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古代マヤのナゾ

UFO Contactee No.115 より

今回のメキシコ行きは筆者にとって4度目。訪れるたびに新鮮な空気を感じる。実際、旅ほどは人間を覚醒させるものはない。同じ風景を見ても、その度に新たな発見をする。

 謎に満ちたメキシコの遺跡

10日にメキシコへ飛ぶ。メヒカナ航空のこの旅客機はB727の最新型で、各座席の背もたれの後ろに小さい液晶テレビが取りつけられているので、退屈しない。  約3時間後、機はメキシコ市の空港へ着いた。出迎えに来ていたヤマダ氏は日系メキシコ人。10年前、第二回目のメキシコ旅行のときにガイドを務めた方なので、懐かしい再会となった。 氏はメキシコきっての名ガイド。日本語とスペイン語の完全なパインリングァルだが、まだ日本へ行ったことはないという。その博識はへたな学者を寄せつけぬだろう。メキシコ市滞在は一日だけなので、 午後はバスでテオティワカンの大遺跡へ行く。

▲碑銘の神殿ピラミッド

メキシコの歴史は複雑で、しかも謎の遺跡が多く、知的好奇心をかきたてるのにこれ以上の国はエジプトを除いて他にない。特に古代マヤの遺跡は妖しい魅力を放ち、限りないロマンとファンタジーに満ちている。

メキシコ史をごくおおざっぱにみると、紀元前1000年頃からオルメカ族がメキシコに現れる。続いて前200年頃にサボテカ族が出現してモンテ・アルバン文化を発展させる。一方マヤ人も同じ頃にユカタン半島やグアテマラに住み着いて900年頃までに一大文明が展開する。特に最後の西暦600年から900年頃までの古典期後期は絢欄たる文化が栄えた。しかし後に勇猛きわまりない鷲軍団やジャガ一軍団などを擁するトルテカ族の出現で、マヤ文明は混交し、マヤ族は突如としてジャングルから謎の消滅をとげる。

一方、紀元200年頃かまたはもっと以前、テオティワカンに謎の種族が住み着いて壮大な文明を構築する。これが現在残る太陽のピラミッド、月のピラミッドを中心とするテオティワカン文明である。後に流浪の民アステカ族がこの遺跡を発見して、「テオティワカン」と叫んだ。これはアステカ語で「人間が神様になれる」という意味。だがテオティワカンの末裔も北から来たアステカに滅ぼされ、アステカもスペイン人の侵略で滅亡する。

メキシコ文明の発祥地はタバスコ州で、その祖となったのはオルメカ人である。ちなみにメキシコは31州からなり、国土は日本の約5倍ある。ヤマダ氏によるとテオティワカンはオルメカを親文化とする第2回目の文化であるという。

さて、私達は4時20分に右側の祭祀広場へ行ってヤマダ氏の説明を聞いた。しかしここで氏の熱がはいりすぎて(これは大変良いことなのだが)、時間をくったため、太陽のピラミッドへ登ることができず、月のピラミッドに登頂しただけで引き返した。ここを出るあたりから猛烈なスコールに見舞われる。いまメキシコは雨季なのだ。だがスコールはすぐやんでしまう。

 メキシコのエキゾチシズム

 

翌日は早朝4時に起床。5時に出発する。今日はバレンケの遺跡を見学するのだ。ここはユカタン半島の付け根に近い内陸部で、まず飛行機で1時間かかってカンペチェ湾に近いどリヤエルモッサに着く。ここは15世紀に侵入してアステカを滅亡させたスペイン人が建設した町なので、スペイン風の古い建物が多い。

いったいにメキシコ人は土着のインディオといわれる東洋系のように見える人種が主体をなすが、スペイン人との混血も多く、若い混血の女性がやたら目立つ。日本へつれて来れば一流のファッションモデルになりそうな美女がうようよしている。

メキシコには本来の土俗性とスペイン文化とが混交した独特なエキゾチシズムが溢れており、特に音楽や舞踊に大いなる魅力がある。メキシコ人は天性陽気で明るくて人なつこい。時間に束縛されることを嫌い、自由奔放に生きようとする。このためだらしないという日本人もいるが私には彼らの屈託なさがユーモラスに見えて愛着を感じる。

彼らの陽気さは民族音楽によく表現されている。それは独特な様式の旋律であって、まさに太陽とサボテンの国の象徴だ。ちなみに私が選ぶ世界の三大民族音楽はメキシコ、ギリシア、沖縄のそれである。時間があるので、一行はヤマダ氏の案内により、ビリャエルモッサに近いラベンタの野外博物館へ行く。

ここは以前にも来た。3000年も大昔のオルメカ時代の石の彫刻類があちこちに無造作に置いてある。何を見つめているのか空を見上げるサルの像があり、神官や王などの像もある。これらを見ると石という素材の持つ永遠性というようなものが感じられる。エジプトへ行くと特にそうだ。

 謎のバレンケの石棺の浮き彫り

 

▲パレンケの石棺の蓋の浮き彫り。

12時半にバレンケ到着。1977年に初めてここへ来て「碑銘の神殿ピラミッド」を見たときは、これは遠い昔、私がこれを設計したのではないかと思うほどの凄い親近感と邂逅の念に打たれたものだが、この感覚は来るたびに強くなる。そして遠い故郷へ帰ったような安堵感がわきおこる。またここは宇宙的な雰囲気というか波動に満ちており、魂の安らぎを覚えるのである。

この神殿ピラミッドの底の玄室には巨大な石棺が安置してあり、その蓋には名高い浮き彫りがある。「これはロケットを操縦する古代マヤの宇宙飛行士だ」という珍説を展開したのはエーリッヒ・フォン・デニケンである。彼の書物のおかげでバレンケは世界的に有名になった。

だが、この浮き彫りは宇宙飛行士ではなく、棺の中に眠っているパカル王が天国へ昇天するための儀式を行なっているという説が有力で、ヤマダ氏もその意味のことを説明していた。しかし結局は謎。

だが、見逃せない事実がある。生前アダムスキーはメキシコのユカタン半島の大探検計画をたてて、一列車を借り切り、壮大な調査を意図し、参加者を募ったことがある。このことを知った私は家土地を売り飛ばしてでも旅費を作り、参加しようと思っていたが、後になぜか計画は中止された。理由は不明。

だが、アダムスキーがあれほどの大計画をしたからには、何か宇宙的な物がユカタンの地下に埋蔵されているにちがいない。そのことをおそらくスペースピープルから聞いたのではないだろうか。計画の中止はたぶん資金難かメキシコ政府の発掘拒否のいずれかによるものだろう。

古代マヤは謎に満ちているけれども、なにかの宇宙的な歴史が秘められているような気がするのだ。そういえば、ウシュマルの大遺跡の尼僧院と呼ばれる壮麗な建造物の左手には「金星の神殿」という狭い一角がある。ここを音調査したイギリスの探検家、ジェームズ・チャーチワードは、この神殿の壁の浮き彫りから、この建物がムー大陸を記念して建てられたものであることを発見したと述べている。

古代マヤ人は神聖文字と呼ばれる絵文字を持っていたし、数学が異常に発達してゼロの概念を有していた。またバレンケの碑銘の神殿ピラミッドの左手前に残る「宮殿」と呼ばれる巨大な石造建築の中に四層になった塔があるが、これは天体観測に用いられたものだろうと考えられている。10年前、ここへ来たときにバレンケに住むアメリカ人の女流マヤ研究家として名高いマーリ・グリーン・ロバートソン女史から、石棺の蓋の浮き彫りを撮った大きなカラー写真を分けてもらった思い出がある。あと3枚しかないという貴重な写真を見知らぬ日本人に気前よく譲って下さった寛大さに恐縮し感動した。帰国後、大きな日本人形を大丸デパートを通じて送ったところ、丁重な礼状をよこされた。

今回バレンケで当時のことを覚えていたヤマダ氏によると、ロバートソン女史は数年前に亡くなられたという。 束の間の面会だったが、私にとっては「忘れえぬ人々」の一人である。女史は石棺の蓋の撮影をメキシコ政府から許可された唯一の人であったとヤマダ氏が話していた。

 壮麗なウシュマル遺跡

 

▲魔法使いのピラミッド

11日はユカタン北端に近いメリダへ飛ぶ。ここは昔、野口英世博士が在住して風土病を研究した土地で、博士の銅像が立っている。小さな像なので迫力がない。資金難によるものだろう。12日、バスで出発。ウシュマルへ向かうが、まず近くのカバー遺跡を見る。10年前とは比較にならぬほど修復が進み、雨の神チャクを無数に外壁に飾った「仮面の宮殿」が異彩を放っている。これは古典期のプーク様式である。

このあとウシュマルの大遺跡へ行く。ここの目玉はなんといっても「魔法使いのピラミッド」。30数メートルの高さの大神殿が威容を誇っている。傾斜角40度くらいと思われる長い石段は降りるときが危ないので、左横に鉄の鎖が下げてあり、それにつかまりながら降りてくる。毎年ここで数名の転落死者がでるという。日本ならば文句なしに「危険につき登頂禁止」 の立て札が立つだろう。日本という国は全体が幼稚園化しているような気がする。

▲金星の神殿。

尼僧院の「金星の神殿」へ行ってみた。狭い室内は汚くて、悪臭がする。チャーチワードの言う浮き彫りが見当たらない。左側の室内の壁の一部がえぐり取られてポッカリと穴が開いている。以前には確かにこの位置にあったのに、取り去ってメキシコ市の人類博物館へ運んだのだろう。

こうした古代マヤの複合遺跡は全国で約5万カ所あるらしい。そういえば樹木に覆われた未発掘のピラミッドがあちこちに見える。だがメキシコ政府は予算の関係からか、遺跡発掘にあまり関心を示さぬとヤマダ氏。現在、メキシコ政府はグアテマラの国境に位置するヤシュチラン遺跡を本格的に発掘中だが、これはたぶんメキシコ最大規模の遺跡であろうという。

4時20分にここを出てバスでメリダ空港へ行き、ここから飛行機でカンクンに向かい、約1時間後に到着。ただちにホテルへ入る。カンクンはむかし最初のメキシコ旅行で来たことがあるけれども、当時はホテルが1軒しかない寒村にすぎなかった。ところが今はホテルが数十軒も林立して殿賑をきわめ、世界屈指の大リゾートになった。

エメラルドグリーンのカリブ海は夢のような色彩を帯びて、純白の砂浜は限りなく優しく展開していむ。かさに天国といえるだろう。ただしこの土地を享楽するにはそれなりの経済的バックを持たねばならない。すべて先立つものがつきまとうのである。これが地球の特徴。

翌日は終日自由行動。各自海水浴に興じたり、町の中心部へ買い物に出たりする。夕方はコルティホ・フラミンゴという大きなクラブへ行き、食事しながらメキシコの民族音楽と舞踊を見る。メキシコ市の国立芸術院レギュラーのマリアッチや舞踊団が出演して素晴らしい。メキシコの伝統的な芸術の粋を満喫し、本場のマルガリータを飲みながら陶酔の一夜を過ごしたのであった。

 人問は本質的に旅人

 

今回の旅行では宇宙哲学を生かして、四つの感覚器官を極力コントロールしながら歩いたつもりだが、どうにかするとそれを忘れて、いつのまにかそれらに振り回されている自分を発見するということがしばしばあった。対人問題で気分が沈みそうになると、私はよくルカ伝の一節を英語でくちずさむ。

「他人を許しなさい。そうすれば創造主もあなたを許したまうでしょう」

人間は本質的に旅人である。町から町へ、国から国へ、そして転生を通じて惑星から惑星へ、さらに太陽系から別な太陽系へと果てしない旅を続ける。 私達の日常生活も旅の一断片にすぎない。今生の伴侶や友人と別れて、また来世で別な伴侶や友人とすごす。こうして現象界は流転するけれども、その底には絶対的なものが潜んでいる。それは万物を生かす「宇宙の意識」 である。これに気づかねば旅の行く先は決まらない。良き惑星への転生のためのキップは「宇宙の意識に対する自覚」である、とアダムスキーは言う。これは真実であろう。

ロマンや幻想におぼれることなく、あらゆる現実を直視し、しかもその現実の背後にひそむ実態をガシツと心眼で見透す力を持ちたいものだ。それは結局自分自身の本体を発見することになるだろう。

(終わり)

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