると思う。彼女の物語は、彼女自身不思議な事実と思っている事件をできるだけ正確に述べたものと考えて差支えない。
以下の物語は直接メリーから得た証言を基にしたものだ。事件の本筋を追うため無駄な枝葉は少々刈り込んだけれど、1964年の事件を語った言葉はすべて目撃者自身のものである。カッコでかこんで付け加えた部分は、インタビューや電話のさい書きつけた私のメモから出ている。
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第二部 目撃者の物語 |
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ディックは彼の父と狩に出かけ、私は義母がさびしがらぬように国道80号線の北寄りのニューベルリンのファイヴ・コーナーズの家で留守番をしていました。夜中の12時半になりましたが眠れそうにもありません…テレビをつけると、何度も見たことのある古い映画をやっていました。ちっとも面白くないので、起きてジンジャー・エールを飲み、様子を見に外へ出ようと思いました。
11月にしてはめずらしくよく晴れた夜でした・・・・その年は晩になると雪が降り、雪が多くて気分がクシャクシャしました。でもその夜だけはとてもよく晴れていたのです。驚くほどたくさんの星が見えました。月も出てきて明るく輝いていました。
玄関まで出ましたが寒いので・・・・・・上衣を取りにもどり、もう1度出かけました。星をながめながら星座を見つけようとしていると、流星が1つ目に入りました。 北北東を見ていたのですが、その流れ星はいつものとおり弓形の線をえがいて東の地平線めがけて落ちてきました。
■ UFOを発見
続いて流れ星がもう1つ、今度は弓形をえがいて飛ぶかわりにまっすぐに落ちてきました。前とほとんど同じ場所です。ハイウェー(国道8号線、ニューベルリンから北へ走る)の真上かすこし東寄りで、ファイヴ・コーナーズのそばでした。それから小川にそって、家の前を通っている国道80号線と平行に飛ぶのです。そのとき私は事の異常なのに気づきました。というのは・・・・・・流れ星もはっきり見えますが、小川の上、道路の北側の丘が流れ星の上にはっきりと見えるのです。それに光が明るすぎます。今まで見たことがないほど明るく強く光るのです。水銀灯はずいぶん明るいものですが、この光はそれよりもまだ明るいくらいなのです。
異常なのは目に見えるものだけではありませんでした。低いプーンという音がきこえるのです。水ポンプを運転しているような、変化のない同じ高さの音です。
義母が起きてきてバスルームのほうへ行きかけましたので、居間を通りかかったときドアを開けて「ちょっといらっしゃいませんか。見ていただきたいものがありますの」と声をかけました。義母はいつもこの時間になると犬を外に出してやるのです。彼女にとてもなついた英国産のスプリンガ−・スパニエルがいて、毎夜今ごろになると外へ出て行くのです。
■ UFO接近す
今度は自動車が1台通りかかりました。たぶん映画帰りの若者たちでしょう。ニューベルリンから北に向かって走って来て、私と川床の間のハイウェーを進んで行きます。何だかゆっくりと走っているように見えましたが、1分半ほど後でまた1台の車がやって来ました。2台ともスピードを落として、家の北東側で道路わきに寄りました。すると飛んでいる物体もスピードを落としてちょっと空中で停止し、ふたたび動きだすと止まっている車を飛び越して私のほうへやってきました。同時に車も動きはじめて走り去ってしまいました。 (この時いろいろなことがほとんど同時に起こった。メリーの義母が入口にやって来てドアを開いて1歩外に出たとたん、物体は、その時にはもうドライブウエーに立っていたメリーめがけて高速飛行をはじめた。メリーは物体の突然の動きにおどろいて、急いで玄関へ逃げ帰った。車もおそろしい勢いで走り去ってしまった)
物体が私めがけて飛んで来るようなので、これは近寄りすぎたと思って私も逃げだしました。走れば家まであとひと息というくらいの距離でした。義母は玄関まで出て来たときその物体を見つけ、あわててもう一度ドアをしめようとしましたが・・・・・私がとり残されるといけないので細目に開けておいてくれました。でも自分で外に出ようとはしなかったのです。彼女はあの物体はいかにもあやしいと言い、私に早く家に入るよう呼びかけましたが、私は入りませんでした。物体は道路の向こう側、家から2、300ヤードくらいの場所で停止しています・・・・・・その物体を見つめながら私は、何だかむこうからも見つめられているような気がしてなりませんでした。
■ 動物の反応
母は、私に仲間みたいなものでもついていればと思ったのでしょう。犬を外に出そうとしていろいろ苦労していましたが、犬はドアの外へ出ようとはしないのです。母の足より前に出ようとはしません。ただそこに長くなっているのです。ふるえているのが私からも見えました。ガタガタふるえているのです。
■ 物体の着陸
また車が1台やって来てスピードを落としました。これで3台目です。車がスピードを落とすと物体は動きはじめ、車と同じくらいの速度で飛びます。彼ら(車中の人たち)は驚いた様子で、逃げだしてしまいました。物体はやはりそろそろと谷にそって飛びました。川床の上を飛んで丘に上がり…北北西に飛行して、地図で計って家から1100メートルほどはなれた山の中腹を上昇して行きましたが、やがて尾根よりすこし下で停止しました。ブーンという音はもうきこえません。しかし光はよく見えました。「さあ、もう家の中にお入りなさい」と義母が言いましたが私はまだ外にいると言って双眼鏡を取ってきてもらいました。
義母が玄関からまた声をかけ、食堂の窓から見たほうがよく見えるよと言います。食堂は北北西向きなのです。私に風邪をひかせたくないのです。私ももうかなり長くなるので寒くなりました。そこで義母の言葉にしたがうことにしました。義母はずっと食堂の窓から見ていたのです。なるほどそこからはよく見えました・・・・・・私が屋内に入ったのは物体が着陸して2、3分後だったと思います。義母もやっと安心したふうでしたが、私も暖かくなってホッとしました。犬は義母の足許にくっついて、どこへ行ってもついて行きます。恐怖で体が固くなっていました。よほどこわかったのでしょう。(メリーが作った時間表によると、彼女が家に入ったのは午前1時すこし過ぎだった)
■ 乗員を発見
食堂の窓から双眼鏡で見ようとしたのですが、レンズが光ってよく見えません。義母が上下に傾けてごらんと言うのでそのとおりにすると、ちょうど反射が消えてよく見える位置が見つかりました。物体のまわりで動くものが見えます。義母が「何か見えるの?」とたずねるので「光が見えます。それにまわりで何か動いているようですわ。人間らしいものが」と答えました。
物体の全体の形はよくわかりませんでした。ただ、光が物体の下部から来るらしいこと、それに物体が脚で着陸していることはわかりました。というのは、物体の底部は地面からかなりはなれていて、あの人たち ― 〃人〃というのは、私には彼らが何者だかわからないのですが人間のような体格をしていたものですから ― が下に入って四つんばいか、すわっているかしていたからです。職工がトラックや乗用車でやるようにあおむけになったのもいましたが、車の下よりもかなり余裕があったようです。
彼らは物体の周囲を行ったり来たりして、2人がかりでないと運べないくらいの工具箱らしいものを持ち出しました。2個(工具箱が)か3個かよくわかりませんでしたが、1個よりは多いようでした。何かのまわりを半円形に歩きまわっています。丸い形の乗物のまわりを歩くような具合です。光が明るすぎるのでその形はわかりませんでした。光は物体の下部にあるようで・・・・その輝きがあまり強いので物体の形がわからなかったのです。
彼女(義母)に双眼鏡を渡して、上下に傾けて何が動いているかのぞいてごらんなさいと言うと、彼女はしばらく見ていましたが「ええ、よく見えるわ」と言いました。(人間たちを)見たことはたしかです。彼女の身体が固くなるのがわかりましたから。母はおびえて私に言いました。「ええ、よく見えるわ。でも今度はあなたが見て私に教えてよ。私はもうあんなもの2度と見たくないわ」
■ 宇宙人の様子
さて、私の見た"人たち"のことですが、5、6人はいたようです・・・・・・スキン・ダイバーのウェット・スーツのようなものを着ていました。その色は黒っぽい色で、手はスーツの手首から外に出ていました。皮膚の色はスーツより明るい色をしていました。体格は人間そっくりで、頭は首の上にあり、その首は肩の上にある、といったふうです。がっちりした体つきをしていることも、背骨があるらしいこともわかりました。彼らは私たちと同じように2本の足で立ち、私たちのと同じような手を使って働いています。ただ1つちがう点は、私たちよりすこし高いことです 1.8メートルから2.4メートルはあったでしょう。 (メリーは、双眼鏡の視野の下部に見えた茂みの高さからそう推定したのである)
私によく見えたのは、物体のすぐ近くにいて光で明るく照らし出された人たちだけでした。大部分は背中か横顔を私に向けていました。頻や首の皮膚の色も、手と同じように明るい色でした。横顔や首灯よく見えたのです、といっても一部の人たちだけですが・・・・・頭には何もかぶっていませんでした。 今日の若者たちのような長いものではありませんが頭髪もちゃんとありました。短くきれいに散髪してありました。物体の下側の地面にいた人たちの横顔も私たちと変わりありません。
■ 乗員たちの活動
彼らは、私の父が農業機械をあつかうように物体をあつかっていました。私たちがこわれた機械やエンジンを修理するとき使うのと同じようなレンチ、ドライバーその他の工具を使っているようです。物体の中心部から何かを持ち出して、それを手でそっと下におろしました。手袋をしていたかどうかは覚えていません。5人で1組になっていました。
それよりすこし前、私が家の中に入ってこのほうがよく見えると思ってから5分から7分くらい後、母は立ち上がってあちこち動きまわっていましたが、やがて言いました。「あら、また1つ来たわ」
■ 2横目のUFO着陸す
双眼鏡から目をはなすと、もう1機の物体が西南西から東北東へ飛んで、最初の物体が着陸しているすぐ上の尾根の頂上に着陸するのが見えました。地上で働いていた人たちにもう4〜6人が新しく加わったのは、彼ら(最初の乗員たち)がエンジンか発電機のようなものを機体の中心部から降ろしたすぐあとでした・・・・・新しく加わった人たちも働きはじめました・・・・・すこし丘を下った手前のほうに立っている人たちもいました。長い重そうな ― そう見えたのです ― 鋼鎖を切っているようです。鋼鎖は輪になって人々の間に落ちました。同じ長さに切りそろえているのです。皆一心に仕事をしていました。重たいからか、扱いにくいからか、大きすぎるからか、理由はわかりません。鋼鎖は黒っぽい色をしているようで、皆はそれを使って機体からはずした機械を固定していました。
■ 修理作業は続く
彼らはそれ ― エンジンか発電機のようなもの ― を、おろした場所に置いたままで仕事をしていました。彼らが仕事にとりかかったとき、義母がもう1時15分だよと教えてくれましたが、私はそれでも観察を続けました。切ったり、りきんだり、歩きまわったり、すわったり、あおむけに寝たり、肘をついて腹ばいになったり、ひざをついたりしています。全部で10人から12人くらいいたようです − 確かではありません。いろんな物を機内から運び出したり持ち込んだりして行ったり来たりしていましたので。
双眼鏡なしで人の形はわかりませんでした。双眼鏡を使わずに見えたのは光 ― 2個の光 ― だけです。頂上の下に1個と上に1個見えます。上のほうの光はそれほど明るくありませんでした。強くはあるけれども大きくないのです。頂上の光は満月よりすこし小さかったでしょう。下の光はその3倍くらいありました。故障の原因が何かはわかりませんが、光の大きさに関係があるように思われました。
義母は何度も時間を教えてくれました。彼女は「あれが逃げるか他の事が起こるまでは眠る気になれないし、あなた1人を起きたままにしておくわけにはいかないからね」と言って、私と一緒に起きていることにきめました。
「犬は死ぬほどおびえていますよ。私と同じようにね」とも言いました。私はちっとも怖くありませんでした。あんな光は今まで見たことがないのでこわいのだと義母は言います。警察か政府関係の役所に知らせたほうがいいかしらと言いましたが、私が「知らせたくはありませんわ」と言うと義母も「私もそうよ」と答えました。そこで私は言いました。「ね、だれかを呼べば小銃や大砲を持った人たちが来て、あの人たちを邪魔するでしょう。あの人たちはただ、あの機械を修理して飛んで行きたいだけなんですのよ」私もその結果起こるゴタゴタにまきこまれたくありませんでした。義母もそうだったと思います。その時は2人ともあとでいろいろなうるさいことが起ころうとは考えもしませんでした。あの人たちはただ修理をすませて飛び去りたいだけなのでしょうし、私たちも馬鹿な連中に邪魔をさせたくなかったのです。
私がわざと警察を呼ばなかったことは彼らもわかってくれていると、私は確信しています・・・・・車が逃げ出したとき彼らは私を見たに違いありません。私はたくさんの目で見られているという感じがしてなりませんでした。人は知りませんが私なら見つめられればわかります。私はじっと見つめられているという気がしました。義母も、私たちは見つめられているようだと言っていました。彼女はこうも言いました。 「理由はうまく言えないけど、私たちが警察を呼ばなかったことも、呼ぶつもりもないことも、彼らはわかってくれていると思うわ」
■ トラブル起こる
台所の時計がちょうど4時半になったとき、一団の男たちが降りてきました。全部で9人です ― その後にも3人、例の機械から同じ距離をおいてならんでいました。それからその後にも6人が1列にならんで立っています。何かを待っているか、すぐ何かに取りかかる準備ができているように見えました。1人1人が工具を持っていたようですがよく見えませんでした。力を合わせて働いているようです。修理がすんだものか、両手で合図していた指導者らしい人物が"さあ、気をつけてやろう"というような身振りをし・・・・・・皆その機械に手をかけました。指導者が"さあ、動かせ"と言うような合図をすると、皆いっせいにそれを持ち上げ、機体の底にはめこもうとしたのです。機械は真直ぐ上に、約20センチほど持ち上がりましたが・・・・傾いたように見えました。モーターの裏側のような皿形の底が見えました。機械が持ち上がってから傾いたことは、底が水平でなく傾いていたのでよくわかりました。彼らがそれをはめこもうとしたとき、ねじこむようにグルリと回しましたが、機械は少しまわっただけでそれ以上動こうとはしませんでした。
もう8〜10センチで機械を機体に装着できたのでしょうが、機械は傾いただけでそれ以上動きません。そこで彼らは、さっきしたことを逆にやりなおして、機械をもう1度地上におろしました。それから10分以上も作業をしたのちもう1度やり直しましたが、やはりうまくいきません。彼らはまた逆の手順で機械を地上におろし、10分あまり修理を続けました。さっき鋼鎖を切っていた人たちはまた鋼鎖のようなものを切断しています。今度はすこし明るい色のものを前より短く切っています。いそいでいるらしい様子がよくわかりました。
彼らは3度目の作業にとりかかりました。機械を持ち上げ、機体に近づけます。でもやはりだめでした。もう4センチほどなのにまっすぐにならないで傾くのです。どうしてもちゃんと装着することができません。1人が"だめだ"というような身振りをしました。彼らはいらいらして、早く作業を終わりたいように見えました。でもどうしてもうまくいかないのです。
彼らはもう一度機械を外して地上に降ろしました。今度の修理には3分くらいかかったでしょうか・・・・・それから指導者らしい男が"さあ気をつけてもう1度いこう。きちんとはめるんだ"というような身振りをしたのです。彼はこのモーターのような機械の左側に立っていました。声はむろん聞こえませんがそう言っているように見えたのです。彼らは注意深く機械を持ち上げ今度はピタリとはめこみました。
■ 修理成功、そして出発
物体の前面(目撃者に面した側)は割合に明るかったので、丸くなっているのがよく見えました。底面は丸かったか円錐形だったか、今となってみるとはっきりしません。機械が機体の中心部におさまるすぐ前に ― 機械は円筒形でしたが上部はどんな形だったかわかりません ― 強烈な光が機体の下から出ました。とにかく、機械がうまくはまって彼らはとてもうれしそうです。5時6分前でした。乗員たちは急いですべてをかたづけ、頂上の機体から来た乗員たちはその方へ走り帰りました。皆よほど重い物を持った走りかたです。工具箱は2人がかりで運んでいます。工具箱は少なくとも3個はあったようです。彼らは機体の後へ走り去り、その後は姿を現しませんでした。他の人たちはその場に落ちている鋼鎖を拾い集めてから丘をかけ上がりそれからはだれも現れませんでした。
5時5分に丘の頂上の物体が離陸しました。まっすぐに上昇すると ― 何メートルくらいかは知りません ― 突然消え去ったかと思われたほどの高速でもと来た方、西南西へ飛び去りました。1分後にはもう1機が、垂直に上昇し、丘の頂上よりすこし高度をとってから、1番機と同じ方向に同じ速度で飛んで行きました。それで終わりです。長い長い夜でした。
翌朝起きると私は義母に「あそこへ行ってみたいんです」と言いました。母はそうだろうと思っていた、と答えました。ところで母は私くらい背が高いうえにうんと重く、関節炎と骨髄炎に悩まされていますから歩き回ることは得意ではありません。あの物体が着陸していた場所は牧草地に使われていますが、そこまで行くにはかなり急な斜面を上がらなくてはなりません。有刺鉄線の垣根を2ヶ所越えなくてはなりませんし、野いちごの茂みをかきわけたり、牧場のいちばんきたない部分を通りぬけたりしなければなりません。義母にとても行けない場所です。
でも私は道路近くの農家に行き ― 現場はその一家の土地なのです ― あそこまで上がってもよいかとたずねました。それはかまわない、と彼らは答えました。何だかうさんくさそうに私をじろじろ見ていましたが、私は別に何の説明もしませんでした。幸い彼らもそれ以上開こうともしません。ですから彼らが何も見ていないことは確かです。何が起こったかも知らないのでしょう。私は礼を述べて上がりはじめましたが、母は車の中にすわっていました。彼女はこう言ったものです。「あそこまでは上がれないけど、事から見ていることはできますからね」
■ 痕跡を発見
頂上を探しまわった私は、前夜見たのと同じ場所に、円錐形で先端の丸い非常に重い何かが3ヶ所地面にめりこんだ凹みを見つけました。1辺が4.5メートルから6メートルくらいの3角形にならんでいます。3脚の跡のように少し中心に傾いていました。その1つでは岩が割れていましたし地下の岩盤までめりこんでいましたから、よほど重い物が乗っていたと思われます。下に岩のないただの土の地面に残った跡の直径は約35センチ、探さは45センチありました。いちばん浅い穴の探さは約10センチでした。痕跡は2組ありました。1組は丘の頂上、1組は中腹の斜面です。穴は間隔の同じ正3角形にならんでいました。
■ 遺留品を発見
あれこれ探しまわっているうちに、乗員たちが鋼鎖のようなものを切っていたことを思い出し、高い草が茂ったあたりまで降りて行ってもう1度探しました。それを見つけたのがその日のことだったか、それともディックが狩りから帰ってから2人で登ったときのことだったかはっきり覚えていないのですが、その日のことだったような気がします。下のほうの1組の凹みからさらに15〜18メートル下がった地上に、7.5センチばかりの鋼鎖の切れはしのようなものを見つけました。彼らが拾い忘れたものでしょう。外側には茶色の紙タオルのような ― といっても私たちが使う紙タオルとはかなり違いますが ― 手ざわりのする被覆がついています。管状になって中身を包んでいました。スッパリと横に切断されたこの落とし物の中心には、非常に細いアルミニウムの線のようなものが直径2.5センチほどの束になってつまっていました。長さは外側の紙と同じに切れています。色も感じもアルミそっくりですが、アルミではありません。アルミなら折れますが、これは折れないのです。外側の紙には縦に切れ目が入れてあったので中の金属線は容易に取り出すことができました。
私が発見したのはそれだけです。もし捨てなければ今でも義母の家にあるはずです。だれにもさわらせぬよう私がしまっておきたかったのですが、母がほしがったものですから。大変軽いもので、被覆と一緒にしてもほとんど目方を感じないほどでした。(この遺留品は、本文を書いた1973年12月15日現在ではどこにあるか不明である)
(終わり) |