何度も言うことだが、地球人のマインドには恐怖が鉄のサビのようにこびりついているから、恐怖を煽りたてるような情報に接すると、それに同調してしまう。そして「怖いもの見たさ」で、そのような本を読みたくなり、読んだが最後、その記憶は潜在意識に貯蔵されて、ますます恐怖の虜になってしまう。ある出版者の雑誌編集者によると、売れる雑誌の二大要素として、ポルノ記事と恐怖心を起こさせるような記事が不可欠だという。
こうしてみると、人間に真の勇気、山をも動かす強烈な信念、立派な社会を築くための高度な理想主義を植えつけるような雑誌や図書は、ごく少数のものを除いてほとんど見当たらないといってよい。
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▲1959年6月にハワイ、オワフ島南端の岬ダイヤモンドヘッドで撮影されたUFO。詳細は不明。 |
価値観の多様な時代だからというので、誰がどのような主義主張を打ち出そうと自由だという風潮は、マスコミによる表現と報道の自由の謳歌とともに、人間から思考や思想の柔軟性を奪いとり、むしろ固定観念の呪縛から逃れられぬ方向へ人類を追いやっているのではあるまいか。
わが太陽系の真相にしても、これを隠蔽する勢力が依然として力を得ているように思われるし、UFOや異星人問題についても荒唐無稽な諸説がまことしやかに流布している。
真実と虚偽を見抜くのは容易ではないけれども、あらゆるUFO情報の中には絶対的な真実がどこかに存在するのであるから、それを徹底的に追跡してやまぬ姿勢が根本的に重要であるにもかかわらず、自分の好みに合わないという心情的な理由だけで、宝石のようにきらめく重大な事件を調査もせずに簡単に否定し、さらには抹殺しようと暗躍するに至っては、なす術もないかというと、そうではない。
断固たる決意と宇宙的パワーでもって邪悪を排除すればよいかというと、そうでもない。
地球をも動かすほどの強烈な信念を内に秘めて、ただひたすらに真実の解明とその啓蒙に専念するならば、必ず目的は達成できるのだ。
ただし生半可な信念ではだめで、百万の敵といえども我往かん式の悲壮な決意も不可。
必要なのは自分と大宇宙との一体化であり、それによって大宇宙を自分の味方にするのである。この場合の大宇宙とは物理的な空間としての宇宙よりもむしろ、宇宙の創造パワーである。
言いかえれば創造主であり、神であるが、しかしこの表現では宗教的に響くから、アダムスキーは『宇宙の意識』と呼んでいる。
ところが多年この用語を使用して宇宙哲学を解説してきたのだが、今一つピントこない人が多いらしく、なかには 『宇宙意識』 と言う人も少なからず出てきた。これは人間の側が持つ対宇宙的な意識であって意味が全然変わってくる。『宇宙の意識』は大宇宙全体を創造し支えている根源的なパワーと叡知を意味する。『の』の字があるのとないのとでは意味が完全に逆になるのである。
しかし、この用語ですら具体的な意義が把握しがたいので、編者はこれを今は 『大宇宙力』 と言いかえている。
こんな力は物理的に存在しないと学者は言うかもしれないが、これは物理的な意味で称するのではなく、宇宙の創造主を象徴的に表現しているにすぎない。名称はなんであれ、創造主または神という言葉が宗教的に響くので、その意味を持たせた言葉である。
アダムスキーの記述によれば、偉大な進歩をとげた別な惑星の人々は睡眠中でさえも宇宙の創造主を意識しているという。これからみると、創造主な るものの認識が人間の発達に根本的な要素をなすもののようだが、地球世界におけるこの理解はまだ微々たるものにすぎない。
しかしこの『創造主』すなわち『大宇宙力』は現実にあらゆる人間と万物に生命と叡知を与えながら生かしており、人間も万物もそれによって生成発展していることは、どのように考えても間違いないだろう。
これを意識しているか否かで人間のカルマに大差が生じるように思われる。 どのように孤独で貧窮な生活をすごそうとも、この大宇宙力によって生かされていることを心底から実感し感謝して生活を過ごすならば、今生を去って転生する際に輝かしい進級が与えられるだろう。そのような情報もある。
18世紀の機械文明の勃興とともに隆盛をきわめた唯物論はいま見直しを迫られているが、一方、科学も重要である。なんとなれば我らの太陽系の別な惑星群の偉大な文明存在を突き止めて人類の一大覚醒を促すのは科学による宇宙開発であるからだ。特に日本による惑星探査の実施を心から期待したい。それには理由がある。日本は惑星の実態を隠蔽することなしに公表すると思われるからだ。日本人が惑星群の真相を公開すれば、良い意味で世界に一大衝撃を与えるだろう。大宇宙思念法を続けながら、その日がくるのを待つことにしよう。
(久) |