こちらへ来て判ったのだが、アメリカではアダムスキー問題はほとんど知られていない。これは彼が撮影した母船やスカウトシップ (円盤) があまりにもシャープに写っているために、模型を吊り下げて撮影したトリック写真のように見えるせいらしい。この点は日本でも同様だ。
アダムスキーの宇宙哲学の弟子であったマデリン・ロドファー夫人の邸宅で一緒に撮影した円盤型UFOの木の葉運動を示す8ミリ記録映画に至っては、やはりひどいトリック説が流れていた。大会会場で筆者の所へ挨拶に来た初対面のロドファー夫人は、気品に満ちた立派な老婦人であった。こんな人が子供だましなトリック写真を撮影して人をだますとは逆立ちしても考えられない。むしろ批判者の知性が逆立ちしているのではないか。
この世界では物証 (物的証拠) がなければ信用にあたいしないとされている。この理由として、地球人には物事の真相を見抜くテレパシツクな能力がないからだとアダムスキーは言っている。確かにそうだろうが、それよりもむしろ、人間個々の生来の素質に、ある決められた格差または多様性が存在することに起因するのではないだろうか。金だけを求めてくだらぬ人生をすごす大人がいる一方、幼い少年が新約聖書を読んで自身の純粋化を図ろうとするこの差は一体何が原因なのだろうと、田舎でむかし知り合いの小学校長が述懐していた。この場合、少年は「生来の感知力」 によって新約の価値を見抜いていたとしか考えられない。 これはカントの 『純粋理性批判』 でいう「アプリオリの直感力」なのかもしれない。
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▲1951年3月15日、午前10時30分、アダムスキーが6インチ反射望遠鏡で連続4枚撮影した金星の母船の4枚目。6機の円盤が母船から発射されるのが見える。 |
アダムスキーの円盤や母船の写真類は、6インチ反射望遠鏡におそろしく旧式な手札判カメラを取り付けて、バックのピントグラスを覗きながらピントを合わせてネガホルダーを一枚ずつ交換する方式による、かなりの熟練を要する撮影法で撮られたものである。
熟練というのはおそろしい。多年にわたってある一つの事柄を操作し続けていると驚異的な能力が発達して、いわゆる名人芸の域に達することがある。 ジャグラーもその一種だ。ある家電メーカーの技術者は顕微鏡で微小なチップを検査する仕事をしていたが、顕微鏡の使用が面倒になったため、肉眼で凝視し続けていたところ、やがて視力が微視的に発達し、顕微鏡で見たのと同じように微小物を巨大化させて見えるようになったという。これは実話なのだが、これでさえも否定する人はいるだろう。肉眼がそのように変化する医学的な根拠がないと。
あらゆる物事の根拠や証明をいちいち求めていたら、結局行き詰まるだろう。といって盲信もよくないとなれば、どうすれば物事の真相を見抜くことが可能になるか。
それこそアダムスキーの唱えるマインドと、内部に宿る「宇宙の意識」との一体化をはかって、万事を知る意識から来る印象またはメッセージを感知するというテレパシー開発法を実践して能力を伸ばす以外に方法はないだろうが、一つの障壁がある。それは人間の内部には無限の可能性が秘められているにもかかわらず、学校教育によって人間個々の能力や知識が一定レベルを保つように仕込まれるために、誰にも生来の超常能力が内蔵されながらも、それが開発できず、逆に枠からはみ出さないように抑圧されてしまうのである。したがって子供の頃にはテレパシックな、または遠隔透視的な能力を持ちながらも、長ずるに及んで消滅するという例がある。
だが情報伝播システムの急速な拡大によって来世紀には教育法にも一代変革が生じるだろうし、人間の「知りたい」という欲求が職烈になるにつれて、テレパシツクな直感力発達の研究も勃興してくるだろう。
太陽系の惑星群の実体はすでに米ロによって解明されながら隠蔽されているといわれるが、来世紀にはこれが公開される可能性は大である。特に近未来にアメリカが実施する土星探査に期待をかけたい。これによって各惑星群の驚異的事実が表面化すると思われるが、それは来世紀の20年前後であると考えられる。遅くとも30年頃までには真の意味の宇宙時代を迎えるようになるだろう。
そうなればアダムスキー問題も浮上するだろうが、それを待たなくても、我々は独自に自己開発によって太陽系の文明を知ることは可能である。地球には多くの異星人が来ており、ひそかに地球社会の調査研究と救援活動に挺身しているとアダムスキーは言っている。そしてその証拠は充分に存在する。空中に出現するUFO (未確認飛行物体) と呼ばれるものがそれだ。 したがって悲観は禁物である。大いなる希望をもって前進を続けようではありませんかと声を大にして叫びたい。
(久) |