建築技術皆無の男の執念
彼は元宣教師であったが、あるとき 一念発起して神様のお宿を作ろうと思いたち、建築の知識もなく青写真も作 らず、盲滅法に大工左官の仕事を見よ う鬼まねで始めたという。もちろん報 酬はいっさいなし。
近所に住む人に言わせれば、こんな 壮大な建物をたった1人で造るとは、 まったくの奇跡だという。
しかしガリエゴの聖なる夢は実現した。27歳のときに肺結核にかかって 聖仙職者の地位をしりぞくことになった 彼は、自分の神に対する献身ぶりをあ らわす別な生き方を模索した。
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▲講演中の父。 |
「もし信念の力で山をも動かせるもの ならば(注=これはイエスの言葉)、 私のような決意の固い人間の力で教会 の一つぐらいは建てられるだろう、と 自分に言い聞かせたんだ」と彼は言う。 スペインの首都マドリードの東の丘に ある一区画の土地をお前にやると父親が遺言して他界してからまもなく、彼はそこを拠点にして大聖堂を建立する ことに決めたのだ。
仰天した隣人たちは言った。
「建築の知識もなく金もないのに、たった一人で大聖堂を建てるなんて、おまえは気が狂ったのか」
しかし厳寒の真冬や灼熱の盛夏を通じて、誰からどんなにバカにされてもビクともしないこの男は、苦闘しながら溶接や大理石の切断等を独学で習得し続けて、ついに塔群をもつ大建築物を街はずれの丘の風景の中に出現させたのである。現在は八分通りの出来ばえ。
建築許可や免許は眼中になし
建築の設計図などを全く引かないこの男は、世界の有名な大建築の写真を参考にして自分でデザインした。ホワイトハウス、バッキンガム宮殿、スペインの古城、ノートルダム寺院等の写真が彼の夢をかきたてたという。
壁の部分には地元の工場から出る廃棄煉瓦をもらって利用し、柱の部分には家畜の餌をやるボール紙のドラムを型にして、その中に寄贈を受けたコンクリートを流し込んだ。
現在、この大聖堂は奥行54メートル、横幅30メートル、ドームの高さ46メートルにも及ぶ堂々たる大建築物に変貌しており、円形の玄関は12本の柱で支えられている。
内部には納骨堂、階段、合唱団の桟敷、数カ所のバルコニー、主礼拝堂、司祭席等がある。
本来ならばスペインでも建築の許可や建築免許を取らねばならないが、そんなものはガリエゴにとって眼中になかった。しかも行政側も見て見ぬふりをしていた。紋の突拍子もない計画もさることながら、それを無視して知らぬ顔をしていた行政側の太っ腹もたいしたものだ。どこやらの国とは天と地ほどの差がある。
最重要なものは「時間」
多数の見学者が押し寄せて、みな大変に感動するので最後にはお金や物資を寄付して帰るのだが、こんなものよりもガリエゴにとって最大の敵は「時間」である。これは容赦なく切迫してくる。
「これは私のライフワークなのだ」 髪の薄くなった頭に載せているベレー帽をたたきながら彼は言う。「毎朝、私がひざまづいて祈るときに、頼むんだ。神様、あなたの家が完成すやるまで私を長生きさせて下さい」とね。
いつかはこれが完成することを期待しながら、彼はすでにこの大聖堂をその地域のカトリック管区に譲る意味の遺言書を書いているという。彼はその大建築物を「我らの中心人物の聖母」大聖堂と名づけている。
こうまで超人的な仕事をやりとげた人の実話を読むと、筆者などの多年の努力は子供だましのようなものだが、まあいいだろう。こうした壮絶な信念の力による奇跡的事実を世に紹介するのが筆者の役割であるし、人間のカルマ(宿命)はみな違うのだからと自分に言い聞かせている次第。
この資料はニューヨーク在住の日本GAP会員・デイウィッドウィッツ邦子さんから送られたもの。昨年の総会の講演で筆者はこの話をアメリカでの出来事と紹介したが、あれは資料(97年9月16日付エンクァイアラー紙)の精読不足による錯覚であった。 |