ネス湖の怪物は動物ではない!
そうこうしているうちジョン・A・キールが、ネス湖に一機のUFOが着陸して乗員があらわれたという、あるスエーデンのUFO研究者の報告の話をしてくれた。私はすぐ気がついた。この着陸事件は、私の友人グレアム・スネープらが湖上を低空飛行する光体を目撃して3日後に起きている。私はただちにそのスエーデン人やカンブレー島のミルポートで海洋生物学を専攻している大学院学生と連絡をとることにした。彼はネス湖で潜水して不思議な発見をしたのである。私の著書の「竜と円盤」は出版されたばかりで、青銅時代の出土品とUFOとの間に未解決の類似点が存在することに世間の注意をうながそうとしていた。
見たところはまったく何の関係もなさそうないろいろの出来事がこの分野ではいかにピッタリと組み合うか、また私たちの反応はどうだったか、それを皆さんにお話ししたい。
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▲BBCテレビのインタビューを受けるオーマンド博士 |
●オーマンド博士の不思議な能力
オーマンド博士は、教区牧師は退職したが、祈祷師としては世界的に有名で、この年(1973年)もシリヤ、スコットランド、スピッツベルゲンと悪魔ばらいの祈祷にとびまわったし、サーカスの大テントのてっぺんなど、もともと危険な場所や野鮮を清める能力では全欧州のサーカス関係者から特に高い評価を受けている。
1973年6月2日、オーマンド博士と私はネス湖でいっしょになった。数週間前テレビに出たときうっかりロをすべらせたおかげで、テレビ局からの撮影隊が儀式の取材に来ることはまず間違いなかった。だが彼らには同じことをもう一度やって見せれば満足してもらえるだろう。本当の儀式は内密で、それもできるだけ早くすませることが必要だ。私たちはその晩に決行したのである。
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▲平服のままひそかに行われたオーマンド博士の祈祷。左はアータス大尉。 |
私たちは2台の車に分乗して出発した。私は現役砲兵士官のA・アータス大尉の車に同乗して、悪魔ばらいの儀式のためネス湖周辺に前もって選んでおいた4つの地点に皆を案内した。一同はまずロッホエンドの水辺に車を止め、お守りの儀式を行なった。これは、短い礼拝のあと参加者全員の額に聖水を十字形にそそぎかける。このことは、あとで起こった事件を思い合わせると、きわめて重要な意味を持つように思われた。
オーマンド博士の祈祷の一部は次のとおりである。
「なんじの小さな僕に託された力により、この湖と周囲の土地が、あらゆる悪霊、あらぬ妄想、亡霊、また魔ほのもののたくらみから解放されますよう。おお主よ、これらの悪しきものが人をもケモノをも傷つけることなく、与えられた場所に永久に静まるよう、お力をお貸しください」
一行はつづいてインヴァーネスを経て東南の岸に行き、それからフォート・オーガスタスヘ、最後にアークハート・キャッスルへと移動し、各地点で悪魔ばらいの儀式をとり行なった。最後の祈祷はネス湖の中央部に出て行なう必要があり、そのため私は適当なボートを手配しておいた。
ネス湖をめぐる60マイルのこの行程と度重なる儀式を通じて私は、ある種の緊張が心の中に高まるのを感じていた。これは私たちが最後の祈祷のため水深210メートルの湖上に浮かんだとき最高に達した。その祈祷は次のとおりである。
「年経たる蛇よ、生者と死者の裁き主により、なんじと世界を造りたもうた主により、いまなんじに求める。もはや前世紀の怪獣の姿を借りて人の子に悲しみをもたらすことなかれ」
怪獣!か、もっとすごいものがボートの下に姿をあらわしはしないか、と心ひそかに期待していたが、オーマンド博士が失神しそうになほかは何ごとも起こらなかった。博士の話では、悪魔ばらいがうまくいったときは必ず失神しそうになるのだそうである。一行は日曜は休養して、月曜はテレビ撮影隊のため、儀式を再演した。その日おそく起こった奇妙な事件の巻き添えをくって、一行の2人があやうく溺死しそうになった。火曜の晩 にもすごい事件が起こったが、それをお話しする前に、まずUFO着陸について述べておきたい。
空中のUFO
私がかつて書いた「ネス湖の怪物とUFO」(本誌第2号に掲載)中で私は、グレアム・スネープが夜間に降下してきた光体を目撃した話を紹介した。着陸したといううわさもあるし、もっと詳しい話を聞かせてくれと彼に頼んだところ、彼は次のように話してくれた。
「その物体は、夜空を左から右へ、背景の山々とほぼ同じ高度を飛行して行った。非常な高速で水平に動いたが音はちっとも立てなかった。こまかい凹凸はあったがだいたい円形で、特に色が印象的だった。中心部は白色で、その周囲に紫色の輪が見えた。大きさは観測者と物体との距離によるからよくわからないけれども、湖の真上を飛んだとすれば、中心部の直径は1.5メートルから3メートルくらいだろうと思う」
彼が目撃した物体は一機だけだったという。1971年8月13日のことである。
UFOが着陸し、乗員が現われた!
それから3日後、ジャン・オーヴ・サンドバーグがネス湖のフォイヤーズ湾を見おろす森林を通り抜けようとしていた。これは発電所建設現場への近道である。時間は午前8時半から9時半の間だった。突然奇妙な物体が70メートルほど離れた空地に着陸しているのが見えた。10メートルもある灰色の葉巻形をしていたが、一端にはまがった部分があり、横から見ると取手のついた巨大なアイロンのようにも感じられた。近くの茂みの中から3人の人影があらわれて、話でもしているかのように一団となって立っていた。頭から爪先まで灰色の潜水服のような衣服におおわれていた。サンドバーグ氏は最初フォイヤーズ計画に参加している潜水夫たちだろうと思ったほどである。身長は1.75〜1.80メートルくらいだった。
やがて彼らは動きはじめ、UFOのまがった部分の上部にあるドアから内部に消えた。全員が乗りおわると物体は音もなく垂直に上昇し、15メートルか20メートルの高度に達すると、高速で水平に飛び去った。山を越えるとモール湖の方へ降下してゆくように思われた。
サンドバーグ氏はそのとき、約20枚の未露出フィルムのはいったカメラを首にかけていたので、この機会に一枚残さず写してしまえばよかったのだが、一種の麻痺状態にあったらしい。 それでも、最後の乗員が船内にはいるとき、やっとカメラを持ちあげて、一枚だけシャッターを切った。この写真はゴーゼンパークのUFO研究グループに送られたが、彼らはこれを「正体不明」だと返送してきた。彼はその後この写真をローレンゼン一家に送り、今ではジェームズ・ハーダー博士がこれを保管している。
悪魔ばらいの儀式がすっかり終了したらその着陸地点に出かけて写真をとりたいと私は考えた。しかし、この計画をオーマンド博士に打明けると、博士は、自分もサリスベリー・プレーン付近で一概のUFOを目撃したことがあるがどうも見た感じが気にいらなかったという理由で、この計画に反対した。だが私には納得できなかったので、ケリー空軍中佐夫妻に相談することにして、サンドバーグとのいきさつもすべて彼らの判断の材料に提供した。これは6月5日午後9時30分頃のことであるが、その後起こったことはもっと詳しくお話しする必要がある。
●●●●不思議な現象が発生
ケリー夫人は、前庭を見おろす窓に背をむけてすわり、私が窓の方を向いていた。中佐は私の右側のどこかに立っていたと思う。その晩、空は雲におおわれて、部屋の中は暗かった。
ケリー夫人は、人間が連れ去られた話を読んだこともあるし、バカらしいかもしれないが自分なら行かないと主張して、私がUFO着陸地点を訪れることに反対した。そこで私も、オーマンド博士の意見もあるし、とうとう行かないことにきめた。
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▲目撃者が立っていた場所から見たスケッチ |
ちょうどその瞬間だった。窓の外で激しい音がして、渦巻く黒煙のようなものがあらわれた。壁やドアは何度もドシン、ドシンとゆれ、部屋の隅が崩れ落ちるのではないかと思われた。庭のバラの木が地面から抜け出そうともがいているように見える。最初の恐怖が過ぎ去ると私も落ち着きを取りもどした。ケリー夫人も震えあがっていたけれども、わずか数メートルのところにいた中佐は何ひとつ見も聞きもしなかったという。
翌朝私は夫人に、体験したことをありのまま話してくれるように頼んだ。
「私たちは居間におりました。私は窓を背に、テッド・ホリデイはソファにすわって私の方を向いていました。夫は私の左側の食器棚のそばに立っていました。皆で空飛ぶ円盤か何かの話をしていたと思います。その前にテッドが、谷の向こうに円盤が一横着陸したこと、写真を写しにそこへ行きたいことなど話したことがあり、それに対して私は、宇宙に連れ去られた人もあるということだし、自分ならそんな場所へは絶対行かないと答えました。その問題をむしかえしているところでした。
「ちょうどそのとき、窓のすぐ外でものすごい音が聞こえました。そして、何物かが玄関のドアに体ごとぶっつけてくるような物音が3度響きわたりました。ふりかえると窓のそばに何かがいるような気がしましたが、それが何だったかよく見えませんでした。テッドの方を見ると、私の左側にある窓から一条の白色の光線が差しこんできて、テッドの額を白く円形に照らし出しました。電灯の色とはまったく違った白色で、円形の直径は7、8センチほどでした。これは建物に雷が落ちたので、雷光が窓からはいってきたのだと私は考えました。でも光の色がなぜ白いのかはよくわかりませんでした。
丸い光はほんの一秒ほどで消えました。でも私は確かに見たのです。絶対に間違いはありません。私はテッドに言いました。『あれはいったい何なの? どうしたの?』それから夫に『あれは何でしょう? 出て見てくださらない?』でも夫は答えました。『いったい、何の話かね? 私には何も聞こえなかったが』彼は外に出て見ましたが、何もありませんでした。みんなすっかりおびえてしまいました。あのものすごい音と窓から差しこんだ怪光がいったい何か、私には見当もつきません。窓の外に何か黒い渦巻きのようなものが見えた、とテッドは言います。そういえば私も何かチラリと見たような気がします。私がハッキリ覚えているのは、部屋に差しこんでテッドの顔を円形に照らし出した白色の光線だけです」(注2)
白かったかどうかはとにかく、私には窓からの光線など全然見えなかったのである。だが、ケリー夫人が円形の光を見た場所は、儀式のさい聖水がそそがれた場所にほかならないのだ。
この事件から数分後、気は進まなかったが私は部屋を出て、庭に置いてある車をのぞいてみた。オーマンド博士は車内でグッスリ寝こんでいたが、やっとのことで目を醒ますと、そのような出来事に対するおまじないを教えてくれた。
ケリー夫人 は語る。「あとになって博士が話してくれたのですが、博士はそのとき、テッドが危険な目に会って博士の助けを求めている夢を見ていて、そのあとで目を覚ましたのだそうです。このことはあくる朝になってから教えてくれました」。その次の夜も、ドアをノックする音がハッキリと聞こえた。だがその原因は結局わからずじまいだった。
湖底の遺跡
6月9日にはミルポートの大学海洋生物学研究所からスティーブ・ゴーザラとその友人の潜水夫がやって来て、また不思議な話を聞かせてくれた。復活祭の土曜日にネス湖のオルドウリー桟橋付近で潜水中、水深6〜10メートルの湖底の軟泥の上に、直径6メートル、高さ約1メートルもある硬い砂と石の円丘を6個以上も発見したのである。円丘から少し岸寄りには、2列の石壁が約2メートルの間隔で12メートルにもわたって湖岸と平行に立っていた。またそのそばには、水かきのついた足のあとが2個、湖底にハッキリ残っていた。サンドバーグ氏の描いた怪人のスケッチから推察すると、彼らの足には実際に水かきがあるように思われるのである(注3)。
心でつくり出す例が多い?
何だか奇怪なことになってきたようだ。これはたぶん、湖底に沈下した青銅時代の墓地や、怪物の出現、それにUFOが着陸したことを示すものではなかろうか。自称物知りたちもたぶんこんなことは開いたこともなかろう。
だが、プライアン・フォード(注4)によれば、目に見える像はその物体から反射した光線によって生じるが、一方では『かなりの数の、見かけは理知的な人々が、論理的には見るはずのない物体を実際に見たと夢中になって信じているものだ』という。アーサー・ケストラーも言っているように、『自説に忠実な科学者の暴虐ぷりはへロデ王よりもはなはだしいが、それは自分の主義に忠実な政治家も同じことである』(注5)
ネス湖での私たちの体験は、私たちのほうの心の迷いだった、としてよかろう。しかし、そのような性質の心の迷いは、古代人の間でもよく知られたことなのである。
西暦4百年代のシナイの僧聖ニルスは見習い僧たちに次のように書き送っている。
「誓いを立てて教団にはいった以上、夜な夜なさわがしく庵をおそう悪霊の化身や脅迫を、部屋の震動を、怪しい声を、雷光を、ラクダや竜や異形の者の襲撃を、また敵がおまえたちをおぴやかそうとして試みる気違いじみた笑いや踊りを決しておそれてはいけない」(注6)
脅迫や部屋の震動、雷光や竜については直接に経験した。これらの体験のうち、ある部分は心霊的なもので限られた人たちしか近づけないもののように見えるが、またある部分は相当具体的で、科学的研究の対象ともなりうるものである。だがそれは今までにも無数のUFO研究家が失望を味わってきたように、決して容易なことではない。
私たちの体験いっさいについては、かなり評価も定まってきたようだ。E・A・T・マッケイはこれを、チャールズ・フォートの書いた『我々は小道具だ』にもとづいて『ヴアレ・キール・クレイトン論争』と名づけたが、もしそうであれば「だれの小道具か?」とたずねてみるのはこの場合適切なことだろう。選択の自由というものは何かの形で常に存在する、と宗教家や神秘主義者は主張しているが、これもまた事実であるなら、ネス湖での悪魔ばらいの儀式こそこの選択の自由が肯定された象徴ともいうべきものであり、前述の異常現象を誘発したほど効果的なものであったといってよいだろう。
注1:「現代の祈祷師の体験」1970年のロンドン、キンバ−社版
注2:ケリー夫人はすぐれた超能力 者である。気晴しにその日の競馬の勝馬の予想をすることもあって、その確度は今年のダービーの1着、2着、4着を言い当てたほどだったが、彼女自身は競馬はやらないし、その予想を他人に利用させることもしない。
注3:潜水夫たちがあやまって足跡をつけたのではないかと言いだす者もあったが、これは潜水夫たちから、そんなことは無理だと否定された。足跡をつけようと何度もやってみたがうまくいかなかったという。
注4:「地球を見守る者」(1973年、ロンドン、フレウィン社刊)の著者。
注5:「助産婦トードの事件」1971年ロンドン、ハッチンスン社版
注6:ハインツ・スタロブカ著「シナイ」1966年オックスフォード大学出版部刊
(終わり) |