最近の新聞報道によれば、太陽系の惑星の中で軌道が最も外側になる冥王星の軌道半径の3倍もある新しい天体が発見されたという。これは米マサチューセッツ州のハーバード・スミソニアン天文物理センターのジェーン・ルー博士の研究チームが、昨年10月からハワイ大学の望遠鏡で発見して、数カ月間追跡した結果確認したというのだ。
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▲1975年、5月11日に千葉市郊外で撮影された直径約10メートルのアダムスキー型円盤。 |
これはアダムスキーの太陽系12惑星説に一歩接近した新発見であり、これによって従来の太陽系の惑星9個説 が揺らぐことになる。「太陽系の惑星は9個しかないのだ、学校でそのように教えているではないか」と古い学説にしがみつき、12惑星説を嘲笑していた人たちは、この新説発表にどんな顔をするだろうか。
しかもアダムスキーは、太陽系の全惑星に地球と同様の熱と大気が与えられている理由として、火星と木星間に存在するマイナスのアステロイド帯が太陽のプラスの放射線を吸引加速して通過させ、さらに海王星と冥王星間のマイナスの第2アステロイド帯がその 放射線を吸引加速して通過させた上、最終的には冥王星の外側にある未発見の3個の惑星の外側にあるマイナスの第3アステロイド帯がさらに吸引するので、太陽放射線は全惑星に等しく熱を与えているのだと言っている。そのために逆二乗の法則は適用されず、全12個の惑星に人類が居住して大文明を築いているという。今回の発見は冥王星以遠のアステロイド帯の存在も示唆している。
およそ学説というものが市民権を得るには大体に20年はかかるといわれている。コペルニクスがその原稿「天体の回転について」 で地動説を打ち出したとき、彼は教会の迫害を恐れて発刊を危倶したけれども、友人のギーゼやレティクスらの熱心な勧誘によって刊行を決意した。その初校が届いたときには臨終の床にあったという。
後にこの地動説に共鳴したブルーノやガリレイたちは教会から猛烈な迫害を受けて、ブルーノはついに火刑に処せられた。この残忍きわまりない仕打ちをしたのは、イエスの愛の哲学を実践して人間を救済する立場にあった宗教団体であった。ローマの花の広場に立つブルーノの銅像は、彼が焼き殺された位置に建てられている。
アダムスキーは火刑までには至らなかったけれども、これ以上はないというほどの罵倒にさらされて不遇な生涯を終えている。いまだに彼を山師扱いする者があとを絶たない。この世界の歴史は残酷な攻撃者と少数の真理発見者との闘いから成っている。
アダムスキーとはそれほどに荒唐無稽な説を唱えた人物だったのだろうか。 実は彼が驚くべき宇宙的な活動を行なっていた人物であることを、アメリカのFBI (連邦捜査局) は彼の生前から探知していたのである。つまり彼が別な惑星から来た人間″たちとコンタクトし、太陽系の惑星群の実態に関して当時のいかなる天文学者も知らなかった物凄い事実を把握していたことを確認していたのだ。だからFBIは彼を最重要人物としてマークしていたのである。しかもこの件に関するFBIの驚くべき文書が存在しているのだ。 それが公開されたならば世界の学会に大変動が発生するだろう、と言いたいところだが、急にはそうなるまい。しかしいずれアダムスキーの凄まじい努力と勇気が報われるときは到来するだろう。コペルニクスのようにだ。
それよりもむしろ惑星探査機による新発見の方がもっと説得力を発揮するかもしれない。なにせ地球人は科学的物証を絶対的に必要とする人種なので(それは当然である。科学的態度が失われてはならない) 証拠物件を出さないことには話にならないのだ。
それは遠からず出てくると確信する。 今世紀末に地球世界で発生する大変動は−もし発生するとすればの話だが− 地球の自転軸の傾きによる大破壊や大戦争による破滅ではない。あるとすれば、別な惑星の宇宙船団が大挙して地球に飛来するという説がある。それはインデペンデンス・デイのごとき地球侵略ではなくて、宇宙に対して眠りこけた地球人を覚醒させるためであるという。相手は怪獣やオバケではない。 高貴な精神を持つ人間なのである。つまり、この太陽系の各惑星には地球人が逆立ちしても追いつかないほどに進化した人間が居住して天国のような世界を築いているのだ、ということを事実″としてアダムスキーは伝えたのである。そしてそれをFBIも「知っていた」のだ!
昔からアダムスキーを支持していた少数の啓蒙家たちは、これで少なくとも火あぶりになることはないだろう。 むしろ宇宙開発の巨大な科学技術の波涛に呑み込まれて彼らの存在は消滅するかもしれないが、一時期といえどもこの間題提起に活躍して少数の理解ある人々に真相を伝えたことは、本人や共鳴者たちの来世の良きカルマの形成に役立つかもしれない。
白昼、ローマの閑散とした花の広場でブルーノの像を見上げていた編者の胸中に去来したのは、「歴史というもののいい加減さ」ではなくて「歴史は進展する」という声であった。
常に明るい希望と勇気と信念をもって前進しよう。
(久) |