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 真実であったアダムスキーの体験 第2話

UFO Contactee No.134 1996 より

世界中に出現し続けるアダムスキー型円盤。 その目撃報告や写真類は何を意味するのか?
ゴードン・クレイトン

円盤の丸窓は4つだった!?

翌年の1955年にイギリスで 『フライング・ソーサー・レビュー誌』が創刊された。

▲アダムスキー型円盤(上)とダービシャー円盤(下)とを比較したクランプによる正投影図。

私(ゴードン)は多年の海外生活を終えてイギリスへ帰ったばかりだった。私自身は1941年に中国のある都市の上空で1機のUFOを見たことがある。ニューオルリーンズでは、1944年の12月に連合軍がドイツを空襲したとき、『フーファイター』が見られたという厳重な検閲済みのアメリカの新聞記事を読んだことがある。
 (ゴードン注6:1948年から1951年にかけて私がブラジルにいたときに初めてUFO関係の記事が出たのを見た。したがって当然のことながら私は 『フライング・ソーサー・レビュー』誌の創刊号からの読者になっている。そしてまもなく当時の編集長だったデレク・デンプスターや編集長のウェイヴニー・ガーバンと知り合った。

当時の実業界におけるウェイヴニー・ガーバンの地位は、ロンドンのワーナー・ローリー社の社長であった。 この出版社は一か八かの社運をかけてアダムスキーとデスモンド・レスリー共著のFlying Saucers Have Landed(邦訳は『第二惑星からの地球訪問者』) を最初に出版した会社である。

同社が出版に踏み切ったのはまったくガーバンの先見性によるものである。彼は独自の考えから、急増するUFO出現報告の裏に何か真実の要素があるにちがいないという確信を抱いていたのだ。 (ゴードン注7:ガーバンは 『空飛ぶ円盤と常識』 の中の10頁で次のように述べている。

「1953年の始めに私はイギリス、ドーセット州ウェイマスに住む一人の男から手紙を受け取ったが、それによれば空飛ぶ円盤は存在するどころか、その町の背後の丘に着陸した円盤の乗員と彼は実際に話しあったというのである。その乗員は 『自分達が地球へ来るのは地球の政治指導者がずるずるとつくりあげた困った状態に対して警戒するようになったからだ』 と言った。

これは20年以上も後になってわれわれがやっとうなずけるようになった洞察力である。ガーバンは続ける。

「私はこの手紙を読んだときにしばらく考えた。それから衝動的にそれを引き裂いてクズかごの中に投げ入れた。その手紙の差出人を狂人だと思ったからだ。

それから約1カ月後にアダムスキーの原稿と写真類が私の机上にあった。そこで急にそのウェイマスからの手紙を思い出したが、遅すぎた。私はその人の名前を忘れたので、私の不信を許して頂きたい。そしてもう一度、早急に連絡して頂きたい」

私(ゴードン)が知る限りでは、ガーバンは本人から連絡を受けていない。

1955年、私達はときおり昼間に会合をもったが (こうした会合はロンドンのセント・マーティンズ・レーンにある舞台俳優などの出入りで有名なパブ『ザ・ソールズベリー』で通常行なわれた)ガーバンはアダムスキーの円盤写真とダービシャーの写真について、ある興味深い事実を話してくれたのである。

▲デスモンド・レスリー

彼が言うには、アダムスキーからその写真を受け取ったとき、大写しにされたその円盤写真には、たしかに1列に4個の丸窓があったという。しかしこの写真を初版本に掲載するにあたって、出版社側は写真の右側をカットしたために、印刷されたものは丸窓が3個しか見えないものになってしまった。 そういう事実を知らないはずのダービシャー少年は、「自分」が見た円盤には4個の丸窓がついていたと主張したのである。両名が撮影した各円盤には、とにかく丸窓の数に関しては同じだったのだ! (ゴードン注8:デスモンド・レスリーとジョージ・アダムスキー共著の『Flying Sucers Have Landed』 で1970年にロンドンのネビル・スピアマン社から刊行した新版には、レスリーの追加記事が掲載してある。すでに指摘したようにアダムスキーはやはり弁護されてしかるべきだと信ずる。ゆえにこの問題に関心のある人はこの書物を、特にレスレリーの記事を注意深く読まれたい。彼のアダムスキー問題に対する現在の見解は『フライング・ソーサー・レビュー』誌に述べられてきた見解ときわめて近い。アダムスキーの言う謎の『金星人』の性質や由来については特にそうである。

ウェイヴニー・ガーバンとのこの対話のあとしばらくして私はレナード・クランプの 『宇宙・引力・空飛ぶ円盤』というすぐれた書物を読んだ。 (久保田注:円盤の推進原理を解明したクランプのこの書については、私の翻訳で昔の 『コズモ』誌に連載したことがある)

その序文はレスリーによって書かれているが、ガーバンがアダムスキーの円盤写真の右端をカットしたことと、ダービシャーが新聞記者から質問攻めにあった件について私に話してくれたことをレスリーが確証していることを知ったのである。レスリーは『Flying Saucers Have Landed』 の新版中でもこのことを確証している。

しかもレナード・クランプはその著書の中に正射影法による比較図を掲載し、それによってアダムスキー写真とダービシャー写真を厳密に比較し、問題の両物体が何であろうと、形に関してはまったく同じであるとの結論を出したのである。

アダムスキーがとてつもなく巧みにでっちあげたインチキ劇をカリフォルニア州からイギリスのレーク地方まで足を伸ばして演じたのか、それとも13歳の少年がそれをやったのか、いずれにしてもこのインチキ説は次第に影が薄れ始めたのである。

中米でもアダムスキー型の円盤が撮影された

くり返すが、アダムスキー型の円盤写真としてはこの2点だけが唯一のものではない。この種の写真は他にも多数存在するのである。それらの写真の信憑性は他の型のUFO写真と大体に同程度である。特に私はアダムスキー型のある写真を思い出す。

▲ダービシャーの説明を聞きながら父親が描いたスケッチ。

それは1963年の春か夏のイタリアのグラビア誌に出ていたものである。 解説文はマデイラという米陸軍将校に関するもので、その人が撮影した物体は中米のある共和国の(私はコスタリカだと思う)高速道路上かそのそばに立っているときに、円盤が着陸するのを目撃したのだという。私はその物体とアダムスキー写真の物体とに相違を見出すことはできなかった。

1963年にイタリアの新聞は多数のUFO関係の報道記事で溢れていた。 そして私はその多くを 『フライング・ソーサー・レビュー』誌のために翻訳したが、その中にこの将校の記事も含まれている。しかしその記事は当時レビュー誌の編集長だったガーバンが採用しなかった。なぜ活字にしなかったかは謎である。なぜなら彼はアダムスキーがウソつきでもなければ山師でもないことを強く確信しており、この写真がアダムスキーを有利にすると考えていたからだ。 (ゴードン注10:この翻訳のファイル用コピーは空き部屋の膨大な書類の下に埋もれているはずだが見つからない。マデイラ撮影の写真の載っているオリジナルのイタリア紙の切り抜きは、私の訳と一緒にガーバンへ渡したが、その後どうなったか知らない)

ペルーのベガ氏の目撃報告の到着は、アダムスキーの写真類やその体験記について綿密な再考をするほうが賢明ではないかということを示唆している。

というのは、私が先にも述べたように1952年以来多年にわたって『釣鐘型金星円盤』の目撃報告やその写真類の出現の流れが確実にあったばかりではなく − これは疑う人にとっては恐怖以外の何物でもないが − アダムスキーが早まって発表してしまった、あの『背の高い、きれいな、長髪の、慈愛深い人』に関する報告類も出ているからだ。しかもアダムスキーの報告はアメリカやヨーロッパで人々が長髪を好まなかった頃のことである。

アダムスキーを恐れるのはなぜか

1966年10月に私が書いた記事『中南米におけるヒューマノイド』の中で、誠実な人はこの種の問題について非常に綿密な調査を要求するけれども、おそらくこのような誠実さは示されることはなかったと述べた。これはアダムスキーは結局正しかったのかもしれないという恐怖のためである。
(久保田注=この太字の部分は原文ではイタリック体にしてある)

結局われわれは1952年以来膨大なUFO関係報告『コンタクト体験記類』を見てきた結果、われわれは心の操作、洗脳、プログラミング、計画などについて多くを学び始めている。

現在われわれの所へ殺到しているまったくファンタスティックな体験記類を考えてみると、1952年にジョージ・アダムスキーによって語られた体験だけを特に『問題外』または『納得できない』としているのはどういうことなのだろうか? 彼はむしろ長持ちがすると思われるのではないだろうか?

やはり空飛ぶ円盤だ!

最後に、アダムスキーの『金星から来た円盤』という特異な問題に関して付け加えたい。私の写真術の知識はきわめて貧弱なものだが、写真に関して深い知識を持つ多くの人が多くの機会にこの間題を論じ合うのを聞いてきた。そしてジョージ・アダムスキーがなんとやっかいなものを撮影したことかと話し合っている人が2人といなかったという事実に強く打たれたのである。 (久保田注:アダムスキーの円盤写真は模型やトリック写真ではなくて本物の円盤であるという結論を写真の専門家達が出したという意味)

こうしたさまざまの 『解釈』を集めた私のささやかなコレクションの中で、特に罪のない権威者達が次のような判決をくだしているのが目立つ。あの円盤はアメリカの病院で用いられる一種のランプ。タバコ入れ。ニワトリの孵卵(ふらん)器。

あの謎の物体がこの3種類の目的に役立ったとは、ともかくも私には認めがたい。年月の経過とともに、私はあの物体がジョージ・アダムスキーの言ったとおりの物なのだろうと、しきりに考えるようになってきた。『空飛ぶ円盤だ』 と!

(終わり)

訳者(久保田)付記

 この記事に掲載したダービシャーが従弟のマイヤーと2人で写っている写真と、ダービシャーの説明を聞きながらお父さんが描いたイラストの入手に関しては不思議な経緯があった。

 私は1973年の4月からコズモ出版社を設立して商業誌としてUFO専門誌『コズモ』を同年7月より発行し始めた(後に『UFOと宇宙』 に改題)。これは当時の日本GAPの貧弱な活動ではアダムスキー問題が拡大しないと考えて別個に展開した出版業であった。

 当時、掲載用の写真類は大手の写真提供専門の0社と取引して仕入れており、窓口としてT氏がわが社に出入りしていた。

 あるときT氏は「こんなものがありましたが必要ありませんか」と言って2枚の写真を出して見せた。なんとその1枚はスティーヴン・ダービシャーがエイドリアン・マイヤーとともに写っている勇姿であり、他の1枚はダービシャーが撮影した円盤を、息子の説明を聞きながらお父さんが手書きで描いたという説明付きのイラストであった! この2枚を夢想していたときなので私は飛び上がらんばかりに驚いた。

 T氏はこれらの写真の意味を全く知らないで持参したという。普通なら売れもしないようなこんな写真を誰が0社へ持ち込んだのか、全くの謎である。

 

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