九と七という不思議な数字
異星人たちの宇宙舶の構造に、九と七という数字が深く関わっているということが指摘されてきました。もし彼らが一プラス一は三"という公式を用いているならば ― 彼らがそうしていることを私はよく知っていますが ― それは当然ことなのです。一プラス一は三は三となり、それが一つの単位を形成します。いわゆる"三位一体"です。父と子と精霊ですね。古代の人々は、地の三位一体と天の三位一体が存在するとも語りました。
まあ、それはともかく、2つの三位一体が結合すると、三プラス三は六の他に、もう一つのものが出現することになり、例の不思議な七という数字が浮かび上がることになります。さらに、四つの三つ組の単位が結合すると、十二に一つが加わり、十三という数字が登場することになります。
とまあ、こんな線にそって思いをめぐらしてゆけば、彼らの宇宙船の構造に関係している不思議な数字の謎を解くことは決して難しいことではないでしょう。
たとえば、もし、あの化学者パラケルススの業績をちょっと真剣に分析したならば、彼がこの法則以外のいかなる法則をも応用していないことに、すぐに気付くはずです。 (訳注:パラケルススは16世紀前半のスイスの医者で化学者。本名はホエンハイム。『パラミルム』と題する著書の中で医学的現象を化学的見地から説いて名高いが、むしろ錬金術師としてよく知られている)
彼はそれを、化学の中に応用したのです。それは、金がなぜそんなに重いのかを解く鍵でもあります。さらには、金と鉛はなぜ同じほどに重いのだろうか、それらは重量の点において、なぜそんなに似ているのだろうか、といった疑問を解く鍵ともなります。でも、一般に人々は、「そんなこと知ったことじゃないね。鉛というものがあって、金というものがある。そしてどちらもただ重いというだけじゃないか」と言うのみです。
もちろん、異なった金属は分子構造が異なっています。原子群が異なった配列になっているわけです。しかし、もしその配列を変えることができたならば、それによってある金属を別な金属に変えることも可能となります。パラケルススはそれに取り組んだのです。そして彼はその分野においてかなりの成功を収めました。
あらゆるものがこの法則に従っています。あらゆる分野のあらゆるものがです。だから私はさまざまな分野の科学者たちが協力する必要があるということを常に言いつづけているのです。
ところで、これまで天文学は私たちに素晴らしいことを教えてきました。しかし、それは今に至るまで常に理論のままでありつづけてきました。なぜならば、宇宙空間に飛び出して行って自分自身で直接他の天体群の実態を調査したことのある天文学者は、未だかつて一人もいないからです。地球からそれを行なうには、私たちの観測機器はあまりにも不充分だと言わざるを得ません。ただ、彼らはそうした限られた装置しかないわりには、とてもよくやってきたと思います。その意味では、充分に賞賛されてしかるべきです。
ただし、ときおり"権威"という実にくだらないものが私たちを真実から遠ざけてしまうことがあります。 かなり前のことですが、私がアリス・ウェルズ夫人のレストランでくつろいでいたときのことです。(訳注:アリス・ウェルズ女史のレストランについては、本号記事『パロマー山にUFO出現』を参照)
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▲パロマー天文台。アダムスキーが住んでいたパロマー山腹の台地から車で約20分の頂上にそびえる白亜の大ドーム。高さ60メートル。撮影/久保田八郎 |
ちなみに、そのレストランが私のものだったということがよく言われていますが、それが私の所有物であったことは一度もありません。確かに妻と私はそのレストランと同じ敷地内に住んでいました。そしてそこに望遠鏡を設置していました。ただそれだけです。レストランが私のものであったことは一度もないのです。
でも、そのレストランで ― 軽食レストランですが ― 私は多くの人々と会いました。それはとても美しいレストランでした。そこを訪れた人は誰もがそう感じたはずです。それは今でもまだ同じ場所にあります。ただし、もう営業はしていません。
それはともかくとして、ある日、天文学者の一団がそのレストランに立ち寄ったことがありました。全部で四人でした。そのうちの何人かとは顔なじみだったのですが、彼らは当時、夜空の撮影をしていました。地理協会の依頼を受けて星図を作成していたのです。すでにその作業は完了したと聞いていますが、そのとき私は、彼らにこんな質問をしたものです。「ところで皆さん、たとえばここにある男が現れて一枚の星図を広げたとします。しかもそれは、あなたがたが今作成しつつあるものと全く同じものだったとします。もしそんな星図を見せられたとしたら、あなたがたは、いったいどんな感想をいだくでしょうか?」
彼らは言いました。
「凄い、天才だ、と思うでしょうね。彼が私たちほどの観測装置を用いていないことは明らかですからね」
そこで私は言いました。
「なるほど、そうおっしゃると思いました。でも、そこであなたがたは、おそらくその男に『どこで教育を受けたのか』とたずねるのではありませんか?」
彼らは言いました。「ええ、もちろん」 私はつづけました。「では、そこでその男が『教育など全く受けていない』と答えたとしたらどうでしょうか? 天文学を学んだこともなければ、自分の名前さえも書けない、と答えたとしたら、次にあなたがはどうしますか?」
彼らの1人が答ました。
「私たちは、自分たちが精神異常者とかかわって時間を浪費していたことに気付くでしょう。そして、もし彼がそれを置いていったなら躊躇なくゴミ箱に投げ捨てます。そんなものとかかわっていても時間の無駄ですからね」
そこで私は言いました。「予想通りの答えです、皆さん。あなたがたは今、自分たちの今の科学が、自分たちが何の価値もないと考えているものを基盤にして成り立っているのだということを、自らの言葉によって証明したことになります」
彼らの顔色が変わりました。
そこでまた私はたずねました。
「現代の天文学の基礎となっているものはゾーディアックではないのでしょうか? 占星術に用いられているゾーディアックではなく、星図としてのゾーディアックです。 (訳注:ゾーディアックとは黄道帯または獣帯。太陽の軌道である黄道を中心に南北に各幅八度で広がっている想像上の球帯。この帯内を太陽、月、主な惑星が運行する。古来、この球帯を12等分し、それぞれに一つずつの星座を配し、それを黄道12宮と呼んだ)
「ええ、まあ、そうですが」
「さて、そこで皆さん、古代にそのゾーディアックを作り上げたのは誰だったのでしょうか? 羊の群の番人たちだったのではないでしょうか? 彼らは、夜、羊たちを見張る以外に何もすることがなく、いつも空を見上げていました。そして、自分たちが見た星座なり惑星なりを、ひとつひとつ書き記していったのです。例えば金星を見ては、それを丸と十字で表すなどしたのです。
そして彼らは、いかる教育も受けていなかったのではないでしょうか?彼らは、羊の番人たちだったのです。当時はもちろん、今のような教育制度はありませんでした。彼らは特別な教育を全く受けていなかったのです。でも彼らが間違っていたということを、あなたがたはこれまで一度も証明することができませんでした。パロマー天文台のあの巨大な望遠鏡を駆使してさえもです。
それなのに、今、私たちが現代と呼ぶこの時代に、ある男が、あなたがたも認めざるを得ないほどの素晴らしい仕事をしたというのに、彼が何の教育も受けていないことを知ったとたん、あなたがたは彼を精神異常者にしてしまい、その業績をむざむざ葬ってしまうという現実は、いったいどういうことなのでしょうか?矛盾しているのではないでしょうか?」
彼らは私の議論に、目を白黒させていたものです。
今私はこの話を、私たちの多くがいかに大自然に目を向けようとしていないか、ひいては、大自然こそが偉大なる教師であることを知ることにいかにして失敗しているかの一例として話しています。
大自然は、実に偉大なる教師なのです。大自然は、私たちの知る宇宙というもののみならず、私たちをも含めた、そこに存在するあらゆるものに関する責任を有しています。もし大自然が、私たちがまだ知らないものをも含めたこの宇宙のあらゆるものの建築家であるならば、重力、反重力の謎を解く鍵をもっているのは、いったい誰なのでしょうか? その答えを私たちに提供し得るのは大自然なのではないでしょうか? 大自然はそれを自分自身で活用しているのではないでしょうか? もちろんです。疑問の余地など全くありません。
私たちは、えてして、さまざまな本を徹底的に研究することで重力を学ぼうとします。でも、もしかしたら、ある日突然、本など読んだことのない、どこかのとても素朴な人物が真実の答をポイと提供してくれることになるかもしれません。この分野のことを大自然から学ぼうとしている人々が、今現在実際にたくさんいることを、私は知っています。これに関する真実の答を提供してくれる人物は、もしかしたら、教育らしい教育など全く受けたことのない人物かもしれません。
第三章へ続く |