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新アダムスキー全集

 ├ 写 真
中央アート出版社
TEL : 03-3561-7017
E-mail :info@chuoart.co.jp
 イエスと転生

UFO Contactee No.90 AUTUMN 1985より

二千年前にエルサレムで劇的な最期をとげたイエスについては多くの憶測や説が出ているが、かつてアダムスキーに親しく接して教えを受けた海外のある人から、イエスの最期と、いわゆる"復活"に関する真相をアダムスキーから何度も直接に聞いた話として、次のような興味深い情報が寄せられた。

「イエスは実際には十字架上で完全に死んでいなかった。彼はインドのヨギ(ヨガの行者)がやるように、深い昏睡状態におちいった。新陣代謝がひどく低下し、呼吸もほとんど止まり、生きているようには見えなかった。十字架から"死体"が降ろされて一同が墓の中に運び入れてからも、この意識不明の状態は続いた。」

▲アダムスキーがみずから描いたイエスの映像の油絵。この等身大の絵画はメキシコ市在住の弟子であったマリア・クリスティーナ・デ・ルェダ夫人に贈られ、同夫人の大邸宅に飾られていたが、夫人が死去した際に遺言により棺に入れて焼かれた。この写真は1977年8月に久保田八郎日本 GAP会長が同家を訪れ撮影したもの。

二人のスペース・ピープル(異星人)が夜間、墓の中へ入ってイエスに何らかの処置をほどこして生気と体力を取り戻させた。それでイエスは生き返ったのである。

そのあと、しばらくイスラエルに住んだので、弟子たちやイエスを敬愛した人たちにこの事実が知られるようになった。

しかしイエスは後に別な惑星から来た宇宙船(円盤)に乗せられて飛び立った。

このことは新約聖書の使徒行伝の第一章に"昇天"と表現してある。

『ひとむらの雲がイエスを包んで見えなくした。イエスが上がって行かれるとき、彼らは空を見つめていた。すると、そのとき突然、白い衣をまとった二人の男が彼らのそばに立って・・・(中略)天に上るのをあなたがたが見たのと同じ有様でまたおいでになるであろう』

アダムスキーによれば、この二人の男はスペース・ピープルで、イエスは円盤に乗せられてどこかへ連れて行かれたのである。そして右の二人の男の言葉どおりに、後日またも円盤によって地上へ帰ってきた。アダムスキーはイエスがアメリカのデザートセンターヘ連れて行かれたとは全然言っていない。

礫刑のときに弟子たちは殺されるのを恐れて逃げたが、ヨハネだけはイエスを救出しようとして最後まで十字架のそばに立っていた。二千年後の現代となって、かつてイエスであった人は金星人に転生してアメリカの砂漠に円盤で着陸する。そしてヨハネであった人はアダムスキーという名のアメリカ人に転生して、この金星人と劇的な会見をする(この詳細はアダムスキー全集第一巻『宇宙からの訪問者』 に述べてある)。このときアダムスキーは相手が二千年前のイエスであったことを確認するが、そのことは右の体験記には述べてない。

アダムスキーは若い頃、一人の友人と一緒に仕事をやっていて、うまくいっていた。しかし内心は求道精神に燃えて、自分が宇宙的な哲学を人々に伝えることに向いているという強いフィーリングがいつも起こっていたが、仕事を捨てる勇気もなかった。

ある日彼が沈思黙考していたとき、イエスの姿が映像となって出現し、次のように言った。

『私はあなたの仕事がうまくゆくように援助してきました。さあ今度は私のために何をやってくれますか』

そこでアダムスキーは一大決意のもとにお金になる仕事を捨ててしまい、宇宙の法則を伝える方向に大転換した。イエスは多くの転生を通じて地球の向上と地球人の意識の高揚を図るカルマを持っていた。そして二千年前に愛弟子であったヨハネの蘇生した姿であるアダムスキーの仕事をひそかに援助して、十字架から離れようとしなかった彼の恩義に報いた。そして俗世での体験を充分に積んだ頃に、再度宇宙の法則の探究をうながしたのである。アダムスキーもかつてイエスであった金星人を援助する使命を帯びていた。この金星人をアダムスキーはオーソンという名で呼んでいる。

以上のとおり、二人の関係は深遠な宇宙的なカルマの法則の具現であり、多くの転生を経て行われてきた。 以上の事柄は別段秘密ではない。アダムスキーは充分な理解カを持つ人たちには何度も話していた。しかし公開の席ではけっして語らなかった。これは宇宙的な事実を神秘主義(心霊)と混同されることを警戒したからである。アダムスキーが透視したイエスの映像は心霊的な幻覚ではなく、宇宙船から放射された放射線によって可視化されたものである。

アダムスキーの宇宙的体験は心霊とはいっさい関係ない。彼は真実と心霊とを混同しないようにと常に警告していた。混同するとUFOの分野の真実が大衆から嘲笑されるし、真相の全体が人類に知られなくなって、宗教的なことにされてしまうからである。

転生の問題は人間にとって最も重要であるのに、地球人はまだこの知識を持っていない。この問題にはアダムスキーが地球に生まれた理由や、使命を遂行しようとした理由について、真実の意味そのものが含まれている」

甚だ意味深長な情報である。この情報源はきわめて信頼のおける人物なので、以上の内容をアダムスキーが語ったというのは間違いないと思われる。イエスの死体を墓に運ぶ途中、上空から円盤が放射線をあびせて生き返らせたとか、復活後に円盤に乗せられてアメリカの砂漠のデザートセンターヘ送られ、そこに住んでいた偉大なインディアンの一族を指導しながら80数歳まで生きたという話は、アダムスキーから聞いたことはないと言っているところをみると、どこかで話がゆがんだのかもしれない。  

▲イタリア・トリノの大聖堂に保管してある有名な聖骸布の像をもとに、高解像度写真を何枚も作って実物大の粘土模型を作り、多くの学者の意見を参考に復元したイエスの像。イギリスのカーティス・フーパー氏が7年かかって製作した。上のアダムスキーが描いたイエスの顔と比較されたい。

名高い聖骸布の科学的研究によると、明らかに放射線をあびせた形跡があるので、以前は円盤の放射線説が有力視されていたが、これは訂正を要するようだ。推測だが、あの放射線は墓の中で何者かによって、何かの装置を用いてあびせられたのではないかと思われる。こう考えるほうが合理的だ。

イエスが復活後デザートセンターヘ送られなかったとすると、どこへ行ったのか? おそらくもとの出身惑星へいったん肉体のままで帰って、充分に体力の増強を図った上で、再度地球へ釆たのであろうが、パレスティナに永住したのではなく、外国へ指導に出かけたのではないかと思われる。これについて前述の情報源によると、L・テイラー・ハンセンという古代史研究家が書いてイギリスで出版された『彼はアメリカの大地を歩いた』と題する本に、イエスとおぼしき青い目をした白人の指導者について詳述してあるという。

この白人は舟に乗って海を渡り、南北両アメリカを教えながら歩いたが、そのティーチングはアダムスキーの字竜的哲学と全く同じであった。これはイエスが十字架にかけられたあと、地上に帰ってきた後に起こった出来事であるらしい。ただしこの本の内容はアダムスキーの話とは全く関係はない。筆者はまだこの本を読んではいない。

イエスが死んだ直後に円盤が放射線をあびせたかどうか、円盤でデザートセンターヘ送られたかどうかは些細な事であって論議するほどのことではない。問題は二千年をへだてた、イエスとアダムスキーをめぐる深遠なカルマと転生の事実をどこまで理解するかにあるーこれが事実とすればだ。

これにはまだ地球人の理解カを超えた要素がひそんでいると思われるが− もちろん科学的には転生は全然認められていない − こうした問題を信ずる人と信じない人との差も、やはりカルマの差であるのかもしれない。それは科学知識などを超えた別次元の何かであろう。UFO問題はあまりにも深遠だ。

(終わり)

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