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| 『中米マヤ遺跡宇宙ロードの旅』 紀行 第2話 | |
UFO Contactee No.123 1993 WINTER より転載 |
| >翌17日、早朝メキシコを出発して小さなプロペラ機で隣国グアテマラへ向かい、一時間後にフローレス空港へ着く。ここからバスでテイカルへ向かうのだが、まず途中でワシュントウン遺跡へ行く。今回はメキシコ・ユカタン半島を省略したので、ここからいよいよ古代マヤ文明圏に入ることになる。 |
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壮麗なマヤ文明 翌17日、早朝メキシコを出発して小さなプロペラ機で隣国グアテマラへ向かい、一時間後にフローレス空港へ着く。ここからバスでテイカルへ向かうのだが、まず途中でワシュントウン遺跡へ行く。今回はメキシコ・ユカタン半島を省略したので、ここからいよいよ古代マヤ文明圏に入ることになる。
マヤ文明は前1500年頃から興隆し、前1300年頃に前古典期にはいり、紀元300年頃から900年頃までが後古典期となり、特に600年から300年間の後古典期後期は欄熟して繁栄の極に達した。 しかし、900年初頭、マヤ人は中米一帯から、突如として姿を消す。壮大な神殿ピラミッドや華麗な宗教都市のすべてを放棄して行方不明に潔省のだ。理由はすべて謎−。だからマヤにとりつかれるのだ。 ワシュントゥン遺跡は紀元前より存在していたといわれる。しかも新しい石で修復しておらず、オリジナルそのままの古い石が残っているから、非常に価値がある。ここは私も初めてなので、目を皿のようにして見て回った。だいいち、メキシコ市へ観光に来る日本人は年間3万人いるが、このワシュントゥン遺跡まで来る人はマヤ考古学者の1〜2人程度だとガイドさんが言う。途方もなく貴重な遺跡を見たことになるらしい。これは来た甲斐があった。 湖畔からUFOを目撃! 午後早くペテン・イツァ湖畔のホテルへ入る。眺望絶佳。暮れてからベランダに出て暗い湖畔を見つめてまもなく、右手上空に赤い閃光がきらめき、次に左手上空に赤い閃光がきらめいた。同一物体かどうかは不明だが、UFOに間違いない。 翌日、S君も同じホテルの自室から湖を見つめていたときに、水面に輝いていた一個の光体が飛び上がって弧を描いて飛んだという。私の目撃とは別な時刻らしい。 ガイドさんの話によると、昔から今に至るまでメキシコやグアテマラ一帯にはUFOの出現や着陸事件が頻発しているという。この国土に何かの原因があるのか、住民の想念波動と関係があるのかは不明だが、古代マヤの時代から宇宙的な何かの関連があったらしいことは次の事情で首肯できる。 それはこうだ。アダムスキーは存命中に壮大な計画を立てたことがある。大探検隊を編成してメキシコ・ユカタン半島の古代マヤ遺跡を探索するというもので、埋蔵されている何かの宇宙的な物を発掘しようとしたらしい。この報に接した私は家土地を売ってでも金を作って参加したいと思っていたが、なぜか計画は中止された。資金難かメキシコ政府の不許可によるものかはわからぬが残念なことであった。 これからみても古代マヤ文明が何かの宇宙的な要素をおびていたことは間違いない。ただしデニケンの説とはいっさい無関係である。アダムスキーは異星人から古代マヤ文明に関する情報を与えられたものと私は確信している。
テイカルの大遺跡 ここも昔一度来たのだが、鮮明な記憶が残っていないので、初心に返って見学した。このテイカルはカにアクセントがあって、そこを高く発音する。 紀元300年から800年にかけて古代マヤ最大の大祭祀センターとして建設された宗教都市で、博物館で見た復元模型を見ると28キロ平米の土地に約3000の石造建造物を擁する驚異的な大都市であったが、900年初めに突如住民は消えた。
現在残るのは端っこの中央広場に残る1号神殿ピラミッド、それと相対して建つ2号神殿ピラミッド。その周囲に各種の建造物が修復されており、少し離れたジャングル中に未発掘の3号、4号、5号が首だけ出してそびえている。 2号は高さ51メートル、ほぼ完全に修復されているが、2号は現在足場を組んで修復工事中。いずれも700年前後の建立。4号になると高さ70メートルあり、ほとんど未発掘なので全体が樹木で覆われている。したがって、頂上まではふもとからかけてある梯子を伝わって登って行く。昔は私もここを登ったが、てっぺんから眺める一面の大ジャングルは圧巻。 マヤの時代には現在のようなジャングルはなくて、整地された平地だったらしい。二対のピラミッドを見ただけで往時の壮観さがしのばれる。考古学的な詳細は一切省略しよう。 ムー大陸の後裔? 古代マヤ人はすごい文化を有していた。あの大昔から太陽暦を用い、数体系でゼロの概念をもっていた。天体観測もやっていた跡はバレンケやチチェンイツァの遺跡に残っている。 昔のイギリスの有名な探検家ジェイムズ・チャーチワードによれば、古代マヤ族はムー大陸の後裔だという。中米一帯に分布していたらしい。 メキシコ・ユカタン半島のウシュマル遺跡には金星の神殿があり、ここの壁にはムー大陸を記念して建立されたという象形文字が残っていたとチャーチワードは書いている。昔最初にその遺跡へ行ったときには私もたしかにその文字を見たけれども、一昨年に行ったら、その部分が壁から剥ぎ取られていた。 チャーチワードの学説の85パーセントは正しいとアダムスキーが言ったということを昔アメリカで聞いたことがある。彼は多数の書物を残しており、その多くの翻訳書が大陸書房から出ていたが、倒産して絶版になった。 大ジャングルの中を歩く このあと一行は大原始林の中を約40分ほど歩いたが、これは良い体験になった。高さ数十メートルある樹林の枝に野生のサルがいて、枝を折って落としてくる。あちこちに鳥の奇声が響いて、まさに 『ジュラシック・パーク』そのものだ。現在はジャグァーのような猛獣がいないから安全に歩けるし、大自然を綿密に観察できる。この素晴らしい原始林が人間の手で破壊されないことを祈りつつ樹林に向かって「元気で成長して下さいよ」とテレパシーで呼びかけながら出て行った。 夕方フローレス空港から再度プロペラ機でグアテマラ市へ向かう。カナダ製のANアギラ高翼双発機で、エンジンは650馬力だとガイド氏が教えてくれた。戦時中、航空隊にいた私はプロペラ機になると興味がわいてくる。 ガイドのアルトゥ一口・ヤマグ氏はメキシコ生まれの日系メキシコ人。国立自治大学の工学部機械科出身で、もと機械の設計をやっていた人だから飛行機にも詳しい。だがメキシコオリンピックのときに日本語の出来る通訳として働いてから、ガイドの仕事に興味をもち、以来マヤ考古学や人類学などを独学で学んだという秀才である。中米に関して何を聞いても知らぬことはない博覧強記の固まりのような人。 今年3月に初めて日本を訪れたという。感想を聞くと、東京の人間の多いこと、電車がすごく発達していること、日本料理が美味しいことなどに驚いたと言っていた。スペイン語と日本語の完全なバイリングィストでメキシコきっての名ガイドとうたわれる。私たちが世話になったのは今回で3度目。 奇跡の水 グアテマラ市に着いてからレストランへ行き、ここで食事中にヤマグ氏から非常に興味深い話を聞いた。フキシコのある地方の田舎町に不思議な水が出る所がある。その水を飲むとどんな難病でも治るというので、世界中から大勢の人が押し寄せるという。 なんでもその土地にUFOが着陸して特殊な放射線を水に浴びせたらしく、そのために水質が変わったのだと思われているという。あるときヤマダ氏の奥さんの腸に腫瘍が出来て、医師の診察を受けたところ、手術しないと危険だと言われた。そこでヤマグ氏がその水を取ってきて、奥さんに飲ませた上、さらに水を患部の位置の皮膚に塗ったら、そこからシューシューと水蒸気のようなものが吹き出て、それきり治ったという。 私とT氏はこの話を聞いて色めきたった。今回の旅行中になんとかそこへ行って水を飲みたいものだとヤマダ氏に話したが、今回は日程の都合がつかず、だめだという。しかし水の量が減少する傾向があるので早く行く必要があるという。 そこで来年もまたメキシコ旅行を実施して、ぜひともその水を自分で飲んだり、ビンにつめて日本に持ち帰って難病の人に飲ませたいというわけで来年度の旅行を企画した。 この水には宗教的な色彩は全くない。それどころかUFOが関係Lているらしいので、別な惑星の未知の科学が感じられるのだ。 これ以外にもメキシコには異星人が農民に野菜の特殊な栽培法を教えたために、タマネギその他の作物が途方もなく巨大なものになったりするという。このオパケ野菜も見る予定である。
親日的なグアテマラ人 翌日はグアテマラ市内を見学。この首都は緑豊かな素晴らしいレイアウトのもとに建設されており、非常に美しい都市だ。高級住宅街を通ったときのヤマダ氏の説明によると、五〜六百平米の土地付きの白亜の豪邸が日本円で二千万円程度で買えるという。しかし、外国人がこの国で不動産を購入するのは困難らしい。 だが貧富の差の激しいグアテマラでは、一般国民にとって逆立ちしても手が出ない価格である。なにせテイカルの辺地では2000年前と変わらぬ掘っ立て小屋で生活しているインディオが沢山いるのだ。国民の平均的な生活は月に4百ドル(4万円少々)あれば充分だという。市内は昔来たときよりもかなり近代化されている。 古代マヤ人の子孫といわれるグアテマラ人は非常に親日的で親切であり、笑顔をよく見せて丁寧に応対する。親切さというものが人間にとって最高に高貴な資産であることを今回ほどに痛感したことはない。 午後はバスでアンティグアへ行く。ここも昔来たのだが、家並は昔どおりで、グアテマラ市とは違って、民族衣装を着た婦人が頭に物を乗せて歩いている土俗的な風景がときたま見られる。しかし昔ほどではなく、こぎれいな学校の制服を着て皮靴をはいた少女たちを見ると、かなり近代化されてきたらしい。 昔の有力者であったポネスの屋敷跡の博物館やヒスイのエ場などを見たあと、中央広場へ行くと、民族衣装を着た多数のインディオの12〜3歳ぐらいの少女たちが、頭に民芸品の織物を乗せて売りにくる。かなりしつこい。全員がスペイン語でまくしたてるが、1人だけ英語の単語を混ぜて話す少女がいた。
手織りで2カ月ぐらいかかる大きなテーブルクロスが10ドルという安価な値段なのだが、ガイドさんの指示にしたがって一同はそれをさらに値切る。1ドルでも多くの収入を得ようとして必死に攻勢をかけてくる可憐な少女たちを見ると、値切るのは可哀そうで胸が痛くなってくる。 だが私の安易な感傷やヒューマニズムとは裏腹に、彼女たちは案外したたかに生きているのかもしれない。「私たちのように逞しく生きなさい」と教えられたような気もする。民族衣装もたぶん商売用なのだろう。 このテーブルクロスを輸入する日本のデパートは一枚を数万円で売るという話を帰国後に聞いた。その後いったんメキシコ市へ帰り、一泊してサンフランシスコ経由で22日に無事帰国した。 【付記】
(終わり) |
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