|
▲アダムスキーが描いたイエスの像。 |
「地球人を助けるためにあなたの世界で生まれ変わるように送られてきたイエスのはりつけ以後、地球で生まれ変わるよりも関係者にもっと危険の少ない方法で使命を遂行するようにきめたのです」 (同書206ページ) これからみると、イエスは明らかに別な惑星から転生してきたことになる。 ただしこの書では出身惑星が明確ではない。
ところが、かなり以前にカリフォルニア州の某所にあったグループの人間から、1952年にデザートセンターでアダムスキーが会見した金星人は、実はイエスの生まれ変わりであったと聞いたのが、この種の情報入手の最初であった。だがこのグループは平然として無数のウソをつくような集団であることが分かったので、その後絶縁してしまい、その件は忘れていた。
しかしアダムスキーから親しく薫陶を受けたアリス・ボマロイ女史からもその後同様の話を聞いて、筆者は俄然関心を持つようになったのである。アダムスキーは誰にもかれにも話したわけではないらしく、ごく親しい側近だけに洩らしたそうだが、とにかくイエスがゴルゴタで礫刑に処せられたとき、「自分はそこにいたのだ」と語ったという。これはヨハネとしての自分がそこにいたという意味である。
新約によると、イエスの凄絶な最期を見届けたのはマグダラのマリアその他の婦人連で、ヨハネの名はどの福音書にもでてこない。したがってアダムスキーの場合は自分の過去世の記憶によるものなのだろう。一体に彼は凄い超能力者で、五千年に及ぶ過去世の記憶を保っていたという。またテレパシー、遠隔透視、オーラ透視にも抜群の能力を有していたと、アリス・ウェルズ女史から聞いたことがある。だからアダムスキーが自宅で月例会を開催したときは、オーラ透視、過去世透視等を応用して出席者の人物の程度を見抜いていたということだった。
|
■オーソン肖像画の横に立つ筆者久保田八郎。1975年秋、カリフォルニア州ヴイスタのアダムスキーの家にて。絵は以前に火事があったために傷がついている。(ただし旧日本GAPで頒布していたオーソン肖像写真は出火以前に撮影されたものでウェルズ女史が久保田に贈った貴重な資料) |
それはさておき、例のデザートセンタ一における会見は二千年後の邂逅という劇的なものとなった、ということになる。この会見後だと思うが、アダムスキーは過去世透視によってイエスの肖像を描いている。それは、あるときアダムスキーが四角な窓のような枠の中にイエスの姿を見たので、そのとおりに描いたのだとアリス・ウェルズ女史が1975年の秋、私が最初にヴィスタの女史の家を訪問したときに語っていた。その絵はどこにあるのかと尋ねると、メキシコのマリアの家にあるという。
ところがそれから2年後にメキシコを訪れたときに、図らずも私はその絵を見る機会を得た。このときはそのような貴重な絵を見せてくれるとは思っていなかったのだ。
マリア・クリスティーナ・デ・ルェダ女史はかねてからアダムスキーの熱烈な信奉者で、アダムスキーも彼女に好意を寄せて、クリスマス休暇によく彼女の家を訪れて滞在していたという。 ご主人は不動産業を営む大富豪で、城のような大邸宅に住んでいた。
大ホールというべき一階の広間の周囲を沢山の部屋が取り巻き、ヨーロッパの上流階級の館を舞台にした映画を見るような螺旋階段を昇ると、二階にも多数の部屋がある。その一つに案内されて筆者はアッと驚いた。
等身大のイエスの素晴らしい油絵が壁に掛けてあるではないか。絵画の才能にめぐまれていたアダムスキーは、よく油絵を描いたというが、これも見事な作品である。だが、よく見ると、上半身はていねいに描いてあるものの、下へゆくにしたがって粗末になっている。顔に重点をおいたのだろう。
爆発しそうな心を抑えながら、筆者は携行したニコンF2で撮影した。アオリのきく大きなカメラを持参しなかったことを大いに後悔した。小さな絵だと思っていたからだ。
その数年後にマリア女史は他界した。そのときの遺言によってこの絵は額縁からはずされ、キャンバスは巻かれて棺の中に収められ、遺体とともに焼かれたという。 しかし日本人であの絵を目撃したのはたぶん私だけだろうと思えば、その光栄と不可思議なカルマに粛然とするのである。
|
▲イエスの肖像画とアタムスキーー。この写真も肖像画の横にかけてあった。 |
転生(生まれ変わり)という現象は確実に存在するとアダムスキーは唱えている。いまはこの問題が各方面で研究されているし、インドでは過去世の記憶を保つ子供の証言から、実際にそれが実証されたという記録がある。いずれ科学で解明される時代がくるだろう0 ただし、いわゆる霊界なるものは存在しないとアダムスキーは強く主張している。このことはスペース・ピープルから伝えられたインフォメーションであるらしい。
人間の実体は息が絶えてから平均3秒で他の新生児の肉体に移行するが、それは胎児が母体から出た瞬間であるという。したがって受胎した瞬間ではない。いわゆる心霊問題に関してはまだ未解決の部分が多々あるようだ。
したがって人間の生涯は一度限りではない。無数の転生を経てさまざまな生涯を体験する。あるときは有色人に、あるときは白人に、ある生涯では男、ときには女に生まれて地球上の国々を転々とする。こうして地球上のレッスンを終えたならば高次元な惑星へ転生する。卒業できなければいつまでも同じ惑星の各地へ 『留年』 の転生を続けてレッスンを学ばねばならない。精神的に向上してゆけば太陽系から別な太陽系へ、銀河系から別な銀河系へと大宇宙空間の転生の旅を続けるのである。
以上の件は地球が宇宙時代に突入する来世紀の重要な研究課題になるだろう。
アダムスキーがデザートセンターで会見した金星人はイエスであり、アダムスキー自身はヨハネであったという話は一般には全く知られていないし、アダムスキーもそのことはひた隠しにしていた形跡がある。これは宗教界の攻撃や嘲笑を警戒してのことと思う。 あまりに突拍子もないことなので大半の読者も半信半疑だろう。
「いかにも本当らしい事がウソで、いかにもウソらしく見える事が意外にも本当なのだ」という格言みたいなものがあるが、これを判断の基準としなくても、謎の出来事はこの世から跡を絶たない。ノンフィクション研究家にとってネタがなくなることはまずない。この世の裏面では何が行なわれているか分かったものではないからだ。
だが、アダムスキー問題のような常識をかけ離れた問題に対する個人の信・不信は、本人の学識教養を超えた何かの基盤によって決まるもののようである。それは個人が有する『カルマ』というものであり、しかもそれは今生で形成されるのではなくて、遠い過去世から培われてきた結果を今生で発揮しているといえるだろう。
4〜5歳で楽器演奏の天才的な能力をあらわす少年少女は、両親や祖先から受け継いだ遺伝的要素もあるけれども、過去世で優れた音楽家であった本人の才能が今生に持ち越されたと考えられるのである。無名の一少年が熱烈にイエスに憧れるかと思えば、大実業家が金だけに執着して生涯を終える。
これも個人のカルマによるのだろう。
(完) |