|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ├ 写 真 |
| 中央アート出版社 TEL : 03-3561-7017 E-mail :info@chuoart.co.jp |
| パプア・ニューギニアのUFO出現騒動 | |
| UFO Contactee No.141 より |
| 南太平洋のパプア・ニューギニアに頻繁にUFOが出現して大騒ぎになったことがある。時は45年前の1953年ごろから59年ごろまでの間で、時代は古いがUFOの実態を示す有力な実話なのでここに掲載した。 |
|
■ 出現第1号の不思議な物体 ニューギニアはオーストラリア大陸の北側に位置する世界第二の大島で、中央から縦に国境線が引かれ、西側はインドネシアの統治下にあってイリアン・ジャヤと呼ばれ、東側は元オーストラリア領だったが、1975年、パプあ・ニューギニアとして独立した。首都はポートモレスビー。東方沖にはソロモン海が展開し、ソロモン群島付近は太平洋戦争中、日米の1942年の珊瑚海海戦、3度に渡るソロモン海戦、がだるかなるの日本軍撤退作戦その他の大決戦で壮絶な死闘の舞台になった。今は鎮魂の歌も消え果てて平和な島々が夢のように浮かぶ南海のパラダイス。このパプアに戦後まもない頃、不思議な円盤型物体が出現するようになって騒ぎがひろがったのである。
1953年8月23日の昼前、当時ニューギニアのパプア地区にある民間航空局局長としてポートモレスビーに駐在していたT・P・ドルーリー氏が、夫人や子供たちと共にポートモレスビーの飛行艇基地に立っていたとき、空中に一点の雲が現われて、それが急速に膨れ上がり、その中から銀色の矢のような物体が飛び出た。それは細長くて金属のようにキラキラ光っていた。翼などはなく、ジェット機の5倍以上の高速で急上昇して、白い飛行機雲を残しながらやがて青空の彼方に消えた。 ドルーリー氏は大変なべテランパイロットで32種類の飛行機を操縦した経験があり気象学者でもある。 氏はオーストラリア空軍にも報告したが説明不可能な奇怪な物体としか言えなかった。これがその後に続くパプア上空におけるUFO出現事件の第1号となり、ニューギニアUFO研究史に残ることとなった。絶対に飛行機ではない不思議な物体だったと氏は断言している。平たい円盤状の物を真横から見たために細長く見えたのか、あるいは大母船だったのか詳細は不明である。 こうした場合、現地で見もしなかった人間が「飛行機か星を見まちがえたんだ」と簡単に否定するのは愚の骨頂である。こうした無責任な発言で貴重な目撃事件が簡単に葬り去られた例は枚挙にいとまがない。 ■ 南海の怪光体 1955年の5月のある夜、医師のネスパ一博士がポートモレスビーの西のユール島に滞在していた。海でひと泳ぎして帰宅しようとしたとき、月の半分もある大きな円盤型物体が、ガスライターかクルックス管のような緑色に輝きながら、約1分間ゆっくりと動いて消えた。自宅に帰ると夫人も見たと言う。 次に目撃した重要人物は、パプア航空会社の支配人クリフォード・ジャクソン氏。彼は56年頃、パプア湾のイディア島で仲間と夜釣りをやっていた午前1時か2時頃、赤く光る大きな丸い物体が西の海上約15度の上空に現われるのを見た。 その物体は月よりも大きくて明るかったけれども輪郭はぽんやりしていた。見ている人たちに近づいたり遠ざかったりして30分ほどしてから消えた。 まだある。57年11月6日付けのポートモレスビーの新聞サウス・パシフィック・ポスト紙に載った記事によると、民政局長代理のJ・K・マッカーシー氏の発表によれば、巡視将校とヨーロッパ人4人は、正体不明の怪光を放つ物体が20分間、彼らの船の近くを動き回るのを目撃したという。この将校X・エスデール氏らは8月24日、政府のトロール船エロス号でニニゴ諸島を航海中に右の怪光物体を見た。 ■ パプア地区はUFO銀座 1958年にはパプア地区のあちこちでUFOの出現が頻繁に発生するようになった。以下列記する。 ●2月上旬、ポートモレスビーのジャクソン空港上空に赤い怪物体が出現。空港の職員たちは何度も見た。その物体は北東から高度約60メートルまで降下して、空港上空を横切り、急上昇して消えた。まるで滑走路を検査するようにして低空を飛び去った。 ●58年6月、大きさも色も月に似た円形の物体が、ミルン湾地区のサマライに近いシディア島のカトリック教会の上空に五分間停止した後、空中に消えた。5人の生徒も同時に目撃した。 ●10月8日、パプア地区のUFO事件研究家ノーマン・タラットウェル神父の義弟で、病院の院長兼主任牧師のJ・K・ヒューストン博士が、59年10月8日、夕方の礼拝が終わった午後6時30分頃、まだ明るい空に星のように輝く光体が南から北へかなりの高速で飛行するのを人々が見た。 ●その夜、博士たちが空を見上げていると凄く輝く緑色の火球が現われて、非常な高速で北から南へ飛んで、やがて音もなく消えた。まだ沢山の目撃例はあるのだがここには書ききれない。 1958年はパプアにおいてUFOのオンパレードの年になった。当初はグッドイナフ湾近辺に頻出したのだが、6月になって頂点に達した。なんと円盤が超低空に降下して、異星人たちが手を振るというどえらい事件が発生したのである。
■ UFO大挙して飛来 6月26日、宇宙からの訪問者が大挙して飛来したのだ! その舞台はボイアナイである。ここはオーエンスタンレー山脈のふもとの村落で、UFOの出現で有名になった。この村はグッドイナフ湾の南側にある。ここの海岸にはカトリックのポイアナイ全聖者伝道本部があり、本部長はウィリアム・ブース・ギル神父。46年にイギリスからパプアへ赴任した。彼が目撃大事件の中心人物となったのだ。 驚いたギル神父が親友のアイダン校校長デイビッド・デュリー神父にあてた報告によると次のとおりだ。 「昨夜、ポイアナイではUFOが4時間も飛び回っていました。何者かに操縦されていたことは間違いありません。 まったく息をのむほどの見物でした。その記録を同封しますから見て下さい。」 ◎6時52分 UFOが降下する。150メートル? オレンジ?黄色? これには署名入りのスケッチが数枚添えてあり、38人の目撃者の25人が署名している。 円盤は遠くでは白く、近くではオレンジ色に光って見え、表面は金属のようで、上甲板は基部より少し狭く、一種の脚があり、ときどき青い光線を約45度の角度で空に照射していた。窓が4つあったという人もいた。 上甲板では乗員が4人、出たり入ったりをくり返していた。宇宙服のようなものを身につけていたかどうかは分からない。円盤も乗員もオーラのような輝きに取り巻かれていたが、彼らの体や機体の輪郭と、このオーラのあいだには一定の幅の隙間があり、けっして接触していなかった。皮膚の色が識別できるほど近距離ではなかったが、番人らしく、衣服を着ていたとすればそれは体にぴったり合ったものに違いなかった。
■ 手を振る円盤の乗員たち! 翌日の27日には円盤は前夜よりも早目にやって来た。ギル神父の報告では、パプア人の看護婦アニー・ローリー・ボレワが昨晩とほぼ同じ場所に1機の大型円盤が空中に停止しているのを発見した。午後6時頃だったという(ボレワはすぐにギル神父に急報し、神父は教師のアナニアス・ララタを呼んだ。円盤の形は前夜と同じだったが、遠いせいか少し小さく見えた。ギル神父の報告は次のとおり。 「円盤の上部に人影が見えた。4人だ。たしかに人間だった。昨夜のUFOと同じものだなと私は思った。付近には小型円盤も2機停止していた。 大型円盤の乗員の1人は手すりにもたれてこちらを見下ろしていた。私が手を上げると、驚いたことに、その人も同じ動作をするではないか。アナニアスが両手を上げて振ると、今度は二人が同じことをした。アナニアスと私が手を振ると4人とも手を振ってこれに応じた。皆は大きな息をついた (喜びのあまりか驚きのあまりか、たぶん両方だろう)」 こうして何分間か交歓をくり返すうちに彼らは興味を失ったらしく、姿を消してしまった。青いスポットライトが数秒間ずつ2度点灯された。 午後7時に目撃者全員は夕方の礼拝に出席したが、45分後に教会から出てみると、空は雲に覆われて円盤は1機もいなかった。 円盤の大きさについてギル神父が計算したところでは、乗員の身長を普通(約180センチメートル)とすれば、円盤の直径は基部でおよそ11メートル、上甲板で6メートルになるという(6月28日の夕方も6時45分頃から1機のUFOが現われた。それはしだいに増えて午後11時には8機がポイアナイ上空を乱舞したけれども、高度がかなり高く、人影も見られなかった。11時20分頃、鉄板を落としたような鋭い金属性の大音響が響いた。11時には皆寝室へ入ったが、UFOはまだ上空を乱舞していた。その後はポイアナイの空は静けさをとりもどして、UFO出現事件は終焉を告げたようである。
■ 真相を隠す理由 上の大事件でオーストラリア・ビクトリア州空飛ぶ円盤協会のピーター・ノリス会長が1959年9月に空軍情報部に書簡を送って、ポイアナイ事件に関する見解を聞いたところ、F・E・ラング中隊長の署名人りで次のような回答をよこしたという。 「ギル神父以下38名が目撃した物体は有人航空機類ではないと確信します。方位と角度を分析した結果、光体のうち少なくとも3個は木星、土星、火星であると思われます。光の屈折と熱帯の複雑な気象状態のために光体が運動したように感じられることがあります」 UFO問題に精通した直感力の発達した人はこの報告に憐憫の情をもよほすか、または軽蔑するかもしれない。だが空軍の報告なるものはこれが普通なのだ。というのはもし中隊長が「あれは真実のUFOだったと確信する」と発表しようものなら本人は即座にクビになるからである。したがって内心ではUFOであることを知っていても絶対に本心を明かさない。これが軍関係者の常套手段である。日本の空自でさえも、UFOの出現に対して戦闘機がスクランブルをかけてから地上に帰還したとき、パイロットのUFO追跡報告を内容通りには絶対に発表しない。その場合の決まり文句がある。 −「あれは鳥だった」。− |
|
|